農作業しました。
3反うなり、別圃場にはやや堆肥化した脱穀殻をまきましたが結構力仕事になりました。
そんなに暑くも寒くもなくさわやかな外仕事です。
夕方クリスティの「ミス・マープル」の古い映画のビデオを見ましたがNHKでやったカラー版のうち岸田今日子さんが吹き替えをやったマープル役の女性のがいちばん良かったかな。
ここのところ用事で出かけることが多くちょいと疲れていて、きのうなど夢の中で雷が鳴っていたと今朝覚えていたのですが実はほんとに雷が鳴っていたとのことでした。朝地面はびっしょりでかなり降った感じでした。雷が鳴っていたのは8-9時頃とか言っていたのでそうとう早く寝てしまったようです、夜中に起きることもありませんでした。
ページビューの合計
2016年3月29日火曜日
2016年3月19日土曜日
テレビ朝日の
ごはんジャパンという番組がすばらしかったです。
房総の巻でしたが、終了間近で春の山菜のにがみについて生物学者が説明していました。
発芽して自らの防備、つまり害虫や動物たちにたべられないようにするため。
しかもそのあとに付け加えた先生の言がすばらしかったです。
その植物たちの防備バリケードを食す工夫・粋、にがみを「うまさ」の手助け人にしてしまうこと、ここにこそ日本料理のエッセンスがあるとかなんとかの説明がすばらしかったです。
友人から教わった辻嘉一の「あくは力なり」ということばの説明が、きょうの番組に完璧に説明されていました。完璧に、コンプレットモン、completely。
大豆の皮にはえぐみがあります。
しかし大豆を煮るには脱皮すべきではありません。
脱皮大豆だらけの豆腐業界、豆乳業界。
自分の主張してきたことにおおきな味方をまた得ました。
きょうはおいしいおまんじゅう・おはぎともにいい日でした。
Many Thanks です。
房総の巻でしたが、終了間近で春の山菜のにがみについて生物学者が説明していました。
発芽して自らの防備、つまり害虫や動物たちにたべられないようにするため。
しかもそのあとに付け加えた先生の言がすばらしかったです。
その植物たちの防備バリケードを食す工夫・粋、にがみを「うまさ」の手助け人にしてしまうこと、ここにこそ日本料理のエッセンスがあるとかなんとかの説明がすばらしかったです。
友人から教わった辻嘉一の「あくは力なり」ということばの説明が、きょうの番組に完璧に説明されていました。完璧に、コンプレットモン、completely。
大豆の皮にはえぐみがあります。
しかし大豆を煮るには脱皮すべきではありません。
脱皮大豆だらけの豆腐業界、豆乳業界。
自分の主張してきたことにおおきな味方をまた得ました。
きょうはおいしいおまんじゅう・おはぎともにいい日でした。
Many Thanks です。
2016年3月17日木曜日
きょうは彼岸の入り
だったんですね。
座敷が片付けてあったりしたので何かと思っていたらさっそく3家挨拶に来ました。
雑用で忙しくあっという間に夕方になってしまいました。
清原保釈。
トンネル事故。
シリアで日本人記者拘束。
・・・・・。
沖縄から電話。
小平から連絡。
北海道から電話。
平凡に過ぎていく一日。
桜ももうすぐ。
夕飯時にテレビを見ていると、出演者の作になる俳句の添削と、生け花の添削。
日本の永い時間を背負ったふたつの文化。
ときどき見ていますがおもしろいです。
俳句は普通の庶民にはほとんど縁無く一生を終わってしまうのでしょうね。添削する先生のことばがおもしろく、こういったものに決定的な正解というものはないのでしょうが文章の書き方とかことばのコンビネーション、トートロジー(同語・同義反復)の禁止、破格・・・等々とさまざまなことを教わります。型ばかりでなく型の意義まで感じ取れます。
英語の早期教育、しかも挨拶程度になんの意味があるのか考え込んでしまいます。
生け花も同じことで、とてもおもしろいです。盆栽同様「生きているものを人間のわがままに合わせて組み替える」作業に非常に不快感を感じるひともおおいでしょうが、世にある芸術性を帯びたものはみんなこのたぐいであることを思えば人間の営みそのものの意義を考えざるをえなくなるしくみです。ひとが「いきている」とは実にやっかいなことではありますが、生きていること自体が喜劇であり語るに値するものなのかなと感じます。・・・なんてこといいながらも、ひとの生き方にけちをつけてばかりなのが人間の性なのですが。
お茶の作法も外部からみると「形式そのもの=うんざり、非創造そのもの・・・」とくるわけですが実際には多くの仕草のよいところの集大成なのでしょうね。一時反抗して常道をはずれて「個性的、創造的」を標榜してその道を邁進しても知らず知らずのうちに「型」にどこか似ていってしまうことが多々あります、すべてそうだというわけではありませんが。
親に師匠に逆らって自分の独創性を誇示して生きていてもいつのまにか先人と似たようなものに成なっている自分をみてくすりとしてしまうことがたくさんあります。
年取ったのかな。
座敷が片付けてあったりしたので何かと思っていたらさっそく3家挨拶に来ました。
雑用で忙しくあっという間に夕方になってしまいました。
清原保釈。
トンネル事故。
シリアで日本人記者拘束。
・・・・・。
沖縄から電話。
小平から連絡。
北海道から電話。
平凡に過ぎていく一日。
桜ももうすぐ。
夕飯時にテレビを見ていると、出演者の作になる俳句の添削と、生け花の添削。
日本の永い時間を背負ったふたつの文化。
ときどき見ていますがおもしろいです。
俳句は普通の庶民にはほとんど縁無く一生を終わってしまうのでしょうね。添削する先生のことばがおもしろく、こういったものに決定的な正解というものはないのでしょうが文章の書き方とかことばのコンビネーション、トートロジー(同語・同義反復)の禁止、破格・・・等々とさまざまなことを教わります。型ばかりでなく型の意義まで感じ取れます。
英語の早期教育、しかも挨拶程度になんの意味があるのか考え込んでしまいます。
生け花も同じことで、とてもおもしろいです。盆栽同様「生きているものを人間のわがままに合わせて組み替える」作業に非常に不快感を感じるひともおおいでしょうが、世にある芸術性を帯びたものはみんなこのたぐいであることを思えば人間の営みそのものの意義を考えざるをえなくなるしくみです。ひとが「いきている」とは実にやっかいなことではありますが、生きていること自体が喜劇であり語るに値するものなのかなと感じます。・・・なんてこといいながらも、ひとの生き方にけちをつけてばかりなのが人間の性なのですが。
お茶の作法も外部からみると「形式そのもの=うんざり、非創造そのもの・・・」とくるわけですが実際には多くの仕草のよいところの集大成なのでしょうね。一時反抗して常道をはずれて「個性的、創造的」を標榜してその道を邁進しても知らず知らずのうちに「型」にどこか似ていってしまうことが多々あります、すべてそうだというわけではありませんが。
親に師匠に逆らって自分の独創性を誇示して生きていてもいつのまにか先人と似たようなものに成なっている自分をみてくすりとしてしまうことがたくさんあります。
年取ったのかな。
2016年3月14日月曜日
旭山動物園で
キリンさんが人造の木の枝と枝の間に首がはさまって身動きできなくて大騒ぎしているニュース映像を流していました。
雪の中で歩き回っている熱帯のキリンにもびつくりしましたが、動物たちを来園者にみせることを「展示」ということばを使っているのにもおどろかせました。
取材したひとが動物園側が「展示」ということばを使ったのをうけてそのまま使ったのだと思いますが、この業界の基準語なのでしょうね。
動物愛護"法"などといいながら、法の規定するところに拠れば「動物を虐待したり死に至らしめたりする」ことに関して"器物損壊"などということを使っていることを考えると、ごく自然なことばの使い方なんでしょうかね、一般の市民からするととても異様な感じがしますがね。
小曽根真とNYフィルとのコンサートの映像をみました。
このオケでも日本人・日系と思われる東洋人の顔がたくさん見受けられました。
オケをバックに前面がピアノ二重奏(二台)による愉快な語り付きのコンサートでした(動物の謝肉祭)。
カーネギー・ホールでなんとヤマハのピアノを小曽根さんは弾いていました。
洋の東西を問わず「ヤマハはねえ?」というのが世の常識になっていてというかネコも杓子もシュタインウェイというのが時流なので、おどろいたというか逆にうれしくもなりました。
テレビの音ではまったくピアノの差というのは聞き分けできませんが、ヤマハとシュタインウェイが並んで音を出している光景は楽しかったです。
雪の中で歩き回っている熱帯のキリンにもびつくりしましたが、動物たちを来園者にみせることを「展示」ということばを使っているのにもおどろかせました。
取材したひとが動物園側が「展示」ということばを使ったのをうけてそのまま使ったのだと思いますが、この業界の基準語なのでしょうね。
動物愛護"法"などといいながら、法の規定するところに拠れば「動物を虐待したり死に至らしめたりする」ことに関して"器物損壊"などということを使っていることを考えると、ごく自然なことばの使い方なんでしょうかね、一般の市民からするととても異様な感じがしますがね。
小曽根真とNYフィルとのコンサートの映像をみました。
このオケでも日本人・日系と思われる東洋人の顔がたくさん見受けられました。
オケをバックに前面がピアノ二重奏(二台)による愉快な語り付きのコンサートでした(動物の謝肉祭)。
カーネギー・ホールでなんとヤマハのピアノを小曽根さんは弾いていました。
洋の東西を問わず「ヤマハはねえ?」というのが世の常識になっていてというかネコも杓子もシュタインウェイというのが時流なので、おどろいたというか逆にうれしくもなりました。
テレビの音ではまったくピアノの差というのは聞き分けできませんが、ヤマハとシュタインウェイが並んで音を出している光景は楽しかったです。
2016年3月7日月曜日
整体、
きょうのは痛かったです
特に肩の右下、頸椎がひどく体を何も使ってないのにと考え込んでしまいました。
車の運転姿勢、いすに永くすわっていること・・・再手選別のやり過ぎかな?、・・・思い当たることはやはりたしかにいろいろとあるように思われます。
寝相が悪いのはいいそうで、むしろよれよれになって動かなくなるほうがよくないとのことでした。"均等に"筋肉に力が加わることが大事とか。
トラクターの様子を機械屋さんが見に来てくれました。
エンジンの焼き付けではなくエンジンに燃料が入る前のフィルター部分の故障だろうといってました。冷却水が黄色っぽくなっていたりと、たぶん燃料に水やヘドロがまじっていたのではないかとのことでした。ポリタンクの底によく水が入っていたり燃料注入口がさびていたりあるいはそこからほこり・ゴミが入ることがつもりつもってこういう不具合に達することがあるとのことでした。
エンジン焼き付けだと修理不能・・・エンジン取り替えというテクニックをもった直し屋さんもいるとのことですが。
フィルター修理で30-40万くらいかかりそうでこれまた出費となりますが、おととしの最終オーバーホールで50万かかったのでこりゃ修理にかけ過ぎかなとも思いましたが父が買った古い時代(15-20年前)のアナログ全盛期のものなのでやっぱしまだまだ使いたいという気がするのです。
もっともシーダー(種まき機)をつけて作業性をあげたいという思いもあるので新品も欲しいのですが今年も金穴状態なので倉庫のペンキと車の取り替えで終わりそうです。
車の取り替えは今年で終了です。
全部軽自動車にします。
畑のトラック以外全部会社名義にします。
トラクターがシーダーのアタッチメントを付け、20馬力くらいだとすると250万くらいするのでそれはもうちょいとしてからです・・・とはいっても今回の修理がひょっとしたら不可能ということもあり得るのでそのときはどうしましょうかね。
とにかくうなったばかりのふわふわ畑からトラクターを脱出することがまず第一です、大変そうです。
パソコンの脇に書棚があって諸辞書。
シェイクスピア数冊。
打田鍈一さんの著書数冊。
石井光造さんの著書数冊。
そしてなんと佐々木高政の「和文英訳の修行」、山崎貞の「新々英文解釈研究」、旺文社の(中学生向き)人名辞典(厚みが8センチくらいかな?)、誠文堂新光社の「わかりやすい時計学」といった40-50年前の愛読本が。
これらはトイレの中で読むもので気ままにページを開いて一ページ、数行といった感じで読んでいます。坂崎乙郎先生の本もあり、なにがしか縁のあったあるいは今でもあるひとたちのご本に取り囲まれて・・・いやいや見守っていただいて、パソコンのキーボードをたたいています。
紙の本に見守っていられるのって幸せなことです。
NHK-BSでやったパリからアムステルダム(だったかな)までマイ・舟で運河をひと月ほど旅する番組があり定年直後の夫婦、40ちょい過ぎの夫婦と10歳くらいの娘といった2家族の旅の記録がとてもよかったです、きのうの話。
みているものに考えることをうながす番組っていいですね。
特に肩の右下、頸椎がひどく体を何も使ってないのにと考え込んでしまいました。
車の運転姿勢、いすに永くすわっていること・・・再手選別のやり過ぎかな?、・・・思い当たることはやはりたしかにいろいろとあるように思われます。
寝相が悪いのはいいそうで、むしろよれよれになって動かなくなるほうがよくないとのことでした。"均等に"筋肉に力が加わることが大事とか。
トラクターの様子を機械屋さんが見に来てくれました。
エンジンの焼き付けではなくエンジンに燃料が入る前のフィルター部分の故障だろうといってました。冷却水が黄色っぽくなっていたりと、たぶん燃料に水やヘドロがまじっていたのではないかとのことでした。ポリタンクの底によく水が入っていたり燃料注入口がさびていたりあるいはそこからほこり・ゴミが入ることがつもりつもってこういう不具合に達することがあるとのことでした。
エンジン焼き付けだと修理不能・・・エンジン取り替えというテクニックをもった直し屋さんもいるとのことですが。
フィルター修理で30-40万くらいかかりそうでこれまた出費となりますが、おととしの最終オーバーホールで50万かかったのでこりゃ修理にかけ過ぎかなとも思いましたが父が買った古い時代(15-20年前)のアナログ全盛期のものなのでやっぱしまだまだ使いたいという気がするのです。
もっともシーダー(種まき機)をつけて作業性をあげたいという思いもあるので新品も欲しいのですが今年も金穴状態なので倉庫のペンキと車の取り替えで終わりそうです。
車の取り替えは今年で終了です。
全部軽自動車にします。
畑のトラック以外全部会社名義にします。
トラクターがシーダーのアタッチメントを付け、20馬力くらいだとすると250万くらいするのでそれはもうちょいとしてからです・・・とはいっても今回の修理がひょっとしたら不可能ということもあり得るのでそのときはどうしましょうかね。
とにかくうなったばかりのふわふわ畑からトラクターを脱出することがまず第一です、大変そうです。
パソコンの脇に書棚があって諸辞書。
シェイクスピア数冊。
打田鍈一さんの著書数冊。
石井光造さんの著書数冊。
そしてなんと佐々木高政の「和文英訳の修行」、山崎貞の「新々英文解釈研究」、旺文社の(中学生向き)人名辞典(厚みが8センチくらいかな?)、誠文堂新光社の「わかりやすい時計学」といった40-50年前の愛読本が。
これらはトイレの中で読むもので気ままにページを開いて一ページ、数行といった感じで読んでいます。坂崎乙郎先生の本もあり、なにがしか縁のあったあるいは今でもあるひとたちのご本に取り囲まれて・・・いやいや見守っていただいて、パソコンのキーボードをたたいています。
紙の本に見守っていられるのって幸せなことです。
NHK-BSでやったパリからアムステルダム(だったかな)までマイ・舟で運河をひと月ほど旅する番組があり定年直後の夫婦、40ちょい過ぎの夫婦と10歳くらいの娘といった2家族の旅の記録がとてもよかったです、きのうの話。
みているものに考えることをうながす番組っていいですね。
2016年3月3日木曜日
バッハは
歌、ブラームスは構成。
バッハのチクルスを数年かけてこなしてきた堀米ゆず子さんの見解が一週間くらい前の夕刊の文化欄に載っていました。
教科書的にはバッハは構成・構造、ブラームスは旋律・・・というふうに刷り込みされているのが楽器も楽譜もとんちんかんの音楽好きには"常識"に近いものになっているのかもしれませんが、"うたわせる"デーモンに取り憑かれたグールドの演奏を聴いていると堀米さんの言はむべなるかなということになります。
どちらもただしいと思うのですが。
Mが音大のピアノ科にいたころ、つまり45年くらい前には「グールドを聞くことはまかりなりませぬ」というのが音楽教育界の常識だったのだと思いますが、音楽のテストの時「山下君、こぶしを入れないでね」といつも先生に注意されていた自分のことを考えると"基本の基本"には「うたってはいけない、スウィングしてはいけない」というガイドラインがあるようでもし自分が教える側だったらやはり同じようなことを考えたであろうことは簡単に想像できます。
豆腐製造もそうで、ほんとに魅力的な・うまい・楽しい豆腐というものはがちがちのルールをきっちりと守ってできあがったものではないということはたくさんのひとに食べてもらった感想からすると真実です。
完璧、なだけではだめです。
完璧とは一般に"構成、構造"のことをいうのだと思います。
完璧・完全を知った上で少し"ずらしてやる"あるいは"うたうこと"が大切なのです。
豆腐づくりも"うたう"ことが大切です。
しかしこれは基本の基本を自由自在にあやつることでもあり、もちろん底辺にある通奏低音はきちんと利かしていなければなりません。
基本の基本とはたしかに"ひとのまね、他人を引用"ということにニアリー・イーコール(nearly equal)なのですが、それだけに終わらないのは製造・製作するひとの人生・教養がかかわっているからです。
他人の引用はほんとに何度もかみしめ・反芻して自分の栄養になってから初めて有効になるもので、やたらと"えらいひとのものまね・引用"をするひとは単なる虎の衣を借りてなんとやらの世界だと思います。時間を違えれば引用の意味も微妙に変わってくる。オリとなってかさなった人生の教養がそうさせます。
すべてはものまねから始まる。
でも・・・、なのです。
努力しないといけませんね。
努力するかぎりひとは迷うものです。
でも迷うことから様々な知恵や人間の弱さ・強さ・かわいさを知るのだと思います。
カネや虚名を追うだけの世界にはこういうのって通用しないんでしょうね。
バッハのチクルスを数年かけてこなしてきた堀米ゆず子さんの見解が一週間くらい前の夕刊の文化欄に載っていました。
教科書的にはバッハは構成・構造、ブラームスは旋律・・・というふうに刷り込みされているのが楽器も楽譜もとんちんかんの音楽好きには"常識"に近いものになっているのかもしれませんが、"うたわせる"デーモンに取り憑かれたグールドの演奏を聴いていると堀米さんの言はむべなるかなということになります。
どちらもただしいと思うのですが。
Mが音大のピアノ科にいたころ、つまり45年くらい前には「グールドを聞くことはまかりなりませぬ」というのが音楽教育界の常識だったのだと思いますが、音楽のテストの時「山下君、こぶしを入れないでね」といつも先生に注意されていた自分のことを考えると"基本の基本"には「うたってはいけない、スウィングしてはいけない」というガイドラインがあるようでもし自分が教える側だったらやはり同じようなことを考えたであろうことは簡単に想像できます。
豆腐製造もそうで、ほんとに魅力的な・うまい・楽しい豆腐というものはがちがちのルールをきっちりと守ってできあがったものではないということはたくさんのひとに食べてもらった感想からすると真実です。
完璧、なだけではだめです。
完璧とは一般に"構成、構造"のことをいうのだと思います。
完璧・完全を知った上で少し"ずらしてやる"あるいは"うたうこと"が大切なのです。
豆腐づくりも"うたう"ことが大切です。
しかしこれは基本の基本を自由自在にあやつることでもあり、もちろん底辺にある通奏低音はきちんと利かしていなければなりません。
基本の基本とはたしかに"ひとのまね、他人を引用"ということにニアリー・イーコール(nearly equal)なのですが、それだけに終わらないのは製造・製作するひとの人生・教養がかかわっているからです。
他人の引用はほんとに何度もかみしめ・反芻して自分の栄養になってから初めて有効になるもので、やたらと"えらいひとのものまね・引用"をするひとは単なる虎の衣を借りてなんとやらの世界だと思います。時間を違えれば引用の意味も微妙に変わってくる。オリとなってかさなった人生の教養がそうさせます。
すべてはものまねから始まる。
でも・・・、なのです。
努力しないといけませんね。
努力するかぎりひとは迷うものです。
でも迷うことから様々な知恵や人間の弱さ・強さ・かわいさを知るのだと思います。
カネや虚名を追うだけの世界にはこういうのって通用しないんでしょうね。
登録:
投稿 (Atom)