ページビューの合計

2014年5月30日金曜日

30℃越してたのかね、

暑かった。
朝の天気予報でこの近辺は夕立、となっていたので散歩中止。
青空のもともったいないなあ、とは思いつつユスラウメの収穫そして即焼酎に漬ける。
生で食っても甘くて(甘酸っぱいではない)甘くて・・・。
2びんも作ってしまった。
にんにくをとって皮をむき、ひとつをラップでくるんで電子レンジ。
ちいさな中身だけになってしまう、甘くなっていてしかもくさくない。なるほど。
こちらは黒酢にでも漬けようかなと思う。

グリーンブラットのシェイクスピアもまだ1/3くらいかな。
読みやすくて楽しいのだが・・・。
学者の研究書というより、学者の上手なものがたり屋さんといった感じで、権威を振りかざさないながらも、シェイクスピアの生きていた同時代の周辺知識・教養に(単なる知識量ではない)あふれたすぐれた伝記兼研究書であると思う。
知識のsynthesiseする器量もこのレベルになると脱帽だ。

お散歩するようになってからほとんどテレビをみなくなった。
NHKの連ドラだけしかみない。
忙しいのでテレビなんかみていられない、ではない。
みようとすればみる時間はある。
みる気が起きないのである。
その代わりレコードか眠り際のラジオになってしまう、これもNHKだけど。
生理的に映像を受け付けない状態になっているのだろう。
本を読め、読めという天の声かな。

2014年5月29日木曜日

1.4町歩くらいが

今年の面積。
きのう市役所へ行く。
昔いろいろとイベントをやったHさんが挨拶にくる、今は農業委員会の事務局。
来年近場に面積広げるのには世話になるかも。
きのうは所沢の一番東端である坂の下の滝の城へ行く。名前のいわれとなっている清水の源流を探る、水源確認。それにしてもこんなにおおきな岩がごろごろしていて不自然だったが、どこかから運んだのだろうか。
この城は八王子城の出城とかで、我が家の前の道はこの城へ通じる「鎌倉街道の枝道」とかいうことだ。
街道沿いの集落はそのときの負け戦で落ちぶれた兵隊たちの末裔だと思う。街道沿いのお寺は2つとも曹洞宗で歴史は500年強ということだ。
柳瀬川沿いの遊歩道はどろのぶぶんも結構あって(ただし埼玉県側)、しかも樹木に覆われていてここちよい。
往復14000歩もあった。

そしてきょうは浦和への予行演習ということで西浦和を目指したのだが、用事で言えを出たのがもう4時だったので志木街道、立教高校前、志木駅前、弁財天のお堂、朝霞台駅-電車ろ新秋津というふうになる。立教高校の真ん前はいとこが養子でいったうちであいさつしていこうかなと思ったが長くなりそうなのでパス。ひたすら歩き続けた。朝霞台には6時4分。15000歩。
裏の畑でとれたエシャレットを夕飯で。うまかった。
あしたは夕立かな。
きょうも歩いている時まっくろ雲が前方上空(浦和方面かな)にびっしりでひやひやしたのだが結局セーフだった。


2014年5月27日火曜日

夜まで忙しくて

きょうはお散歩ゼロ。
夕刊で過去フランスで養蚕・・・のコラムがあったのでびっくり。
病気による衰退を日本の養蚕が救ったという話だ。
お蚕って中国/極東の専売特許とばかり思っていたのに・・・。
もっともシルクロード経由で絹織物ばかりでなく、養蚕技術も伝わったと考えると納得はいくのだが。そのうち調べてみよう。
糸・織物を輸入しているだけ(であろうに)なのに、なんで英語にmulberry(くわの実)という単語があるのだろうとずーっと不思議がっていた(のに調べることはなかった)が、理解できた。
どどめ、をイギリスでもフランスでも知っていたと言うことになる。
じつはここ一週間の散歩コースには必ずと言っていいほど、くわの木が道ばた・河の端に生えていていままさにどどめ"が真っ盛りである。
赤いのがきれいだからといってそれをつまむと酸っぱい。
やっぱり、どどめ色である。
昔も畑ではなく畑のはじっこや河への細い道ばたにぶっとい桑の木が生えていて、よくその実をとって食べ口を真っ黒というか濃い紫色にしてよごしたものである。
マルベリーはイギリスの有名皮革製品ブランドでもあるのでこの言葉自体は結構知られていると思うが、"どどめ"はウチらの世代以前かなと思う。こういうことは教え込んでいかないといけない。

道徳の教科書の制作委員会めいたものの記事が今朝あった。
ひとこまの授業を使って何を教えられるのか疑問も多いが、道徳なんか教えるものじゃないといいながら「じゃあ、道徳ってなあに、必要なものなの?」と問われるとけっこうしどろもどろな返答しか返せないような気がする。
むつかしい問題だ。
中高年に、それもたぶん車を運転するであろう男に、道路の右側を自転車運転・・・歩道・縁石の存在にかかわらず・・・して平気のへいさで、しかも夜無灯火でなんてのがたくさんいる現今の風潮を考えてみると、なにか根本的におかしいのではないかということを感じる。
道徳ということばでは表せないかもしれないが、深い意味ではつながっている単純なことのように思える。
子供が悪いのではなく、ばかな大人・年寄りが多すぎることだ。

2014年5月26日月曜日

恥ずかしながら

本日は平林寺、行きも帰りもすべて歩いてしまいました。
18400歩/3時間10分。
さすがに疲れました。
だれかに怒られそうです。
帰宅して即ビール、・・・ということで痩せるのはむつかしいなと思いました。
歩くのは走っているときと同様、ただ単に周囲の風景がどうのこうのという感想はもちろんだが、周囲の風景・出来事から派生・連想してさまざまな考えを生む。
ところがうちにかえってみるとみんな忘れてしまっている。
うちの親父は晩年しきりにメモをとっていた。忘れないために。
かといってメモしながら歩いていたのでは時間ばっかりかかってしまう。
まあ人生とはこんなものか。
こういったことがワインの澱みたいに/layerという、なんていうときざかな。

志木街道沿いはかなり古い由緒のある道なのだが、乱開発されず大きな農家が道に面して屋敷をかまえているおちついた風景を形成している。
なにか保護がかかっているのだろうか。
住民の数をとにかくふやして住民税ふやせば・・・、というのとはちがうのかな。

あしたとあさっては市役所行ったり登記所行ったり(畑を市役所経由で正式に借りるため)で用事が多く散歩は無理かな。

2014年5月25日日曜日

13000歩。

野塩団地、清瀬郵便局、志木街道、野火止交差点、武蔵野線新座駅-電車-東所沢、徒歩にて家まで。
平林寺の下見にと志木街道をすすむうちに「ええい、新座駅まで行っちゃえ」ということになる。
排気ガスが臭かった。
平林寺は新座駅手前からちょいと回り道をすれば良いわけで、平林寺自体は家から10000歩程度ということになる。
時間がかかりすぎるのでそろそろジョギングにしたら、というアドバイスを受けるがこれからの暑さを考えると今のやり方を少し続けようと思う。ただし時間は一時間程度/7000歩くらいにしとけばいいのかなと思う。
走るのはかなりきつそうな感じがする。
早足は10分で100歩がちょうどいいかなと思う。調子次第で2割程度のプラスマイナスは出そうである。
平林寺は"きんらん"のころがいいのだが、もう終わっているだろう。
あとは紅葉のころがいいが、ただぶらぶらするだけでも涼しいこともありいいのかなと思う。

川越街道合流点の野火止交差点で「浦和11キロ」とあったが、浦和のどこまでだろうか。荒川にかかる橋か、浦和の駅前か?11キロだと2時間。家からの分を足すと3時間。北浦和だと4時間弱だろうか。いつかやってみよう。

NHKで屋久島スタート、歩きとカヌーだけ使用、交通機関不使用・連続歩行で日本百名山踏破という青年を取材していた。もちろん睡眠、宿泊、食堂OKだがバスも電車もだめ、橋のない川や海はカヌーでというスーパーマンだがこんな企画今までだれが考えただろうか。これは歴史に残るだろう。百名山自体は別になんということもない時代になってしまったが、この登り方は尋常ではない。カヌーはしょえないので応援か宅急便で次の渡航・河点まで送っておくのだろうが・・・。
これをみるとこちとらもちょいとは苦労しないとね、と考えてしまう。
畑が本格化する来月20日ころからはお休みするつもりで、雨の時などに歩いてみようと思う。


2014年5月24日土曜日

12000歩、ちょっと

やりすぎかなー。
散歩のために毎日2時間用意するのはきつい。
きょうのは終始柳瀬川沿いで快適なコースであった。
学習用だろうか人工的に作ったと思える湿地帯もあり、花が順番にいろいろと咲いてくれそうでいいところを見つけてしまった。弁当と本を持ってきて半日のんびりするのもいい。
本流の方は一部護岸をしてないところもあり、水面にしなりまがった竹や篠がつかっているようなところもあり子供の時の風景が残っていた。その対岸で、そこをながめてぼーっとしているおじさんがいた。何を思っているのだろうか。

1時間50分かかっている。
もうここまでくると簡単なハイキングに切り替えてもいいような気もするが、はっきり言ってきょうは疲れました。充実感よりも、疲れました。

村岡花子さんの「腹心の友」柳原泊蓮の人生についてネットでちょいと調べましたがドラマチックでした。政略結婚させられて九州の麻生などと並ぶ伊東伝右衛門なる人物も無学で粗野とは言え、若い男と逃げてしまった白蓮に対する態度はやはりただの成金ではないなと感じた。世間とはちょいと違う精神の高みに達していたと思う。
いずれ少し両者についていろいろ読んでみようと思う。
テレビは連ドラだけだが、村岡さんの孫が書いた者なので若干身びいきがすぎるのかもしれないが主役の子がかわいくおもしろいので当分見続けるだろう。
ここのところほんとにテレビをみなくなった、というかもとに戻ったようだ。

2014年5月23日金曜日

きょうで5日目に

なるだろうか。
夕飯に間に合うように帰ってきてお風呂に入ろうが入るまいがもう起きているのがつらくなる。
へたをすると7時に寝てしまい10時頃目が覚めてしまう。
そのあと寝られたり寝られなかったりだが、レコード聞きながらだいたい寝入ることができる。
それにしても5日目のきょうはやや疲れていた。
きのうの腕立て伏せがきいていたみたいだ。

清瀬市役所経由柳瀬川散歩コースを11000歩/ただし1時間50分。消費カロリーは時間がかかっているためきのうより低かった。ただしきょうは知らない道ばかりだったので発見も多かった。清瀬市内で酪農家2件の脇を通る。親の代からの仕事をつつけているのだろうが、あとからやってきた者に文句言われて大変だろうなと思った。
柳瀬川は水は非常にきれいで、小さい魚の群れも観察でき(鮎かな?)水質検査用のおおきな鯉と相まって、ここまでするのに相当な苦労があったのだなと思った。
護岸がしすぎなのがいやではあったが現行の社会情勢ではしかたないのだろう。
フィニッシュ間近の我が家対岸にある野塩団地は古い建物と新品ほやほやの建物が混じって、「ああ、ここも50年くらいたっているのかな」と感慨にふける。ごたぶんにもれず、団地内商店街は居酒屋だけ営業、お風呂屋さんはなくなって建て売り建設中。50年という時間の流れはやはり短くはない。個人店はおおむねチェーンのスーパーに客をとられ、営業努力とは関係ない次元の理屈でつぶされてしまうのだろう。

ここまできて7時30分。もう寝よう。
あしたは仕事なのでお散歩は不可能。
建物の階段上りを数往復ですませましょうかね。

2014年5月22日木曜日

3時頃から

夕立という予報だったので、散歩を中止の分と思い腕立て伏せ50回、腹筋30回やったところでやや明るくなってきた。
なんだ損した、と思いつつも怠け癖をふっきるために散歩に出る。
きょうは目の前の野塩団地を抜け、清瀬駅手前まで行き密集住宅街をさまよいながら柳瀬川沿いの"柳瀬川回廊"なる遊歩道を歩き我が家の墓地経由で帰宅。10300歩/80分。
清瀬方面の裏通りはほとんど通ったことがないのでおもしろかった。
垣根がお茶の木という家があり、おかしいというかうれしくなってしまった。
こういう粋な住宅もあるのか、と感心。
かと思うとあちこちに植木を植えてある土地があり、造園業をいとなんでいるのかどうかしらないが単なる税金逃れに見えた。税制の悪さの方をせめたくなるのは大都市圏全体の"もと農家"だと思うが、植木を抜いたあとらしきものはどこにもなく単なる雑木林と化している。これはこれで町造りに貢献、ということにはなるが。
"生産緑地"のポールが立って税軽減措置を受けている土地がたくさんあるが、なにも生産していないのに"生産"とはなんなのか。
戦後の住宅政策・都市政策のゆがみはだれにもわかっているにもかかわらず税制の縛りとも相まって・・・というかこれらは一体の思想の上になりたっている・・・昔からの村落は疲弊していくいっぽうだ。お寺も自然と疲弊していく。きょう通過した2件のお寺には道路から見えるところに「永代合祀・・・」なる銘ののきざまれた石があり、「ああ、これが見捨てられた死者たち」かなと思った。墓地などいらないと考えるならそもそもお寺の世話になどならなくていいものと考えるが、めんどうくさいものは「家の中には納め」ないでよそへしまってもらおうということだろう。
都内の各霊園にはこんな「合祀・・・」だらけだそうだ。
所沢は墓地だらけである。
こんなに作っちゃってどうするの。
墓地など所有すべきでないと思う。
さすればふるさとで親と一緒に、あるいはそばに眠ればいいではないか。

2014年5月21日水曜日

本日10900歩。

一時間半くらいかかったのかな。
すずしかったのと靴がきのうまでのぶかぶか大きすぎではなくぴったしだったので軽快であった。柳瀬小学校手前まで行ってUターン。
パソコンの前にすわっているとやや足がつりかけそうな感じがする。
いい運動になったと思う。
一時間半ともなると時間がもったいない、と考えたくもなるのだが今の心境で言えばウォークマンなどしながら歩くのはかえって無粋な感じがする。ウォークマンをしていてもまちの喧噪、風の音・鳥の声は聞こえるのだが聞こえ方は違う。それに光や空気感も違う。耳をふさいでいると耳への音の進入に対する"集中度"が邪魔して、他の感覚をいいかげんにしてしまうものだ。脳みそも開放状態で歩くのがいい。

あちこちにある畑のわきを通るとどこでも枝豆用の大豆が結構そだっている。
枝豆までは野菜というのだろうが、生産量はここ所沢でも結構あるものと思われる。
一年に2回蒔くのがこのへんの農家のスタイルのようだ。晩生はたしか8月に入ってからだったかな・・・?

アランの本を探す予定だったが疲れてしまったので延期。
たしか2,3冊あったと思うが自分より一世代前に(1950年代)にはやったのではないのかなと思う、有名な作家が訳していたと思う。

"かい"に加工用の6ミリアルミは一万円台であった。
5本とれるので一本あたり4000円弱か。
10センチ×80センチ、厚さ6ミリでもめんの寄ったのをくずせるかどうかだが・・・しなったりはしないと思うのだけれど。

2014年5月20日火曜日

所沢駅まで徒歩

で往復。最短コースで往復70分。
歩数が7000歩なのでほぼ10分で100歩の計算になる。
さらに急げば少しはアップできるだろうが、10分100歩は切りがいい。
心地よく疲れる。
閉店八時05分。
家に着くのが8時40-45分くらい。
夕飯食べたらすぐ眠たくなる。
本日ここまで。

2014年5月18日日曜日

昼間法事、夕方

初めて散歩する。車だと素通りなのに歩きだと結構いろんな発見がある。
東川の橋のところで川に着きだしている木の花が車で通過するときいつも気になっていたが、ネムノキではないとわかる。ネムノキの花はやや大げさな感じがするが、きょうわかったやつはひとつひとつが白・紫の組み合わせのふつうの花びらでこぎれいなかわいい花であった。やはりカメラを持って歩いたほうがいい。
途中で携帯電話には万歩計がついていることに気づき操作する・・・カメラも付いてるのか?
急ぎ足なので軽く汗ばむ。足首がややいたくなる。
終わってみると心地よい倦怠感というか充実感。
一日で終わってしまうかな。
万歩計は4000歩。万歩計スタートが全体の2/5くらいだろうか。
たぶん全部で7000歩くらいだろう。
おなかの筋肉を結構使っているような気がした。
一時間。

2014年5月16日金曜日

きのうの草むしり

に続いてきょうは別のところのごみ置き場。信号待ちしていると、
集会所の前庭の道路よりすみっこが指定場所だが、庭全体にきれいにごみが散乱している。そんなにものすごい量でもないし紙が多い。道路よりでおばさん2人がにこにことおしゃべりしている。
きのうとは正反対だ。
自分に関係あるのかないのかしらないが片付けたらどうなんだよ。
自分のことしかしないようです。

初めて既製の豆腐ドーナッツ用ミックスでドーナッツを作ってみた。
こういう"既製"のものっていやなのだが、けっこううまいことがわかる。
説明書に水・・・グラムと書いてあるところを豆乳でおきかえてやってみた。
うまいということがわかれば今度は既製を分析して自分なりに材料の組み合わせを考えればいい。
小麦も将来的にと考えていたが、うどん粉かパン用かと迷っていたが、ドーナッツ仕様に考えて品種を選択しようかなと思う。小麦も在来種といきたいが、小麦自体の栽培経験がないので数年は"実験"ということになろう。

Kちゃん来る。
仕事で使う"かい"をアルミの分厚い板をカットしただけのものの転用でできないかと聴くと、平板棒(ひらいたぼう)というのがあるそうで厚さ6ミリ、長さ4メートルが最低単位。今使っているひのきのものが長さ80センチなので5等分したらということになる。
既製のものも提案してもらったが取っ手のの部分がリベットでくっつけたというタイプなので、くっつけるということはいつかはとれてしまいそのときリベット部分が豆腐に入ってしまうということになる。したがって一枚板を加工してグリップしやすいように手作りするのがいちばんいいのかなと考える。ほんとは檜がいいのだがどうしても時間がたつと周辺部がはがれ・とれてしまい"異物混入"となってしまう。木なので食べたからといって何も起きないとおもうのだが、給食の現場とすれば困ったことになる。ということで6ミリのアルミ板をやすりやグラインダーを使って加工することになりそうだ・・・楽しそうでもある。
Kちゃんは今度町内会長をやるようで忙しそうだ。
自分はそういうことがきらいなので、というとこの役は市役所の手先・利用されてるだけさといっていた。自分がやってきたイベント屋家業もようするにこういうことなのだが、おおかたは利用されながら"名士、名士"とちやほやされる快感がやめられず続けていられるのだろうと思うが、こんな"まちづくり"はまっぴらごめんだ。
"公共"を振りかざすのもある意味"暴力"であることを当事者たちはもっと認識しなければいけない。民間はもっとわがままをふりかざして本業に集中したほうがいい。もちろん自然と要求される"公共"もしょっちゅう目の前に現れるわけだけれど、常識で判断すればよい。常識とは・・・。
というわけで自分はわがままのまんま行こうと思う。

今度のグリーンブラットは文章が良くとても読みやすい。
幼児期・少年期に演劇を観に連れて行ってもらった・・・などというのが信じられないくらいなのだが他者(シェイクスピアの"同級生?")の文章記録などを使って推論しているところなど説得力がある。
The Swerveと同じくらいの厚さだが字がややちいさいのでちょっと時間がかかるかな、という気がする。そのうち種まきが始まってしまいそう・・・。
きょうの夕方はこの上なくここちよい時間であった。一年のうちで春と秋に似たようなことがあるのだろうが、断然今のほうがいい。
"いい"ことはとっておきたい・保存したいのだが時間は保存できない。
とっておけないからいいのだろう。
冷蔵庫の出現で食に関するある美意識が完全に失われてしまっている。
歴史の動きの前には"美"の権威は完全に崩れてしまう。
はかなきがゆえに価値があるということはもう理解できなくなっているのだと思う・・・実感として。

2014年5月15日木曜日

ちょっと疲れてしまいました。

今帰ってきて夕飯食べてパソコン開いて・・・、ブログ・・・ときたがややパワーがでない。

今日一日を振り返ってみて・・・、今朝西武線のとあるガードの下で渋滞待ちしていると道のはじっこで草むしりをしているおばさんがいた。手袋もしないで素手でだがちらっと目があったのでにこっとしてぴょこんと頭を下げた。ボランティアとか町内会の義務感からではなく単なるご近所のおばさんの"楽しくきれいにする"行動だったのかな。
こういうひともいるんだな。
ありがとうございます。

ラッセル・ショートのアムステルダムについての本の書評と記事を読む、おもしろそうだ。グリーンブラットの次に読むかな。たしかデカルトの骸骨とかなんとかいう本を書いた人だったかなと思うんだけれど。

びわの木の枝を眺めていたらあきらかに虫の固まりと思えるふっくらした部分のあるやつがいくつかあった。
へらでさわると白い毛がうじゃうじゃと動いている。
キンチョール。
すぐ動かなくなった。
結構強いのかな。

2014年5月14日水曜日

今年初めて

扇風機を使ったけど、30度にはなったのかしら。
我が家には一カ所、お勝手だけ、にしかクーラーがないので事実上クーラーの生活とはまったく縁がない。お勝手のクーラーにしても例年使うのは年間10日程度だと思う。しかも自分だけ。
父が亡くなってからは母屋の座敷にいるのでまあ涼しいと言えば普通よりは涼しいのだろうが、蒸れているときは世間とまったく同じだろう。
どういうわけか汗だらだらの時ほど読書欲がわくんだけれどもどういうわけだろうか。
本を読むこと、考えることの楽しみ・大切さをNさんのブログで教わる。
自分は書物に大豆と豆腐が助っ人してくれている。
書物だけで物事を組み立てるのはよほどの天才的な"言葉にいきる"ひとを除いてはとても危険の多いことに思われる。
かといって政治のように"あおりあおられ"のことばに生きるのもきわめて軽薄・危険であることはすぐわかる。
ことばは重い、とはいってもこんなにひとを傷つけ打ちのめす武器もない。
仕事や読書、対人関係・・・いろんなことのインターミングル(intermingled)が生産する"なにか"が自分オリジナルの生産物だ、この世にひとつしかない・・・だけどひとに訴える何かをもっているはずだ、という希望によりすがりながら60以後を生きていくしかない。いつ召されてもしかたない、それはそれで"そういうものだ"ということだろう。
びっくり語、修飾語、漢語の抽象語・・・をなるべく使わないことにこころがけようと思ってもついそれが出てきてしまう。自分はよくても結構よそのひとからみたらちんぷんかんぷんを平気でやっているのかもしれない。でも前後関係から・・・、なんていいわけで許してもらえるかな。

イヴ・デュテイユのレコードがよかった。
林田 遼右/福井芳男でフランス語講座をやっていたころの今月の歌で出てきた歌手だがやさしい声質で詩も旋律もいい。『妖精たち』というレコード。ちょっと懲りそうだ。
何枚かシャンソンのレコードが茶箱の中にあったので引っ張り出してほこりを払って待機させてある。

近所の"やっさん"の『還暦 日本一周自転車旅行記』(私家版)を今楽しみながら読んでいる。
このなかに50ccのバイクで東北一周だったかな日本一周とかいう登場人物が出てきて、自分にもホンダの50ccのカブなら・・・、なんて考えてしまった。ただメカがわからないと無理だろうな、故障の時ね。

田宮次郎の『必殺仕掛け人』を見る。
最初の方の画面で肉豆腐いやいやすき焼き(すき焼きは明治からか?)のなべをつつく景色がほほえましかった。池波さんの作品は食べ物のところをとても大切に描いてくれる。
映像も陰影が美しくこないだの眠狂四郎みたいであった。
町屋の原色の描き出す風景が意外と落ち着いて感じられるのはやはり日本人からなのだろうか。ちっともぎらぎらとしてはいない。・・・岡場所ですら。

2014年5月13日火曜日

お昼のNHKが

函館山からの生中継をやっていた。
西武と日本ハムもきょうは函館だったかな。
普通だと頂上から眼下の風景を、という陳腐な発想の映像になってしまうのだろうが山中の登山道沿いにある草花や新緑の落葉樹を写していて心地よかった。
里山だと思うのだが・・・たしか標高は300メートルぐらいで高尾山の半分程度だと思っていたが・・・。 今はロープウェーで下界とつながっているが戦前までは要塞の山だったそうで陸軍省陸地測量部の地図では空白だったそうだ。それだけに植生は豊かで原生に近いのかなと考える。
ひとりしずか(もどき?)、おおうばゆり、あとからあとからいろんなものが。このへんの野草好きの人間ならすぐに盗掘に馳せ参じよう。野草・高山植物趣味は写真だけにしてください。
なんとシラネアオイも咲いていて、こんな低いところにとびつくりした。函館には行ったことが無くなんとか生きているうちにとないものねだりする。
富良野のウチでは目の前の空知川をはさんで向こうには"なまこ山"という平地にぼこっと盛り上がった台地がある。かつて70メートル級のジャンプ台があったところで、スタート地点から下をのぞいてびびったことがある。山菜のの宝庫で(ねまがり)タケノコ、行者ニンニク、ふき、山わさび(ホーすらディッシュ)・・・、と昔良く送ってくれたっけ。なまこ山の向こうは一等三角点の富良野西岳でたしか1300メートルくらいだろうか。富良野の健ちゃんとかま持参、地下たびでやぶこぎ・刈り払いをしながら登ったときの山行記録の手帳が出てきた。どういうわけか函館山岳会の分厚い会報誌も出てきた、おもしろいから借りていたものだと思う。
富良野西岳からはあの名峰"きりぎし山(きしという字はたしかくちへんに崖だと思った)"や飛行場からのドライブでも西だけのうしろによく見えた芦別岳がりっぱに見えた。
とにかく花がきれいな山たちである。
そこで60以後は時間を作って低山ハイキングの写真山行と行きたいのだが・・・。それをやるには腰がいたくてねえ。おしりもちいさくなりすぎた。

『どのようにしてシェイクスピアはあの"シェイクスピア"になったのか』というグリーンブラットのベストセラーを読み始める。TheSwerve も大作だと思うが、この作者は専門がシェイクスピアでこれを研究するために"周辺"を読み、(時間的)前後も読みと読書が広がるにつれルネサンス全体をさぐりというふうに、単なるシェイクスピア研究者で終わっていないところがすごい。ひとつ核になるものを徹底させることからまわりのことがらが必然的に学ばざるをえなくなりやがてそれは血肉/教養となり、単なる自分の著作の"材料"というだけではなく、ものを見る道具となっていったようだ。
単なる知識/物知りだとせいぜい"材料・部品"で終わってしまうものが、こういう創造的な学者となると"道具"として使えるようになる。この道具を介して世界や歴史を眺めることができ、自分の史観も組み立てていけるのだろう。
それにしても相当な読書家、思索・推論のひとだと思う。

2014年5月12日月曜日

The Swerve.を

読み終える、ひと月以上かかっただろうか。
題としては『逸脱』のほうが受けやすいとは思うが、内容はやはり"大転換点"の方が適切と思う。
ただ中に出てくるひとたちの生き方はやはりどう考えても主流からの逸脱なので、そちらに主眼を置けばやはり逸脱か?時代が・・・した、というより誰々が"逸脱"したということか。

正直いって久々におもしろい時間が過ごせた。
こんどはシェイクスピアに行きます、こっちのほえが分厚いようだ。

畑のタマネギの実/まあるい部分が地上にちょこっと顔を出している。もうすぐいいのかしら。タマネギは初めてである。にんにくもこれに続く。
タマネギはタネはもらいもので、サラダで平気に食べられるものだといいが・・・。
ゆずは依然としてほとんど花を付けていない、今年はだめだ。
レモンは薄紫の筋がはいったつぼみの状態だがいつも花だけひらいてちっとも実にならないというのが例年のならひ。こんなにたくさん花が咲いてるのになんでだろう、ということばかり。
芍薬が咲き始める。
ぼたんより控えめ・・・だけど上品な華やかさをもったいい平地の花だと思う。
高山植物もそのうちといきたいところだが時間がねえ。
そういえば富士山の火口にスノボーで落ちたり、雲取山で一週間後に遭難者が救助されたりと、昔とはひと味違う遭難騒ぎばかりだ。
昔だとゴールデンウィークには必ず一の倉沢で・・・、とか・・・の山スキーで・・・、なんていうのばかりだったけど。今はスノボーで遭難かね。

目の前にテレビ英会話1995"名探偵ホームズとワトスン博士"というNHKのテキストがある。そういえば、という程度の記憶しかなく35年前の国弘先生のときのことの記憶と比べると比較にならないが、とってあるということはいちおうおもしろかったのかもしれない。たまたまテープもある。今眺めてみると、実に良くできている、おもしろい。『ハリー・リグビー事件』をひと月かけて遊ぶわけだが覚えるまで学べば(なんでもいいのだけれど)相当なものになる。寄稿文もいい。
こういったテキストっておおかた燃やしてしまっているがどういうわけか残っているものはいとおしい。

文机が欲しくてネットを眺めてみるのだがやっぱし作っているところへ直に言ってみたい。引き出しなど要らないからすっきりしたのがいい。
まあ、これはカネがたまってからということでとりあえず大型ホームセンターで合板に化粧板の安物を注文してきた。これだとあちこち持ち運びできるので壊しても安心だ。縁側や二階や、という感じに。やはり還暦を迎える、ということはこういった小さな選択にすら大きな楽しみを見いだせる節目の年齢なのかなと思う。
税金の苦しみさえなければ毎日えへへ、なんだけれどねえ。

2014年5月11日日曜日

18時30分からの

テレビで青ヶ島をやっていた。
いままでやった案内記では一番よかった。
緑豊かであることが実感でき、ますます散策したい気を起こしてくれました。
意外と大きいなという気もした。
何時の日か、と思っている。
予備日までいれて7-10日はかけないとだめだろう。
製塩所の山田さんが出ていた。
となりはサウナときている。

レコードを聴いてのんびり。
言葉と旋律が今は亡きいろんなひとを思い出させてくれる。
くるくる盤面の上で音を拾っているカートリッジをぼーっと眺めながら聴いているこの時間がなんとも幸せな気分になる。
CDにはこれはない。
もっともカセットやオープンデッキでもこの気分は起きない。
やはりレコードだろう。
レコードには視覚的な力がある。
ジャケットの大きさもいい。絵を眺め、さわり、ライナーノートを読みながら・・・。
本来、とがったもので溝を削り続けるわけだから消耗品のはずだが、たぶんCDなどよりははるかに後世にに残しやすい媒体なのだと思う。

寺島靖国というジャズ評論家の本を読む・・・というほどのものでもないが、眺めながらレコードを聴く。本のうしろのジャズ喫茶案内を見る。昔は今の西武の裏の内田鶏肉屋さんの地下がスワンというジャズ喫茶だったのだが今は引っ越してどこかにあるのだろうか。本では緑町となっている、ただし15年まえだ。でも埼玉県に2軒しかないうちの一件がここ所沢だ、これは誇りだと思う、浦和・大宮・川口・川越でもない。
一関のベイシーは、大豆視察の折りや栗駒山行のの折りにはいつも見逃していた。いつか行ってみたいのだが。

2014年5月9日金曜日

にわかにかき曇って

雷様と突然の雨。風も吹く。気温も急降下。
その日と翌日のお天気予報はほんとによく当たるようになった。
家の中でじっとしている。

お子様もどき座椅子とパソコンの所の椅子に強いた穴あき円形座布団がいい。とにかく座骨というか右太ももというかいたいやらしびれるやら。クッションを入れるとだいぶいい。車ももっとふかふかのをしいたほうがいいのかもしれない。

ことばの重み、ということを意識するようになっても自分の書くのは殴り書きみたようではずかしい限りだ。ただ書くことで収入を得ているわけでもないので・・・・なんていいわけは、良くないのかね。

思えば子供のころ国語はだいきらいであった。でも本は良く読んだ。
国語のテストがだいきらいであった。
考えてみると、僭越かもしれないが、国語のテストを作っている先生自体がわかっていなかったんじゃないのと思うようになる。でも現実にものすごく国語の良くできた子は存在した。とてもませていて自分より10歳、20歳も頭やこころの中が進んでいるものと思っていた、ずーっと今の今まで思っていた。そして物書きとはこの世でもっとも"ませた"ひと、こころの早熟なひとと考えていた。
知識人と称するああいうむつかしい言葉で簡単なことをおおげさにいえる人ってすごいことだなとずーっと思っていた。自分はバカだなと思っていた。

でもなんとなくほっとしてしまったきのう今日である。
ほっとしていいものかどうかは疑問だけれど、すなおに目の前で起こったこと、自分なりの考え・推論を簡単な言葉で書いていけばいいのだろう。
起承転結・・・ときちんと書いて90点以上と国語の先生は採点してはくれないだろうけれど気持ち・とおおまかな意味が伝わればそれでよしとしてもらうしかない。
というわけで安心してブログを続ければいい。
忙しければ、気が向かなければ休めばいい。
こんなこと書いてる間に晴れてきた。
忙しいお天気だ。

インターネットは量としてはインチキ・ジャンク情報のほうが多いと思うけれど、逆にマスコミ・メディア・公権力等によって権威付けされた情報より真実のものもある。大きくなりすぎたもの・強くなりすぎたものには保身のテクニックが施されているものだ。自分の頭で考え・かんぐってみなければならない。・・・疲れるけれど。それだけ情報の洪水の激流を漕ぐ櫂さばきは大変なんだろうけれども人生とはまあこんなもんだろう。のんびりと霞をくってというのは、起こりえない。

2014年5月7日水曜日

Nさんのブログを読んで

いて、身につまされる思いがしてしまう。
ここまできびしく言葉を吟味して読んだことは、こと自分の特殊な分野のことを除けば、まずない。はずかしい限りだ。
そもそも丸山眞男は自分らの頃は"批判してはいけない対象"とあがめられていた"神体"みたいな存在で、「なんだ、バカが」といわれるのが関の山だった。
その時代時代の権威といわれるものはみんなそうだろう。
それだけにそのシンパというか弟子たちがごますり三昧の言論界を形成し、オピニオンリーダーとはなんぞやと首をかしげてしまうことしきりである。
どんな業界でも一度権威化つまり権力と化したものは真摯に現実・事実に対峙しようとしなくなる。見苦しいレベルになると、単なる保身となってしまう。
現代だと大江健三郎、村上春樹、科学の世界や数学の世界でもあるのだろう、身近では"有機"である。かてて加えてこういうものに国家がお墨付きを与える。
みんながいいというからオラもいいと言わなきゃみっともねえよ・・・か。
現場を知らない者はマスコミの喧伝する"きれいごと"にころっといってしまう。
ことばの概念規定がきちんとしていないまま、あおりあおられるような言葉遣いをしたり現場で現実に起こったことのきちんとした証拠の確認のないままイメージを読者に自由にいだかせるようなことばの使い方は知識人のすることではない。"知的"のコーティングは10年、15年たったペンキのごとくいずれは自然にはがれてしまう。
もっともプラトンにしてもアリストテレスにしても、マルクスにしてものちのちのたたき台になるほどの知的産物は話が別。やはり時間のフィルターは必要だけれど、ほんとに頭のいいひとは見抜いてしまうものなのだとNさんのブログで感じた。
なんとなくのイメージだけのことばを駆使した物言いに警戒せよということだ。
そんなわけで"ことばに生きるひとたち"、"思考の伝達者"たちというものは一語一語、一文一文にいのちをかけて考えを組み立て・ひとに伝えていかなければならない。
大量生産の売文業とかキャッチコピー屋とか軽薄の極み領域はあいかわらず元気だけれども。

座敷のテーブルで本を読むためにお子様用みたいな椅子を買う。少し具合がいい。いわゆる普通の事務で使う椅子・机はパソコンのところにしかなく本を読むのはもっぱら座卓レベルである。年を取るとみんなこうなっちゃうのかしらね。通勤電車の椅子で正座しているおばあちゃんが笑えなくなってきた。

30代、40代のイベント屋といわれたころの資料やらノートやらがいっぱい出てきた。ノートを少しとっといてみんな燃やしてしまった。"まちづくり"のオンパレードだ。みんなインチキであった。


2014年5月6日火曜日

NHKでは

大型連休としかいわないようだ。
だれが作った造語かしらないがいろんな辞書にはすでに載っかっていると思うんだけれど、「よろん(世論)」のしかえしだろうか。

のんびりとできた連休であった。
物置の本をしまった茶箱やプラスチック・コンテナー、スチール棚・家具をひっかきまわしてはねずみさんやカビのにおいのした本を座敷にもってきたものだから座敷がくさい。お盆になったらどかしたほうがいいかな。もっともそのころは時間の経過でにおいが飛んでいるだろうか。"知的"を総身ににコーティングしたインテリ、と対極にあるような渡辺惇一さんが逝った。家内は良く読んでいたようで、女性にもてたお医者さん作家のようだ。物置の二階には彼の本がたくさんあった。

旧知のKくんからメール。うれしかった。実は自分も今頃彼はどうしているんだろうかと気になっていたところで、電話でもしようと思っていたところだ。気持ちが通じたのだろうか。

きょうはレコードをすこしひっかきまわしてみた。
これは本と違って完璧にふたがされている茶箱やプラスチックケースに入っているので、においはそれなりにかび臭さが少しあっただけである。
大塚博堂とかボブ・ディランとかイヴ・モンタン、イヴ・デュティユ、渡辺貞夫とか富良野の「北海へそ祭り音頭」とかブルーノートやプレステージのジャズ、大好きだったワルターやマタチッチ、クレンペラーのすり減りの極めの盤、高崎音楽大学のホールまでまでかけつけて聞いたニレジハージの録音、そしてなによりも初めて買ったクラシックのLPであるサヴァリッシュ/ウィーン響のベートーベンの『田園』といったふうにもっともすりへらしたレコードたちがはいっている箱にたまたまあたったわけである。サヴァリッシュなどはまだステレオをもっていなかったころで、たしか先っぽに針のついた幅広カンチレバーを交換する卓上再生機であったように思う。父親は蓄音機は使っていたけれど、戦後はステレオは買ってはいなかった。こうやって手に入れた音楽情報というものはその後の"あふれかえった現在の"情報源と比べると、種類は数えるほどしかないとはいえ実によく聞いたものだ。やがてカセットを買い、いろんなものを録音。情報源はたまる一方になったが、ちっとも聞かなくなった。本もそうだ。・・・・でも高校の日本史の佐々木先生による「積ん読のススメ」は、今になって意味がわかってきたとはいうものの、とても自分の残された時間内には無理かなと思う。佐々木先生といえば、欧米人を"ケト"といって笑いものにしていたのをいまでも楽しく思い出す。もう時効だろう。もひとつ逸話で、4時間目にプールでくたくたになりお昼をはさんで5時間目の始まりのあとずっと寝ていて気がついたら授業が終わっていたということもあったっけ。一番うしろの席だったけど、先生は気づいていたとは思うのだが。

あしたもレコードひっかきまわそう。
書き忘れたけどアルヘリッチのチャイコフスキーの一番を45回転で録音したもの(指揮はコンドラシンだったかなと思う)、ミッシャ・マイスキーとのデュオのレコードも部屋に持ってきた。
もっとも大切なものはもちろん、そもそも家の中にしまってはあるけれども・・・・。
太田裕美とビル・エヴァンスといくつかの45回転レコード。
たぶんレコードはカセットとならび今後見放すことはないと思う。
それと、新しい演奏家は「もういいや」ということかもしれない。
過去に埋没しよう。

2014年5月4日日曜日

いい天気でなんにもすることがない

というのもいいもんで家にいる。来月になればめちゃくちゃ忙しくなる。今年は面積も広がっているので、まずは畝の線引をいっぺんに3畝くらいできるような道具をつくろう。ここのところやめていた手押しの種まき機「健豆使」も再稼働といこう。サンサンネット100メートルはあと3本くらい買おうかな、これだけで5万。
麦についても読書していこう。自分の農のスタイルは本と聞き学問と実地の経験則だけなので時間はかかる。判断は自分の頭だけでする。無駄だらけだろうが、うまくいったときの達成感はこの上ない・・・が、残された人生の時間はそんなにない。
でも受験勉強みたいな"効率"最優先の学びの効用は無視。
結局今のスタイルでいいだろう。
自分のほかの分野同様、無駄がすべて教養だ。・・・とはいえ今年は還暦。
年齢・効率は気にしない方がいいとはいうもののやはり全力疾走しかない。

きょうは豆腐屋のページをたくさん書いたぞ。 リンク

The Swerve ももうすぐ終わる。
swerveというのは to change course suddenly なので今まで転換点というふうに思いこんでいた・・・本の内容からも、また本の副題How the Renaissance began?からもそれが主眼と考えていたが、最後の単元がswerveそのもので内容から"逸脱"という意味が正しいのかもしれないが含みとしては"突然方向が変わる"ことをふまえ転換点のニュアンスも掛け持っていることで正しいのだと思う。逸脱と転換では、日本語の場合別の言葉と考えた方がいい。翻訳は全く同一の他言語に置き換えることは多くの場合不可能だと感じる。共有する意味を持っていても、全体としてはつまりニュアンス・他意義までからめると同じ言葉とはいえないものだ。
座敷にずーっとかしこまっていたので座骨がいたい。
座敷にミニ書棚をもうけたのでねずみの小便くさくなる。古い本の出し過ぎかな?

『眠狂四郎 炎情剣』を観る。悪役マドンナは中村玉緒だろうか。
映像の美しさというかカメラワークのすばらしさに驚く。絵が美しい。陰影礼賛の美を心ゆくまで楽しめた。ストーリーより絵ばかりが気になった珍しい映画鑑賞でした。日本人のカメラワーク・・・というよりこの映画を撮ったひとだけの功績かもしれないが、こういう写真の音声を理解できる同国人でよかった。


2014年5月2日金曜日

最近

棚からぼたもちというのはほとんどないが、きのうもらったぼたもちはほんとにうまいぼたもちだった。
父がきなこもちが好きだったので月命日の朝はいつもきなこもちで、ここのところあんこのぼたもちというものを食ったことがない。バター・クリーム系は健康のためにめったにたべなくなってあんこ系の甘味しか食べなくなってはいるものの、あんこそのもののぼたもちというものはここ一年食べたことがなかったような気がする。
きのうのはかるーい甘さのつぶあんで味ばかりでなくあんこの付け方・形まで非常に上品であった。こしあんが上品で粒あんがいなかもの、なんてだれがきめつけたのだろう。きのうの粒あんには気品がただよっていた。
食べ物に気品は大切である。味、食感、見た目。
教わること大であった。
結局ひとりで全部食べてしまった。
それにしてもきょうは暑かった。
今キーボードをたたいている自分は、シャツ一枚である。
心地よい。
日もずいぶんとのびたもんだ。
夕方6時半、といってもおかしくない時期になった。

レモンがたくさんつぼみを付けている、はたして実はいくつなるだろうか。
ゆずはやっとこさつぼみが散見できるようになる、ひょっとしてこれで終わりかな?去年は一本に300くらいなったんだけれども。
やまぶどうは3年目で去年の何倍も房の数がある。花の状態を見逃してしまった。
巨峰はMさんがやぐらを組んでくれた。今年はなるかな?
さかきの新芽がいっぱい。おいなりさんに挿してある2枝は途中1回水を換えただけだがいまだにきれい。これなら家の中の神社もプラスチックからほんものに換えてしまおうかな。
海棠は花が終わり、今は出たての葉っぱに緑色の卵様のものがよく付いているので指でこまめにつぶしてやる。今まで太い幹をはっていた純白の羽付き成虫はこれらの成虫だろうか。とにかくまるまった葉っぱはひらいてやるとかならず中には真っ白けの成虫か緑色の卵が付いている。
しかし今年は毎日毎日海棠と良くつきあってきたものだ。母の大切にしていたものはやはり大切だ。