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2011年8月15日月曜日

川の中には

国際色豊かないろんな獰猛魚がいるんだね。
川遊びも気楽にできる時代ではないようだ。
売る人間に責任がある。
大きく成りすぎて、買うことに飽きて・できなくなって、・・・といろいろ理由はあるだろうが売る側にはそんなこと想定内だと思う。
買う・飼う側の幼児化と無責任体質が一番の問題だが海外の動植物を安易に持ち込み家庭に隔離して育成なんていずれはこわれてしまうマナーだ。
一般人のこういったものの売買自体禁止したほうがいい。
グローバル化の大きなマイナス点のひとつ。

こどもを川に入れられない状況がすぐやってくる。
在来種も駆逐される。
日本語のようになんでも飲み込んで同化・変容と言うことは生き物にはできない。
食うか食われるか。

農作業はお盆中は御法度。

ミューズへ上村さんの回顧展に。
婦人はやはり体躯はちいさく少し猫背という具合に年取ったと思ったがお顔はつやもよく目もいきいきとしていた。言葉にやや元気がなくなったかな。
反骨の画家で、できあがった"形式"の選択つまりできあがった権威にたよることを終生きらったひとで生き方を学ぶ。まったく世間に媚びない。
"形式"の問題は芸術家たちにはみなつきまとう問題だが、安易な生き方を望めばすでにできあがったところへ身を・・・、ということになるのだろうが芸術とはそもそも前の時代までになかったものを作りだし・掘り起こしていく仕事。
そもそもが真剣になればなるほど孤独な作業で、似たもの同士のわいわいがやがやの集団では得るモノはないのだろう。
かと思うとバッハのように与えられた枠の中を極限まで遊び尽くしそれでいて既成のの形式をおおいに意識させなおかつ意識させないという窮め尽くしをなしてしまうひともいた。

単純作業の毎日かもしれないが我々ものつくりのヒントがこういったひとたちのなかにはたくさんある。
いい絵、いい音楽・演奏、いい文章・・・もっともっと体験・体感しなければならない宝の山が身の回りにはたくさんある。

66回目の終戦記念日。
我が家には戦死者はいなかったが本家や母方本家等には当然おり、どこの家庭でもわれわれ以前の世代にはつらい記憶がたくさん残っていることだろう。
所沢には陸軍の飛行場があったためその周辺は大変な爆撃を受け、亡くなったひとも多い。
我が家の前にも一軒住宅があり直撃されひとりトイレに落ちた子だけ助かりあと全員死亡した。
我が家はそのとき南北方向の爆風で障子がすべて吹っ飛ぶ。
父の出征の時の写真を見た記憶がある。
我が子を戦地におくる親(特に母親)の気持ちはいかばかりの苦しみに・・・。
町内会のその世代の・・・もう90前後・・・ひとの中にはシベリア抑留者もいる。父のいとこもそのひとり。今も健在だが自分史を書いているとか。
思えば子供の頃祖父が軍隊で使っていた袋状の(背嚢?)物入れを良くみせてくれ、裁縫道具を出しては農作業着のほころびを直しているのを見学したものだ。祖父の床屋さんも良くやったっけ。祖母の農作業を手伝うために急さかをリヤカー押していったのを思い出した・・・・。なんかあとからあとから。
おまけにフランダースの犬のアニメのあの場面をやっている。
すぐ泣いてしまうな。

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