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2016年3月3日木曜日

バッハは

歌、ブラームスは構成。
バッハのチクルスを数年かけてこなしてきた堀米ゆず子さんの見解が一週間くらい前の夕刊の文化欄に載っていました。
教科書的にはバッハは構成・構造、ブラームスは旋律・・・というふうに刷り込みされているのが楽器も楽譜もとんちんかんの音楽好きには"常識"に近いものになっているのかもしれませんが、"うたわせる"デーモンに取り憑かれたグールドの演奏を聴いていると堀米さんの言はむべなるかなということになります。
どちらもただしいと思うのですが。
Mが音大のピアノ科にいたころ、つまり45年くらい前には「グールドを聞くことはまかりなりませぬ」というのが音楽教育界の常識だったのだと思いますが、音楽のテストの時「山下君、こぶしを入れないでね」といつも先生に注意されていた自分のことを考えると"基本の基本"には「うたってはいけない、スウィングしてはいけない」というガイドラインがあるようでもし自分が教える側だったらやはり同じようなことを考えたであろうことは簡単に想像できます。
豆腐製造もそうで、ほんとに魅力的な・うまい・楽しい豆腐というものはがちがちのルールをきっちりと守ってできあがったものではないということはたくさんのひとに食べてもらった感想からすると真実です。
完璧、なだけではだめです。
完璧とは一般に"構成、構造"のことをいうのだと思います。
完璧・完全を知った上で少し"ずらしてやる"あるいは"うたうこと"が大切なのです。
豆腐づくりも"うたう"ことが大切です。
しかしこれは基本の基本を自由自在にあやつることでもあり、もちろん底辺にある通奏低音はきちんと利かしていなければなりません。
基本の基本とはたしかに"ひとのまね、他人を引用"ということにニアリー・イーコール(nearly equal)なのですが、それだけに終わらないのは製造・製作するひとの人生・教養がかかわっているからです。
他人の引用はほんとに何度もかみしめ・反芻して自分の栄養になってから初めて有効になるもので、やたらと"えらいひとのものまね・引用"をするひとは単なる虎の衣を借りてなんとやらの世界だと思います。時間を違えれば引用の意味も微妙に変わってくる。オリとなってかさなった人生の教養がそうさせます。

すべてはものまねから始まる。
でも・・・、なのです。
努力しないといけませんね。
努力するかぎりひとは迷うものです。
でも迷うことから様々な知恵や人間の弱さ・強さ・かわいさを知るのだと思います。
カネや虚名を追うだけの世界にはこういうのって通用しないんでしょうね。

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