きょうはミスが多かったです。
同じ所に3度配達したり、シールの日付設定のキーに個数を入れてしまったり(つまり日付は個数分先になる)と困ったものでした。
ブレンドしてうまい豆腐にするための、豆の組み合わせのほぼ失敗のない組み方がわかりました。取り扱える品種には毎年限りがあるので、混ぜる楽しみを追いかけるのもいいのかなと感じ始めています。
今までは単品主義つまり「けがれてない・・・」などとえらそうなことを言っていました。
ディーン・マーチン(愛称ディノ)はビートルズやシナトラと並んで、歌を必死に覚えた英語教材でした。
今改めて聞き直してみるとまた新たな、というかほんとの感動があります。
ビートルズやディノ、シナトラが現役のころそれにはまっているような気取りをしていたのは青春の背伸びです。でもあれはあれでよかったのでしょうね。
中学生がおとなのうたを聴いて覚えて歌っている風景というものは滑稽のようでいて、それなりにリズムや旋律の展開にしびれていたのだと思います。
車の中にステレオ、なんて当時はだれも考えてはいなかったと思いますがカセット・レコーダーが技術の進化をもたらしたのでしょうね。そしてその次はソニーのウォークマンですが、この発明はアイディアとしては携帯電話やiPhoneなどに先行しかつより革命的な人類の発想転換であったと思います。
ディノの最後のほうの録音は音質もとてもよく、彼のあの低いというより眠そうなもわっーとした声でも声の輪郭は明瞭に聞き取れました。音楽の携帯性が窮極ということばをつかっていいほど進化している現代はほんとに音楽に恵まれた時代です。
でもこういうときってひとはバカになっていくものです。
情報の洪水。
そんななかで一日中聴きまくっていてもディノは飽きませんでした。
砂糖のたくさんはいった甘美系の音のオンパレードです。
全体的にプレスリーの延長線上にある"ノリ"でできあがっているのがディノの音楽かなと感じます。
きのう音楽好きなお客様とおしゃべりしていて、ジャズとクラシックがだぶっている音楽好きは多いけれどもそれは、甘い旋律とそのコンパクトな展開だけで終わってしまう歌謡曲やポップスからはかけはなれている知的な高さ・きびしさ・つっぱりにあるのかなとかなんとか話していましたが、きょうディノを一日中聴いていてちっともあきなかった原因はなんだろうとあれやこれやと考え込んでいますが適当な答えの言葉がみつかりませんね。
シャンソンなどと比べると窮極の"俗"のアメリカン。
なのに「さとうのたくさん入った」音楽もいいものだなと感じました。
「たまには」でなくてです。
クラシック音楽界(もちろん作曲のこと)は明らかに行き詰まっているようで突破口はいずれ開けると考えるのですが・・・。
前の時代になかったことの積み重ねが他の知的業界同様西洋クラシック音楽の歴史ですが第二次大戦直後を境におおきなスランプに陥った文化の典型だと思います。
一寸先どころか何キロも先まで闇のようです。
こういう時期には過去のゆるやかな、ほんとに緩やかな螺旋上昇または水平回転が起こります。
何年か前にマーラーのコピーみたいなしかし心地よい後期ロマン派ふうの音楽が、作曲者がほんものにせもの云々で大騒ぎされましたが行き詰まり業界で起こった「まあ、ありうるかな」という感じの事件がありました。
ここちよい旋律、というものは未来永劫に人間の生活の中でそれなりの存在意義をしめしていくものと思われます。
作曲家はむつかしい。
一方、演奏は"エンターテインメント"でスポーツ界同様おおきなカネのうごめくビジネスのひとつとなっています。作曲家がまずしいのは歴史の標準ではありましたけどね。
きのうノーベル賞を受賞した大隅さんが「わかいひとたちが研究領域に入ってこない」と嘆いていましたが、科学系も芸術系も文化系もみーんな「即カネ」にしかひとが集まらなくなっているのでしょう。
いまはやっているものなどに入っていっても競争が激しすぎてほとんどのひとは落ちこぼれとなるのにね。こういうグループって他者との比較ばかり気にして、結局自分が何をしたいのかということに答えを与えられずに人生が終わってしまうのでしょうね。
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