午後になって寒く、畑をやろうとしましたが中止。
家でごろごろしていました。
らっきょうを食べ終わった漬け汁にかぶをスライスしたのを漬けました。
一年も待たなきゃならないような気はしないのですが・・・。
浅くてもおいしいのではないかしら。
お彼岸ももう済んだので本も読めます。
問題は"読書体力"です。
今年は何冊読めるでしょうか。
薄い本なのに『バディ・ボールデン・・・』はむつかしく、しかし字を追ったあとの印象は良く残っているのに気づかされます。
音の環境を整えようと戦前のジャズ録音をやたらと聞いてはいるのですが・・・効果ないかな。
ただなんとなくどんなラッパを吹いていたのかということは楽しく想像できるのですけれども・・・。
もっともオンダーチェのこの本は単なる伝記ではないので、あまりジャズそのものを意識することもないのでしょうけれどもこちらはジャズそのもの状態なのでやはりバディボールデン以後のひとたちと結びつけたがってはいるのですけれどもね。
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2015年3月23日月曜日
2015年3月18日水曜日
兵庫県で
自転車の賠償保険の義務化が決まるそうです。
2-3メートルも巾のあるような歩道の場合よほど混雑している場合は別として自転車を低速度で運転するのは"良いこと"と自分なりに考えてはいましたが、現実にはとんでもないスピードで吹っ飛ばしているのを現実に目の当たりにするとそうともいえないのかなと考えてしまいました。
運転している人の"考え"というものが、周りに配慮しない・自分のことだけで頭がいっぱい、という状況では事故は起きて当たり前なのかもしれません。
自転車という道具の問題ではなく運転している人間の幼児化問題があるのでしょうか。
自動車の場合だと図体がでかい・重い、スピードかはやいということから運転手だけの問題ばかりでなく道具そのものがもっている先天的危険性があるわけですが、10キロ無程度の重さしかない鉄パイプの道具がのろのろ走っているぶんにはそんなに危険なことなんか起きるわけがない、と従来考えていた常識は通用しない時代になってしまったようです。
夜無灯火で右側通行、昼間ですら右側通行は危険だということは車を運転する側からすれば当たり前の最低常識が、車を運転しない人にはわからないのはある程度理解できるとしても車を運転しているおとなたちもこういうことをやっているのをみると世も末かなと感じてしまいます。。
なんでこんなになってしまったんでしょうね。
このごろは4車線道路を車で50キロくらいで走っていてもやっとこさ追い越しできるロードレーサーのあんちゃんたちをよく見かけます。
自転車にひとがのっかっても物体としては非常にちいさいものとしてしか目には映りません。
渋滞しているなか交差点で対向車から道をゆずられ右折しようとすると40-50キロのスピードで自転車。バイクともこういうときの事故が多いですがバイクはある程度こういう状況を認識しているのでスピードをダウンしている場合が多いですが自転車はめちゃくちゃです。
ブレーキの制動距離もエンジン付きの車両とは比べものにならない、タイヤも極細。
自分のことしか考えていないのはもちろん自動車にも多いわけですがロードレーサーに乗って無我夢中でペダルをこいでいるひとたちにはかないません。
どうにかならないんでしょうかね。
こんなことほんとは法律でしめつけるようなことではないのだと思うんですけれどね。
自分が自転車であちこちまわっていたあの40-50年前の自転車ブームの時代にはこんなみだれた自転車運転はなかったはずなんですけど。
2-3メートルも巾のあるような歩道の場合よほど混雑している場合は別として自転車を低速度で運転するのは"良いこと"と自分なりに考えてはいましたが、現実にはとんでもないスピードで吹っ飛ばしているのを現実に目の当たりにするとそうともいえないのかなと考えてしまいました。
運転している人の"考え"というものが、周りに配慮しない・自分のことだけで頭がいっぱい、という状況では事故は起きて当たり前なのかもしれません。
自転車という道具の問題ではなく運転している人間の幼児化問題があるのでしょうか。
自動車の場合だと図体がでかい・重い、スピードかはやいということから運転手だけの問題ばかりでなく道具そのものがもっている先天的危険性があるわけですが、10キロ無程度の重さしかない鉄パイプの道具がのろのろ走っているぶんにはそんなに危険なことなんか起きるわけがない、と従来考えていた常識は通用しない時代になってしまったようです。
夜無灯火で右側通行、昼間ですら右側通行は危険だということは車を運転する側からすれば当たり前の最低常識が、車を運転しない人にはわからないのはある程度理解できるとしても車を運転しているおとなたちもこういうことをやっているのをみると世も末かなと感じてしまいます。。
なんでこんなになってしまったんでしょうね。
このごろは4車線道路を車で50キロくらいで走っていてもやっとこさ追い越しできるロードレーサーのあんちゃんたちをよく見かけます。
自転車にひとがのっかっても物体としては非常にちいさいものとしてしか目には映りません。
渋滞しているなか交差点で対向車から道をゆずられ右折しようとすると40-50キロのスピードで自転車。バイクともこういうときの事故が多いですがバイクはある程度こういう状況を認識しているのでスピードをダウンしている場合が多いですが自転車はめちゃくちゃです。
ブレーキの制動距離もエンジン付きの車両とは比べものにならない、タイヤも極細。
自分のことしか考えていないのはもちろん自動車にも多いわけですがロードレーサーに乗って無我夢中でペダルをこいでいるひとたちにはかないません。
どうにかならないんでしょうかね。
こんなことほんとは法律でしめつけるようなことではないのだと思うんですけれどね。
自分が自転車であちこちまわっていたあの40-50年前の自転車ブームの時代にはこんなみだれた自転車運転はなかったはずなんですけど。
2015年3月17日火曜日
ぽかぽかとして
のんびりと過ごすにはいい陽気でした。
縁側で極小の大豆を選別、ほとほと疲れました。
これに先だってお昼には健康診断、3ヶ月ぶりです。油断したというか前回が成績が良すぎた(すべて枠内に入る)ためかわかりませんがことごとく枠に収まりませんでした。
血液どろどろとおこられました。
とにかく努力すればデータは良くなるとはいうものの欠陥の壁にくっついたものはなかなかとれる者ではないので、たとえ数字がいいときがあったとしてもそのときに"悪かったとき"の欠陥内壁の余計物は減っているわけではなく積み重ねでどんどん悪くなっていくということでした。
安定して数字を枠の中に収めなければならないのか。
ジャズの黄金期・・・といってもジャズをやっているひとたちのことではなく、ジャズを聴いている自分の"聴き体験"のことを言っているのですが、20年ぶりに四六時中ジャズを聴いているような状態になってしまいました。どれくらい続くのかしらね・・すぐ終わりそうな気もしますが・・・。
きのうきょうの続けて2,3時間程度しか眠れない夜がつづきましたがそういう時に割合初期の録音を聞いています。
きょうは仕事前にアート・テイタムを聞いていました。
ディキシーとモダン・ジャズのつなぎ目みたいな感じでした。
病院でも2時間待っている間これを繰り返し聞いていましたが飽きませんでした。
ジャズの草創期が1900年直前あたりというのが通説になっているのかどうかわかりませんが、ベートーベンの最後のピアノ・ソナタの2楽章だったかな、リズムの極楽みたいな局部があり、楽譜を読めない自分には断定はできませんが、まさにピアノ・ラグタイムそのものみたいな部分があります。ピアノ・ラグタイムを知ってしまった20世紀のピアニストたちがそれを無意識に出してしまってああなってしまうのかどうか知りませんが、opus 111のこの作品はたしか1822年あたりの作品だったと思いますがアメリカ大陸のアフリカから強制連行されてきた黒人たちがラグタイムの原型をすでにやっていたかどうか興味のあるところです。
それとも全くの偶然の一致か。
あるいはアメリカの黒人たちが20世紀近くなってベートーベンをまねたのか。
それとも先に述べたようにバックハウスたち以下の巨匠たちが無意識に(教養として知っている、持っている)ラグタイムの"のり"を自然に出してしまったのか。
とにもかくにも今やジャズは初期の黒人たちの思いとはややかけ離れたところの"のり"で音楽をやっているのかどうかはわかりませんが、芯のところにある悲しみや反抗みたいなものはずーっと引きずっているのかもしれません。
ある007シリーズのあの有名な葬送シーンでやっている"明るい"音楽隊の音からは"悲しみ"とどういう関係があるのと、ちょっと見には言いたくなってしまいますがね。「甘い大豆は甘くなく、甘くない大豆はぎりぎり甘く」といったとうに忘れてしまっている当人の前で披瀝してくれた埼玉屋さんとのあの飲み会が思い出されますが、悲しみを明るく・反抗をひとなつっこく、といったひっくりがえしの表現もなかなか大人のものだなと考えています。
縁側で極小の大豆を選別、ほとほと疲れました。
これに先だってお昼には健康診断、3ヶ月ぶりです。油断したというか前回が成績が良すぎた(すべて枠内に入る)ためかわかりませんがことごとく枠に収まりませんでした。
血液どろどろとおこられました。
とにかく努力すればデータは良くなるとはいうものの欠陥の壁にくっついたものはなかなかとれる者ではないので、たとえ数字がいいときがあったとしてもそのときに"悪かったとき"の欠陥内壁の余計物は減っているわけではなく積み重ねでどんどん悪くなっていくということでした。
安定して数字を枠の中に収めなければならないのか。
ジャズの黄金期・・・といってもジャズをやっているひとたちのことではなく、ジャズを聴いている自分の"聴き体験"のことを言っているのですが、20年ぶりに四六時中ジャズを聴いているような状態になってしまいました。どれくらい続くのかしらね・・すぐ終わりそうな気もしますが・・・。
きのうきょうの続けて2,3時間程度しか眠れない夜がつづきましたがそういう時に割合初期の録音を聞いています。
きょうは仕事前にアート・テイタムを聞いていました。
ディキシーとモダン・ジャズのつなぎ目みたいな感じでした。
病院でも2時間待っている間これを繰り返し聞いていましたが飽きませんでした。
ジャズの草創期が1900年直前あたりというのが通説になっているのかどうかわかりませんが、ベートーベンの最後のピアノ・ソナタの2楽章だったかな、リズムの極楽みたいな局部があり、楽譜を読めない自分には断定はできませんが、まさにピアノ・ラグタイムそのものみたいな部分があります。ピアノ・ラグタイムを知ってしまった20世紀のピアニストたちがそれを無意識に出してしまってああなってしまうのかどうか知りませんが、opus 111のこの作品はたしか1822年あたりの作品だったと思いますがアメリカ大陸のアフリカから強制連行されてきた黒人たちがラグタイムの原型をすでにやっていたかどうか興味のあるところです。
それとも全くの偶然の一致か。
あるいはアメリカの黒人たちが20世紀近くなってベートーベンをまねたのか。
それとも先に述べたようにバックハウスたち以下の巨匠たちが無意識に(教養として知っている、持っている)ラグタイムの"のり"を自然に出してしまったのか。
とにもかくにも今やジャズは初期の黒人たちの思いとはややかけ離れたところの"のり"で音楽をやっているのかどうかはわかりませんが、芯のところにある悲しみや反抗みたいなものはずーっと引きずっているのかもしれません。
ある007シリーズのあの有名な葬送シーンでやっている"明るい"音楽隊の音からは"悲しみ"とどういう関係があるのと、ちょっと見には言いたくなってしまいますがね。「甘い大豆は甘くなく、甘くない大豆はぎりぎり甘く」といったとうに忘れてしまっている当人の前で披瀝してくれた埼玉屋さんとのあの飲み会が思い出されますが、悲しみを明るく・反抗をひとなつっこく、といったひっくりがえしの表現もなかなか大人のものだなと考えています。
2015年3月16日月曜日
セミナーとか講演会といった
ハウツーイベントはほとんど出たことがないのですが、きょうは大宮で開かれた経営者セミナーに行ってきました。たまにはおもしろいし、役に立つ。
京都に一件残る京和傘の5代目跡取り(おむこさん)のお話がとてもよかったです。
さらに質問していた"どこかでみたひと"の顔ばかりでなく、質問の時の声が25-30年前を一気に思い出させてくれるなつかしい声だったことには喜びひとしおでした。
イベントが終わっておそるおそるかの声の主のうしろで資料をみているふりをして彼のアンケート記入をのぞいてみて名前が「やはり・・・」だったのです。
帰りはなつかしいおおむかしの四方山囃子や近況であっという間に東所沢に着いてしまいました。
ところできょうは昨日から今日にかけて2時間しか眠れなかったこともありセミナーでは若干居眠りもあったのですが受講態度はよかったほうではなかったかなと思います。
今週もなにやら仕事以外の用事が多くてたいへんかなという気がします。
京都に一件残る京和傘の5代目跡取り(おむこさん)のお話がとてもよかったです。
さらに質問していた"どこかでみたひと"の顔ばかりでなく、質問の時の声が25-30年前を一気に思い出させてくれるなつかしい声だったことには喜びひとしおでした。
イベントが終わっておそるおそるかの声の主のうしろで資料をみているふりをして彼のアンケート記入をのぞいてみて名前が「やはり・・・」だったのです。
帰りはなつかしいおおむかしの四方山囃子や近況であっという間に東所沢に着いてしまいました。
ところできょうは昨日から今日にかけて2時間しか眠れなかったこともありセミナーでは若干居眠りもあったのですが受講態度はよかったほうではなかったかなと思います。
今週もなにやら仕事以外の用事が多くてたいへんかなという気がします。
2015年3月15日日曜日
ひまにまかせて
電気式の脱穀機をクリーニング。
ほこりとゴミの除去、潤滑油添加。
そうとうガタは来ているとはいうもののいとおしい。
よく働いてきたものだ、酷使してきたといってもいいでしょうね・・・つまり使い方が悪い。
秋まで、通電して空運転一時間、ひと月に一度程度は動かした方がいいのかもしれませんね。
管理機=耕運機もオイル交換とクリーニング。
こちらも一時間ほど空運転。
オイルがきれいになったせいか音も軽快です、トラクターで無理な狭いところで使えばとすぐにでも出番をつくってやった方がいいかもしれませんね・・・中耕にしか使っていませんからね。
オンダーチェの『バリーボールデンを知っているか』を読み始めました。
新しい小説というものをほとんど読まないのでややショッキングな読書となっています。
旋律のない音楽や形の理解できない絵ではそれなりに中に入って遊べたりもできるのですが、"ことば"となると感覚的にスルッと入っていけるわけではなく自分の教養・体験不足を恥じ入るばかりです。・・・ただし読んだ後の印象ははっきりと残っている読書のようです。
時間が前後したり異事件が混じったりと、こういうのを"前衛"というのかどうかわかりませんが、読語に強烈な印象が残るのは確かです。
"前衛"なる料理、なども常識的には慣習破りと見えるものも実際に食べてみてあとに残るのどごしの香りとか後味の余韻とかがすぐれていればそれは"おいししいい"ということなのだと思いますが、こういったことと同じと考えていいのでしょうか。
サルトルとかカフカとかまったくおもしろくなくて、読後・・・というより目視終了後の印象もただ"怒り"しかなかった当時はまだ前衛ファッションであった世の中野常を考えると、この"ジャズの最初期"のひとの"ものがたり"はそれらよりおもしろいです。
ジャズというと戦後のモダン・ジャズがもっている体制批判、インテリ・スノッビズムといった「ややズレた」こころもちのおもしろさみたいなものがお気に入りでのめり込んでいたりしたものですが、ジャズ草創期のこの物語の中で起きている音の現象は周辺から察するにゴットシャルクのピアノ・ラグタイムやラッパを吹いて街頭後進していたあの音楽・・・007で葬送のその楽隊を見学していた諜報部員が殺される映画がありましたけど・・・などを想像してしまいますが、演奏家たちのかなり(現在からみたら)乱れている生活がどこから来ているのか、やはり奴隷制の延長から来ている虐げられた生活からなのでしょうか、きっちりと理解はできにくく戦後になってもやはりこの世界のひとたちは麻薬だとかみだれた生活者ゆえに早生してしまう例が多くてかたぎのひとからは敬遠される分野なのかななんて思ってしまうのですが、選んで聞くとクラシックの前衛性も兼ね備えているし砂糖をぎりぎりまで減らした変奏やインタープレイはぞくぞくしてくるものがありどういうわけかやめられないのですね。
ジャズファンにクラシック・ファンがだぶっているのはごく自然なことだと思います。
さてさて薄い本だとはいえまだまだ残りがたくさんあるのでしっかりと読んでいくことにしましょう。
原書はまだ送られてこないので翻訳云々についてはなにも言えません。
ほこりとゴミの除去、潤滑油添加。
そうとうガタは来ているとはいうもののいとおしい。
よく働いてきたものだ、酷使してきたといってもいいでしょうね・・・つまり使い方が悪い。
秋まで、通電して空運転一時間、ひと月に一度程度は動かした方がいいのかもしれませんね。
管理機=耕運機もオイル交換とクリーニング。
こちらも一時間ほど空運転。
オイルがきれいになったせいか音も軽快です、トラクターで無理な狭いところで使えばとすぐにでも出番をつくってやった方がいいかもしれませんね・・・中耕にしか使っていませんからね。
オンダーチェの『バリーボールデンを知っているか』を読み始めました。
新しい小説というものをほとんど読まないのでややショッキングな読書となっています。
旋律のない音楽や形の理解できない絵ではそれなりに中に入って遊べたりもできるのですが、"ことば"となると感覚的にスルッと入っていけるわけではなく自分の教養・体験不足を恥じ入るばかりです。・・・ただし読んだ後の印象ははっきりと残っている読書のようです。
時間が前後したり異事件が混じったりと、こういうのを"前衛"というのかどうかわかりませんが、読語に強烈な印象が残るのは確かです。
"前衛"なる料理、なども常識的には慣習破りと見えるものも実際に食べてみてあとに残るのどごしの香りとか後味の余韻とかがすぐれていればそれは"おいししいい"ということなのだと思いますが、こういったことと同じと考えていいのでしょうか。
サルトルとかカフカとかまったくおもしろくなくて、読後・・・というより目視終了後の印象もただ"怒り"しかなかった当時はまだ前衛ファッションであった世の中野常を考えると、この"ジャズの最初期"のひとの"ものがたり"はそれらよりおもしろいです。
ジャズというと戦後のモダン・ジャズがもっている体制批判、インテリ・スノッビズムといった「ややズレた」こころもちのおもしろさみたいなものがお気に入りでのめり込んでいたりしたものですが、ジャズ草創期のこの物語の中で起きている音の現象は周辺から察するにゴットシャルクのピアノ・ラグタイムやラッパを吹いて街頭後進していたあの音楽・・・007で葬送のその楽隊を見学していた諜報部員が殺される映画がありましたけど・・・などを想像してしまいますが、演奏家たちのかなり(現在からみたら)乱れている生活がどこから来ているのか、やはり奴隷制の延長から来ている虐げられた生活からなのでしょうか、きっちりと理解はできにくく戦後になってもやはりこの世界のひとたちは麻薬だとかみだれた生活者ゆえに早生してしまう例が多くてかたぎのひとからは敬遠される分野なのかななんて思ってしまうのですが、選んで聞くとクラシックの前衛性も兼ね備えているし砂糖をぎりぎりまで減らした変奏やインタープレイはぞくぞくしてくるものがありどういうわけかやめられないのですね。
ジャズファンにクラシック・ファンがだぶっているのはごく自然なことだと思います。
さてさて薄い本だとはいえまだまだ残りがたくさんあるのでしっかりと読んでいくことにしましょう。
原書はまだ送られてこないので翻訳云々についてはなにも言えません。
2015年3月8日日曜日
一週間に
3度も武蔵野線遠距離"しごと"に出かけました。あしたの大宮も入れると4/7です。
きのうは新松戸常磐線接続で金町というところで飲み会でした。
久しぶりのひとたちばかりでうれしかったです。
思えば前にいちど京成金町からお花茶屋へ向かったことがあり単線鉄道ののんびりトリップに感激したものです。
帰りは乗り過ごすことなくばっちりと帰れました、それでもぴったし12時00分でした。
きょうは雨。
さて午後はなにをしましょうかね。
きのうは新松戸常磐線接続で金町というところで飲み会でした。
久しぶりのひとたちばかりでうれしかったです。
思えば前にいちど京成金町からお花茶屋へ向かったことがあり単線鉄道ののんびりトリップに感激したものです。
帰りは乗り過ごすことなくばっちりと帰れました、それでもぴったし12時00分でした。
きょうは雨。
さて午後はなにをしましょうかね。
2015年3月6日金曜日
幕張メッセに
行ってきました、1時間20分・・・筑波と同じです。駅からずいぶんと歩きます。
青ヶ島の製塩所が出るのでおつきあいでということですがついでにいろいろとのぞいてみました。
つまみ食いしながらぐるぐるまわってみましたがみんな努力して居るなあという感じです。
ただ出展社が多すぎてなにがなんだか訳がわからないで時間が過ぎてしまった感じです。
食べ物はおおむね応用編の世界で、やはり"目先"にこだわったものが多かったですがやはり繁栄の極みに達した20、21世紀文明の表徴かとも思いました。
自分のやっていることのなんと単純なことかと思いました。
それゆえに"宣伝"とは遠くはなれたところにいる自分を再確認です。
さてそれではどうしたらいいのでしょうか。
引き継ぎは大変です。
青ヶ島の製塩所が出るのでおつきあいでということですがついでにいろいろとのぞいてみました。
つまみ食いしながらぐるぐるまわってみましたがみんな努力して居るなあという感じです。
ただ出展社が多すぎてなにがなんだか訳がわからないで時間が過ぎてしまった感じです。
食べ物はおおむね応用編の世界で、やはり"目先"にこだわったものが多かったですがやはり繁栄の極みに達した20、21世紀文明の表徴かとも思いました。
自分のやっていることのなんと単純なことかと思いました。
それゆえに"宣伝"とは遠くはなれたところにいる自分を再確認です。
さてそれではどうしたらいいのでしょうか。
引き継ぎは大変です。
2015年3月5日木曜日
午前中は
風が強く体感温度は0度くらいだったでしょうか。
昼からぽかぽとしていたので生まれて初めて障子の張り替えをしました、3枚。
水をかけないで古い紙をはがしていたら笑われました。
紙をぬらしているとどういうわけか金魚すくいを思い出しました。
その後息子と一緒に作業しましたが結構大変で疲れました。
でもおもしろかったです。
残りはまた日を改めてにします。
昼からぽかぽとしていたので生まれて初めて障子の張り替えをしました、3枚。
水をかけないで古い紙をはがしていたら笑われました。
紙をぬらしているとどういうわけか金魚すくいを思い出しました。
その後息子と一緒に作業しましたが結構大変で疲れました。
でもおもしろかったです。
残りはまた日を改めてにします。
2015年3月4日水曜日
きのうは筑波の
ジーンバンク事業30周年記念講演会、植物遺伝資源供給センター(すなわち新しい"保管冷蔵施設")開所式に行ってきました。地理的に所沢よりは5度以上寒いような感じでした。
遺伝資源の保存には2段階の区別があって1.永年保存庫、2.配布用資源庫と2つに分かれていました。
永年保存は増殖・更新の回数を極力減らしてオリジナル(の性質)をなるべく永く引き継いでいこうということ、在庫がなくなったら更新。このために缶詰にした資源をマイナス18度(国際基準)で保管するというものです。
配布用つまり研究用に大学や個人・企業に分けられるものはマイナス1度で保存されています。
日頃この研究所を利用している研究者やJICA関係者、企業・農家といったさまざまなひとが150人くらい来ていましたがゆっくりと中を見学したのはみなさんはじめてだったと思います。
講演でも言われてましたが「・・・ゆがめずに保存しいつでも使えるように配布し、利用する」ことのできる施設運営を、モットーにし「継続は財産と創造を生む」というひとことが記憶に刻まれました。
当施設はあくまでも研究の流行とか政府の時々の意向などからはきっちりと独立・中立をたもたなければならず、たとえば現在でいうと遺伝子組み換え・操作と反遺伝子組み換えという対立姿勢のどちらにも与するものでなくあくまでも「資源の収集時のオリジナル性維持とそれを研究用に提供する」という姿勢を使命としてもっています。
食物の遺伝子組み換えには反対だけれど医学用の遺伝子操作には賛成、という姿勢は学問的には成立し得ないものだと思います。
たぶん両者は相互補完的でお互いの成果を利用し合って進化していくものと思われます。
ここのところはひょっとしたら"悲劇的"な結果をもたらすものかどうか時間がたたないとわからないというところですが、どんな未来が待ちかまえているんでしょうかね。
自分はただ在来のものを蒔き続けて耐熱性、収量、耐害虫性等をしらべていくだけのことですがたぶん組み替え技術が高度に進化して"すばらしい"と言われる品種が発明・合成されても「強引に組み立てられたいのち」というものは自然界で生まれた"自然なバランス"を恋しがりいずれは合成オリジナルからブレてその過程でさまざまな不都合・副(悪)作用をもたらすような気がしてなりません。
いずれにしてもジーンバンクの使命は「資源保存、しかも収集時オリジナル特性の維持」ということが筆頭にあげられるので、その利用の仕方にかかわる価値評価からは独立していなければならず関係者によっては若干つらいところもあるのかな、なんて勘ぐってしまいます。
我が国は遺伝資源をめぐっては、ラオス、カンボジア、ベトナム、インド等で多大な協力・貢献をしておりJICA等を通して熱帯・亜熱帯での作物栽培の指導では大活躍しているようです。
今年は南方系の大豆を少し蒔いてみようかななんても考えています。
遺伝資源はあくまでも"材料"であり、その来歴・系統をきちんと押さえた上ならば所沢で北海道のもの、東北のもの、九州のもの、台湾のもの、内陸ヨーロッパのもの・・・を蒔こうとも決してとんちんかんなことではないと確信するにいたりました。
まだ少しは時間があるような気がします。
遺伝資源の保存には2段階の区別があって1.永年保存庫、2.配布用資源庫と2つに分かれていました。
永年保存は増殖・更新の回数を極力減らしてオリジナル(の性質)をなるべく永く引き継いでいこうということ、在庫がなくなったら更新。このために缶詰にした資源をマイナス18度(国際基準)で保管するというものです。
配布用つまり研究用に大学や個人・企業に分けられるものはマイナス1度で保存されています。
日頃この研究所を利用している研究者やJICA関係者、企業・農家といったさまざまなひとが150人くらい来ていましたがゆっくりと中を見学したのはみなさんはじめてだったと思います。
講演でも言われてましたが「・・・ゆがめずに保存しいつでも使えるように配布し、利用する」ことのできる施設運営を、モットーにし「継続は財産と創造を生む」というひとことが記憶に刻まれました。
当施設はあくまでも研究の流行とか政府の時々の意向などからはきっちりと独立・中立をたもたなければならず、たとえば現在でいうと遺伝子組み換え・操作と反遺伝子組み換えという対立姿勢のどちらにも与するものでなくあくまでも「資源の収集時のオリジナル性維持とそれを研究用に提供する」という姿勢を使命としてもっています。
食物の遺伝子組み換えには反対だけれど医学用の遺伝子操作には賛成、という姿勢は学問的には成立し得ないものだと思います。
たぶん両者は相互補完的でお互いの成果を利用し合って進化していくものと思われます。
ここのところはひょっとしたら"悲劇的"な結果をもたらすものかどうか時間がたたないとわからないというところですが、どんな未来が待ちかまえているんでしょうかね。
自分はただ在来のものを蒔き続けて耐熱性、収量、耐害虫性等をしらべていくだけのことですがたぶん組み替え技術が高度に進化して"すばらしい"と言われる品種が発明・合成されても「強引に組み立てられたいのち」というものは自然界で生まれた"自然なバランス"を恋しがりいずれは合成オリジナルからブレてその過程でさまざまな不都合・副(悪)作用をもたらすような気がしてなりません。
いずれにしてもジーンバンクの使命は「資源保存、しかも収集時オリジナル特性の維持」ということが筆頭にあげられるので、その利用の仕方にかかわる価値評価からは独立していなければならず関係者によっては若干つらいところもあるのかな、なんて勘ぐってしまいます。
我が国は遺伝資源をめぐっては、ラオス、カンボジア、ベトナム、インド等で多大な協力・貢献をしておりJICA等を通して熱帯・亜熱帯での作物栽培の指導では大活躍しているようです。
今年は南方系の大豆を少し蒔いてみようかななんても考えています。
遺伝資源はあくまでも"材料"であり、その来歴・系統をきちんと押さえた上ならば所沢で北海道のもの、東北のもの、九州のもの、台湾のもの、内陸ヨーロッパのもの・・・を蒔こうとも決してとんちんかんなことではないと確信するにいたりました。
まだ少しは時間があるような気がします。
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