ページビューの合計

2011年1月31日月曜日

雨のない一月も終わり

おとといだかに一時間ほど降っただけだろうか。
最低気温が氷点下だったのが東京できょうも入れて3日とか。
今朝はまた大豆の漬け水が氷を張っていた。

きのうの疲れで昼過ぎは何もしなかった。
あしたは農協の新年会、真っ昼間だ。

サヴァリッシュの『運命』を聞く。
フィラデルフィアの来日公演生中継、MDに録ってあるので10年から15年くらい前だろうか。
オーマンディが振ってもこんなつややかな音は出てこないのだが・・・、録音、といっても生中継だが、収録環境によるものだろうか。
この指揮者は大好きでというかこの世界へと導いてくれたのは彼である。
穏やかでそれでいてエネルギッシュにつややかな音を導き出す。

幸せを計量してみると・・・という文章があった。
生活水準が、収入があがるほど幸せが大きくなるかというと、どうやらそうではないようだ。
どうしてか、ということはそれぞれ原因が思いつくだろうが、衣食足りては別として、余計な収入がかならずしもひとを幸福にしなくなっていくのは国を問わずの真理のようである。

2011年1月30日日曜日

『ぼくんち豆腐屋』

角川学芸出版より上條さなえ作/相沢るつこ絵、にて山下元気くんが児童文学になりました。
1575円です。
現物の私はあくまでもモデルで、話はあくまでも創作ですが、上條先生が子供たちに伝えたいメッセージは私と同じです。
読んでください。
できることならご近所の本屋さんで取り寄せてもらってください。
本屋さんにいくのが大変なひとは、
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AB%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%AF%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E5%85%90%E7%AB%A5%E5%90%8D%E4%BD%9C-%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%82%93%E3%81%A1%E8%B1%86%E8%85%90%E5%B1%8B-%E7%9B%B8%E6%B2%A2-%E3%82%8B%E3%81%A4%E5%AD%90/dp/4046534109/ref=sr_1_fkmr1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1296366256&sr=1-1-fkmr1

で買えます。
送料がかかるかもしれません。

わたしの"身内"の方々も、恐縮とは存じますが、買ってください。

2011年1月29日土曜日

きょうも新年会

ちょっと遠いけど、いってきまーす。
あしたもあるけど、きょうのはセイブするつもりはありません、といってもそんなに飲めるわけではありませんが。

2011年1月28日金曜日

努力は天才に勝る

とは、小学校の担任のことば。これは気休めである。しかし教員とはこれしかいいようがない。
努力はみんなしている。
努力してもかならずしも、というよりほとんど希望にかなうものはない。
試験程度なら話は別である。
神様・天が拾ってくれる・くれないの差が出る。
因縁もある、本人にはどうしようもないことである。
寿命もそう。
・・・・・。
でも努力し続けなければならない。
努力すれば夢はかなわなくても「得るもの」がかならずある。
実はこちらのほうが本来の夢よりも大切なことがある。
ひとのために涙を流せるようになる。
想像力が豊かになる。
これがほんとの教養である。

2011年1月27日木曜日

赤砂糖脱穀

これはひどい。茎は2センチくらいの太さのもある。このままでは機械がこわれてしまう。
もぎながらは大変、時間ばかりかかる。
天板に幅がせまかったためコンクリの手頃なかたまりを乗せる、滑り落ちないように塩梅する。
天板は振動しなくなったが、強引に回しているため回転軸の受け部分が動いているのがわかる。そもそもこうなっていたのか意識してこなかったのでわからないが左右に揺れているのがわかる・・・。80万もして3年目でこれじゃあね、と怒る。10年もつかな?

朝運転しながら聞いていた大澤さんの番組で毒蝮さんが訪問した金物屋さんの話、「うちの今は亡き父ちゃんは岡春男のバックのバンドにいてコントラバスを弾いていたんだけど、いつも帰りが遅くて子供が小さいとき、あのおじさん・・・と近所のひとから言われつまり奥さんの愛人かなんかと勘違いされていたことから、これでは子供がかわいそうだとバンドをきっぱりとやめ毎日普通の時間帯にきちんと家にいられる職業と言うことで金物屋に転職した、という話。またまた泣いてしまった。いい話だ。

読売の夕刊。曾野綾子さん、80歳。10何年も前のことだが講演会にと選定していたが結局大江健三郎になったのだったが、そのめりはりのはっきりとしたちょいとこわいおばさまが「老い」について。・・・50代のうつとはまさに、自分の死を意識しだす時期の「いのちの終わり、仕事の終わり・・・」という人生の最後の段階に入る前のこころの不安やこころの整理・迷い等からくる不安定な精神状況を意味するということでは意見が一致。そしてこの過程は順調にクリアーしていくと豊かな老いを得られるものだという点で、むしろ悩み苦しんでもがいて切り抜けることの大切さを暗示していると思う。この苦しみの道を経てひとにも優しくなれる。自由・開放感も得られる。
 「今あるものを数えず、ないものばかり数えている」という物欲への戒めでしめくくっている。ないもののために努力するというのがいわゆる世間一般の向上心かもしれないが、「ないもの」をもっと他の方向へそしてあるものにもっと眼を向けるというのも豊かな生き方・老後への準備の道なのかもしれない。

2011年1月26日水曜日

消費税

消費税がたぶんあがるだろうことはだれも感じていることだろう。7は半端なので10%へ直行だろうか。10になると15はすぐにやってくる。15が大丈夫なら20にしよう。10年以内に20%は確実だろう。
ということでどういうことがこれから発生するか見当もつかない。
車とか家とかいった耐久消費財は需要の落ち込みは考えられない。
道楽に関わるものもそうは変わらないだろう、それほど現在は豊かな社会なのである。きょうの夕飯がなくなるかどうかの心配をしているひとはほとんどない。
そうなってくると、がまんして「ちょいデラックス」を求めようとすると削られていくのは「日々の生活用買い物」である。
食べ物は安く安く、着るものはスペシャル仕様はすこしは持つとしても基本的には安く安く、絶対必要以外の付き合い飲食はすべて拒否、・・・とまあこんなことになってくるだろう。
高い食品は売れなくなるだろう、ただし一部の安定した購買層は離れないだろうが。
今の感覚で言って200円のものが240円になったらもう買わないだろう。一万円の買い物をすると1.2万円。2000円が何に使われるかということが明確に示されても(あくまでも、示されてもということであって事実の確認とは違う)ほんとに心地よく納得ということにはそうはいかないと思う。
税金がどういうふうに使われているのかといことについては、闇の部分がたくさんありすぎて多くのひとが「できることなら払いたくありません」と思うような国民感情が育ってしまったことは自然なことである。ひとりひとりが「まちづくり、くにづくり」をしようなどと言われても「なにそれ」ということになってしまう。

極端なことを言う人もいて、相続税・固定資産税・人頭税のような特殊なものをのぞいてそのほかはすべて消費税だけにしてなんてことをいうひともいる。そうしたときの税率はいくらぐらいになるんだろうか。
いずれにしても収奪だけで税金の使い方がすみからすみまで明確に易しく示され理解されないからみんなおこる。

議論がなさすぎるのだと思う。
どんな社会がいいんだろうという根本に関わるところの議論を避けている。
ひとりひとりの意見・対話が政治の始まり。ただ代表を選ぶだけであとはすべてまかせるということが有効に機能していないシステムのようである。

仕事帰りの車のラジオからピンクレディの「ウー、ウォンテッド・・・」というやつ。名曲だなと思った。ただ一度聞いたら5年くらいはいいな、と思った。
9時ちょっと前にやるCannonのEOSで撮った「街道を・・・」という5分間番組。好きな番組です、スナップもいい。カメラで動画、こんな時代になってしまった、しかもテレビで放送してもこんなにきれいに。キャノンはそもそも「くぁんのん」といって観音ということ、ライカコピーの名品を送り出すところから始まった会社。小西六のヘキサーやニコンのニッコールと並ぶ名レンズを世に送り出してきた。デジタルの時代にあってもがんばってね。

六花亭のいちごチョコをコーヒーで食べながらブログを書く。
きょうは眠くなるのが早いようだ。
疲れたかな。

あしたの脱穀は脱穀機の天板の上に漬け物石、つまり木綿豆腐の「押し」を乗せてみようと思う。そうすれば天板がぱかぱかになるのが少しでも遅らせるかもしれない。

あんぽんたん、というなつかしい言葉を思い出す。今はマクドナルドにおり、7,8年前にGの常務のYさんから久々に聞いたことばだが今突然思い出す。心地よいひびきのいいことばだなと思った。あんぽんたん。

2011年1月25日火曜日

らぽっぽの大学いも

うまかった。大桃ちゃんのおみやげでした、ありがとう。
とれたての大豆と言えば、以前というか今もそうかもしれませんが、結城の大島さんの収穫祭で大桃ちゃんがとれたて数日後の砂糖いらずを豆腐にしていたのを思い出します。こんなにはやく豆腐にしたのは日本最高記録だと思います・・・勤労感謝の日だったかな。やっこいんだけれど、ジューシーで口のなかにほわーんと広がる香り・うまみ・あまみがこの上なく豊かで柔らかすぎるというハンデすら魅力に転じてしまうようなおいしさの豆腐でした。

とれたては農家から直接購入の特権です。

そんなに寒くはなかったので脱穀をやる。
いつものことながら楽しい作業である。
脱穀機にやさしいようにと、太い茎はあらかじめ枝もぎをやって極力さけるようにやる・・・それでもときどきがたがたとなってしまう。

鑑定団で相撲取りの化粧まわしをつくっているかたが出ていた。脱サラ、しかも親はそれをやっていたわけでもない。何でも夢中になって打ち込めるひとはすごい。

この前、そして新年会でも言いましたが子供のいじめの問題は基本的にはいじめられているひとが変わらない限り前向きの解決にはならないと思う。
だれにも何かに夢中になれる力が必ずあるはずだ。
「終わり」を意識し始める50代の男の鬱病も解決の手口は意外と身近にあるものかもしれない。

2011年1月24日月曜日

しっとりしている

きのうの夜かすかに降ったような。
朝から眠かった、やや飲み過ぎたようだ。
脱穀お休み、ぼーっとしていた。
夜またすこーし降ったような。
動かないカセットを分解して遊ぶ。

2011年1月23日日曜日

脱穀再開

茎が木みたいに太くて堅いものは小枝を分けて投入、やっかいである。新年会があるので2時間で終了。
きょうは夜雨がふるかもとの予報なのでぬれないようにしておく。思えば元旦から一回も雨がふってないような気がするのだが・・・。

楽しい新年会でした。みんな、遠くからありがとう。
帰るときは少し路面が濡れていました。

2011年1月22日土曜日

風景

身近な生活に関わる場所が日々変わっていくのを感じる。家の前にも建て売りが建ってしまう。道は変わることはほとんどないが周辺の風景が変わることで別の場所のようになってしまう。自分が日々歩いたり運転しているルートをそのままスナップしただけでも家族にとってはりっぱな歴史の記録と言うことになると思う。

温暖化そのものが生み出すマイナスよりも温暖化が原因で引き起こされる寒冷期・氷河期のほうがこわい、という番組を見ていた。どのみちサイクルとして氷河期がいつかはくるものとみんなうわの空で聞いてはいるのだろうが、過去の地球の気温の変化の低い方はマイナス50ぐらいに周期的になっていたとのこと。その気温では地表では何もとれないのかな、魚は捕れるだろう。あと何があるのかな。
食べるものが激減すればそれを求めての争い、人口減少・・・・たぶん絶滅はしないだろう、がしかしここがこわいところだと思う。
文明もかろうじては伝達されていくことだろう。
いずれにしても地球上もっとも温暖なここ数百年に人類はその繁栄を謳歌してきたわけだが、50度も100度も気温が下がったとしたら100人のうちひとりも生き残れるとは思えない。

ザンデル教授の遭難ボートの中での生存競争はあながち夢の中のことではなさそうだ、正義とか神とかで幸福に死んでいけるのがcivilizedな進化の極限にある人間の姿なのか、あるいはただひたすら「生きたい、生き勝ちたい」という獣性が先に立つのか、そのときにならないとどうなるかはわからない、法の枠の外の話だ。ザンデル教授の仮定や論理、結論には誘導されやすい話のうまさにまいってしまいますが、でも大岡昇平の「野火」の中の人肉食の記述などを思い出すと、極限状況というのは遠いようで案外身近に潜んでいる想像を絶する世界のようだ。

脱穀機の天板取り替えにきてもらう。
あしたからまた楽しい脱穀作業だ。

2011年1月21日金曜日

ご注文商品発送・・・

という題名でメールが入っているもののなかにいんちきが混じっている。
この題名だと、アマゾンなどで買い物したときとまったく同じなのでひっかかりやすい。
しかし悪さをするやつらはあとからあとからおかしな、時に笑ってしまうようなしかけをするもんだ。

和田さんのフクユタカをつぶす。乾燥不十分でジューシーなうまみが出るがこないだのXのほうがうまいし甘いと思う。
作るのはむつかしい。

大豆の乾燥スペースを広げる、つまり屋根を付けてもらった。
脱穀機の天板はいつになったら来るのだろう、昼過ぎがひまだ。

あさっては都内と横浜から大切な同業の友達が来てくれる、新年会だ。老体にむち打って田舎の所沢から中央に出るのがすじだとおもうのだがごめんなさいね。

ゲルバーが所沢のミューズに来るらしい。悲愴の演奏が好きでレコードで何度も聞いたがホロビッツの言う「ピアニストには3人種しかいない、ゲイとユダヤ人と・・・」のゲイだったと思うが悲愴はよかった、ほんとの芸である。あれから20年以上はたっていると思うが今はどんなふうに弾くのだろうか。

MDのジャンク・未検品を2山全21台6000円で落札する。16台が完動品であった、ただしリモコンが付いていないものが多いがボディのスイッチで動く。なんと一台はHi-MDであった。こわれたものはばらして・・・といってもカセットとちがって進化しすぎているので自分にはわけがわからないだろうね。

ますますiPod否定ソニー擁護ででいこうと思う、もちろんパナソニックとかシャープもいますけど。いい趣味だなー、・・・え、悪趣味?

2011年1月20日木曜日

きょうも風が無くぽかぽか

きょうは恵比須講で例によって大黒様をまつってさぱを2本と赤飯、けんちん汁を供える。農家のと商人とのがあるそうだが、うちのは商人のかな。
2月には「まゆ玉」というのも自分が子供のころはやっていて、豆をひく石の穴に雑木林からとってきた木・枝をさし、こまかい枝にだんごとみかんをさしていたように思う。団子は「おかいこ(蚕)」を意味するもので、養蚕をやっていたころの名残であったと思う。
思えばたなばたもちゃんとやっていて、終わると前の川に流していた、今なら違法投棄になるのかな。お盆はいまでも専用の「鉄骨」のやぐらにいろいろとお飾りをする。
お月見も子供のころはちゃんとお供えしていたが今はやらなくなってしまった。
なつかしいだけではなく、なんかこういうのに大切な意味を感じるようになってきた。

高島忠夫の2人の息子はかっこいいなあ。親をはるかに超えて(失礼!)いい役者だわ。

車を運転していておととしの8月より去年一杯までラジオはほとんど聞かなかった。けたけたとした笑いがなにか汚らわしくて亡くなった者への非礼にあたるような気がしたからである、実際聞くに堪えない。でもここへきてラジオをつけている。・・・・・。

飲食店の不景気はどこまでどこまでいくのだろうか。
年が明けてからもひどくなるばかりのようだ。
そんな中で中国のGDPが日本を抜いて500兆円という。
東国原知事が一期で一気にやめるそうだ。宮崎の海岸沿いも自転車で回ったな。

世の中は日々大きく変わっていくようだが、自分の世界はくるみの中で必死にもがいている能なしげんきくん。でもいいんだよ。

2011年1月19日水曜日

昼過ぎはぽかぽかとあたたかい

車を洗う。
仕事のは水垢がなかなかおちなかったのだがケーヨーD2で、リンナイの水あかなんとかいうのを400円で購入したら、よく落ちる。こんなすぐれものもあったのか。

コーヒーの飲み過ぎか、やや胃酸過多のよう。

湯たんぽはあたたかくていいのだが、温かすぎると眠りが浅くなり夢ばかりみる。湯たんぽとは夢見器とといったところらしい。

2011年1月18日火曜日

もうすぐ3ヶ月目

月末で3ヶ月目となるブログ。
一日だけまったく忘れてしまった、つまり忙しすぎた、日をのぞいてほぼ毎日書いてきたことになる。それをすぎたらどうしようか・・・ネタがねぇ、ネタがネー。

わー、小林和作が出ている。G先生見ているかな。山本モナは尾道だったのか。60万だった、意外だな。

モンスターペアレント埼玉版・・・、なるほどねそんな言葉があるのかね。
教師と父兄と裁判となると大変だなー、こうなる前になんとかならなかったのかね。
公立の学校というものは大変・・・・ではあるけれども、社会の自然状態の縮小版があるわけで「強い者」にはきたえられるいい場所なのだがデリケートなものには地獄だ。これは教師の側からとっても同じだろう。やっかいなだけに大変だが、これが現実社会生活というものの起点になる。子供たちにとっては家庭の次の社会である、大人社会の入門編である。
今回のこの問題もいじめとはほど遠いような気もするしまあ遠くの事なのでよくわからない。しかしこの手の問題が山とあることはあちこちで聞く。

長編小説を読もうと思う。

赤壁の戦いが過ぎる。曹操を見逃した関羽に涙する。
これは歴史の教科書にものる大きな事件である。レッド・クリフというそのままの英訳題名の映画もあるようでそのうちDVDも出るだろう。
揚子江は向こう岸が見えないくらいの広い川で、海軍ではなくあくまでも水軍の戦いということになっている。孔明が風をよぶ「風乞い」もなんかできすぎているようだが、その時期の通常の風向きとは反対の風が吹くことも科学的にはあり得ることだとよんでいてのかもしれない、あとは祈るだけだったということか。

曹操はいつのころか評価が高まってきたひとで治国ということでも善政をしいたひとのようである。
吉良さまみたいな評価の歴史を経ているようだ。
きわめてクールでありながら詩や音曲、古典を大切にするインテリでもあったようだし、たとえ敵であってもその価値をきちんと評価できるねたみ・やっかみを極力抑えることのできる、ボスとしては3国の中ではもっとも魅力的な人物である。孔明が劉備についたのはやはり、その徳ならびに漢室とのつながり故であろうか。

2011年1月17日月曜日

湯たんぽが離せなくなった、

ほんとに寒い関東です。
朝、豆の漬けおけの水は氷が張っている。
外では水がこぼれるとあああっ、という間に凍結してしまう。
手はひび割れ3カ所。

Mさんから砂糖いらずと青山在来の残りありとのこと、来週見に行く。
前津江在来をつぶす、三国志の曹操の魏と遜権の呉を分け隔てている揚子江のようなとうとうとした流れをイメージしたふくよかな味の豆であった。豆の力屋さんの年貢大豆とはこの前津江か小石原に違いないのだが。

川北さんが「朔風の道」を出版した、一部いただく。平家物語の木曾義仲の家臣・覚明の物語である。
連環の計にまで達する。全14巻のうち6巻終了。ここで半分か。
三国志のdvdが終わったら岩波版で三国志を読もうと思っていたが、平家にしようかなとも思う。
物置の奥で使い忘れていた4年前の大袖振りをつぶす。比較的湿気ないばしょなのだろうか、虫はわいていなかった。かびも生えていなかったが漬けたら「すかすか」であった。豆乳はかすかにえぐみはあるが甘みもある。豆腐にすると少し甘い豆腐、という感じでタンレイと似たような感じになっていた。廃棄のレベルではないが、A級として売るのは無理である。

仕事の帰りに西の空を見上げると明るい星がひとつ。何だろう。九ちゃんの「見上げてごらん」の歌が自然と出てくる。Mが見つめてくれているのだと合点し、涙する。

2011年1月16日日曜日

いじめ、弱いところ、自信・・・

大澤さんの局だからTBSだろうか、日曜日の朝こどもたちを対象にした電話相談番組がある。いじめられているひとたちの相談には涙してしまうことが多いのだが、きょうは話の途中から聞いたので脈絡はよくわからないのだが、おとなたちからのコメントが紹介されていた。子供のころいじめられていたひとたちのアドバイスのようであった。

自信をもてないからからかい半分いじめられるんだ、なにか自信を持てるものをもちなさい・自信をもてるものがあれば周りのものも一目置き評価するようになる、という意見に対して、いじめるのは「人間の弱さをそのまま受け入れることのできるこころの広さをもてないか」らで、そこのところを育てる教育が必要だとかなんとか言っていた。
こころの問題は千差万別で理由をいくつかに一般化することは困難だが、有る程度の法則はあるのだろう。
しかし「弱さを認める・・・」だけではなにかおかしい。
やはりいじめられる側が逃避できる、競争を意識しない堅気の遊び(仕事、趣味等)を持つことが必要だと思う。これが"ある自信"につながる。自信をもっているひとは一般にバカにされない、思い上がると話は別だが。
自信をもてるようになればかえって普通のひとよりワンステップ上のこころのひろさを持つ人間になるはずである。"ある強さ"をもてない人に"ひとの弱さ"をやさしく受け入れることなどできない。
実はいじめる人間はいじめている人間以上にこころの弱いひとである。

いじめは学校以上に社会に出てからもあとからあとから出てくる。
異質なものを排除する、というのはどうやら人間の本能のようである。いじめるのは人間の、というより動物の生まれ持った習性のようである。
またこころが弱いくせに強いふりをむしてふるまっている人間が、自らを安心させ優越感に包まれているようにするために、自分より下にだれかを置いておきたいがために、やや気の弱いひとたちをいじめるのも国を問わず人間の習性のようである。

これらを修正していくのが教育である。
職人といわれる職業のひとたちはおおむるあちこちでいじめられてきた経験があるはずである。
無視せよ、逃避せよ、自分の世界を深化させよ。
自分もさまざまな「通常、社会から尊敬を受けているひとたち」からあちこちでバカにされてきた。職業をばかにされてきた。
無視すればいい。

侮辱の連続でかなり卑屈になっている自分を励ましてくれたひともいる。
新制作の猪熊弦一郎先生は相原先生の先生ですが、美術館で自己紹介したときの私のいいかたが卑屈だったので怒られました。絵と違い瞬間で消えてしまうものを作る職業と言うことで・・・、逆にそのことの尊さを教わりました。

何かに真剣に取り組んでいればかならず目の前にそれなりの友が現れる。
シャネルズの田代まさしが薬物使用で裁判中だが、コンサートに出させてくれなかったので・・・、とか理由を述べていた。逃避の場所が間違っている。
うまく逃避することだ。
山頂に到達するのに目の前の岸壁を技術もないのに挑んではいけない。「正面からまっすぐに・・・」ものごとに取り組むというのはかっこいい男の美学のようでもあるが・・・。
回り道でいいから自分にできる方法で山頂につけばいい・・・・・あるいは登る山を全く別のところに求めてもいい。

世間体などどうでもいい。

2011年1月15日土曜日

そろそろ今年播種の品種の選定に・・・

ことし何を蒔こうかな。
北海道のものなのに虫食い少なく大量にとれるもの、
あまりさや数は多くないが日本最大級の大粒のもの、
とにかく背が低く虫食い少なく大量にとれるもの、
・・・・・

無線LANにしようとしたができない、子供にまかせてすぐつながる。ただし所詮無線なのでとぎれることもあるとのこと。20メートルのLANコードがあるのでこれなら2階まで引っ張れそう。

税金を払っているのだからくれるものはみんながいただく式、の考えで子供手当や去年だかおととしだかの家族手当みたいな小銭ばらまき政策はいいかげんにやめてほしい。生活保護ももっときちんと審査しなさい。
Mは生活保護を受けるべきだった。親不孝の子供たちは何もしない、知恵もない。転移後の弱々しい体にむち打ってフルタイムの仕事をしていた。3年で逝ってしまった。
かと思うとわけのわからぬ健康な男子が平気で生活保護を受けている。
払った後は適切に使われていればいい。みんなに共通した部分、個別にはほんとに困っているひとに配られればいい。

農家の個別所得保障もおかしい。
逃げ道・ずるい方法もいくらでも出てきそう。
真剣にやっているものだけを保護すればいい。
何も作付けせずかき混ぜているだけの畑の持ち主が平気で農協の会議のひな壇にいるような都市近郊農家。やり方によってはこういう農家にも補助金がおりるのだろうか。

職業によらず、不真面目なものには助けはいらない。

ラジオで斎藤佑樹投手に監督が技術のことより投手としてのあり方を考えよとかなんとか指導していたとあるが、これは誤解を受けやすい言葉でよくないと思う。
監督のいいたいことはわかる。
しかしひとりひとりの選手はいわば職人である。ものつくりと同じである。「技術だけではだめだ」という程度のことは斉藤選手ぐらいのレベルならわかりきったことである。問題なのは技術もないのに高邁な哲学をふりかざす「えせ極め人」のことである。
大江さん゛が引用している「ハビット」とは、日々の細かい作業の繰り返しのなかから身についてくるものの考え方・ものごとのとらえ方のようなものを指す。ものつくりは技術のレベルアップにひたすらにならなければならない。技術の修練を通してしかその人生観・宇宙観ともいえる哲学は獲得できないのである。はじめから大局的なものの見方・自分の位置の考察を求められてもそれはただの思考の産物にすぎないと思う。日々の作業とその反省からのみ高みに登っていく階段は見いだせないはずである。
イチローがアメリカに渡ってまもないころのトレーニング風景や彼の生活・ことばを伝えた番組があったが、彼はすごかった。あの年齢で、・・・というよりあのレベルにいたものには自然に出てきた雰囲気・言葉・態度だと思うが、先に述べたものつくりのハビットに相当することが番組から伝わってきた。イチローはとんでもないレベルのひとだと思った。

2011年1月14日金曜日

孔明登場

軍師の徐庶が曹操に"だましとられ"てからの劉備の軍師探索はついに諸葛孔明に向けられる。有名な三顧の礼を経ての劉備の活躍がこれから始まる。ここで半分弱だろうか。
徐庶というひとも気の毒なひとではあるが、曹操のもとでは絶対に・・・、と母親の墓前で誓いながらきょうのでは曹操の部下に列している。彼のこころの屈折等も含めて、劉備に会う前からの不運も考えると、もの書きには格好な題材だと思うのだが・・・。

太田裕美の歌っている曲はやはり名曲のオンパレードだ。中期・後期(これは失礼な言い方かな、復活してますからね・・・)がすばらしい。死ぬことがわかっていたら枕元には彼女のCDをかならず置いておくことだろう。実は彼女の曲をヘッドフォンで聴きながら「三顧の礼」をみていたのです、変態かもしれない、ごめんね孔明殿。

サイモン・ラットルがDebussyのペレアスとメリザンドを振ったHoughの感想がよかったので映像で観てみたいのだがDVDで出ているのだろうか。音楽は相当な回数聴いているのだが舞台というものは知らない。ラットルはたしかデビューもしくはそれに至近のコンサートをNHKの海外の音楽でやったのを録音していたはずであるが探し出すのが大変だ。活き活きとしていて妙なことをしようとはしていないさわやかな演奏だな、たぶん大物になるだろう、と思ったぐらいの記憶しかないのだが私と同年齢ぐらいだったと思う。

脱穀機の天板板金台が2万5千円とかなんとか言っていたので予備も含めて2枚注文。在来種の木みたいな茎が原因でああなったのだろう。とはいえ、かなりやわな脱穀機ではある。
和田さんのおかげでとれたてほやほやの新豆をつぶせて幸せであった。こんなに乾燥不十分の豆をつぶすのもイソップアグリのユキホマレ初代・2代以来だろう。ところでユキホマレっていまでもあるのだろうか。

2011年1月13日木曜日

この時間帯は比較的快調

いま12時55分。
外は風があって寒い。
夕方になるとやや頭がいたく感じるようなのがここ数日間。

夕方になってきょうが一番寒いかなと感じる。
新聞に出雲大社駅の木造建築が出ていてなつかしかった。
あのへんは自転車で回っている。

脱穀機がこわれていて暇なような充実しているような。
耕耘機を空運転させてやる。
ガソリンも劣化してくるので使い切ったほうがいい。

農業の自由化への対処は本業のひとたちはどう考えているのだろうか。
新聞にも載っていたが農協の功罪がここでクリアーに浮かび上がってくることだろう。こんなことは真剣に農業をしているひとたちはずーっと昔から言ってきたことだ。

大規模だけが生きる道ではないと思う。
ちいさく高品質にを徹底させて売り先をきちんと近くに確保するのも一案だと思う。
買う側にも農業保護意識が欲しい。
工業が成り立っているのは農業に負担をしいつつであるという現実をしっかりと受け止めなければならない。いずれにしても自由化は避けられないと思う。そうなったときの政治家の知恵を期待したいところだが。

2011年1月12日水曜日

元気くんは

元気が出ません。きょうも眼がとろーん、眠たいです。
昼過ぎは何もしませんでした。
夜帰ってきてもパソコンはあまりやらず・・・です。
もう寝よう。

2011年1月11日火曜日

眠たーい、のどが少し・・・。

やや熱っぽいと思います。

脱穀機故障、天板変形で回転部分ひっかかる。天板部分そっくり交換の必要があると思う。

ヤフーオークションで携帯ステレオカセットプレーヤー(ウォークマン)/ジャンクを送料込み6台5500円で買う。4台は完動品、だが一台少し接触不良。ということで高い確率でまだまだ動くものがありそう。動かないものはおおむねベルトの劣化と思われる。できるだけ乾電池アダプターの付いているものを選んだほうがいい。aiwaのは充電池が特殊なので乾電池アダプター絶対必要。
動かないもの・・・といっても起動時の音はするので、ベルトだと思うが・・・は分解して遊ぶつもり。

眼がとろーんとしてきたので湯たんぽとともにふとんに入る。
おやすみなさい。

2011年1月10日月曜日

・・・・・・・

きょうの読売の朝刊の山崎正和先生の発言がおもしろかった。歯に衣着せぬのずばりだがよかった、みなさんみてください。
10面社会・健康欄の、タレント原 千晶さん(この方がどういう方か全く存じ上げませんが)のがん闘病記にも涙してしまった、よきパートナーがいてよかったよかった。リンパに転移後なので気を抜けませんがすばらしい家族・パートナー・お医者さんに支えられていて心強い。がんばってください・・・ここでは「がんばってね」を言ってもいいよね。・・・。

何が幸せかと言うことはひとさまざまで基準を探すのは無理かもしれないが、あきらかに共通していて大事なことは「自分が思われている」ということだと思う。
ボランティアということばはほとんどの場合私は信じません。体裁のいいきれいごとを並べる軽薄なボランティアが自分の周りには山といますがこの年齢になると見え透いたきれい事をたやすくいうひとたちにはうんざりしている。ましてや、ボランティア性を職業にしている多くのひとたちの虚言はもうたくさんだ。何が名士だ。相手のことなど本気で思ってなんかいやしない。
たとえば・・・、やめよう。

黙って出すものは出す、出したことはいわない。
カネをもっているひとにはもっているひとの、カネのないひとにはないひとなりの・・・。

手柄ばかりほしがっている。
評価なんかいいんだよ。

きょうは寒くて寒くてとても脱穀をやる気にはなれなかった。そこで大豆冷蔵庫の整理。はんぱもの、虫食い混合が2釜分できる。早速漬ける。
また、今年蒔くものの選択を考えたりしていて結構楽しい時間の過ごし方であった。
冷蔵庫の中はあったかい。4,5℃だと思うのだがきょうは明らかに外のほうが寒い。冷蔵庫の外に出たく無かった。

2011年1月9日日曜日

ほんとの農閑期に

刈り取りすべて完了。
長靴のそこには1センチ弱の厚みの発泡スチロールを切っていれる。これはすく゜れものでカイロを入れたときのように蒸れる、つまりあたたかい。
あとはひまをみて脱穀、3月一杯にて完了すればいいと思う。
寒い日が続くので脱穀もけっこう大変だがそもそも楽しい作業なので苦痛ではない。

夜仕事をしているとやや頭痛、熱があるみたい。

農閑期に突入したとたんにやりたいことがわんさかわんさかと出てきてたいへん。

やりたいことを考えているうちに時間は過ぎていく。

2011年1月8日土曜日

twitter

ってなんだろう。さえずる、とかなんとか言う意味のはずですが。
facebookというのもある、字面からして出会い系サイトなのかしら。この創業者が巨万の富云々で新聞に出ていましたが・・・。

俳句や和歌、五行歌みたいに制約された短い語数の中でやりとりする交流の場、つまりネット会話がtwitterということなのでしょうか。

言いたいことを書き放題できるブログのほうがいいんですけど、自分には。

パソコンの世界はあとからあとから新世界がやってきてなかなかついていくのが大変です。

三国志がおもしろくてきょうは3話いっぺんに見てしまった。
曹操が袁紹を倒す話だが、事成って袁紹をあつく弔いその墓前でここにいたるまでに自分が倒した英雄たちに敬意を払い涙を流している場面は圧巻であった。勝ち抜くたびに彼の政治家として・ひととしての成長にはびっくりするばかりである。創作もあるとは思うが実際に存在し戦乱の世を生き抜いた歴史上の人物なので水滸伝などのおもしろさとはまたひと味ちがうおもしろさだ。
初期には冷徹でずるいやつだなという感じたが、敵味方を問わず「人間の目利き」としては並ぶ者のない人物だと思う。
とにかくいろんなひとが出てきておもしろい。
バカ、で片付けることのとてもできない呂布や孫策。呂布を憎めと行っても無理である。
だめ男まで含めて性格のるつぼが三国志かと思う。

中学で子供用の、高校で岩波文庫、20代でBS、そして今BSでやったやつのDVDと4回目だが過去とは全然感じ方が違うようだ。
年齢とともに読書も感じ方がちがってくることはわかるのだが、やはり少しは長生きすることは大事なことかとも思った。亡くなったMがプレゼントしてくれたのかもしれない。亡くなる2日前に「退院したら・・・」などと見え透いたうそをついて私をはげまそうとしていたあの場面がちらちらとしてしょうがないのだが。

戦乱の世を治めようと同じスタートを切った様々な英雄たち。だれが残ってだれが消え・・・、みんな天命。きょうの曹操7万、袁紹70万の戦いもあっけなく袁紹の負け。ぎりぎりのところにいた曹操が結局勝利したのも彼の器量ばかりでなく天の導きのようなものを強く感じる。運がいい、というのもなんか安っぽい言葉で使いたくはないのだが・・・。
やはり「選ばれたひと」というものはいる。
曹操は自分が「選ばれている」という認識を強く持っているものの決してそれに甘んじることなく努力している。そして負けた人たちへの敬意というものを強くもっている。見方も敵も、自分に関わりのあったひとたちへの敬意を決して忘れてはならないということを我々に教えているようだ。自分ひとりでは生きてはいけない。

2011年1月7日金曜日

関東が寒い!

ほんとに寒く、きょう一日で手荒れが一挙に進行してしまいました、正月のあいだすこし手がきれいになるものですが・・・。
あしたは家の中でも手袋してるようでしょう、寝るときも。
あっちこっちの新年会はまだこれからですが昔と比べると大分減ったようです。景気が悪いこともさることながら、儀礼的なものははっきり「いや」というようになったからかもしれません。
つきあいのとても悪い人間と思われています。

新豆即加工というむのは近年あまりしたことがありませんでしたが、ことしは和田さんにいただいたXや自分ところの多収のものなどが結構あるのでわくわくしています。
とれたては加工もどきっとする場面が結構あるので、心地よい緊張がものつくりに張りをもたらしてくれます。
緊張できるこの境遇に感謝します。

2011年1月6日木曜日

この時期が大事。

私は過去2回、急性膵炎をやっていますが一回は9月末、もう一回は正月明け。どちらも疲労が頂点に達する時期に起きています。
きょうも平常営業二日目にしてもう少しおかしかった感じです。
基本的に頑丈なタイプではないのかもしれませんがなんか無理してしまうのかもしれません。

毎日が寒く、1時をすぎると昼間のポカポカが終わってしまい残った2時間分の刈り取りや、脱穀にはなかなか取りかかれないありさまです。あたたかい時間帯に始めてないと、気力が萎えてしまって、取りかかれないのです・・・なまけぐせかな?

 きょうの和田さんのXはきのうの不出来への反省もあってかとてもよくできた。自分で自分の作ったモノに満足してしまうというのはどうかなとも思うのですが、とてもおいしかったです。いい大豆だと思います。取れたてのこの時期、制作には困難を伴いますが、この時期だけのうまさはかけがえのないものです。

2011年1月5日水曜日

平常運転に・・・

時間の流れが"普段"にもどってしまう。なんとなく正月も終わりかと思うとさびしくなる。

和田さんのもってきたXをつぶす。新豆ほやほやなので水分も多く加水に注意する。
柔らかいので煮すぎる傾向にあるようだがまあ、普通に煮る。
豆乳を飲むと非常にいい感じだがやや上品すぎるような感じがする。つまり青味が薄いようだ・・・ただしこれは乾燥の度合いとも関係があるので水分の多いまだとれたての状態の今日の豆を基本的な味ととらえることはできない。

寄せると、甘みはたっぷりある。柔らかい。にがりの量や温度に塩梅が必要。即寄せ可能である、玉誉れなみのいわゆる低タンパクのような寄り模様である。和田さんはフクユタカが主流なのでこの点に注意しなければならない。つまり今までと正反対の世界である。
こちらで蒔いたのとはずいぶん違うようで、まろやかさ・ふっくら感が全面に出てくる。ルノワールのふっくらお姉さんたちのイメージの味となる。野趣よりも上品さ・ほんわかさの勝った味である。フクユタカ、前津江、小石原に近く、極端な言い方をすると"泥臭い"小糸在来・行田在来、借金なしとは対極にある感じである。
水分が抜けてから、"皮"がどういう味を出してくれるかがポイントである。、"皮"に大きな意味がある。

さて我が家のごったまぜ虫食い混合。・・・これもほんわかほんのり甘みであったが、おととしのきちんと低温保存しなかったものも含んでいるのでしまりはよかった。高タンパク系的な感じであったが閉まりすぎともならない、やや煮すぎであったのが幸いしている、豆乳もうまい。

林隆三と榎木孝明が中尊寺を旅していた、宮城の問屋のMRさんに案内されて行ったものであるがなつかしかった。冬が・・・いいなあ。福岡も雪だったな。
林隆三は「豆腐屋の四季」というテレビドラマに出ていたことがあり(40年も前のこと)大好きな俳優なのだが、このテレビドラマのことをなんと大江健三郎が知っていてミューズの楽屋で人生のハビットから豆腐屋のハビットへ話しを飛ばせた時に、いきなり「豆腐屋の四季」のことを語り始め大江さんの守備範囲の広さ・記憶力のすごさにびっくりしたものである、古今集の和歌の引用もうまく組み込んだおしゃべりで豆腐屋のハビットで笑いをとろうとした自分が今思うと恥ずかしい限りである。

2011年1月4日火曜日

きょうはのんびり

きのうは福岡から和田さんが来てくれてうれしかったです。
実は1/2、3というのは一年でもっとも疲労困憊する日なのですが、今年は2日が比較的楽であった(元旦に寝過ぎたせい)ものの3日はやはりくたくたであった。そんななかはるか遠方より車で来てくれたことに感謝するとともに「疲れてはいられないな」ということで元気をいただきました、ありがとうございます。
きょうは半分通常営業となりましたが昼過ぎはのんびり、三国志を見ています。
明け方やはり夢を見ていたのですがまったく覚えていません。きのうのは印象が強すぎたのだと思います。
和田さんの持ってきてくださったXを漬ける。我が家の虫食い半端もの無農薬混合を漬ける(借金なし、前津江、小石原、N、鬼裸、多生豆等)。
今年は少し気張って本をたくさん読もうかと思っています。やはり、残された時間というものを意識せねばならないことはいうまでも無いのですが、充電というよりは本の中で遊ぶと言うことです。新作ではなく物置の中にしまってあるものです。
高校の時日本史の佐々木先生が「積ん読には大きな意味がある」と言った一言の意味が、今理解できています。森本哲朗も同じことをテレビの対談で言ってたのを覚えています。

2011年1月3日月曜日

初夢

夢を見た。こんなにはっきりと覚えているのも不思議だ。
ホロビッツのコンサートに行く、というものだが中身が滑稽。
3000人くらい入るホールでしかも細長、ドアを開けるとステージははるか下、とても演奏者など見えるものではない。こんなホールあるわけない。
しかも全席自由。席がとれなくてホール入り口の分厚いドアの外側にあるテレビ鑑賞席に収まる・・・・がなんとかならないものかとホールに再び、を決意。立ち上がると途中K先生がいる。移動を促しどんどん下の方へ。
あいてる席があった。おもわずK先生と腰掛ける。もうひとり相棒がいたのだがまったく思い出せない。
なんとこの席は演奏者を囲むステージ上の席だった、ステージへ上がる瞬間は覚えていない、折りたたみ椅子へちょこん。
ホロビッツは目の前にいる。
ピアノは例のものではなくなんとHoughが家で使っている小型の・・名前ど忘れ・・・だった。こんな巨大ホールでは・・・・、と思ったのだが。
演奏が始まる。Chopinのエチュードだが・・・。・・・なんと吉田秀和が館内放送で解説しながらのコンサートとなる。なんだこれ。うるさくてしょうがない。ひび割れた骨董品演奏ではなく、いい演奏だったが演奏中に目が覚めてしまった。
夢判断なんてものが信用できるものかどうかわからないが、こういう関係のない人物や事物がいとも簡単に同居してしまうのが"夢"というものなのかしら。
久しぶりに見た夢であるが、時間は数分だったと思われる。
ああ、仕事か。

2011年1月2日日曜日

初仕事

もう働くのだ。
一年で一番疲れるのが1月2,3日。
が、ことしは少し変だ。
きのう15時間ぐらい寝たせいだろうか、きょうは楽だった。
福岡から和田さんが来てくれると、岡山の吉備インターから電話。すいませんね遠くから、恐れ多いことです。
さてきょうも三国志といくかな。

2011年1月1日土曜日

お正月

あけましておめでとうございます。
きのうは10時頃寝てしまったのだろうか。
夜中に何回も目が覚めたのは、なんか寒くてへんだなーと思いつつもふとんから頭を出すとすこし風が吹いてるようであった。まどがすこーしあいていた。しめるのもおっくうでそのままにしておいて朝まで。目が覚めるごとに山小屋で寝ているのを感じ、顔面はすずしくても寝袋の中身はほっかほかという気分が思い出され、なんかいい気分のまんま朝になってしまった。
起きると、・・・扇風機が回っていた。かたづけものをしていてスイッチを押してしまったらしい。微風ゆえに押したことがわからなかったのだと思う。

ふとんの中でMDウォークマンを聴く。スラットキンがN響を振ったマーラーの4番実況中継だが、演奏そのものよりも解説の丸山桂介とNHKの女子アナの対話がよかった。丸山さんの名前のひびきと語り口がぼくは大好きで、船山隆とならんで楽しませてもらったのがFM歴の後半だったと思うが、この録音の解説対話がよかったのは女子アナの絶妙な誘導語りである。教養のないように見せながら丸山先生の深くてわかりやすい説明をじょうずに引き出していることである。なにを聞くか、ということはあらかじめ用意はしてあったと思うのだがじょうずな設問、間合い、言葉遣い・・・すばらしいアナウンサーであった。この女性がほんとに音楽に門外漢であったとしてもこのひとはすばらしい女性だと思う、ほんとうの意味で深い教養にあふれたひとだ。G先生の奥様みたいだ。曲は冒頭だけでふとんから出てしまった。


読売のコラム/編集手帳に涙した。先に亡くなったひとたちへの想い。文章の力というものをおおきく感じた。

以上の3点、山小屋気分、女子アナ、読売コラム、おおきな収穫であった。ありがとう。

iPod買わない派に徹しようと思いヤフオクでカセットウォークマンとMDウォークマンを眺めるとまだまだたくさん手に入りそうである。ソニーがカセットをやめたのが去年なので3年前程度製までさかのぼれば実用のものがたくさんありそうなのでいくつか買っておこうと思う。自分のMDはかなり古いので重くて電池もすぐ終わってしまうが、近年のものは電池一本ではるか長時間の低消費電力、しかもMD-LPとかHi-MDとか言ったレベルアップバージョンもなされているようではかない商品(販売期間)生命のわりには高品質でもあるので本来の寿命を全うさせてあげるべきであると思う。IPodではなくICレコーダーがひとつあるのでこれでおおかた用が済むと思う。MP3は所詮「究極の便利」みたいなものではあるが一枚のCDに10時間も20時間も入って、しかも異なったモノが入っているのは使っているうちにうんざりしてしまうのに気づく。仕事や車の運転ででBGMを流すとかいうのなら別だけど。

先ほどのコンサートの女性はアナウンサーではありませんでした、山田美也子さんという方でした、声楽をやっている方でクラシックのの番組の案内役を今でもやっているようです。(14:25)

寒くて結局ごろごろとDVDをみていた・・・・がこれもいい休息だと思う。しかも、ぜいたくな。
コナンドイルの原作にない創作脚本による新しいホームズを観る。とてもおもしろかった。建設中のロンドンブリッジが舞台になっていてとてもいい、足場が木であった。テンプル教会が出てきたりしてダビンチコードのパロディかいと思いきや、こちらはこちらで楽しめた。コミカルさはより上品だが、バットマンみたいな雰囲気もある。
そのあと三国志。これは私が20代のころテレビでやっていたかと思う。画像は荒いが内容はとても楽しめる。人形が好きなので、NHKの人形劇版もみたいのだが値段が高すぎて話にならない。NHKをはじめとして日本のテレビのドラマ化DVDは高すぎる、BBCのように一枚500-1000円程度でたくさん売ることを考えたらどうなのだろうか。

物置から古いSONYのカセットデッキを持ってくる。なんと動くではないか。ドルビーもCとSがついている。ヘッドをクリーニングしてゴー、OKです。消磁機はヘッドの位置が奥ののほうにあるので無理のようだ。この道具は20-30年ぐらい前のTEACのものである。TEACってまだあるのかな。

イタリアのDore夫妻+1にクリスマスカードのお返し電子年賀状を送る。
だれにも電話しない。

あしたはもう仕事かと思うと気が重いね。

もうちょいDVDを見るかな。(19:57)