「最後にだれかに看取ってもらいたいんじゃん」と冗談で言ったことばは、実はとても重い言葉でこの年齢になると痛切にその必要性を感じるものである。
看取るとは亡くなるその日だけのことではない。
終わりを意識し始めてからのひととのこころの通い合い、ことばのやりとりのことである。
60前後にもなると多かれ少なかれさまざまなタイプの死をみてきていることになると思うが、"死に方"から"生き方"を学ぶことばかりである。
死の直前に亡くなろうとする親にあれやこれや尽くそうとしても、それ以前の行動の底流にある"思い"は自然に死の直前に無意識のうちに出てきてしまうもので、親不孝だったものが突然親孝行になれるものではない。
親孝行なんて古くさい・安っぽい言葉をと一笑に付されてしまう時代だが、大切な言葉だ。
ひとのことはとやかく言えないがいやなものをみすぎてきた。
老後とは"看取り"そのものかもしれない。
長いひともいれば短い人も。
3時頃雷が・・・。
かなりすごい雷で5分ほど停電。
7時頃まで降ったのかな?
中耕と草むしり。
西日の当たらない住宅の陰は作物はまったく生成長きないのに雑草は伸び放題。
きょうは久々に暑くて2,30分ごとに休憩。
涼しくなるであろう3時頃からゴロゴロと鳴りだしたわけ。
帰ると久々に日曜美術館。千足先生は顔はそのままだが体躯はやや老けたかな?
セガンティーニがおもしろかった。
ただの風景画家ではない。
オスロ市立(国立?)美術館のムンクの部屋は要するに彼の代表作がみんなそこにあったのね。
あまり好きではないのかもしれないが自分に近いような気もする。
この番組はいつまでも続いて欲しいな、もっともほとんど見なくなってしまったが・・・。
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