扇風機を使ったけど、30度にはなったのかしら。
我が家には一カ所、お勝手だけ、にしかクーラーがないので事実上クーラーの生活とはまったく縁がない。お勝手のクーラーにしても例年使うのは年間10日程度だと思う。しかも自分だけ。
父が亡くなってからは母屋の座敷にいるのでまあ涼しいと言えば普通よりは涼しいのだろうが、蒸れているときは世間とまったく同じだろう。
どういうわけか汗だらだらの時ほど読書欲がわくんだけれどもどういうわけだろうか。
本を読むこと、考えることの楽しみ・大切さをNさんのブログで教わる。
自分は書物に大豆と豆腐が助っ人してくれている。
書物だけで物事を組み立てるのはよほどの天才的な"言葉にいきる"ひとを除いてはとても危険の多いことに思われる。
かといって政治のように"あおりあおられ"のことばに生きるのもきわめて軽薄・危険であることはすぐわかる。
ことばは重い、とはいってもこんなにひとを傷つけ打ちのめす武器もない。
仕事や読書、対人関係・・・いろんなことのインターミングル(intermingled)が生産する"なにか"が自分オリジナルの生産物だ、この世にひとつしかない・・・だけどひとに訴える何かをもっているはずだ、という希望によりすがりながら60以後を生きていくしかない。いつ召されてもしかたない、それはそれで"そういうものだ"ということだろう。
びっくり語、修飾語、漢語の抽象語・・・をなるべく使わないことにこころがけようと思ってもついそれが出てきてしまう。自分はよくても結構よそのひとからみたらちんぷんかんぷんを平気でやっているのかもしれない。でも前後関係から・・・、なんていいわけで許してもらえるかな。
イヴ・デュテイユのレコードがよかった。
林田 遼右/福井芳男でフランス語講座をやっていたころの今月の歌で出てきた歌手だがやさしい声質で詩も旋律もいい。『妖精たち』というレコード。ちょっと懲りそうだ。
何枚かシャンソンのレコードが茶箱の中にあったので引っ張り出してほこりを払って待機させてある。
近所の"やっさん"の『還暦 日本一周自転車旅行記』(私家版)を今楽しみながら読んでいる。
このなかに50ccのバイクで東北一周だったかな日本一周とかいう登場人物が出てきて、自分にもホンダの50ccのカブなら・・・、なんて考えてしまった。ただメカがわからないと無理だろうな、故障の時ね。
田宮次郎の『必殺仕掛け人』を見る。
最初の方の画面で肉豆腐いやいやすき焼き(すき焼きは明治からか?)のなべをつつく景色がほほえましかった。池波さんの作品は食べ物のところをとても大切に描いてくれる。
映像も陰影が美しくこないだの眠狂四郎みたいであった。
町屋の原色の描き出す風景が意外と落ち着いて感じられるのはやはり日本人からなのだろうか。ちっともぎらぎらとしてはいない。・・・岡場所ですら。
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