まぶたが重くは感じないがまだ赤い。
精密草むしり、本日をもって100パーセント完了。
あとはぐるぐるとまわって大きいのをひっこぬいていく。
去年より20日早く終わる。
ただし今日の所は台風のことも考えるとたおれるものがたくさん出るのではないかと心配だ。
きょうも疲れた。
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2011年8月31日水曜日
2011年8月30日火曜日
朝起きると
目の腫れがきのうよりひどいことに。
人前に出るのが・・・・・、と気になる。
製造中はまぶたがおもたくてまいった。
こういう日は休んでしまいたいな。
眼科へ行く。
虫(たぶん蛾かな、その鱗粉が目の中に?)が目の中に置いていったものへのアレルギーだろうとのこと。
発生した直後より時間がたってひどくなることも、とのこと。
薬をだしてもらい午後はごろごろしていた。
こんなに長い時間ごろごろしていたのは種まき始まって以来初めてだろう。
外は心地よい風のふくいい天気・・・、もったいないような。
武帝、司馬遷、ひとの道、媚びる・立ち回る・・・、と人生についてあれやこれやと考えを巡らす。
60才。・・・やはり、自分の道か?
20、30とあまりに周囲に気を取られ、世間ということの重圧に窒息しそうな日々に苦しめられてきたが今考えるとそれはあまりのきまじめさ/裏返せば単なるバカの生き具合だったのだろう。
今も"世間"は頭の隅にはあるのだが、昔と比べるとだいぶ楽になってきた。
そんな中で司馬遷の一生を思うと、自分ののらりくらりは不真面目そのものであったような気がする。
全く媚びない、立ち回らない司馬遷。
役人などはもっともあわない生涯だったのだろうが、生まれ・環境を考えるとそれしか選択の余地がなかったのだろう。
役人という業界の中で生の真実を追い求めそれゆえにねたまれおそれられた彼の一生は抵抗が大きければ大きいほどファイトがわき出てくるような"撰ばれた"ひとの人生だったのだろう。
追い求めつづけていたのは"道"だ。
導く者は・・・高いところに屈原がいた。
伸介が鑑定団に出ていなかった。
即退場か。
昔のある番組へのクレームからはじまった ごたごたのようだが、番組制作者・吉本興業の対応も非常に悪かったと思う。
テレビは不真面目だ。
司馬遷がテレビというシステムとその権力をみたらなんというだろう。
人前に出るのが・・・・・、と気になる。
製造中はまぶたがおもたくてまいった。
こういう日は休んでしまいたいな。
眼科へ行く。
虫(たぶん蛾かな、その鱗粉が目の中に?)が目の中に置いていったものへのアレルギーだろうとのこと。
発生した直後より時間がたってひどくなることも、とのこと。
薬をだしてもらい午後はごろごろしていた。
こんなに長い時間ごろごろしていたのは種まき始まって以来初めてだろう。
外は心地よい風のふくいい天気・・・、もったいないような。
武帝、司馬遷、ひとの道、媚びる・立ち回る・・・、と人生についてあれやこれやと考えを巡らす。
60才。・・・やはり、自分の道か?
20、30とあまりに周囲に気を取られ、世間ということの重圧に窒息しそうな日々に苦しめられてきたが今考えるとそれはあまりのきまじめさ/裏返せば単なるバカの生き具合だったのだろう。
今も"世間"は頭の隅にはあるのだが、昔と比べるとだいぶ楽になってきた。
そんな中で司馬遷の一生を思うと、自分ののらりくらりは不真面目そのものであったような気がする。
全く媚びない、立ち回らない司馬遷。
役人などはもっともあわない生涯だったのだろうが、生まれ・環境を考えるとそれしか選択の余地がなかったのだろう。
役人という業界の中で生の真実を追い求めそれゆえにねたまれおそれられた彼の一生は抵抗が大きければ大きいほどファイトがわき出てくるような"撰ばれた"ひとの人生だったのだろう。
追い求めつづけていたのは"道"だ。
導く者は・・・高いところに屈原がいた。
伸介が鑑定団に出ていなかった。
即退場か。
昔のある番組へのクレームからはじまった ごたごたのようだが、番組制作者・吉本興業の対応も非常に悪かったと思う。
テレビは不真面目だ。
司馬遷がテレビというシステムとその権力をみたらなんというだろう。
2011年8月29日月曜日
ちいさい虫が
草むしりしているときに左目に入ってしまう。
すぐペットボトルの水で流そうとしたのだが目はいたい、出て行かない。
家に帰って洗面器の水に顔をつけて目をぱちくりしたらごろごろ・ざらざら感はなくなったようだが目はいたい。
ものもらいと違って上も下も腫れてしまった。
売り場ではお客様にどうどうと顔を向けないようにして応対。早く家に帰りたかった。
いま九時半現在でも腫れている、夕方よりひどくなったかな。
早く寝よう。
室伏優勝、よかったね。
民主党も選挙だったのかな。
衆議院の大勝も三年前の八月三十一日だったろう。Kの葬式だったのでよく覚えている。
すぐペットボトルの水で流そうとしたのだが目はいたい、出て行かない。
家に帰って洗面器の水に顔をつけて目をぱちくりしたらごろごろ・ざらざら感はなくなったようだが目はいたい。
ものもらいと違って上も下も腫れてしまった。
売り場ではお客様にどうどうと顔を向けないようにして応対。早く家に帰りたかった。
いま九時半現在でも腫れている、夕方よりひどくなったかな。
早く寝よう。
室伏優勝、よかったね。
民主党も選挙だったのかな。
衆議院の大勝も三年前の八月三十一日だったろう。Kの葬式だったのでよく覚えている。
2011年8月28日日曜日
きのうは体調が悪かったせいか
今朝は頭がいたい、吐き気がする。
2日酔いのようだ。
ましてやきのうは特別な日付だ。
お昼ごろには回復。
かえるの鳴き声でクレーム出すひとがいるんですか?
京都の山際は蝉がにぎやかだったな。
引っ越せばいいと思うんだけど。
あるいは今はやりの30階程度のマンションの一番上の方にでも住めば静かでいいと思うんだけど。それに南北に窓が開けばクーラーなんかほとんどいらないよ。
次の代が住む確率がほとんどない新規の一戸建て住宅、やめたほうがいいと思うんだけど。
最後に種まきした家の裏一枚の草むしり。
ここも手強い。
粘土質の上にさらさら土をのせてもらったので8割方さらさらである。
中耕はしてあるので畝間は生えてない。
株と株の間にメヒシバが多い、おいし草もときおり。オヒシバはあまりない。
オヒシバはばっちり地面にはいつくばって大きくなり作物の成長を阻害するが、メヒシバ(もどき?)よほど"密"でない限りそして大豆の日陰になってしまってればそんなに完璧な草むしりはする必要がないと思う。それよりもこの草を取ることによって大豆の茎の根本がぐらぐらになっしまい倒れてしまうことのほうが困ったことだ。
そこで株の根本周辺は草は大きくないかぎり残しておいてやる。
あとで大きくなったら抜いてやればいい。
闇雲に引っこ抜いてきれいにすればいいというものではないようだ。
あとひとつなっているすいかが地面にじか付けなので網状コンテナで高さのひくいやつを置いてそこにスイカをのせてやる。
さわった限りではまだおいといてもいいように思うが。
ボルトが100メートル決勝でフライング、即失格。
こんなルールはおかしいなあ。
この韓国の世界陸上からのルールらしい。
まあ竹刀でなく真剣で勝負せよということなのだろうか、それとも効率・スピードアップということだろうか。
2日酔いのようだ。
ましてやきのうは特別な日付だ。
お昼ごろには回復。
かえるの鳴き声でクレーム出すひとがいるんですか?
京都の山際は蝉がにぎやかだったな。
引っ越せばいいと思うんだけど。
あるいは今はやりの30階程度のマンションの一番上の方にでも住めば静かでいいと思うんだけど。それに南北に窓が開けばクーラーなんかほとんどいらないよ。
次の代が住む確率がほとんどない新規の一戸建て住宅、やめたほうがいいと思うんだけど。
最後に種まきした家の裏一枚の草むしり。
ここも手強い。
粘土質の上にさらさら土をのせてもらったので8割方さらさらである。
中耕はしてあるので畝間は生えてない。
株と株の間にメヒシバが多い、おいし草もときおり。オヒシバはあまりない。
オヒシバはばっちり地面にはいつくばって大きくなり作物の成長を阻害するが、メヒシバ(もどき?)よほど"密"でない限りそして大豆の日陰になってしまってればそんなに完璧な草むしりはする必要がないと思う。それよりもこの草を取ることによって大豆の茎の根本がぐらぐらになっしまい倒れてしまうことのほうが困ったことだ。
そこで株の根本周辺は草は大きくないかぎり残しておいてやる。
あとで大きくなったら抜いてやればいい。
闇雲に引っこ抜いてきれいにすればいいというものではないようだ。
あとひとつなっているすいかが地面にじか付けなので網状コンテナで高さのひくいやつを置いてそこにスイカをのせてやる。
さわった限りではまだおいといてもいいように思うが。
ボルトが100メートル決勝でフライング、即失格。
こんなルールはおかしいなあ。
この韓国の世界陸上からのルールらしい。
まあ竹刀でなく真剣で勝負せよということなのだろうか、それとも効率・スピードアップということだろうか。
2011年8月27日土曜日
へんな天気だね。
きのうの天気予報では秋雨前線云々ということを言っていた。
まだ8月だよ。
きのうの続きの草むしり。
とうふくしたのが多い。
雨が降るとこういうことになりやすい。
在来種は蒔くタイミングがよかったとしても枝が横に広がりやすいものが多い。
コンバインでは刈り取り不可能である。
手狩りのいいとこで、そのまますっぽっておく。
倒れても株はまた上に向かって伸びていく。
リンゴがみんな落ちていた、2つセーフ。
なしもだいぶ落ちていた。
残りをみんなもぐ。
お盆過ぎたら全部もいでしまうぐらいでいいと思う。
長雨で落ちてしまうのだと思う。
さてさて・・・、4時30分。
まだ8月だよ。
きのうの続きの草むしり。
とうふくしたのが多い。
雨が降るとこういうことになりやすい。
在来種は蒔くタイミングがよかったとしても枝が横に広がりやすいものが多い。
コンバインでは刈り取り不可能である。
手狩りのいいとこで、そのまますっぽっておく。
倒れても株はまた上に向かって伸びていく。
リンゴがみんな落ちていた、2つセーフ。
なしもだいぶ落ちていた。
残りをみんなもぐ。
お盆過ぎたら全部もいでしまうぐらいでいいと思う。
長雨で落ちてしまうのだと思う。
さてさて・・・、4時30分。
2011年8月26日金曜日
白い色は恋人の色。
いい歌だ。
歌詞、旋律、声質・・・8月27日にぴったりの歌だ。
準密藪の一枚をていねいに草むしり。
半分で雨降り。30分ほどびしょびしょで作業。
オヒシバの大きくなったのが多い。
これは大敵である。
挙党一致、挙党態勢・・・どう違うの。
ベースは「処遇」。
こいつら日本のことなど考えてないよ。
しわくちゃのチャップリンのお嬢さん、イレーヌ・パパス、イングリッド・バーグマンそっくりの実の娘イザベラ・ロッセリーニといった具合に大女優たちの出ている『オデッセイ』をみる。
エンターテインメントだがおもしろかった。
というより、バーグマンのお嬢さんがきれいきれいでね。アテネ神の役です。
笑顔にころりといってしまう男性が多いかと思う。
続きをみながら寝よう。
歌詞、旋律、声質・・・8月27日にぴったりの歌だ。
準密藪の一枚をていねいに草むしり。
半分で雨降り。30分ほどびしょびしょで作業。
オヒシバの大きくなったのが多い。
これは大敵である。
挙党一致、挙党態勢・・・どう違うの。
ベースは「処遇」。
こいつら日本のことなど考えてないよ。
しわくちゃのチャップリンのお嬢さん、イレーヌ・パパス、イングリッド・バーグマンそっくりの実の娘イザベラ・ロッセリーニといった具合に大女優たちの出ている『オデッセイ』をみる。
エンターテインメントだがおもしろかった。
というより、バーグマンのお嬢さんがきれいきれいでね。アテネ神の役です。
笑顔にころりといってしまう男性が多いかと思う。
続きをみながら寝よう。
2011年8月25日木曜日
朝から雨
お昼過ぎまで降る。
きょうはだめかなと思いごろごろ。
二時頃屋根を見るとかわいている。
密藪草むしり完了。
となりの畑をチェック、結構草が多い。
4畦ほどやってあとはあしたから。
今月中に片付けよう。
自分が"イベント屋"をやっていたのは三十代。
四十頭はPTA。
イベントや"ボランティアもどき"はもういい。
本業と平行してべつごとに懸命にになれるのは四十ぐらいまで。
それ以後は本業と人生そのもののしめくくりと60以後の再スタートの準備と考えてきた。
人付き合いはほとんどないがこれでいいと自分で自分に言い聞かせている。
孤独でいい。
定年間近で学校ooo周年事業とか町内会とか業界の市・県・全国役員のポジションを必死にあさっているひとたちの姿を見ると自分とは異国のひとだなと感じてしまう。
審議会やいろんなパーティでかならず見かける町の名士といわれるひとたちが「旧町再興」などと声高にさけんでおきながら安売りスーパーで閉店セールに奔走している姿を見ると見苦しい限りである。
名士などと言われるひとたちの生態は想像通りのみにくい世界である。
もちろん"全部が全部"ではないけれど。
自分が世の中に・・・、なんてあまり考えたことはないけれど自分が今探っていることにはあきらかに次のひとたちへつなぎうる何かがあるものと確信している。
ボランティアというのは"志願兵"というのが古い意味でのっているが、自分の財産と命を自分と面識のないひとたちのために思いだけで捧げる覚悟の行為、というところに基準をおくと自分にはボランティアなど別世界の話である。
自分は今自分の特技に特化することで微量たりとも他人のためになれればなと思うだけだ。
先日の清元の梅助はまさにボランティアだったと思う。
かっこよかった。
きょうはだめかなと思いごろごろ。
二時頃屋根を見るとかわいている。
密藪草むしり完了。
となりの畑をチェック、結構草が多い。
4畦ほどやってあとはあしたから。
今月中に片付けよう。
自分が"イベント屋"をやっていたのは三十代。
四十頭はPTA。
イベントや"ボランティアもどき"はもういい。
本業と平行してべつごとに懸命にになれるのは四十ぐらいまで。
それ以後は本業と人生そのもののしめくくりと60以後の再スタートの準備と考えてきた。
人付き合いはほとんどないがこれでいいと自分で自分に言い聞かせている。
孤独でいい。
定年間近で学校ooo周年事業とか町内会とか業界の市・県・全国役員のポジションを必死にあさっているひとたちの姿を見ると自分とは異国のひとだなと感じてしまう。
審議会やいろんなパーティでかならず見かける町の名士といわれるひとたちが「旧町再興」などと声高にさけんでおきながら安売りスーパーで閉店セールに奔走している姿を見ると見苦しい限りである。
名士などと言われるひとたちの生態は想像通りのみにくい世界である。
もちろん"全部が全部"ではないけれど。
自分が世の中に・・・、なんてあまり考えたことはないけれど自分が今探っていることにはあきらかに次のひとたちへつなぎうる何かがあるものと確信している。
ボランティアというのは"志願兵"というのが古い意味でのっているが、自分の財産と命を自分と面識のないひとたちのために思いだけで捧げる覚悟の行為、というところに基準をおくと自分にはボランティアなど別世界の話である。
自分は今自分の特技に特化することで微量たりとも他人のためになれればなと思うだけだ。
先日の清元の梅助はまさにボランティアだったと思う。
かっこよかった。
2011年8月24日水曜日
レベルダウンして
もとの夏にもどったようである。
比較的強めの風がありここちよい。
密藪草むしり。
あとあしたかあさってで完了と思うのだが。
「読み方、見方、味わいかた・・・」なるハウツー本がはやるのは我々の受けた教育そのものの延長線上の"文化"なのだと思う。
本の読み方、絵の見方、音楽の聴き方、おいしいものの食べ方・見つけ方、・・・。
これらの窮極が「人生に成功する方法」とか「商売に成功する方法」とか「老後をどう生きたらいいか」・・・などのハウツー本だろう。
傍線部分はどういう意味ですか、作者は何を言おうとしているのですか?4つの中からひとつ撰びなさい、などという国語の謎解き訓練がすり込まれてしまっているのだろう。
「4つのうちでいちばんおいしいのはどれですか」という設問に対しては当然のことながら一番から順に序列は付くだろう。
しかしそれは「答え」ではない。
デモクラシーもそうである。
むしろ真実は少数の中にあることが多い。
食べ物は必ずしも政治とは同じではないけれども・・・。
比較的強めの風がありここちよい。
密藪草むしり。
あとあしたかあさってで完了と思うのだが。
「読み方、見方、味わいかた・・・」なるハウツー本がはやるのは我々の受けた教育そのものの延長線上の"文化"なのだと思う。
本の読み方、絵の見方、音楽の聴き方、おいしいものの食べ方・見つけ方、・・・。
これらの窮極が「人生に成功する方法」とか「商売に成功する方法」とか「老後をどう生きたらいいか」・・・などのハウツー本だろう。
傍線部分はどういう意味ですか、作者は何を言おうとしているのですか?4つの中からひとつ撰びなさい、などという国語の謎解き訓練がすり込まれてしまっているのだろう。
「4つのうちでいちばんおいしいのはどれですか」という設問に対しては当然のことながら一番から順に序列は付くだろう。
しかしそれは「答え」ではない。
デモクラシーもそうである。
むしろ真実は少数の中にあることが多い。
食べ物は必ずしも政治とは同じではないけれども・・・。
2011年8月23日火曜日
人間泣いてばかりもいられないが
笑ってばかりもいられないな(森重久弥からうつの竹脇無我へ)。
男の50代、ほとんどのひとがなにがしか鬱状態にある。
鬱にならないのがいいわけではない。
これを越えたところに、甘みだけでなく"青味・野の味"まで含めた人生の妙味を感じ取れ楽しめる境涯があるに違いない。
昼から時々日がさす。
やや蒸す。
一時半から3時間半。
そんなに暑くない畑であった。
時々日がさす。
野球帽の上に麦わら帽。
密藪の草むしりと中耕一部。
去年中耕一回草むしりなどほとんどしなかったここが今年は一番密藪である。
かき混ぜ/種まき、中耕・雨のタイミングがすべてである。
タイミングを待って種まき等しているわけではないのでどの畑が・・・ということは運でしかない。
去年の富岡の草むしり・草刈りと比べればはるかに効率はあがっているのでこれでよしとしなければならない。
「宝島」観おわる。おもしろかった。
りんごに赤みがついてきた。
なしはもうこれ以上おおきくならないのかもしれない、収穫しちゃおうか。
お店で福島の桃がたたき売りされていた。
大玉4つで498、超大玉2つで同額。
一方山梨は大玉2つで798、超大玉2つで1000円。
検査して売っているんだろうけど。
男の50代、ほとんどのひとがなにがしか鬱状態にある。
鬱にならないのがいいわけではない。
これを越えたところに、甘みだけでなく"青味・野の味"まで含めた人生の妙味を感じ取れ楽しめる境涯があるに違いない。
昼から時々日がさす。
やや蒸す。
一時半から3時間半。
そんなに暑くない畑であった。
時々日がさす。
野球帽の上に麦わら帽。
密藪の草むしりと中耕一部。
去年中耕一回草むしりなどほとんどしなかったここが今年は一番密藪である。
かき混ぜ/種まき、中耕・雨のタイミングがすべてである。
タイミングを待って種まき等しているわけではないのでどの畑が・・・ということは運でしかない。
去年の富岡の草むしり・草刈りと比べればはるかに効率はあがっているのでこれでよしとしなければならない。
「宝島」観おわる。おもしろかった。
りんごに赤みがついてきた。
なしはもうこれ以上おおきくならないのかもしれない、収穫しちゃおうか。
お店で福島の桃がたたき売りされていた。
大玉4つで498、超大玉2つで同額。
一方山梨は大玉2つで798、超大玉2つで1000円。
検査して売っているんだろうけど。
2011年8月22日月曜日
きょうも涼しく楽ちん。
金閣寺の金箔を現在価格で金額算定すると1億円程度とか。
そんなものか、とも思ったがよく考えたらぺらぺらの"箔"だもんね。
安いときはたしか1/4ぐらいの値段だったかな。
転がしてるだけで利益を得るというのはだれの発明かはしれないが罰当たりなシステムだと思う。
禁断の果実とは「転がし得」というシステムのことだったのだろう。
永遠に人類とともにサーバイバルの領域だろう。
涼しくてたぶん暑かったときの成果であろう量の2倍は草むしりできたと思う。
きょうの草むしりは今年の天王山。
おいし草のでかくなったやつ、オヒシバ・メヒシバの成長株のオンパレード。
大豆の株がめだたなくなってるところもあり緊急の草むしりが必要であった。
密藪状態のところをえらんでかきむしる。
こしはいたいが快調にこなす。
給水なし、休憩なし。
この箇所は全部やるのに一週間はかかるだろうとふんでいたがきょうのでだいぶ得したような気になる。
あしたからはまた30度のようだが、いままでよりは若干気温は低い模様。
去年はたしか猛烈なメヒシバ・オヒシバとの格闘がお彼岸直前までつづいた。
それを思えばことしはだいぶ内容もスピードもいい感じである。
去年は飲み会など考えられなかったがことしは飲み会優先でいけそうだ。
修行で畑をやっているわけではないので、楽しむ工夫をしないといけない。
60才とはそういう年齢だ・・・あと3年。
ただしきっちりとけじめをつける"特定年齢"と考えているわけではなく自然と自分のやりやすいように変えていけばいいのかなと思う。
人生の妙味はこれからだろう。
それなりの"かけ合いの相手"が必要となる。
いつ終わってもいいと言っておきながらこんなこと言ってるんだから、おいらもろくなもんじゃないね。
そんなものか、とも思ったがよく考えたらぺらぺらの"箔"だもんね。
安いときはたしか1/4ぐらいの値段だったかな。
転がしてるだけで利益を得るというのはだれの発明かはしれないが罰当たりなシステムだと思う。
禁断の果実とは「転がし得」というシステムのことだったのだろう。
永遠に人類とともにサーバイバルの領域だろう。
涼しくてたぶん暑かったときの成果であろう量の2倍は草むしりできたと思う。
きょうの草むしりは今年の天王山。
おいし草のでかくなったやつ、オヒシバ・メヒシバの成長株のオンパレード。
大豆の株がめだたなくなってるところもあり緊急の草むしりが必要であった。
密藪状態のところをえらんでかきむしる。
こしはいたいが快調にこなす。
給水なし、休憩なし。
この箇所は全部やるのに一週間はかかるだろうとふんでいたがきょうのでだいぶ得したような気になる。
あしたからはまた30度のようだが、いままでよりは若干気温は低い模様。
去年はたしか猛烈なメヒシバ・オヒシバとの格闘がお彼岸直前までつづいた。
それを思えばことしはだいぶ内容もスピードもいい感じである。
去年は飲み会など考えられなかったがことしは飲み会優先でいけそうだ。
修行で畑をやっているわけではないので、楽しむ工夫をしないといけない。
60才とはそういう年齢だ・・・あと3年。
ただしきっちりとけじめをつける"特定年齢"と考えているわけではなく自然と自分のやりやすいように変えていけばいいのかなと思う。
人生の妙味はこれからだろう。
それなりの"かけ合いの相手"が必要となる。
いつ終わってもいいと言っておきながらこんなこと言ってるんだから、おいらもろくなもんじゃないね。
2011年8月21日日曜日
いちじくが・・・・すごい。
これはうまい。
フランス人はいいなあ。
日大三校の吉永投手はウチのお客様のところではたらいていたKさんの孫。
出場だけですごいと思っていたがあれよあれよという間に頂点に立ってしまった。
これからが大変だと思う。
お昼から畑と思っていたが・・・雨がふったりやんだり。
霧雨よりは悪い状況なのでごろごろしている。
「宝島」2枚目全部みる。
屋根はかわいていたので3時から畑。
案の定いきなり小雨がふってきたりしてはいたが続行。
びしょびしょになりながらも炎天下一日分の草むしりかたづける。
得した感じ。
仕事から帰ってきて夕飯。
あたたかいコーヒー久しぶり。
六花亭の「神々の遊ぶ庭」がおいしい。
神居(かむい)のことかい。
黒岳から南へ南下したゆるゆかな稜線のことだったかな。
テレビにデストロイヤーが出ていた、まだ健在だったようだ。
終戦後日本の希望の星だった。
弱いアメリカの象徴。
いい演技なのか悪い演技なのか子供たちには知るよしもなかった。
40年以上前の話だ。
水戸黄門もそのくらいに始まったのかな。
テーマのイントロがボレロだとは夕方ラジオを聞いていて初めて気がついた。
ぼーっとして聞いていたんだね。
すずしくてきょうもよく眠れそう。
フランス人はいいなあ。
日大三校の吉永投手はウチのお客様のところではたらいていたKさんの孫。
出場だけですごいと思っていたがあれよあれよという間に頂点に立ってしまった。
これからが大変だと思う。
お昼から畑と思っていたが・・・雨がふったりやんだり。
霧雨よりは悪い状況なのでごろごろしている。
「宝島」2枚目全部みる。
屋根はかわいていたので3時から畑。
案の定いきなり小雨がふってきたりしてはいたが続行。
びしょびしょになりながらも炎天下一日分の草むしりかたづける。
得した感じ。
仕事から帰ってきて夕飯。
あたたかいコーヒー久しぶり。
六花亭の「神々の遊ぶ庭」がおいしい。
神居(かむい)のことかい。
黒岳から南へ南下したゆるゆかな稜線のことだったかな。
テレビにデストロイヤーが出ていた、まだ健在だったようだ。
終戦後日本の希望の星だった。
弱いアメリカの象徴。
いい演技なのか悪い演技なのか子供たちには知るよしもなかった。
40年以上前の話だ。
水戸黄門もそのくらいに始まったのかな。
テーマのイントロがボレロだとは夕方ラジオを聞いていて初めて気がついた。
ぼーっとして聞いていたんだね。
すずしくてきょうもよく眠れそう。
2011年8月20日土曜日
猛暑にもかかわらず
太ったようだ。
ベルトが・・・。
きょうは楽園の陽気で25度以前だろう。
暑さに耐えたごほうびかな、数日続く模様。台風のようではない。
涼しいからといってあれやこれやとできるわけでもなく、毎日の繰り返しとなる。
ただ"効率"はいいようだ。
4時間草むしり。
汗もさほど出ないし水もほとんど飲まない。
畑で履くのは初めてとなる地下足袋が2日目となる。
山の中で地下足袋というのはわらじと組んで沢登りのことなのでかっこいいのだが畑でははいたことがない。
こはぜが面倒だということだけなのだが、こういう"わずか"のことがけっこう障害となる。
はいてみると軽快で蒸れもないので農作業の道具としては合理的である。
ただ固いものにぶつけるのには注意。
はいている軍足くつしたもきれいで長靴よりはよごれないようである。布のフィルター効果は抜群である。
お店にたっていて結構眠たかった。
疲労と言うよりも極端な気温の変化で体調がくずれているのかもしれない。
楽園のようでいて・・・。
きょうも飲みに行こうかと思っていたがこの疲れかたを考えると出かけなくて正解だったのかなと思う。
豆の冷蔵庫にはジャンパーがつるしてあり本も何冊かたてかけてあるがさっきのぞいてみて笑ってしまった。
きのうはたっぷり寝られたがきょうはどうだろうか。
ベルトが・・・。
きょうは楽園の陽気で25度以前だろう。
暑さに耐えたごほうびかな、数日続く模様。台風のようではない。
涼しいからといってあれやこれやとできるわけでもなく、毎日の繰り返しとなる。
ただ"効率"はいいようだ。
4時間草むしり。
汗もさほど出ないし水もほとんど飲まない。
畑で履くのは初めてとなる地下足袋が2日目となる。
山の中で地下足袋というのはわらじと組んで沢登りのことなのでかっこいいのだが畑でははいたことがない。
こはぜが面倒だということだけなのだが、こういう"わずか"のことがけっこう障害となる。
はいてみると軽快で蒸れもないので農作業の道具としては合理的である。
ただ固いものにぶつけるのには注意。
はいている軍足くつしたもきれいで長靴よりはよごれないようである。布のフィルター効果は抜群である。
お店にたっていて結構眠たかった。
疲労と言うよりも極端な気温の変化で体調がくずれているのかもしれない。
楽園のようでいて・・・。
きょうも飲みに行こうかと思っていたがこの疲れかたを考えると出かけなくて正解だったのかなと思う。
豆の冷蔵庫にはジャンパーがつるしてあり本も何冊かたてかけてあるがさっきのぞいてみて笑ってしまった。
きのうはたっぷり寝られたがきょうはどうだろうか。
2011年8月19日金曜日
大雨。
9時ぐらいからだろうか強く降ったりやんだりの繰り返し。
2日間書き込みできなかったがグーグルのメインテナンスは時間がかかりすぎだ。
家賃も払ってるわけではないのでおおきな声では言えないが。
おとといからきのうの朝にかけての暑さは記録的だったのではないだろうか。
2時ぐらいまでは全く寝られずいらいらの極みにあり、わめきたくなってしまったほどである。
2時を過ぎるとかすかに気温が下がるのを感じ、細切れに30分くらいずつは寝ていたようである。
仕事の始まりは頭が重く馬力がなかなか出ない。
1-3時も尋常でない暑さを感じ来客もあることから畑は休み。
休んで正解だったかもしれない。
日陰で36度、軽トラックの屋根付き開放状態で38度。日向は40度くらいあったのかな。
静岡のN様にいただいたスウィーツがうまかった。
お庭になっていたフランス原産の皮ごといちじくもめずらしく、冷蔵庫にしまってある。あとでたべよう。
きょうは涼しいので不眠3日から解放されると思うのだが。
雨なので畑中止。
昼過ぎはぼーっとしていよう。
「宝島」のBBC版をみながらごろり2時間。
寒くて窓をしめた。
きのうと15度くらい違うのではないだろうか。
「日本語文法の謎を解く」がおもしろい。
世の中には一度有名になるとあることがらを「まったく同じ言葉でまったく同じ内容を」何回でも繰り返して講演したり出版したりする大物(・・・・マスコミ的な意味で)が多い。心理学者の・・などは大きな字の読みやすい文章でほとんど同じ内容のことを1500円くらいまでの値段で毎年数冊大手の出版社からだしていたりしたがあきれたものだった。
一冊一冊に真剣に・・と読む側からすると著者におおいに願うものだが、「売れるだろう」の単純再生産本が多すぎる。
金谷さんのは趣旨は単純だが、毎回前の本で「わかりにくかったであろう・・・、ことや抜けていたであろうこと、新しく気がついたこと」を付け加えながら一冊一冊が新しい"語り"になっている。単純なテーマをじわりじわりとふくらみをもたせた見識を備えていけるように導いてくれる。
そしてこの日本語文法の話は明治期の学校文法発生・発明以来根強い疑問を真摯な学者によっていだかれてきた領域で、その先駆者たちへの根源的な敬意の上に築かれて見解であることに彼の学者としての謙虚さ・誠実さを感じる。
しかも闘士である。
日本語の感覚、というものは生まれたときからの言語生活を含む「生活形態全般」からすり込まれたこころの姿勢から生まれてくるものだと思うが、幼児期からのバイリンガルや幼児期からの英語教育によってこの"日本語感覚"はゆがめられていくような気がする。
帰国子女からおおきな作家が出れば・・・、ということだがいかがなものだろうか。
エキゾティズムで最初のひとりは通用するだろうが。
美しい日本、とかなんとかいった総理大臣がいたが政治家にこんなこといわれてもという感じだな。
政治家としての美しい生き方、についてもっと深く考えてもらうことのほうが先だと思う。
選挙なんて選択肢がないんだもんね。
演説と違って文章はトリックが利かない。
文章は読み返しできる。
美しい文章・・・・美文ということではなくて、内容や質まで含めた読みやすく粋でまじめな文章のことである。
文はひとなり、とはよく言ったものだ。
2日間書き込みできなかったがグーグルのメインテナンスは時間がかかりすぎだ。
家賃も払ってるわけではないのでおおきな声では言えないが。
おとといからきのうの朝にかけての暑さは記録的だったのではないだろうか。
2時ぐらいまでは全く寝られずいらいらの極みにあり、わめきたくなってしまったほどである。
2時を過ぎるとかすかに気温が下がるのを感じ、細切れに30分くらいずつは寝ていたようである。
仕事の始まりは頭が重く馬力がなかなか出ない。
1-3時も尋常でない暑さを感じ来客もあることから畑は休み。
休んで正解だったかもしれない。
日陰で36度、軽トラックの屋根付き開放状態で38度。日向は40度くらいあったのかな。
静岡のN様にいただいたスウィーツがうまかった。
お庭になっていたフランス原産の皮ごといちじくもめずらしく、冷蔵庫にしまってある。あとでたべよう。
きょうは涼しいので不眠3日から解放されると思うのだが。
雨なので畑中止。
昼過ぎはぼーっとしていよう。
「宝島」のBBC版をみながらごろり2時間。
寒くて窓をしめた。
きのうと15度くらい違うのではないだろうか。
「日本語文法の謎を解く」がおもしろい。
世の中には一度有名になるとあることがらを「まったく同じ言葉でまったく同じ内容を」何回でも繰り返して講演したり出版したりする大物(・・・・マスコミ的な意味で)が多い。心理学者の・・などは大きな字の読みやすい文章でほとんど同じ内容のことを1500円くらいまでの値段で毎年数冊大手の出版社からだしていたりしたがあきれたものだった。
一冊一冊に真剣に・・と読む側からすると著者におおいに願うものだが、「売れるだろう」の単純再生産本が多すぎる。
金谷さんのは趣旨は単純だが、毎回前の本で「わかりにくかったであろう・・・、ことや抜けていたであろうこと、新しく気がついたこと」を付け加えながら一冊一冊が新しい"語り"になっている。単純なテーマをじわりじわりとふくらみをもたせた見識を備えていけるように導いてくれる。
そしてこの日本語文法の話は明治期の学校文法発生・発明以来根強い疑問を真摯な学者によっていだかれてきた領域で、その先駆者たちへの根源的な敬意の上に築かれて見解であることに彼の学者としての謙虚さ・誠実さを感じる。
しかも闘士である。
日本語の感覚、というものは生まれたときからの言語生活を含む「生活形態全般」からすり込まれたこころの姿勢から生まれてくるものだと思うが、幼児期からのバイリンガルや幼児期からの英語教育によってこの"日本語感覚"はゆがめられていくような気がする。
帰国子女からおおきな作家が出れば・・・、ということだがいかがなものだろうか。
エキゾティズムで最初のひとりは通用するだろうが。
美しい日本、とかなんとかいった総理大臣がいたが政治家にこんなこといわれてもという感じだな。
政治家としての美しい生き方、についてもっと深く考えてもらうことのほうが先だと思う。
選挙なんて選択肢がないんだもんね。
演説と違って文章はトリックが利かない。
文章は読み返しできる。
美しい文章・・・・美文ということではなくて、内容や質まで含めた読みやすく粋でまじめな文章のことである。
文はひとなり、とはよく言ったものだ。
2011年8月18日木曜日
2011年8月17日水曜日
2011年8月16日火曜日
ここのところ
サトウいらずをやっているがいい感じである。
甘いものは甘くなく、あまくないものはぎりぎりまで甘くというのが私の主張だが、雑味たっぷり甘みもゆたかでうまい豆腐になっている。
高タンパクなのでどろどろに成りやすいが寄せがそれだけおもしろくなる。
お昼に、分裂して88年の清元宗家(高輪派)と清元梅吉率いる・・・派の合同演奏会実現までのルポルタージュ番組。
これはよかった。
母方経由で現勘三郎のいとこである家元延寿太夫(謡い、54)と清元梅吉(三味線)78才との2人けいこから始まっての半年の物語。
延寿太夫の長男の足の付け根部分にできた悪性リンパ腫との伏線をからめながらの、「これからの清元を・・・」ということの大事に思いをいたらした延寿太夫側からの企画のようだったが、けんか別れした側のしかも78才という親子ほどの年上にある梅吉の姿が美しかった。
延寿太夫の20才の息子が入院している有明の癌研に向かって毎日手を合わせつづけていた姿や、練習での態度や4人の子供たちにあえて跡継ぎをさせなかった姿勢など深く考える巨人を感じた。
特に宗家側の人間国宝栄三との三味線の会わせ稽古では直前まで会わなかった(会わせ得なかった)のにもかかわらず「本番ではこのレベルでは何が起こるかわからない」つまり本番時での栄三を信じ切っていた梅吉のどうどうとした姿には恐れ入るばかりであった。
もちろん人間国宝の栄三も何十年もやったことのないワキ三味線に徹した姿にも敬意を表すばかりであった。
旅に出て帰ってこない息子の死を知り、その塚の前での親の心を描いた「隅田川」のクライマックスはこの手のものに興味のないひとにもぞくぞくとさせる力を感じさせるのではないかと思った。
マーラーの「亡き子をしのぶ歌」は交響曲はおおむねそれぞれ数百回は聞いているのにもかかわらず、一回しか聞いていないのと同様この隅田川もテーマが重く・きつくて聞いていられないものである。
延寿太夫の息子さんの入院・闘病。そして周囲のひとたちの現実のこころの苦悩かつ前進の思いがこのような困難な企画を最後までやり遂げさせたのかなと思った。
歌舞伎界をめざしていた延寿太夫が父親の早い死で家元を継がざるを得なくなった状況からの説明を考えると、苦労しかつきちんと責任をしょっていこうとしさらに分裂したものを・・・、と考える「清元全体」を守ろうとして必死に格闘しているすがたがりっぱであった。
この地区はきょうが送り日なのだが畑は・・・まあいいだろう。
案の定帰る5時までだれも畑には来ていない感じであった。
耕耘機使用せず。
すべて草むしり。
腰がいたくなるが、暑さはへいちゃらであった。
ほとんど休まないで3時間。
甘いものは甘くなく、あまくないものはぎりぎりまで甘くというのが私の主張だが、雑味たっぷり甘みもゆたかでうまい豆腐になっている。
高タンパクなのでどろどろに成りやすいが寄せがそれだけおもしろくなる。
お昼に、分裂して88年の清元宗家(高輪派)と清元梅吉率いる・・・派の合同演奏会実現までのルポルタージュ番組。
これはよかった。
母方経由で現勘三郎のいとこである家元延寿太夫(謡い、54)と清元梅吉(三味線)78才との2人けいこから始まっての半年の物語。
延寿太夫の長男の足の付け根部分にできた悪性リンパ腫との伏線をからめながらの、「これからの清元を・・・」ということの大事に思いをいたらした延寿太夫側からの企画のようだったが、けんか別れした側のしかも78才という親子ほどの年上にある梅吉の姿が美しかった。
延寿太夫の20才の息子が入院している有明の癌研に向かって毎日手を合わせつづけていた姿や、練習での態度や4人の子供たちにあえて跡継ぎをさせなかった姿勢など深く考える巨人を感じた。
特に宗家側の人間国宝栄三との三味線の会わせ稽古では直前まで会わなかった(会わせ得なかった)のにもかかわらず「本番ではこのレベルでは何が起こるかわからない」つまり本番時での栄三を信じ切っていた梅吉のどうどうとした姿には恐れ入るばかりであった。
もちろん人間国宝の栄三も何十年もやったことのないワキ三味線に徹した姿にも敬意を表すばかりであった。
旅に出て帰ってこない息子の死を知り、その塚の前での親の心を描いた「隅田川」のクライマックスはこの手のものに興味のないひとにもぞくぞくとさせる力を感じさせるのではないかと思った。
マーラーの「亡き子をしのぶ歌」は交響曲はおおむねそれぞれ数百回は聞いているのにもかかわらず、一回しか聞いていないのと同様この隅田川もテーマが重く・きつくて聞いていられないものである。
延寿太夫の息子さんの入院・闘病。そして周囲のひとたちの現実のこころの苦悩かつ前進の思いがこのような困難な企画を最後までやり遂げさせたのかなと思った。
歌舞伎界をめざしていた延寿太夫が父親の早い死で家元を継がざるを得なくなった状況からの説明を考えると、苦労しかつきちんと責任をしょっていこうとしさらに分裂したものを・・・、と考える「清元全体」を守ろうとして必死に格闘しているすがたがりっぱであった。
この地区はきょうが送り日なのだが畑は・・・まあいいだろう。
案の定帰る5時までだれも畑には来ていない感じであった。
耕耘機使用せず。
すべて草むしり。
腰がいたくなるが、暑さはへいちゃらであった。
ほとんど休まないで3時間。
2011年8月15日月曜日
川の中には
国際色豊かないろんな獰猛魚がいるんだね。
川遊びも気楽にできる時代ではないようだ。
売る人間に責任がある。
大きく成りすぎて、買うことに飽きて・できなくなって、・・・といろいろ理由はあるだろうが売る側にはそんなこと想定内だと思う。
買う・飼う側の幼児化と無責任体質が一番の問題だが海外の動植物を安易に持ち込み家庭に隔離して育成なんていずれはこわれてしまうマナーだ。
一般人のこういったものの売買自体禁止したほうがいい。
グローバル化の大きなマイナス点のひとつ。
こどもを川に入れられない状況がすぐやってくる。
在来種も駆逐される。
日本語のようになんでも飲み込んで同化・変容と言うことは生き物にはできない。
食うか食われるか。
農作業はお盆中は御法度。
ミューズへ上村さんの回顧展に。
婦人はやはり体躯はちいさく少し猫背という具合に年取ったと思ったがお顔はつやもよく目もいきいきとしていた。言葉にやや元気がなくなったかな。
反骨の画家で、できあがった"形式"の選択つまりできあがった権威にたよることを終生きらったひとで生き方を学ぶ。まったく世間に媚びない。
"形式"の問題は芸術家たちにはみなつきまとう問題だが、安易な生き方を望めばすでにできあがったところへ身を・・・、ということになるのだろうが芸術とはそもそも前の時代までになかったものを作りだし・掘り起こしていく仕事。
そもそもが真剣になればなるほど孤独な作業で、似たもの同士のわいわいがやがやの集団では得るモノはないのだろう。
かと思うとバッハのように与えられた枠の中を極限まで遊び尽くしそれでいて既成のの形式をおおいに意識させなおかつ意識させないという窮め尽くしをなしてしまうひともいた。
単純作業の毎日かもしれないが我々ものつくりのヒントがこういったひとたちのなかにはたくさんある。
いい絵、いい音楽・演奏、いい文章・・・もっともっと体験・体感しなければならない宝の山が身の回りにはたくさんある。
66回目の終戦記念日。
我が家には戦死者はいなかったが本家や母方本家等には当然おり、どこの家庭でもわれわれ以前の世代にはつらい記憶がたくさん残っていることだろう。
所沢には陸軍の飛行場があったためその周辺は大変な爆撃を受け、亡くなったひとも多い。
我が家の前にも一軒住宅があり直撃されひとりトイレに落ちた子だけ助かりあと全員死亡した。
我が家はそのとき南北方向の爆風で障子がすべて吹っ飛ぶ。
父の出征の時の写真を見た記憶がある。
我が子を戦地におくる親(特に母親)の気持ちはいかばかりの苦しみに・・・。
町内会のその世代の・・・もう90前後・・・ひとの中にはシベリア抑留者もいる。父のいとこもそのひとり。今も健在だが自分史を書いているとか。
思えば子供の頃祖父が軍隊で使っていた袋状の(背嚢?)物入れを良くみせてくれ、裁縫道具を出しては農作業着のほころびを直しているのを見学したものだ。祖父の床屋さんも良くやったっけ。祖母の農作業を手伝うために急さかをリヤカー押していったのを思い出した・・・・。なんかあとからあとから。
おまけにフランダースの犬のアニメのあの場面をやっている。
すぐ泣いてしまうな。
川遊びも気楽にできる時代ではないようだ。
売る人間に責任がある。
大きく成りすぎて、買うことに飽きて・できなくなって、・・・といろいろ理由はあるだろうが売る側にはそんなこと想定内だと思う。
買う・飼う側の幼児化と無責任体質が一番の問題だが海外の動植物を安易に持ち込み家庭に隔離して育成なんていずれはこわれてしまうマナーだ。
一般人のこういったものの売買自体禁止したほうがいい。
グローバル化の大きなマイナス点のひとつ。
こどもを川に入れられない状況がすぐやってくる。
在来種も駆逐される。
日本語のようになんでも飲み込んで同化・変容と言うことは生き物にはできない。
食うか食われるか。
農作業はお盆中は御法度。
ミューズへ上村さんの回顧展に。
婦人はやはり体躯はちいさく少し猫背という具合に年取ったと思ったがお顔はつやもよく目もいきいきとしていた。言葉にやや元気がなくなったかな。
反骨の画家で、できあがった"形式"の選択つまりできあがった権威にたよることを終生きらったひとで生き方を学ぶ。まったく世間に媚びない。
"形式"の問題は芸術家たちにはみなつきまとう問題だが、安易な生き方を望めばすでにできあがったところへ身を・・・、ということになるのだろうが芸術とはそもそも前の時代までになかったものを作りだし・掘り起こしていく仕事。
そもそもが真剣になればなるほど孤独な作業で、似たもの同士のわいわいがやがやの集団では得るモノはないのだろう。
かと思うとバッハのように与えられた枠の中を極限まで遊び尽くしそれでいて既成のの形式をおおいに意識させなおかつ意識させないという窮め尽くしをなしてしまうひともいた。
単純作業の毎日かもしれないが我々ものつくりのヒントがこういったひとたちのなかにはたくさんある。
いい絵、いい音楽・演奏、いい文章・・・もっともっと体験・体感しなければならない宝の山が身の回りにはたくさんある。
66回目の終戦記念日。
我が家には戦死者はいなかったが本家や母方本家等には当然おり、どこの家庭でもわれわれ以前の世代にはつらい記憶がたくさん残っていることだろう。
所沢には陸軍の飛行場があったためその周辺は大変な爆撃を受け、亡くなったひとも多い。
我が家の前にも一軒住宅があり直撃されひとりトイレに落ちた子だけ助かりあと全員死亡した。
我が家はそのとき南北方向の爆風で障子がすべて吹っ飛ぶ。
父の出征の時の写真を見た記憶がある。
我が子を戦地におくる親(特に母親)の気持ちはいかばかりの苦しみに・・・。
町内会のその世代の・・・もう90前後・・・ひとの中にはシベリア抑留者もいる。父のいとこもそのひとり。今も健在だが自分史を書いているとか。
思えば子供の頃祖父が軍隊で使っていた袋状の(背嚢?)物入れを良くみせてくれ、裁縫道具を出しては農作業着のほころびを直しているのを見学したものだ。祖父の床屋さんも良くやったっけ。祖母の農作業を手伝うために急さかをリヤカー押していったのを思い出した・・・・。なんかあとからあとから。
おまけにフランダースの犬のアニメのあの場面をやっている。
すぐ泣いてしまうな。
2011年8月14日日曜日
ショック刺激
を得ようとお昼から冷蔵庫に出たり入ったりを5回繰り返した。
きょうあしたは畑に行ってはいけない日なので兄弟たちが集まるまでの時間どうやって涼をとってすごしたらいいのかと考えてこういうことになる。
体を使わないで"涼"を感じようなどという行い自体がナンセンスだということをさとる。
5度の中で寒くなり出すと外に出る。すぐにもわもわとしてくる。15分もすると冷蔵庫に、そして横山/シェイクスピアを読みだす。10-15分で寒くなる・・・あとは繰り返し。
不健全な遊びであった。
兄弟たちがきて座敷にいると初めはあつくてひーひーしていてもやがてなんのことはなくなる。いつもと同じで、外よりは気温は低い。扇風機で湿気の不快感は取り払える。
野外で体を使うことのありがたさを感じる。
ただしこまかく休んで水を飲むことだ、1-3時に気をつけて。
親戚をまわってお店に。
お客様とのおしゃべりで、無農薬はおおむね"甘み"がダウンします。
その代わりなにかが強まります・・・とこちらからしかけると、
「山菜ののあじじゃないの?」と当てられてしまった。
幼稚園の栄養士さん。
無農薬とはいってもウチのは肥料と名の付く人間のてのかかった 添加物は畑に蒔いていないので大豆が作り上げる"味"には人間の作為は極力排除されている。
太陽と水とそこの土と空気と・・・といったもともとそこにある自然の条件がほとんどである。あとは枯れ葉と大豆の脱穀がらとおから少々。
作物の中でもとりわけ"野生"に近い大豆をできるだけ野生を遠ざけないようにしながら雑草排除と共生をとりまぜながら七転八倒の毎日を繰り返しているが日々歓喜とがっかりの繰り返しである。
・・・だからつづけられる。
終点はないだろう、自分の人生には終点がある。
それにしてもこの栄養士さんはするどいひとだ。
豊かな感性と想像力・・・・こどもたちは幸せだな。
家に帰ると岡本太郎。
色と形が"動き出したミロ"をイメージしたがにぎやかで元気な絵や彫刻だなと思った。
あしたまでやっているミューズ中ホールでやっている上村次敏さんの生命力の爆発といえる植物の絵の通奏低音(バッソオスティナート)と共通するものを感じる。
俗物と思われがちな岡本のテレビ多数出演にしても一般のひとが考えるようなパーフォーマンス・媚びるという姿勢とはかけ離れた哲学をもっての行動であったろうと思う。
桁外れにおもしろいひとだった。
アトリエの棚には書きかけのカンバスがたくさん並べてあった。
年をとるにつれて顔が若くなっていったひとだと思う。
でも静かな・・・しかしながらしっかりとしたいのちの鼓動を伝えているミロのほうが自分は好きだな。
きょうあしたは畑に行ってはいけない日なので兄弟たちが集まるまでの時間どうやって涼をとってすごしたらいいのかと考えてこういうことになる。
体を使わないで"涼"を感じようなどという行い自体がナンセンスだということをさとる。
5度の中で寒くなり出すと外に出る。すぐにもわもわとしてくる。15分もすると冷蔵庫に、そして横山/シェイクスピアを読みだす。10-15分で寒くなる・・・あとは繰り返し。
不健全な遊びであった。
兄弟たちがきて座敷にいると初めはあつくてひーひーしていてもやがてなんのことはなくなる。いつもと同じで、外よりは気温は低い。扇風機で湿気の不快感は取り払える。
野外で体を使うことのありがたさを感じる。
ただしこまかく休んで水を飲むことだ、1-3時に気をつけて。
親戚をまわってお店に。
お客様とのおしゃべりで、無農薬はおおむね"甘み"がダウンします。
その代わりなにかが強まります・・・とこちらからしかけると、
「山菜ののあじじゃないの?」と当てられてしまった。
幼稚園の栄養士さん。
無農薬とはいってもウチのは肥料と名の付く人間のてのかかった 添加物は畑に蒔いていないので大豆が作り上げる"味"には人間の作為は極力排除されている。
太陽と水とそこの土と空気と・・・といったもともとそこにある自然の条件がほとんどである。あとは枯れ葉と大豆の脱穀がらとおから少々。
作物の中でもとりわけ"野生"に近い大豆をできるだけ野生を遠ざけないようにしながら雑草排除と共生をとりまぜながら七転八倒の毎日を繰り返しているが日々歓喜とがっかりの繰り返しである。
・・・だからつづけられる。
終点はないだろう、自分の人生には終点がある。
それにしてもこの栄養士さんはするどいひとだ。
豊かな感性と想像力・・・・こどもたちは幸せだな。
家に帰ると岡本太郎。
色と形が"動き出したミロ"をイメージしたがにぎやかで元気な絵や彫刻だなと思った。
あしたまでやっているミューズ中ホールでやっている上村次敏さんの生命力の爆発といえる植物の絵の通奏低音(バッソオスティナート)と共通するものを感じる。
俗物と思われがちな岡本のテレビ多数出演にしても一般のひとが考えるようなパーフォーマンス・媚びるという姿勢とはかけ離れた哲学をもっての行動であったろうと思う。
桁外れにおもしろいひとだった。
アトリエの棚には書きかけのカンバスがたくさん並べてあった。
年をとるにつれて顔が若くなっていったひとだと思う。
でも静かな・・・しかしながらしっかりとしたいのちの鼓動を伝えているミロのほうが自分は好きだな。
2011年8月13日土曜日
お盆の入り。
お昼に新藤兼人監督のインタビュー。
音羽さんとのこと、お母様とのこと・・・涙ぐんでしまった。
深く生きた人のひとつひとつのことばはひとを動かすものだ。
急いでいるのできょうはここまでにしよう。
音羽さんとのこと、お母様とのこと・・・涙ぐんでしまった。
深く生きた人のひとつひとつのことばはひとを動かすものだ。
急いでいるのできょうはここまでにしよう。
2011年8月12日金曜日
そんなに眠らなかったはずだが
調子がいい。
軽快な感じがする。
別段うれしいことがあったというわけでもない。
お昼の山のシリーズ、遅れてみる。
エベレスト/チョモランマ。
南側からなのでエベレストになっていた。
ただし本放送ではなく、あしたの7時からの予告編というか裏話含みの番組となっていた。
ウチのTさんにそっくりな川越在住の田部井さん
植村直己が荷物運びとして採用された登山隊で最終的に植村とともに頂上アタック隊員となった松村さん。
8000メートル峰12/14登った・・・さん。
岩と氷と雪だけの世界なのできのうのニュージーランドと比べるとやや物足りないのだがなんといても8000メートル峰、普通では無い世界にわくわくとした。
三浦雄一郎と野口 健へのインタビューもよかった。
あしたが楽しみだ。
県のKさんから"摘芯のすすめ"の電話をうける。
すべての株にこれをやっている時間はないので実験的に効果ののほどを確かめることにする。
丹波の黒豆ではおなじみの作業。
きょうの畑は異常に調子よかった。
すずしいわけでもなかったが。
水は2リットル飲んではいるものの腰掛けての休憩なし。
株間の草むしりと中耕を交互にやる。
夕方の仕事は熱中症無し。
楽ちんであった。
軽快な感じがする。
別段うれしいことがあったというわけでもない。
お昼の山のシリーズ、遅れてみる。
エベレスト/チョモランマ。
南側からなのでエベレストになっていた。
ただし本放送ではなく、あしたの7時からの予告編というか裏話含みの番組となっていた。
ウチのTさんにそっくりな川越在住の田部井さん
植村直己が荷物運びとして採用された登山隊で最終的に植村とともに頂上アタック隊員となった松村さん。
8000メートル峰12/14登った・・・さん。
岩と氷と雪だけの世界なのできのうのニュージーランドと比べるとやや物足りないのだがなんといても8000メートル峰、普通では無い世界にわくわくとした。
三浦雄一郎と野口 健へのインタビューもよかった。
あしたが楽しみだ。
県のKさんから"摘芯のすすめ"の電話をうける。
すべての株にこれをやっている時間はないので実験的に効果ののほどを確かめることにする。
丹波の黒豆ではおなじみの作業。
きょうの畑は異常に調子よかった。
すずしいわけでもなかったが。
水は2リットル飲んではいるものの腰掛けての休憩なし。
株間の草むしりと中耕を交互にやる。
夕方の仕事は熱中症無し。
楽ちんであった。
2011年8月11日木曜日
二日前から
今日は今年最高の気温に、ということだったが午前までの気温上昇ピッチはさもありなんだったが、昼を過ぎると雲が多くなり35度止まりくらいだったのではないだろうか。
ただし不快指数はものすごかった。
湿気の極地である。
今日はニュージーランドのアスパイアリングという山をやっていた、3033メートル。
なーんだそんな低いのか・・・・と思いきや、それがすごいのである。
アフローチがすごい。
時速80キロのジェットボートを使っての遡行や豊かな温帯モンスーン樹林帯を通り抜け、その先にはクレバスだらけの氷河の遡行(?)、急斜面の氷雪登り、それが終わったと思うとミニ北岳バットレスの岩登り・・・・といっためまぐるしい変化の連続の山登り。片道3週間。
きのうおととい含めての中でもっとも自分好みであった。
山麓の自然の豊かさには圧倒される。
常緑樹のブナなんて初めて聞いた。
木の幹はたしかに"ブナ"だ。
葉っぱがちいさい。
根も浅く倒伏しやすい。
林床はらん等のお花の楽園。
ヒタキという小鳥は人間が落ち葉の堆積を軽くひっくりかえしてやるとひとのそばでも寄ってきてえさ・・・つまりちいさい虫をついばむ。ちょうどトラクターのあとを追いかけてくるオナガのようで、見ていてほほえましかった。
ニュージーランドというとマウント・クックだが、このアスパイアリングほど国家が、道標もたてずそれでいて入山者にきびしいマナーを要求してくる気高い姿勢には恐れ入るばかりである。
日本の南北アルプス、飯豊連峰、朝日連峰ももともとはアスパイアリングレベルのアプローチが必要だったのだろうがあまりにもコンビー二エントになりすぎた。
だれにも見る権利がある、なにんて安っぽい考えがこの国の自然を安直に身近に引き寄せてしまった。
尾瀬はそもそも乾燥化の過程にありいずれはほろびるものではあるが何もそのスピードを何千倍何万倍にもひきあげる必要はなかった。
商業主義に堕した山小屋の罪である。
尾瀬には行かないことが一番の"尾瀬保護"である・・・前にもこのこと書いたかもしれないな、失礼。
2時頃から雷鳴。
雨も。
畑はお休みしよう。
大豆冷蔵庫の中で30分読書。
そのあと2階でうつらうつら、もちろんクーラー無し。
これが良くなかったようである。
お店に立っていて吐き気と頭がくらくら。
熱中症のようである。
夕飯はそばと天ぷら。
そばやさん以外ではそばは食べないのだが、きょうのはそんなにまずくはなかった。
生協の宅配のようだ。
冷蔵庫の中で寝ようかなとも思ったが、あの鳥海山のこともあるので止める。
おやすみ、21時31分。
ただし不快指数はものすごかった。
湿気の極地である。
今日はニュージーランドのアスパイアリングという山をやっていた、3033メートル。
なーんだそんな低いのか・・・・と思いきや、それがすごいのである。
アフローチがすごい。
時速80キロのジェットボートを使っての遡行や豊かな温帯モンスーン樹林帯を通り抜け、その先にはクレバスだらけの氷河の遡行(?)、急斜面の氷雪登り、それが終わったと思うとミニ北岳バットレスの岩登り・・・・といっためまぐるしい変化の連続の山登り。片道3週間。
きのうおととい含めての中でもっとも自分好みであった。
山麓の自然の豊かさには圧倒される。
常緑樹のブナなんて初めて聞いた。
木の幹はたしかに"ブナ"だ。
葉っぱがちいさい。
根も浅く倒伏しやすい。
林床はらん等のお花の楽園。
ヒタキという小鳥は人間が落ち葉の堆積を軽くひっくりかえしてやるとひとのそばでも寄ってきてえさ・・・つまりちいさい虫をついばむ。ちょうどトラクターのあとを追いかけてくるオナガのようで、見ていてほほえましかった。
ニュージーランドというとマウント・クックだが、このアスパイアリングほど国家が、道標もたてずそれでいて入山者にきびしいマナーを要求してくる気高い姿勢には恐れ入るばかりである。
日本の南北アルプス、飯豊連峰、朝日連峰ももともとはアスパイアリングレベルのアプローチが必要だったのだろうがあまりにもコンビー二エントになりすぎた。
だれにも見る権利がある、なにんて安っぽい考えがこの国の自然を安直に身近に引き寄せてしまった。
尾瀬はそもそも乾燥化の過程にありいずれはほろびるものではあるが何もそのスピードを何千倍何万倍にもひきあげる必要はなかった。
商業主義に堕した山小屋の罪である。
尾瀬には行かないことが一番の"尾瀬保護"である・・・前にもこのこと書いたかもしれないな、失礼。
2時頃から雷鳴。
雨も。
畑はお休みしよう。
大豆冷蔵庫の中で30分読書。
そのあと2階でうつらうつら、もちろんクーラー無し。
これが良くなかったようである。
お店に立っていて吐き気と頭がくらくら。
熱中症のようである。
夕飯はそばと天ぷら。
そばやさん以外ではそばは食べないのだが、きょうのはそんなにまずくはなかった。
生協の宅配のようだ。
冷蔵庫の中で寝ようかなとも思ったが、あの鳥海山のこともあるので止める。
おやすみ、21時31分。
2011年8月10日水曜日
きのうと同じ流れで、
きょうのNHKはマッキンレーをやっていた。
遠くから映しているだけでなく実際に登山しているところの撮影なのでおもしろい。
もちろんそれだけではなくて山麓の話や登山史も交わったりしていて良くできている。
植村さんが強風で飛ばされたであろうこと、植村さんのことが引き金で毎年夏期のシーズンには入山してベース・ポイントのいくつかに風速計を備えに来る日本人など、興味をわかせる話を交えていて楽しい。
真夏に全く冬山の様相を呈している通常とは次元の違う山登りにわくわくしてしまった。
雪庇、なだれ、停滞2週間・・など桁違いである。
厳冬期の植村さん、登頂直後行方不明。
秒速80メートルの風が吹くというこの山に消えた日本からのアルピニストというより冒険家の植村さん。
幸せな死に方だったのかな?
山に登る者は帰宅までが全山行と考えなければならないのだがね。
お昼に一時間半休むとそのあとがやや元気となる。
今まで飯食ったらすぐ仕事だったからな。
中耕作と素手草むしり。
2時台は15分程度ごとに休憩・給水。
車のつくる陰には弱いながらも心地よい風が。
この一瞬がいいんだな。
お店にうどん屋のO氏夫妻。
5年前に親の介護をするというので飯能に。
親が亡くなってしまったとのことでUターン。
相変わらず元気がいい。
看取られたほうも看取った方も幸せだったようだ、本人たちの弁。
5年間の看取りも大変だったろう。
農作業も覚えたという。
人間の死に方って大切なことだな。
なんの緊張もなく、ノルマもなく、思ってくれるひともなく・・・・こんなことはだれにもあり得ないことだ。
これを思えば幸せというものはそう・・・・、なんだなと思う。
高望みしないことと、あきらめることと、感謝することを忘れないことだ。
人でもものでもなんでもいいから、話す相手がいればそれだけで救われる、幸せなことだ。
紙に話す、星に話す、大豆に話す、Bachに話す、モナリザに話す・・・・・。
友達が多ければいいというものではない。
創造力・想像力は孤独の中ではぐくまれる。
遠くから映しているだけでなく実際に登山しているところの撮影なのでおもしろい。
もちろんそれだけではなくて山麓の話や登山史も交わったりしていて良くできている。
植村さんが強風で飛ばされたであろうこと、植村さんのことが引き金で毎年夏期のシーズンには入山してベース・ポイントのいくつかに風速計を備えに来る日本人など、興味をわかせる話を交えていて楽しい。
真夏に全く冬山の様相を呈している通常とは次元の違う山登りにわくわくしてしまった。
雪庇、なだれ、停滞2週間・・など桁違いである。
厳冬期の植村さん、登頂直後行方不明。
秒速80メートルの風が吹くというこの山に消えた日本からのアルピニストというより冒険家の植村さん。
幸せな死に方だったのかな?
山に登る者は帰宅までが全山行と考えなければならないのだがね。
お昼に一時間半休むとそのあとがやや元気となる。
今まで飯食ったらすぐ仕事だったからな。
中耕作と素手草むしり。
2時台は15分程度ごとに休憩・給水。
車のつくる陰には弱いながらも心地よい風が。
この一瞬がいいんだな。
お店にうどん屋のO氏夫妻。
5年前に親の介護をするというので飯能に。
親が亡くなってしまったとのことでUターン。
相変わらず元気がいい。
看取られたほうも看取った方も幸せだったようだ、本人たちの弁。
5年間の看取りも大変だったろう。
農作業も覚えたという。
人間の死に方って大切なことだな。
なんの緊張もなく、ノルマもなく、思ってくれるひともなく・・・・こんなことはだれにもあり得ないことだ。
これを思えば幸せというものはそう・・・・、なんだなと思う。
高望みしないことと、あきらめることと、感謝することを忘れないことだ。
人でもものでもなんでもいいから、話す相手がいればそれだけで救われる、幸せなことだ。
紙に話す、星に話す、大豆に話す、Bachに話す、モナリザに話す・・・・・。
友達が多ければいいというものではない。
創造力・想像力は孤独の中ではぐくまれる。
2011年8月9日火曜日
久々に暑くなったと思う。
お昼に帰ってきてからぼーっとしていてなにもかも気力が失せた感じとなる。
クーラーつけず。
避難所を思えばということだがきょうは昼飯を食べていて頭がいたくなりかけた。
そんな中NHKのモンブラン/シャモニーとマッターホルン/ツェルマットの90分の映像が心地よく、終わりまで見てしまった。
スイスとフランスに行きたいな。
このあと大豆冷蔵庫に15分、5℃。
心機一転畑に向かう。
暑いはずなのだが・・・・なんか辺だな、ファイトが出てきちゃう。
3日間不眠。
暑いのと水出し煎茶の飲み過ぎだと思う。ことしの狭山茶。
コーヒーよりカフェイン多いんじゃないの?
0.5反素手草むしり。
0.5反中耕。
終了後は充実感にあふれていた。
お店から帰ってくるとフェルメール。
民放でもいい番組をやっている。
ヴァージルの前の・・・、はおととしだったかの東京都美術館(西洋美術館?)に来ていたっけ?ヴァージルって一段だったかな二段だったかな。チェンバロの一歩手前だったっけ、エビネットとも言ったと思う。
青衣の女性の青が見事に修復されていてすばらしかった。パリのアパルトマンの屋根も青だったかな、紫だったかな?
高貴な色、というこは要するに絵の具の原料の値段の高さそのものを表している。
所沢市にも有名な絵画修復家がいる。
ダ・ビンチの最後の晩餐やシスティーナ礼拝堂の天井画も日本人がやってたんじゃなかったっけ。後者は富士フイルムのスポンサーでたしか館内撮影禁止とかなっていたはず。
ルーヴルは絵の前での記念撮影はOKだったかな? 絵そのものの精密写真は不可。
美術館・博物館によっていろいろのようだが不可のほうが多いのかな。
コダックフィルムを使えば撮影OKなんてのもどこかに昔あったな。
おかしいね。
修復は科学+αのかたい・やっこい(繊細)とがまん、の集積作業。
地味だけどすばらしい仕事だ。
感謝感謝。
あさっては予報で38度た゜と。
こうなるといやでも耐えようとするのが元気君の本性。
よしやってやろうじゃないか。
38度?
経済は混沌としてきている。
震災は別して、世界経済自体が螺旋降下していく。
何がこれから起こるんだろう。
お笑い。
社会学の本の書評を読んでいて、
They emphasized on protecting the virtues of the nuclear family.
の nuclear 。原子力で生活に必要なエネルギーをまかなっている家族・・・?。
えへへへ。
核家族という言葉は翻訳後だったのね。
原子力、原子力と寝ても覚めても考えているとこんなことに。
恥ずかしながら nuclear family と言う言葉に出くわすのは初めてであった。
クーラーつけず。
避難所を思えばということだがきょうは昼飯を食べていて頭がいたくなりかけた。
そんな中NHKのモンブラン/シャモニーとマッターホルン/ツェルマットの90分の映像が心地よく、終わりまで見てしまった。
スイスとフランスに行きたいな。
このあと大豆冷蔵庫に15分、5℃。
心機一転畑に向かう。
暑いはずなのだが・・・・なんか辺だな、ファイトが出てきちゃう。
3日間不眠。
暑いのと水出し煎茶の飲み過ぎだと思う。ことしの狭山茶。
コーヒーよりカフェイン多いんじゃないの?
0.5反素手草むしり。
0.5反中耕。
終了後は充実感にあふれていた。
お店から帰ってくるとフェルメール。
民放でもいい番組をやっている。
ヴァージルの前の・・・、はおととしだったかの東京都美術館(西洋美術館?)に来ていたっけ?ヴァージルって一段だったかな二段だったかな。チェンバロの一歩手前だったっけ、エビネットとも言ったと思う。
青衣の女性の青が見事に修復されていてすばらしかった。パリのアパルトマンの屋根も青だったかな、紫だったかな?
高貴な色、というこは要するに絵の具の原料の値段の高さそのものを表している。
所沢市にも有名な絵画修復家がいる。
ダ・ビンチの最後の晩餐やシスティーナ礼拝堂の天井画も日本人がやってたんじゃなかったっけ。後者は富士フイルムのスポンサーでたしか館内撮影禁止とかなっていたはず。
ルーヴルは絵の前での記念撮影はOKだったかな? 絵そのものの精密写真は不可。
美術館・博物館によっていろいろのようだが不可のほうが多いのかな。
コダックフィルムを使えば撮影OKなんてのもどこかに昔あったな。
おかしいね。
修復は科学+αのかたい・やっこい(繊細)とがまん、の集積作業。
地味だけどすばらしい仕事だ。
感謝感謝。
あさっては予報で38度た゜と。
こうなるといやでも耐えようとするのが元気君の本性。
よしやってやろうじゃないか。
38度?
経済は混沌としてきている。
震災は別して、世界経済自体が螺旋降下していく。
何がこれから起こるんだろう。
お笑い。
社会学の本の書評を読んでいて、
They emphasized on protecting the virtues of the nuclear family.
の nuclear 。原子力で生活に必要なエネルギーをまかなっている家族・・・?。
えへへへ。
核家族という言葉は翻訳後だったのね。
原子力、原子力と寝ても覚めても考えているとこんなことに。
恥ずかしながら nuclear family と言う言葉に出くわすのは初めてであった。
2011年8月8日月曜日
きのうの雷は
全国的にニュースになったようで「所沢、西武線」がテレビのニュースになった模様。九州の和田さんからもお見舞いの電話をちょうだいした。
西武池袋線が数時間不通になった原因の稲妻は部屋から見えた。
ぶっとい稲光だった、保谷落ちたそうだが方角があっているのでそれだろう。
停電は5分だったが電車の送電は別だったのだろうか。
和田さんの話によれば九州はこちらの原発騒ぎのあおりを受けて大豆供給で一悶着起こりそうだとのこと。
国全体が来年に向けてさまざまな予測をたてては競争しているようで、不安の表れを示しているようだ。東北応援、などと騒いでいたスーパーがそもそも「東北はダメ」ということで九州に触手を伸ばしているようだ。
風評被害がどうでるものかこれからが大変だろう。
一見さんの契約栽培が九州で大流行となるだろう。
農家はそれをどう受け止めるかだ。
きょうは草むしり・・・人力だけの草むしり。
腰がいたい。
なしが20弱ついている。
とてもかわいくて食べるところがあるのかどうかというところだがりんごと一緒に盆だなにお供えしよう。・・・・すいかもね。
ひやしたまんまのこの前のやつはまだ切ってもいない、中身はどんなだろうか?あした切ってみよう。
きょうは足がつりそうないやな予感がする。
毛虫なのかどうかよくわからないが手首がかぶれてかゆくてしょうがない。
夕立はなかった。
9時半の今も蒸し暑い。
米の先物取引が復活とか。
江戸時代から戦前まであった慣習。
原発の影響で値がつかないほどにとか。
西武池袋線が数時間不通になった原因の稲妻は部屋から見えた。
ぶっとい稲光だった、保谷落ちたそうだが方角があっているのでそれだろう。
停電は5分だったが電車の送電は別だったのだろうか。
和田さんの話によれば九州はこちらの原発騒ぎのあおりを受けて大豆供給で一悶着起こりそうだとのこと。
国全体が来年に向けてさまざまな予測をたてては競争しているようで、不安の表れを示しているようだ。東北応援、などと騒いでいたスーパーがそもそも「東北はダメ」ということで九州に触手を伸ばしているようだ。
風評被害がどうでるものかこれからが大変だろう。
一見さんの契約栽培が九州で大流行となるだろう。
農家はそれをどう受け止めるかだ。
きょうは草むしり・・・人力だけの草むしり。
腰がいたい。
なしが20弱ついている。
とてもかわいくて食べるところがあるのかどうかというところだがりんごと一緒に盆だなにお供えしよう。・・・・すいかもね。
ひやしたまんまのこの前のやつはまだ切ってもいない、中身はどんなだろうか?あした切ってみよう。
きょうは足がつりそうないやな予感がする。
毛虫なのかどうかよくわからないが手首がかぶれてかゆくてしょうがない。
夕立はなかった。
9時半の今も蒸し暑い。
米の先物取引が復活とか。
江戸時代から戦前まであった慣習。
原発の影響で値がつかないほどにとか。
2011年8月7日日曜日
あっこが加藤茶に
「最後にだれかに看取ってもらいたいんじゃん」と冗談で言ったことばは、実はとても重い言葉でこの年齢になると痛切にその必要性を感じるものである。
看取るとは亡くなるその日だけのことではない。
終わりを意識し始めてからのひととのこころの通い合い、ことばのやりとりのことである。
60前後にもなると多かれ少なかれさまざまなタイプの死をみてきていることになると思うが、"死に方"から"生き方"を学ぶことばかりである。
死の直前に亡くなろうとする親にあれやこれや尽くそうとしても、それ以前の行動の底流にある"思い"は自然に死の直前に無意識のうちに出てきてしまうもので、親不孝だったものが突然親孝行になれるものではない。
親孝行なんて古くさい・安っぽい言葉をと一笑に付されてしまう時代だが、大切な言葉だ。
ひとのことはとやかく言えないがいやなものをみすぎてきた。
老後とは"看取り"そのものかもしれない。
長いひともいれば短い人も。
3時頃雷が・・・。
かなりすごい雷で5分ほど停電。
7時頃まで降ったのかな?
中耕と草むしり。
西日の当たらない住宅の陰は作物はまったく生成長きないのに雑草は伸び放題。
きょうは久々に暑くて2,30分ごとに休憩。
涼しくなるであろう3時頃からゴロゴロと鳴りだしたわけ。
帰ると久々に日曜美術館。千足先生は顔はそのままだが体躯はやや老けたかな?
セガンティーニがおもしろかった。
ただの風景画家ではない。
オスロ市立(国立?)美術館のムンクの部屋は要するに彼の代表作がみんなそこにあったのね。
あまり好きではないのかもしれないが自分に近いような気もする。
この番組はいつまでも続いて欲しいな、もっともほとんど見なくなってしまったが・・・。
看取るとは亡くなるその日だけのことではない。
終わりを意識し始めてからのひととのこころの通い合い、ことばのやりとりのことである。
60前後にもなると多かれ少なかれさまざまなタイプの死をみてきていることになると思うが、"死に方"から"生き方"を学ぶことばかりである。
死の直前に亡くなろうとする親にあれやこれや尽くそうとしても、それ以前の行動の底流にある"思い"は自然に死の直前に無意識のうちに出てきてしまうもので、親不孝だったものが突然親孝行になれるものではない。
親孝行なんて古くさい・安っぽい言葉をと一笑に付されてしまう時代だが、大切な言葉だ。
ひとのことはとやかく言えないがいやなものをみすぎてきた。
老後とは"看取り"そのものかもしれない。
長いひともいれば短い人も。
3時頃雷が・・・。
かなりすごい雷で5分ほど停電。
7時頃まで降ったのかな?
中耕と草むしり。
西日の当たらない住宅の陰は作物はまったく生成長きないのに雑草は伸び放題。
きょうは久々に暑くて2,30分ごとに休憩。
涼しくなるであろう3時頃からゴロゴロと鳴りだしたわけ。
帰ると久々に日曜美術館。千足先生は顔はそのままだが体躯はやや老けたかな?
セガンティーニがおもしろかった。
ただの風景画家ではない。
オスロ市立(国立?)美術館のムンクの部屋は要するに彼の代表作がみんなそこにあったのね。
あまり好きではないのかもしれないが自分に近いような気もする。
この番組はいつまでも続いて欲しいな、もっともほとんど見なくなってしまったが・・・。
2011年8月6日土曜日
いつまでこんな天気が続くんだろう。
蒸し暑い。
パソコンの前にいる今も猛烈に蒸す。
クーラーoff。
北浦和に行きたかったけどくたくたに疲れてしまった。
K先生は大分県。
「日本語に主語はいらない」も200ページくらいになる。
今まで気にもとめなかった世界のことで、日本語についてなんにも考えてこなかった自分が恥ずかしい。
導いてくださったNさん謝謝。
主語が無くてもその文をみると自然に「だれが」ということが自動的に意識・想像されてくるところが日本語のおもしろいところ。
主語を意識しすぎて文章を書いているといつしか日本語をこわしていくことになっていくのかなと考える。印欧語文法で日本語を分解することの非が見えてくる。
こんな年になって読む本ではなく、もっとずーっと若い人たちに教えなければならないことだなと思う。そして"普通の、普段着の"感覚で文章をどんどん書くことをさせなければだけだと思う。
大きな教養のひとつというより、教養を"そのひとなりのかたち"にするのが"文章を書く"ということだろう。
学校の作文て、読書感想文しかなかった・・・おっとっと、受験対策小論文なんてのもあったっけ。なんだったんだろう、あれは。
教師自体が何も考えてなかったように推察する。
指導要領ぎりぎりのところで"逸脱"してくれるような教員はいなかったな。・・・高校にはいたかもしれない。それ以下は皆無である。
パソコンの前にいる今も猛烈に蒸す。
クーラーoff。
北浦和に行きたかったけどくたくたに疲れてしまった。
K先生は大分県。
「日本語に主語はいらない」も200ページくらいになる。
今まで気にもとめなかった世界のことで、日本語についてなんにも考えてこなかった自分が恥ずかしい。
導いてくださったNさん謝謝。
主語が無くてもその文をみると自然に「だれが」ということが自動的に意識・想像されてくるところが日本語のおもしろいところ。
主語を意識しすぎて文章を書いているといつしか日本語をこわしていくことになっていくのかなと考える。印欧語文法で日本語を分解することの非が見えてくる。
こんな年になって読む本ではなく、もっとずーっと若い人たちに教えなければならないことだなと思う。そして"普通の、普段着の"感覚で文章をどんどん書くことをさせなければだけだと思う。
大きな教養のひとつというより、教養を"そのひとなりのかたち"にするのが"文章を書く"ということだろう。
学校の作文て、読書感想文しかなかった・・・おっとっと、受験対策小論文なんてのもあったっけ。なんだったんだろう、あれは。
教師自体が何も考えてなかったように推察する。
指導要領ぎりぎりのところで"逸脱"してくれるような教員はいなかったな。・・・高校にはいたかもしれない。それ以下は皆無である。
2011年8月5日金曜日
ほんとに変な天気だ。
蒸し暑い。
結局我が家は今夏いちどもクーラーを使っていないことになる。
壊れてしまうんじゃないかな。
中耕2.5時間。
このくらいが限度かなと思う。
しっかり繊維のメヒシバ等を手でむしりながらの中耕。
道路際の草むしりも途中までやる。
いつもだとこの時期はお店の帰りに盆踊りの音がしたりしてにぎやかなんだけれど今年は中止のところが多いみたいね。
同じ豆を使っても加工するひとが違うとできあがったものはだいぶちがった味になることが多い。
これは同じ人が同じ材料を加工しても日によって異なることにもつながる。
さらには機械の大量生産でも同じラインでありながら日によって微妙に違ったりする。
何が原因だろうかと聞かれても「相手が生き物だから」と「自分も生き物だから」とぐらいにしか言葉を濁すことしかできないのだろうか。
実はここがこの商売のおもしろいところだ。
毎日同じだったらやってられない。
いつ行っても同じ味のあの商品、などというあり方にはクエスチョンマークである。
世間で言う"均質"とは違う次元での均質を提供すればいい。
ジャーナリズムは記者の目の前で起きている事柄を五感をとぎすませてそれらを脳みそを通過させてことばを紡ぐ。
インプットとアウトプットはイコールであることを望む・・・・。これはおかしい。
複数の絵描きが同じ対象を同じ位置からデッサンしても出てくるものはみな違っている。
脳みそをつまりこころを通過するとできあがったものには描くひとの解釈が入っている。
解釈が入らないのが客観的かというとそうではない。
そもそも解釈なしで言葉に再生することなど不可能である。
その先はその職業にあるひとたちの文筆というなりわいそのものにある。
対象の写しのように見えて実は写しではなく創作となっている。
報道は事物そのものの忠実な再生とは成り得ない。
ここを覚めた目で再チェック、再々チェックしなければならない。
意図的な削除も当然あるだろう。
自分はなんのためにこの職業に在るのか、ということを真剣に考えてもらいたい。
その現場にいないひとたちにことばでどうやって"真実"をえるかは、報道を職とする者のそれまでの経験・教養の上に築かれたセンサーいかんによる。
目に見えることをそのまま言葉に変換しただけで真実は伝わらない。
かといって饒舌が真実に近づくどころか真実をゆがめてしまうことは想像に難くない。
なるべきでないひとがジャーナリストをやっいる現代の報道業界をもっと批判し彼らが自分のセンサーをきちんと磨いていく必要性をさとらせなけれならない。
現代の受験体制がなるべきでない人をさまざまな"不適切な職業"につかせていることは悲劇でありかつ喜劇でもある。
ただし国をほろぼす喜劇である。
きのうの新聞のことを書こうと思っていたのは1.アインシュタインの伝記の翻訳騒動と2.白川英樹先生の「科学と社会」という科学者のあり方・正義についてのコラムのことであるが、ちょいとというかだいぶ疲れてしまったのでそのうちということにしよう。
白川先生は湯川秀樹以来の立派な科学者である。
アインシュタインの翻訳ごたごたは、聞くもうんざりの腐った理科系のゴシップといえるだろう。
カネカネカネ、が隅々まで行き渡った世の中である。
結局我が家は今夏いちどもクーラーを使っていないことになる。
壊れてしまうんじゃないかな。
中耕2.5時間。
このくらいが限度かなと思う。
しっかり繊維のメヒシバ等を手でむしりながらの中耕。
道路際の草むしりも途中までやる。
いつもだとこの時期はお店の帰りに盆踊りの音がしたりしてにぎやかなんだけれど今年は中止のところが多いみたいね。
同じ豆を使っても加工するひとが違うとできあがったものはだいぶちがった味になることが多い。
これは同じ人が同じ材料を加工しても日によって異なることにもつながる。
さらには機械の大量生産でも同じラインでありながら日によって微妙に違ったりする。
何が原因だろうかと聞かれても「相手が生き物だから」と「自分も生き物だから」とぐらいにしか言葉を濁すことしかできないのだろうか。
実はここがこの商売のおもしろいところだ。
毎日同じだったらやってられない。
いつ行っても同じ味のあの商品、などというあり方にはクエスチョンマークである。
世間で言う"均質"とは違う次元での均質を提供すればいい。
ジャーナリズムは記者の目の前で起きている事柄を五感をとぎすませてそれらを脳みそを通過させてことばを紡ぐ。
インプットとアウトプットはイコールであることを望む・・・・。これはおかしい。
複数の絵描きが同じ対象を同じ位置からデッサンしても出てくるものはみな違っている。
脳みそをつまりこころを通過するとできあがったものには描くひとの解釈が入っている。
解釈が入らないのが客観的かというとそうではない。
そもそも解釈なしで言葉に再生することなど不可能である。
その先はその職業にあるひとたちの文筆というなりわいそのものにある。
対象の写しのように見えて実は写しではなく創作となっている。
報道は事物そのものの忠実な再生とは成り得ない。
ここを覚めた目で再チェック、再々チェックしなければならない。
意図的な削除も当然あるだろう。
自分はなんのためにこの職業に在るのか、ということを真剣に考えてもらいたい。
その現場にいないひとたちにことばでどうやって"真実"をえるかは、報道を職とする者のそれまでの経験・教養の上に築かれたセンサーいかんによる。
目に見えることをそのまま言葉に変換しただけで真実は伝わらない。
かといって饒舌が真実に近づくどころか真実をゆがめてしまうことは想像に難くない。
なるべきでないひとがジャーナリストをやっいる現代の報道業界をもっと批判し彼らが自分のセンサーをきちんと磨いていく必要性をさとらせなけれならない。
現代の受験体制がなるべきでない人をさまざまな"不適切な職業"につかせていることは悲劇でありかつ喜劇でもある。
ただし国をほろぼす喜劇である。
きのうの新聞のことを書こうと思っていたのは1.アインシュタインの伝記の翻訳騒動と2.白川英樹先生の「科学と社会」という科学者のあり方・正義についてのコラムのことであるが、ちょいとというかだいぶ疲れてしまったのでそのうちということにしよう。
白川先生は湯川秀樹以来の立派な科学者である。
アインシュタインの翻訳ごたごたは、聞くもうんざりの腐った理科系のゴシップといえるだろう。
カネカネカネ、が隅々まで行き渡った世の中である。
2011年8月4日木曜日
梅雨末期の不安定なお天気
のような毎日。
松井さんが法事で豆腐を出したいと自分で作ったサトウイラズを持ってくる。
会場に佐藤さんはいないだろうね。
プリンスメロン食べる。
かたい、まずい、他にいうことない。
収穫はやすぎか?
中耕3時間。
朝刊と夕刊両方におもしろい記事あり、あした書こう。
疲労、疲労、疲労。
松井さんが法事で豆腐を出したいと自分で作ったサトウイラズを持ってくる。
会場に佐藤さんはいないだろうね。
プリンスメロン食べる。
かたい、まずい、他にいうことない。
収穫はやすぎか?
中耕3時間。
朝刊と夕刊両方におもしろい記事あり、あした書こう。
疲労、疲労、疲労。
2011年8月3日水曜日
7/25に蒔いて
発芽していない品種があり、これ以上待っても無駄と他の品種をそこに蒔く。
3枚目中耕。
すいかひとつ収穫。
プリンスっぽいメロンひとつ収穫。
あした切る。
一部猛烈な雑草あり、苦労する。
耕耘機は押すのと舵取りで筋肉痛をもたらす。
気温は低くて楽だったが疲れた。
夕方パートが「熱中症の症状のひとつに"足などがつる"ということがある」と教わる。
水飲まなきゃだめよと言われる。
なるほど。
アルコールは効かないのかな?
お店に向かう途中エデンの東のサントラ。
ジェームズ・ディーン・・・・どこかでみたことがある、・・・そうだ埼玉屋の目だ。
なにかにひたむきな・・・、そうだ、そうだ。
ガロの「学生街の喫茶店」。
この声には感激した。
昔から何度も聞いたことのある有名な曲だが、彼の声質について意識したのは初めてである。
彼はポールマッカートニーがいなくなったビートルズに参加したらすばらしい歌唱を我々に与えてくれたはずである。
声質に対する自分の好みぴったりの男性の声である。
洋楽の声楽はこのさいどうでもいい。
ほんとに心地よい声質であることに今になって気づいた次第である。
お店に良く来てくださる老夫婦とおしゃべり。
こっちが知らないのに向こうはこっちのことを・・・、というお客様でおだやかでやさしい夫婦だ。
いつも「話し相手になってくれてありがとう」と言ってくださるのだが、幸せをいただいているのはこちらかもしれない。
ありがたいことだ。
「すいません」ということばが否定的に取り上げられることが多いのだが自分はこの「すいません」をよく連発する。
交通事故などで「すいません」を先に言ってはならない、というのはよく知られた見解だが「ちょい待てよ」という感じがする。
すいません、というのは「わたしがわるうございました」という意味の時ももちろんあるが、現実のそのことばの使用場面ではもっと多用な意味のニュアンスを含んでいて必ずしも「あやまっている」ということばかりではない、いや謝っているという場面よりは他の意味で使われている場合のほうがはるかに多い。
けさも良く顔を会わす大型の運転手と荷さばき場でおしゃべりをしたとき帰りしなに彼が「すいません、それじゃあ」と言ったのを受けて考えてしまった。
言った言葉の文字通りの意味のとおりのことを意味していないから「あいまいな日本語、あいまいな国の日本」などという揶揄が生まれてしまうのかもしれないが、「文字通りの意味」以外の言外の意味とか遠回しにやわらかくとかニュアンスを相手に考えさせるとかいったことを要求する日本語は、生活の歴史から生まれた日本人の生活のセンスみたいなものを求める言語なのかなと思う。従ってはっきりものを言わないで遠回しに言い相手に「気を利かせ」たり想像力をはたらかせたりすることを求める文化なのかなと思う、ものの考え方とことばの使い方はどちが卵でどっちがニワトリということはわからないが、日本にいたら日本の論理に従うということだろう。
「トンネルを抜けると・・・・」の一文のニュアンスの豊かさは日本人にしかわからないと思う。
幼児期に英語の感覚をしみこませようとするのは、こういった日本語のセンスの刷り込み過程を妨害・攻撃するものであると言ってよい。
帰国子女をエリート扱いするいなかものコンプレックスは捨てよう。
日本に生活してしかすり込まれ得ない幼児体験を重視すべきである。
日本語は印欧語ではない。
違う論理でいきている言語である。
印欧語の論理で日本語に点数つけるのはおかしい。
ただし政治や外交のようにだましあいの世界では印欧語の論理で言葉を紡ぎ、かといって所詮ことばはことばでいつでも裏切られる可能性ありということを前提に相手に対処しなければならない世界だろう。言ったことの言質がけんかの材料・証拠になるのだから。
自国の文化に対するプライドを大切にしながら、政治のかけひきではいわゆる"論理的"をあやつれる能力が要求される。
ただし論理的だけでは"ひとの道"を実現できるものでないことはわかっているだろう。
太田裕美がコマーシャルをやっていた、えへへへ。
このスポンサーはセンスが良い。
電通でなくスポンサー自身のオーダーでなければ56才のおばさんを選択はしないだろう。
3枚目中耕。
すいかひとつ収穫。
プリンスっぽいメロンひとつ収穫。
あした切る。
一部猛烈な雑草あり、苦労する。
耕耘機は押すのと舵取りで筋肉痛をもたらす。
気温は低くて楽だったが疲れた。
夕方パートが「熱中症の症状のひとつに"足などがつる"ということがある」と教わる。
水飲まなきゃだめよと言われる。
なるほど。
アルコールは効かないのかな?
お店に向かう途中エデンの東のサントラ。
ジェームズ・ディーン・・・・どこかでみたことがある、・・・そうだ埼玉屋の目だ。
なにかにひたむきな・・・、そうだ、そうだ。
ガロの「学生街の喫茶店」。
この声には感激した。
昔から何度も聞いたことのある有名な曲だが、彼の声質について意識したのは初めてである。
彼はポールマッカートニーがいなくなったビートルズに参加したらすばらしい歌唱を我々に与えてくれたはずである。
声質に対する自分の好みぴったりの男性の声である。
洋楽の声楽はこのさいどうでもいい。
ほんとに心地よい声質であることに今になって気づいた次第である。
お店に良く来てくださる老夫婦とおしゃべり。
こっちが知らないのに向こうはこっちのことを・・・、というお客様でおだやかでやさしい夫婦だ。
いつも「話し相手になってくれてありがとう」と言ってくださるのだが、幸せをいただいているのはこちらかもしれない。
ありがたいことだ。
「すいません」ということばが否定的に取り上げられることが多いのだが自分はこの「すいません」をよく連発する。
交通事故などで「すいません」を先に言ってはならない、というのはよく知られた見解だが「ちょい待てよ」という感じがする。
すいません、というのは「わたしがわるうございました」という意味の時ももちろんあるが、現実のそのことばの使用場面ではもっと多用な意味のニュアンスを含んでいて必ずしも「あやまっている」ということばかりではない、いや謝っているという場面よりは他の意味で使われている場合のほうがはるかに多い。
けさも良く顔を会わす大型の運転手と荷さばき場でおしゃべりをしたとき帰りしなに彼が「すいません、それじゃあ」と言ったのを受けて考えてしまった。
言った言葉の文字通りの意味のとおりのことを意味していないから「あいまいな日本語、あいまいな国の日本」などという揶揄が生まれてしまうのかもしれないが、「文字通りの意味」以外の言外の意味とか遠回しにやわらかくとかニュアンスを相手に考えさせるとかいったことを要求する日本語は、生活の歴史から生まれた日本人の生活のセンスみたいなものを求める言語なのかなと思う。従ってはっきりものを言わないで遠回しに言い相手に「気を利かせ」たり想像力をはたらかせたりすることを求める文化なのかなと思う、ものの考え方とことばの使い方はどちが卵でどっちがニワトリということはわからないが、日本にいたら日本の論理に従うということだろう。
「トンネルを抜けると・・・・」の一文のニュアンスの豊かさは日本人にしかわからないと思う。
幼児期に英語の感覚をしみこませようとするのは、こういった日本語のセンスの刷り込み過程を妨害・攻撃するものであると言ってよい。
帰国子女をエリート扱いするいなかものコンプレックスは捨てよう。
日本に生活してしかすり込まれ得ない幼児体験を重視すべきである。
日本語は印欧語ではない。
違う論理でいきている言語である。
印欧語の論理で日本語に点数つけるのはおかしい。
ただし政治や外交のようにだましあいの世界では印欧語の論理で言葉を紡ぎ、かといって所詮ことばはことばでいつでも裏切られる可能性ありということを前提に相手に対処しなければならない世界だろう。言ったことの言質がけんかの材料・証拠になるのだから。
自国の文化に対するプライドを大切にしながら、政治のかけひきではいわゆる"論理的"をあやつれる能力が要求される。
ただし論理的だけでは"ひとの道"を実現できるものでないことはわかっているだろう。
太田裕美がコマーシャルをやっていた、えへへへ。
このスポンサーはセンスが良い。
電通でなくスポンサー自身のオーダーでなければ56才のおばさんを選択はしないだろう。
2011年8月2日火曜日
夜中に両足がつり
いたくない姿勢は?
と考えていたら睡眠不足。
わめきたいくらいであったが、こういうことで救急車も呼べないだろうね。
筋肉痛だと思う。
つまり耕耘機を押しかつ方向をコントロールすることは大変力のいること。
それに操作しながら大きな草をむしっている、これが疲れるのだろう。
畑から帰ってきてお風呂に入り出たとたんこんどは片足がつる。
立って動いていればなんのことはないのだがしゃがんでいると危ない。
だいぶ疲れているようだ。・
お店にいるときよく来てくださるお客様がソニーのウォークマンのマークのついて音楽プレーヤーを首からさげていた。アップルでないところがすてきだった。
2,3万するのかと思ったら6000円台とのこと。
MDはその2倍程度の大きさなのでさほどコンプレックスを感じることもないなと思った。
と考えていたら睡眠不足。
わめきたいくらいであったが、こういうことで救急車も呼べないだろうね。
筋肉痛だと思う。
つまり耕耘機を押しかつ方向をコントロールすることは大変力のいること。
それに操作しながら大きな草をむしっている、これが疲れるのだろう。
畑から帰ってきてお風呂に入り出たとたんこんどは片足がつる。
立って動いていればなんのことはないのだがしゃがんでいると危ない。
だいぶ疲れているようだ。・
お店にいるときよく来てくださるお客様がソニーのウォークマンのマークのついて音楽プレーヤーを首からさげていた。アップルでないところがすてきだった。
2,3万するのかと思ったら6000円台とのこと。
MDはその2倍程度の大きさなのでさほどコンプレックスを感じることもないなと思った。
2011年8月1日月曜日
やや蒸すが快適な一日だった。
ごごすずしかった。
仕事中なんと3度も「山下さん、血色いいですね、健康的ですね」と言われる。
身に覚えないんだけど・・・・こころは病んでいるのです、と答えておいた。
家の裏の2枚目、中耕だげはどうにもならない"畝上"の雑草つまり"株間"の雑草取りをやる。
15畝くらい密生したところか゜ある、雨で一気に伸びたらしい。
ふつうの手作業草むしりなのでこし痛く、汗びっしょりの作業となる。
ただしすずしいので結構はかどり、一枚ほとんど片付く。
草をむしったあと中耕。
京都の香り茶豆、白州青豆、ナカセンナリ、さやなみ一部の花が咲いていた。
仕事からの帰りNHK FMでリストのピアノ曲。
1894年にショパンに捧げられた・・なんだっけ、・・・曲。
20世紀の前衛の萌芽が生まれている。
ただむつかしいだけで敬遠されてきたリストだがもっと聞かなければと思う。
前衛とロマンチシズムの共存。
1894年の段階では全く理解されなかったと思う。
夕刊に、吉永小百合の発言で「原発なくなって。今まであいまいに受け止めていた。なんとなく反対していた。・・・もっと原子力について知っておくべきだった」と語っていた。
Nさんのブログそのままで"(理解に努力を要するのでどうしても避けて通りたがるが)しっかりとした知識を身につけて批判精神を養っておかなければ成らない"ということだ。
遺伝子組み換え同様あまりにもむつかしくて近寄りがたい"特別知"の領域だが、知らない間に取り返しのつかない社会になってしまわないように普通のひとたちがしっかりと監視しなければならない。
当然御用学者でない専門家たちの市民向けの説明が必要となる。
原発は地域や学会・企業の利害と官のわがまま、遺伝子組み換えだと学会・企業・官のエゴや癒着、・・・と黒々としたカネや利権の問題に利用された"科学の進歩"ということがだれからも批判されにくい言葉のレトリックで知らない間にどんどん振興・進行されてしまい、一般市民にはわけがわからないまんま安全の縁においやられてしまうのである。
税金を使って行われ、しかもなにかコトあれば税金で穴埋めする、という責任の所在について目くらましをくわされるこういった領域の出来事には市民はピリピリとして神経をとがらせていなければならない。
きのうの埼玉県知事選挙みたいにほぼ全党支持、争点もなにもない選挙て゜当選した知事に何を求めるのかということだが・・・。
撰ぶひとがいなくて棄権したひともきちんと知事の政策を批判精神をもって見つめていかなければならない。
3選で今回の次はないと考えられるがまじめに考えてもらうことを望むばかりである。
中央の争いは別としても、県議会ほぼ全体が与党という状況には正義の追求という姿勢は生じない。ただの多数決しかない。
ランボーのIlluminationsの英訳をアマゾンで注文。
John Ashberry の訳がとても高く評価されているので興味を示す。
フランス語はあまりに遠きにかすんでしまい・・・・。
£12.95でハードカバー、円高なのでお買い得だろう。
仕事中なんと3度も「山下さん、血色いいですね、健康的ですね」と言われる。
身に覚えないんだけど・・・・こころは病んでいるのです、と答えておいた。
家の裏の2枚目、中耕だげはどうにもならない"畝上"の雑草つまり"株間"の雑草取りをやる。
15畝くらい密生したところか゜ある、雨で一気に伸びたらしい。
ふつうの手作業草むしりなのでこし痛く、汗びっしょりの作業となる。
ただしすずしいので結構はかどり、一枚ほとんど片付く。
草をむしったあと中耕。
京都の香り茶豆、白州青豆、ナカセンナリ、さやなみ一部の花が咲いていた。
仕事からの帰りNHK FMでリストのピアノ曲。
1894年にショパンに捧げられた・・なんだっけ、・・・曲。
20世紀の前衛の萌芽が生まれている。
ただむつかしいだけで敬遠されてきたリストだがもっと聞かなければと思う。
前衛とロマンチシズムの共存。
1894年の段階では全く理解されなかったと思う。
夕刊に、吉永小百合の発言で「原発なくなって。今まであいまいに受け止めていた。なんとなく反対していた。・・・もっと原子力について知っておくべきだった」と語っていた。
Nさんのブログそのままで"(理解に努力を要するのでどうしても避けて通りたがるが)しっかりとした知識を身につけて批判精神を養っておかなければ成らない"ということだ。
遺伝子組み換え同様あまりにもむつかしくて近寄りがたい"特別知"の領域だが、知らない間に取り返しのつかない社会になってしまわないように普通のひとたちがしっかりと監視しなければならない。
当然御用学者でない専門家たちの市民向けの説明が必要となる。
原発は地域や学会・企業の利害と官のわがまま、遺伝子組み換えだと学会・企業・官のエゴや癒着、・・・と黒々としたカネや利権の問題に利用された"科学の進歩"ということがだれからも批判されにくい言葉のレトリックで知らない間にどんどん振興・進行されてしまい、一般市民にはわけがわからないまんま安全の縁においやられてしまうのである。
税金を使って行われ、しかもなにかコトあれば税金で穴埋めする、という責任の所在について目くらましをくわされるこういった領域の出来事には市民はピリピリとして神経をとがらせていなければならない。
きのうの埼玉県知事選挙みたいにほぼ全党支持、争点もなにもない選挙て゜当選した知事に何を求めるのかということだが・・・。
撰ぶひとがいなくて棄権したひともきちんと知事の政策を批判精神をもって見つめていかなければならない。
3選で今回の次はないと考えられるがまじめに考えてもらうことを望むばかりである。
中央の争いは別としても、県議会ほぼ全体が与党という状況には正義の追求という姿勢は生じない。ただの多数決しかない。
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John Ashberry の訳がとても高く評価されているので興味を示す。
フランス語はあまりに遠きにかすんでしまい・・・・。
£12.95でハードカバー、円高なのでお買い得だろう。
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