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2011年3月31日木曜日

桜開花

無数のつぼみの中にちらほら開いたものも。

フーデックスでもらった群馬県上野村のパンフレットをみてなつかしむ。
三国峠のちょい東の御巣鷹山は日航機事故であまりにも有名で現地入りのために奥深い林道が舗装された。
下仁田の奥は低いながら山水画然とした山ばかりですてきな箱庭である。
この上野村のパンフレットについてるミニ登山ガイドでは2,30年前なら岩登り・藪こぎ・ルートファインディング能力のないものは近づかないようにというのが当時の常識だったが天丸山、帳付山、諏訪山・・・等といった名山がこういった一般向けガイドに載ってしまうということはかなり整備されたということだろうか。

天丸に突き上げる沢だったかどうか記憶が定かでないが所ノ沢(ショノサワ)という沢があり初めてその名を発見したときはにたっとしたものである。
打田さんが西上州のガイド・地図を出してからもう20年以上たつと思うが今山ブームのようでけっこうたくさんのひとたちが入っているのかな。アクセスはあいかわらず車だと思うがマイクロバスを利用した集団登山もはやっているので不便なところに案外気安く入っているのかもしれない。

このパンフレットを見ているとなんか移住したくなってしまう気がする村である。

久しぶりに脱穀する。
青梅街道柳澤峠ちょっと手前にて収集の"たぶん在来種"。
咳き込まないようにと大げさな防備の格好で2時間。
目が疲れたせいか夜になってもちかちかしている。

あしたからお店は8時閉店。
7時閉店でずーっと売り上げはよかったがまたあしたから下がるだろう。
早く閉まる、という緊張感がいいのだと思う。節電にもなる。
長い営業時間="サービス"という言葉には疑問を感じる。

佐藤忠良さんがなくなった。「若者たち」の佐藤オリエさんのお父様だ。
相原さんの胸像を2つ制作され、ひとつは帯広の美術館前の雑木林に、もうひとつは相原邸にある。相原邸iにおじゃまするときは必ず像に向かって挨拶するが、制作者自身も亡くなってしまったか9?歳。

相原先生が元気なころ東京都美術館で毎年催される新制作展を訪れると彫刻部門に行くと必ず船越保武さんの作品とともに出品されていて新制作の創立メンバーとして若手に元気を与えていたのを思い出す。
猪熊さんもいない。みんないなくなってしまった・・・・・けど作品は生き続ける。
豆腐は一瞬・・・・おっとっと、ここはへんな展開をすると猪熊先生におこられる。

2011年3月30日水曜日

東電株額面割れ

汚染水は処理可能と専門家の方々が言っていた。
最終的に六ヶ所村へ行って処理とのこと。

農作物の風評被害で自殺した農家がいるとのこと。
言葉も出ず。

スーパーはほぼ正常になったようだ。
豆腐はまた供給過剰の無駄競争に戻った。

ぽかぽかと暖かい。
開いた桜のつぼみは発見できなかったがもう秒読みだろう。

農協の総会。
あと一回残して終了、やれやれ。

2011年3月29日火曜日

3月ももうすぐ終わり

新しい年度を迎えるといっても気は重い。

宮城シロメ22年産とギンレイ21年産をブレンドしてみる。
宮城シロメは味のふくよかさに欠けるためギンレイの青味を薄めるだけの感じがしないでもないが、人工乾燥済みの落札大豆にしてはほわーとした感じが豊かでいい味となる。
入札にかけられる豆にはほんとうの意味で加工者に「新」としてわたることはない。
ほんとうの「新」は自分で作るか、農家から入札非経由の高い大豆を買うしかない。

お店でお米の特売をやっていた。
品不足のとき大量に仕入れたものの売れ残りだろう、去年が不作でもないのになくなるわけがないのにね。
水もカゴ車にいっぱい積んであった。
ヨーグルトはすぐなくなってしまう。
納豆は朝はひととおりならぶようになったが、今まで食べられなかったひとが余計食べたくなったせいかすぐなくなってしまう、おひとり様一点限り。
豆腐は潤沢である、こんにゃくはもちろん売れない、漬け物も売れない。
豆腐はむつかしい。トップがすぐ入れ替わるのもうなずける。

2011年3月28日月曜日

桜がいまにも咲き出しそう。

あんなことがあっても春はまた来るんだナー。

あしたから本来の車にもどる。

そろそろ脱穀をしないとね。
体調悪くて地震の数日前からずうっと休んでいる。
なまけ癖がついてしまったかもしれない。

物流はだいぶ安定してきたようで、豆腐、パン、納豆もやっとなんとか、米、ミネラルウォーターも母子手帳なくても・・・という状態になってきたようだ。
早じまいばかりの飲食店も少し遅くまでやるようになる。
飲食店の打撃が、放射能関連をのぞくと、もっともひどい。
景気は悪いとはいえ、いつになったら「フツー」になるんだろうか。

2011年3月27日日曜日

コンタックという鼻炎の薬を

昨晩飲んだら夜中の咳は出なかったようだ。
そして朝起きたときは頭は快調で昼頃から目の上あたりがずきずきするというのがだいぶ軽くなったような気がする。効いたのかな?

ヤマト完結編というのを観る。この"完結"のあとにまだ続いて出るんだと思うがややこしい。
亡くなったひとが出てきたりで混乱するのだが。
上手下手は別としてやはり長編・シリーズものはおもしろい。

愛・いのちのつながり(血のつながり、というより広い意味で)が美しく描かれた年寄りにも感動できる作品だと思う。

いのちのつながりについてはここのところ敏感に感じているところでもあり、また地震のこともあって日々いきる・死ぬの問題を考えたりしているので、いろんな重ねあわせができ、三国志と並んで考える契機を与えてくれる作品である。
今キーボードの脇においてあるのは岩波「完訳 三国志」と武澤先生の「伊勢神宮の謎を解く」それとぼろぼろになったモームの「人間の絆」、岩波文庫の「戦争と平和」第2巻。
長編がいい。繰り返し読むのがいい。お粗末な人生ながらため込んだものをを通して・濾過して想像力を働かせるのが楽しい限りだ。

宗教は苦手だが自分なりに宗教心は強いとは思うのだが・・・。

天命・いのちのつながり、深い深いテーマである。
縁・赤い糸・導くもの・天罰・・・・人間の努力の範囲を超えるおおきな力、努力するものにちょいとほほえんでくれる高いところにいる何か・・・。

2011年3月26日土曜日

気温はそこそこあるのだろうが

風が強くて寒い。
宇宙戦艦ヤマト劇場版3作目を観る。
凝り性を生む作品かもしれない。
涙した場面もあった。
あまり芸術性などということを考えなくても心ふるえるものをもっている。

昼過ぎ地震後活躍した軽自動車を給油に行った。全く待たない。
セルフでなくなじみのところがあるのでそこに行ったが「やめないでね」と言った。
セルフは一度しか行ったことがない。

夜仕事の帰りに西友へへ行く、のど飴を買うため。
ついでにぐるりと見学。
部分的に全く欠品のコーナーが。
納豆、牛乳、ヨーグルト、飴も空いてるところが・・・。
豆腐は残っている、この業種は供給過剰である。
平素いかに廃棄の量が多いか推察されうる。

帰ってくると世界の十大珍風景なる番組。
おもしろかった。
こういった素朴な「科学こころ」がきわめて大切なのだと思う。
なんといっても「おもしろい、うわー」としたものがある。
オーロラの撮影がすごかったが、ギアナ高地や石灰質山地の密林に生じたちいさいいくつもの湖(池)が底でつながっている・・・つまり鍾乳洞が水でふさがった状態のものなど、行ってみたいものばかりであった。
私は「この世で一番おもしろいのは人間関係」というタイプの人間ではなく、この番組のような素朴な驚きに重きを置くタイプであることをつくずく感じる、小さいときからずーっとそうである。
ことばのやりとりとか、組織の泳ぎ方・運営とかはまったくだめなタイプで、かといって絵や音楽を紡ぎ出せるタイプでもなく典型的な小市民的皮肉屋なのかな、ははは。

2011年3月25日金曜日

母子手帳提示

ということでミネラルウォーターを売っていた。

原発で作業員被爆、東電の社員ではない。国民の盾になり命をかけて働いているひとたちがいる。
こういう場面でいつも犠牲になるひとはこういうひとたちだ。
きちんと作業指導しなかった担当者はきちんと処罰さるべきである。さらにそういう時の指導官庁の日々の指導にも大きな問題がある。
そして何よりもこの原発を設計した人間、並びにこういった迷惑施設をかようなところにしか作らさざるをえなくした国民全体に一番おおきな責任がある。
チェックできなかった公的機関もである。
雷で停電しても1時間や2時間で復旧できる、そんな程度の緊急事態しか予想していなかったのか?

あしたからタカノの納豆が店頭に出るそうだ。
納豆パニックが少しやわらぐのかな。

エムアールから元気な電話が来た。よかったよかった。倉庫の破損等物理的・金銭的な大きなマイナスがあったようだが、家族みんな無事・親戚もみんな無事と言うことでよかったよ。近辺のことを考えると手放しで・・・ということは言いづらいだろうが。
生きてさえいれば、いくらでもがんばれる。
ほんとによかった。

きょうの夕刊裏面(いつもはテレビ版だが地震以来地震の記事)は茨城と千葉の被害である。
こんなにひどいとは思わなかった。
死者・行方不明者の数が東北とは圧倒的に違うのだが茨城で21人、千葉で19人。家屋全半壊が茨城1813戸、千葉2112戸。
東京のディズニーランド近辺は粒状化現象でマンホールが飛び出したり道路がずれたり・・・とひどい被害だ。こんな中で浦安でも計画停電とはひとをばかにした話だ。

所沢にも「いちどでも停電になってみたいわ」なんてふざけたことをいう輩もいれば、都心のように24時間全く停電なしで夜遊びにあけくれている輩もいる。
いたみを少しでもいいから分かち合う、という教育的配慮は必要である。

停電のない地域の家庭用電気料金の震災時特別値上げをすべきである。
利益部分は東北へまわせばいい。
きょうはほんとに頭にきたよ。

2011年3月24日木曜日

こんどは水さわぎ

葛飾の金町浄水場の問題が出たが、そうだとすれば関東全部のこととなることは目に見えている。
うちは100メートル地下水なので問題ないが、利根川から取水した水道はおおむねこの前の雨で数値が増えたものと思われる。ただし放射性ヨウ素の半減期は8日ということなので一時的な"発生"は問題外だと思う。原発の現地でも押さえ込みに奮闘しているわけで押さえ込んでしまえば飛散はないわけだし。
ただし近隣の土壌に降ったモノは問題となるだろうがヨウ素はすぐになくなってしまうけどそれ以外の物質はということかな。海に流れていったモノは希釈されてしまうと思うのだが。
放射線医学の専門家があとからあとから出てくるがテレビや新聞でどれだけ客観的なことを言っているのかははっきり言ってわからない。
ただ一過性なので毎日"供給"され続けるということとはまったく違うのでこういう発表もきちんとした説明をしなければならない。
だいいち被災地では毎日のようにこちらより多量のものが降っているのでありむこうからみたらこちらの大騒ぎはなんとみられるだろうか。
広島に原爆が落ちて直接放射能を浴びなかった近隣市町村のひとたちは今よりはるかに大量のモノを空中から、雨で、野菜から、魚から・・・摂取していたはず。
そういった"周辺部分"の追跡をした学者はいなかったんですかね。

人間の飽くなきぜいたく探求のために作りつづけられている電気。
無くてその"当たり前さ"に反省を強いられているわけだが、これも停電解消の努力がみのるとすぐ忘れてしまうことだろう。
さすればこのままずーっと計画停電で行ったらいいの。
国力は落ちていくだろう?。
どうしたらいいんでしょうかね。

夜6時半から8時まで停電、10時までと思っていたが、すぐついてよかった。
お店から帰るときある場所から真っ暗になり「あー、こういうことか」と納得。
暗闇を無灯火の自転車が右側を走ってきたりしてひやりとする。
闇をとおして多くを学び・考える。戦争中と比べればこんな程度のことか、と思う。戦争は知らないけれど・・・。

2011年3月23日水曜日

こぶし並木の花が咲き始める。

ソメイヨシノもぷっくらとしてきた、ことしはやや遅めかな4/1を挟んで満開ぐらいだろか。
ガソリンスタンドがだいぶ落ち着いてきたようた、どこも10台程度の並びのようだが。
一回も並ばなかったのでなんか得したようである、どの車もそもそも満タン近く入っていたのがよかった・・・単なる偶然かな。習慣ではない。

きょうは停電はなかった。
ほっとしたような拍子抜けのような。
前の晩に「あしたはありません」と言われても「はいそうですか」と100パーセント信じるわけにはいかず、いちおう「緊急に」停電してもいいように早く起きなければならない。
まあ、大変な曜日が水曜と木曜ということがわかってきただけでもましだが・・・。

夏の停電はほぼ確実にやってくるようだ。
要冷蔵・要冷凍商品の大量生産・大規模流通というあり方におおきな疑問が投げかけられる契機になると思う。
商売のあり方としてやはり渡辺さんのつくった「かたち」が食品製造・販売の美しい究極の型になっているとますます強く認識する。

武澤先生の『伊勢神宮の謎を解く』(ちくま新書)を読み進める。
改めて先生の想像力の豊かさというか真の教養の力を感じる。
ただの本読みでは無い、ただの空想家でもない。ただの説明・受け売り学者でもない。

2011年3月22日火曜日

熱というより鼻炎かもしれない

目の上あたりがぎんぎんする。
鼻炎かもしれない。

雨で寒い。
9時からお昼ちょいすぎまで停電。
今日は軽くこなすが、やはり停電の時間帯にできることが限られ時間の無駄となる。電気のありがたさを感じる・・・というか感じさせられる。
スーパーは停電時間帯は(実行されようが中止になろうが)休んでしまうタイプと実行されたらそのときはそのとき閉店、ということで開いているところもある。
銀行・信金等も「とりあえず停電停止時間帯まで、停電が実行されていようがいまいが休店」というのが多いようである。

停電するしないの基準がなんとなくわかってきたが、1.駅とその周辺、2.市役所の周辺、3.情報関連の公共施設は絶対に停電しないようである。 それ以外の地価の安いいなか部分は確実に停電している。

ヤマトや佐川のように経費節減で集配の地域統括センターを地価の安い郊外や山間部に置いているところはおおむね停電の被害を受けている。そして混乱している。
ゆうパックのセンターはおおむね市役所や東電の営業所のそばにあるので停電は全く無く安定しているようである。
末端の集荷・配達が時間や温度管理でどんなにすぐれていたとしても、センターのバーコード機械仕分けがストップしてはにっちもさっちもいかず停電の間は業務ストップというわけである。

これが真夏にまで終了していなかったらどういうことになるだろう。
5月くらいから保冷はとても神経質な部分となる。
製造所で停電すると冷蔵庫の開閉は禁止、納品先の冷蔵庫も停電・・・飲食業は四六時中ドア開閉、宅配すると一次集荷所の冷蔵庫停電・地域統括センターでも冷蔵庫停電・配送先センターでも停電・・・悪条件が重なると・・・、ということになる。
4月一杯で停電終了はまず考えられない。
何が起こるんだろう。
今目の前で起こっていることはほんの序の口にすぎないような気がする。

流通に時間のかかる取引形態のメーカーは危機におちいるだろう。
冷蔵・冷凍倉庫業も今の停電条件のままでは営業そのものに?が生じることと思う。
電気の上の砂上の楼閣が現代の"繁栄"の実態なのかなと思う。

停電・苦痛の分配に関する"正義"に関してサンデル教授に講義でもしてもらうようかな。

ひそかに心配していた魚の問題が現実化してしまった。
現地でぎりぎり仕事を続けられた漁師もいることだろうがふんだりけられたりの結果となってしまった。
ほうれん草にしても魚にしても東電の賠償並びに国の保証が大問題となるだろう。
お金に換算した被害が当初16兆円といっていたがこれから派生してくるさまざまな長期化する問題を考えるとそんなもんですむのだろうかと心配してしまう。

2011年3月21日月曜日

全車

燃料が半分になる。・・・農作業車は満タンに近いか?
なじみのスタンドに電話するときのうで売り切れとのこと、ぎゃふん。
他のスタンドでタンクローリーが給油しているのを見かける、もちろん給油待ちの車がずらーっ。
今週はたぶんだめだろう。
運よければ来週、きびしければ来来週かなという気はするのだが。
灯油は3/4になる。ストーブ用のが10×2つあるのだが・・・。

地震後、パニックの影響によりずーっと忙しかったがきょうは一段落というかひまだった。
忙しくても何かうしろめたいものがありへんな気分である。寄付してしまえばいい。

宇宙戦艦ヤマトの初回映画版をみる。
解説の松本零士も若い。
この年齢でもおもしろく観られたが三国志には遠く及ばない。

あしたはまた停電が始まる、9時からお昼まで。
あさってはまた朝一。

2011年3月20日日曜日

国境無き医師団の

会長さんが「買い占めなんかで私たちを苦しめないでください」と被災地から。

夕飯時、地震の2日前から熱のため飲んでいなかったビールをはじめて自主的に飲む。
飲みたくなったから飲んだわけで、熱は平常になったのかな?
三国志をすべて観おわる。60時間くらいだろうか。
孔明が無くなってからは進展が早すぎてよくわからなかったが姜維(きょうい)のための部分なのだと思う。
孔明にしても姜維にしても仕えた相手が悪すぎた。
劉備は徳の固まりのように書かれているがよく考えると暗愚な息子の劉禅と本質は同じだと思う。この2君主はひとの上に立つ人物ではない。
暗愚な君主に振り回された孔明と姜維の悲劇、が三国志演義の孔明登場以降の主題のひとつかもしれない。
それにしてもおもしろい。
想像力を刺激してくれるさまざまな要素をもっている。

2011年3月19日土曜日

やや衰弱気味

きのうおとといの停電でかなり衰弱。
きのう夜の農協会議後おちょこ2杯の日本酒でそうとうまいったがその代わり朝まで熟睡。地震前の熱の出始めからでは一番よく寝た、導入剤よりよく効く。

お客様のラーメン屋さんでティッシュが無くなってしまったとのこと、買いたくても売ってない。

今メインにしている軽自動車の燃料メーターが6割程度になる。
ふだんなら何にも気にしないのに今はやや心配になってしまう。
常に満タンにしておきたいというのがおおかたの今の心理なのだろう。
いつもと違うスタンドでガソリン待ち渋滞、もうお彼岸だしね。

ニュースで小金井にて並んでいる車のメーターを見て半分以上あるものは警察に退去させられたとのこと。是非はともかく、交通妨害の要因が少しでも減って何よりだと思う。あの渋滞(縦列?)は運転手が乗っているとはいえ違法駐車と同じだよ。

2011年3月18日金曜日

朝一停電

6時20分。
電気を使う(ということは水も熱もパッキングも・・・・要するにほとんどすべてだが)作業を6時20分までに終えなければならない。
停電が毎日不規則なので、今のところはお祭り騒ぎなのでがんばれるが、あと10日もしたらいらいらしてくるだろう。

外を回っているといろんなことがわかってくるが、同じ市内でもいままで全く停電してない地域(役所近辺でも迷惑施設近辺でもないただの住宅地)があるということだ。送電線の区分の問題だと思うがもっと公平にやってもらいたい。

2原発ダウンでこれほどのことが起きてしまうということは、現在の"ぜいたく生活"を維持するためには同じレベルのものが2つ・・・ということになり、建設の是非・代替があり得るのか否か、について大変な議論が起きることと思う。生活のスタイルそのものを考え直す好機でもあると思う。
通常の配電ルートしかもたない工場にも相当な困難が訪れるだろう。
苦しめば苦しむほど人間はというか日本人は異様な努力をするのでなんとか・・と考えたいがなにせ相手は"電気"である。
"ひと月半もすれば"というマスコミの説明も相当あやしいことに気づく。
35度の猛暑の夏が今年も来そうな感じがするが当然計画停電もまだ続いていると予想され、またまた大変な事態が起きそうである。
35-38度のもとの農作業の達成感はなにものにも代え難いが"生きる・死ぬ"のぎりぎりの世界なのでできればあんまりやりたくない。
計画停電いつまで続くのやら・・・数年は続くのかな?

高速は緊急のトラックがどんどん走っていると思うのだが、モノは被災者の望むように届いていないようだ、もう一週間たっている。
きょうごろごろが来て言うには港の倉庫には大豆等も保管されていて(輸入ばかりでなく国産も)津波で流されてしまったモノも多いそうだ。落札後なので問屋さんには大変なことだ。
被害は数え切れないくらいの広がりをもっていそう。
奥松島(町?)で民宿をやっているパートの仲良しも連絡取れずとのこと、湾の中。どこかに逃げ延びていてくれればと願うばかり。

今テレビで陸前高田市の市長さんが「今、いちばん必要なのはガソリン、灯油です」と言っていた。電気もなくこちらより5-10度も低い被災地。国は何をやっているんだろう。
きのうひとつの精油所が動き出したのかな。
来週はいくつか大きなところが稼働し始めるとか。
徐々にこちらはよくなっていくのかなと期待されるが、被災地にまずおくってください。

2011年3月17日木曜日

淡々と

日々のちいさな困りごとを書いているのが被災地の方々の苦しみと比べるとあまりにも"軽薄"と思われるかもしれないのですが、あえて"記録"を残す意味で書き続けていこうと思います。

郵便局で赤十字の口座があるとのこと。
小学生や中学生にも教えなければならないと思います、教えなくても感じてるな。

けさもスタンドの近辺は大渋滞。
横断するだけ。
スーパーに他社の豆腐も並ぶようになる。

ボイラーの灯油がタンクに半分、あと5日分。
配達は車・ルートの組み合わせの工夫で20-30日は大丈夫と思うのだが。
灯油ボイラーの市場占拠率がどのくらいか知りませんが、製造不可能工場も出てくると思われる。
この辺はガソリンスタンドと一体の問題なので国のリーダーシップを"信じる"しかないのだが・・・停電にも不平は抑えてます、個人的にも米やパンの買いだめは一切していません、食物自体がなくなって餓死することなど今の状況ではあり得ません。

飲食店がピンチである。
ここ一週間いわゆる"ゆっくり食事、飲み食い"の食べ物屋さんはほとんど閉店あるいは開店休業状態だと思う。地震を機につぶれてしまうお店もあると思う。みんな"飲みに行く"気分ではないが、も少し待って"大事と思うお店"のために"通いつめて"あげなければならないと思う・・・今はとても飲みに行く気分ではないのはみんな同じだけど・・・。

地震の前の日に38度あって地震でびっくりしたのと売薬が効いたことで37度に下がりそのあとあがったり下がったりを繰り返し毎日気持ち悪かったが、きょうひさしぶりにコーヒーを飲みたくなる。おいしかった。・・・ビールはまだ飲む気はしない。コーヒーは健康のバロメーターのような気がした、ただ体温計ではかるのはややこわい。

浅の9時から1時までの停電のあと電気を使う仕事を片付けふとんにもぐる。ここで油断できない。
水滸伝の13巻Ⅱ部をみる。英雄3人も亡くなり孔明ひとり。魏の司馬い仲達との知謀戦い。
孔明も年をとり体調も悪く過労状態との慢性化に。
ただし後継者としての姜維も現れてこの先・・・。
どっちにしてももうすぐ終わってしまう。

5時から8時まで停電。きょうは2回もあった。
あしたは朝一と1時からかな。
こんなことの繰り返しがあとひと月かひと月半。「忍」の一字だ。
燃料をなんとかしてくれよ。

2011年3月16日水曜日

道路が・・・

こんな渋滞は初めてだ。
頭の中にガソリンスタンドの位置をたたき込んで、その近辺に近づかないように運転するしかない。
あしたから軽自動車に切り替え。大事に乗っていけば4台でひと月はは大丈夫だと思うが・・・。最終的には農作業車を使う。
トラクターで配達ということも・・・、これは無理。
耕耘機用の混合燃料があるが混ぜたモノはもう分離できない。

初めて停電す。お昼から3時(4時)ごろまで。
所沢には米軍通信基地と国内の航空管制の基地があるので、この町は絶対停電しないと思ったのだが・・・・。
通信ケーブルだけでなく電源も専用のがあるらしい。これは片手落ちだと思う。
ここにミサイルを向けている国はいくつかあるはずだ。

現地に水や食料はたくさん届いているのに被災者には行き渡っていないとのこと、分配の問題やあとからあとから避難所が増えていってることから配る側が混乱している、なんとかなんないのかね。雪も降って凍える寒さ。

頭は相変わらず午後がいたい。

2011年3月15日火曜日

ガソリンスタンド、お米、パン・・・

何この行列は・・・?
道路もえらい込んじゃってと先のほうをみるとガソリンスタンド。
市場では山のように米の10キロ袋をおとといだかきのうだか買ってた一般来場者がいたとか。
石油危機の時以上だろう。
パニック状態が起きているようだ。

官房長官も総理も相当疲労の固まりとなってきているようで、たぶん"不眠"だと思う。なんか倒れそうな気がする。すこしはご自愛してください。
朝早く生島弘ひろしのラジオを聞いていたが嗚咽で原稿が読めなくなっていた、妹さん夫婦が行方不明とのこと・・・。関東の米あさり、パンあさり・・・を見ているとはすがかしくなってしまう。

今週の金曜日ころまで6時閉店らしい。
所沢にはある重要な迷惑施設があるので停電は絶対にないとのこと、あってもおかざり程度の時間だろうとのこと。

2011年3月14日月曜日

計画停電

に振り回された一日だった。
相手が休みだったり急なキャンセルだったりで、電気を使う作業を6時20分前に終了させなければならないと急いだが、結局電気はついたまま。
早い決定で清瀬市は全小学校休校。先生たちは対応にてんてこまいだった。所沢市は通常どおり。給食も作っている。
お店は休み。
現実には営業できた、電車も走っている、作戦失敗。
これにこりてあしたはうすくらがりでも営業(去年かなおととしかな、大雷でうすぐらい"クラブ"営業がなつかしい)。
市役所の防災課に質問しても東電からの説明はテレビ同様あやふやな言語明瞭意味不明らしくあいまいな返答に申し訳ない様子がみえみえであった。
あしたも6時20分からということになっているがそのつもりですすめるしかない。

それにしてもきのうは風邪薬と導入剤一錠飲んだらよく眠れた。午前中は快調。
しかし2時3時となると咳が出始め微熱も感じ始める、これじゃなおんないね。

2011年3月13日日曜日

ぶり返す

きのうより頭が重い。食欲もない。咳と鼻がひどい。軽くはなをかんだだけであたまにずきんと来る。
きょうも6時閉店。
ラジオによれば順番で地域強制停電があるとのこと。原発も想定外なのか手抜きによるものなのかわからないが大変なことになったものだ。

お昼のニュースでマグニチュードが9.0に上方修正される。
世界最大級レベルとのこと。
日本人が今までだれも知り得なかった世界の揺れか?

午後ずーっと横になっていた、がうとうとはできなかった。
きのうより調子悪い。
仕事から帰ってくるとふらふらだ。

2011年3月12日土曜日

被災地の皆様にはこころよりお見舞いもうしあげます。

一夜明けて被害の甚大なることがどんどんわかってきたようだ。
BBCのニュースでもきのうの午後からずーっとトップニュースだ。
TSUNAMIの文字がいたいたしい。
原発のニュースがやたらと多い。
相馬市というと亘理郡とかいうところがあって岩手山か早池峰に登ったとき帰りに盛岡まで送ってくれたかたが住んでいるところだ。心配だ。
いわきの小名浜もサイクリングで寄ったことがあり魚市場も見てきたので゜やはりひとごとには思えない。
直後なので遠くにいるものには何をしたらいいのかわからないけどカネのある人もない人も税金を介してではなく直接なんらかのHELPを出すのは国民の義務だと思う。神戸の時がそうだった。

それにしても建物の倒壊の画面が無く、これが現実を表しているのかどうかわからないのだが、映像に載らない内陸部はどうなっているの。

都内へヤマト便のクール発送も拒否され、いつまで続くかわからないとのこと。東京南部と神奈川の大停電が原因らしい。パソコンアウトかい? 道路は地割れしてないよ。

今日はお店は7時閉店、えらいなーと思ったが・・・。三越・高島屋が6時閉店と言うことでそれにならったか百貨店協会の通達があったのかもしれない、テレビをみて。
表向きは「停電被害を押さえるために節電」というのが三越・高島屋さんの説明、こちらは「地震の影響で」であったが、要するに被災者に気を遣ったのだと思う。事実お客様の中に「上で洋服を見ていてわたしこんなことしていて・・・」とおっしゃった方がいたが、これかなと思う。
直後でモノとかカネの段階ではないのでこれでいいのだと思う。阪神の時にはこんなことしなかったと思う、記憶にない、そのことへの反省からかな?

お台場の豆腐フェアーも中止になったが名目は「建物・設備の安全が確認できない」ということだがこれはうそっぽくやはり被災者に気を遣ったのかなと思う。東北は大豆の大生産地でもあるし、東北からも出品・出店しているひともいることだろうし。

不眠が3日つづきいいかげんにしてくれといいたいところだが、きのうから今日にかけては導入剤の一錠を半分に割って飲んだのだがだめ。ふとんに入ってあたたまってくるとものすごく咳き込む。熱は下がったような気がするが。
きょうも寝られないかな?

2011年3月11日金曜日

きょうも38度。

自営業の哀しさ。
仕事が終わって寝ようとしたそのとき、部屋がゆらりゆらり電灯ぐらぐら、物干し竿が踊ってる。かなり長い時間揺れていた。熱でくらくらしいるのに加えてこれではまいったまいった。
エムアールや及川さんちや矢沢先生の奥様の実家の花山村(栗駒の前衛にあたり、前回も大被害をうけた)、風雪花・・・みんな大丈夫か。
東京は震度6。こんな揺れは生まれて初めてかもしれない。
いよいよ関東にもでかいのがやってくる予感がする。
津波警報の上に大津波警報があるなんて知らなかった。6メートル、3メートルといったら狭い湾の中に中に入ってきたら大変。はやく避難して。
テレビのお台場のフジテレビの入ってる裏の建物が火事になっている、工場か建築現場だろうか。フジテレビのアナウンサーがヘルメットをしている。
まだ心臓がどきどきしているよ。
ドアをあける、火をとめる。天井の上が軽い部分に待避する。火はこわい。
うちの場合はもう一点圧倒的に・・・・余震が来た、これもでかい・・・こわいのが頭の上を電車が通っていることだ。瞬間的にでかいのが来て高架がこわれて電車がつっこんできたらひとたまりもない、これはよけられない・・・・・。
仙台の映像ではたてものはびくともしていないマンションで火事が起きている。やはり即火のけを絶つこと。
海岸線はひどい。車や建物の一部や湾外に脱出のおくれた船があっちにぶつかりこっちにぶつかりして流されている。津波のこわさがテレビの小さい画面からまざまざと伝わってくる。目の前でみたら怖いだろうな。
お店はエレベーターやエスカレーターの不具合の点検、その他の安全点検のため5時閉店。お店の片付けとTさんを家までおくるのとで38度はどっかへ行っちゃった。道路はたぶん駅までのお迎え車で本線はみな渋滞していた。
すべての電車が運行停止。各駅でおろされたひとたちがかわいそう。事実お客様のなかに関係ない駅でおろされちゃったけど買い物でもするしかないわ、帰りはどうなるのかしらね、と言って買い物していったかたもとか。
きょうは会社にも家にも遠いところで電車からおろされたひとたちはたいへんだな。タクシーなんか何時間待っても来やしない。
都市別特別バスの準備をするのも今回行政には勉強になったのではないのかな。
もっとももっとひどい地震だったらそれも無理かな。

2011年3月9日水曜日

タチナガハ

を30袋入れたが、この豆はいつも緊張する。
まず自分の基準に合わない。達しないと言うより自分の好みに合わないのだろう。
人間はなんににでもこころ開いて・・・・、なんてかっこいいことは言うんだけれども無意識のうちに"偏った好み、基準"というものを形作ってしまっているもので、自分にもそれがあるようだ。
自分に合わない、というよりも"こういう別世界"があると考えればいいのだが、それでもなんとか自分の好みに合う味になるようには加工する努力をしなければならない。
枝豆は非常にうまい。
この枝豆のうまさを演出している"豆あじ、青味"の問題なのだと思うのだけれど。
自分を無にして・・・、すべては豆そのもの・・・、豆自体、などという言い方もさとりを開いた者の言いようで格好いいのだけれども、ものつくりはそれにちょいと自分をという程度がないとおもしろくない。この"わがまま"そのものに価値があるのだと思う。

一日中頭がいたかった、たぶん熱がある。
幕張に行ったのが原因だろう。ひとごみは危険である。

夕飯の干物やいかがうまかった、ごちそうさま。

2011年3月8日火曜日

風邪がややぶり返す

せきが出る。ややだるい。
証明書をとりに税務署と市役所に行く。税務署は申告組でごった返していた。
市役所の駐車場の出口で黒塗り・・・すぐ市長とわかる・・・に先をゆずってもらいバイパスまでついてきていただく。市長はバイパスで浦和方向へ、他市か県庁へでも行ったのだろう。

農協の配りものをしたらけだるくせきが出るので夕方まで休む。

鑑定団で芭蕉布をやっていた。
10年も前だろうか、東ちづるを呼んで税金使用の「衣」のイベントをやったことがありなつかしく思われた。藍染めや紅花染め(所沢で栽培して)をやり男としては縁遠い遊びができて楽しかった。
東ちづるのおおきな胸が印象的だったが当時の斉藤市長のおしゃれ度にも敬服したものだ。

2011年3月7日月曜日

なんと雪が降る

午前中は雪であった。

一台のMDプレーヤーが音飛びがひどいのでカメラのレンズクリーナー液をクリーニングペーパーをまいた綿棒を使って拭いてやるとかなり改善されたが完璧には治ってはくれない。
光学ピックアップは初期はガラスであったものが経費削減でおおむねプラスチックに変わっていてレンズをこする行為自体よくないことだがオークションで15台ひと山271(ただの二百七十一)円でおとしたもののうちの一台なのでまあいいでしょう。・・・結局11台はメンテして動きなおかつ聞けるようにしたよ。

ふつうはレンズクリーニングしても音飛びは改善されない場合が多くそれはレンズの劣化や回路の劣化等だと思うのだが製造されて10年もたたないものにこういうことが起こるのはものつくりとしてよくないことだと思う。しかし値段を使用回数で割ればしかたないことかな。コンデンサーは確実に劣化するものでヤマハのアンプCA2000の第X世代のコンデンサー劣化で煙りを吐いたことがあるがさすがメーカーは保証期間はとっくに過ぎているのに無償で修理してくれた、PL法などというものがなかったころだと思うが火事になっていた可能性もある。今だったら社員がお詫びにくるだろう。
 MDは機械としてはあっという間に進化の過程を終了しかかってしまいもうソニーの一機種しかなく残念だが、iPodとの競争に対抗するため記録媒体も従来のミニ・ディスクはあきらめちいさいものに切り替えてがんばっている。

おもしろいのはソニーは音がいいのに機械的には弱いものが多い。シャープは機械的にはきわめて強い。パナソニックは機種によるが音はいまいち。ケンウッドはだめ。ビクターは音はいいが機械はきわめて悪い、シンガポール製が早くから。アイワはそもそも機種が少なくてよくわからないが手元にあるものは調子いい。

夜、和田さんからおくられてきた彼のいとこの方が栽培・収穫したX品種の乾燥機不使用・自然乾燥豆で作った豆腐を食べる。・・・・・うまい。外側はそこそこかたく、中はにがり特有の「ぐしゃり」でよくできている。なにも教えた覚えはなく言葉で説明しただけであとは試行錯誤だと思うが、よく努力している。これをみたた゜けでも、豆腐フェアーにいく意味はないなと感じる。
あまりに多くの「目上」にきょろきょろとして集中できない状況をあえて自分から作ることはない。
まねごとをちょいとして、あとは試行錯誤の回数だけである・・・そして自分が好きな味・かおり・食感を選択すればよい。ここは自分だけを信じればよい。自分を売ることだ、わがままを押し通すことだ。・・・猪熊先生がにこにことほほえんでいる。

2011年3月6日日曜日

充電池

パナソニックの4連の充電池を買いましたがよく見ると1.2Vとなっていました。乾電池って1.5Vだったと思いますがこの0.3Vの差は機械に入れたとき大きくでるんじゃないの、と疑問に思いました。もっとも新品で1.5Vはだんだん弱くなっていってどの時点で使えなくなるかは機械によってちがうんだと思いますが、1.2Vスタートのこの充電池というものはどういう差が出てくるんでしょうかね。

同じお店の買い物で「やぶ用革軍手」を買いました。いわゆる鉄工場などで使っている防寒用ではなくぶっついたりしたとき痛くないように、あるいはちょいと熱いものも大丈夫用に作られたものですが、これを山登りで道のないルートや足が抜けるという程度の踏み跡レベルの猛烈なやふこぎ用に利用し日本で最初に命名したのが飯能市の打田瑛一さんでとても重宝したものです。くりのイガでも大丈夫なのでくりもぎ作用にも使えると思います。
実は軍手で脱穀作業をやると指先がすぐあかぎれになってしまうので・・・いままでがまんしてきましたが・・・この手袋を思いつきました。

脱穀殻を畑にまきました。
落ち葉が欲しいところですが足りません、ことしはたくさんため込んでおこうと思います。
あと4山脱穀しなければなりませんがここまで3山片付けただけ。
3月一杯は無理かな。やぼ用ばかりあります。
近所の法則にのっとれば無視していいものばかりなのですけれど。

2011年3月5日土曜日

スカイツリー

お花茶屋駅から埼玉屋さんへ向かう途中左手奥に見えたのはスカイツリーのあかりだったようです。

きょうはやや熱があるようです。
もう寝ます。

2011年3月4日金曜日

Foodex

幕張に行くこと自体初めてですが・・・・いやいやいや5歳ころ母方のほうのいとこがこどもを連れて電車で潮干狩りに行った記憶がある、電車の中のひとこまとあさりをとっているところの一こまが脳裏に刻み込まれている。母の葬式の時2つ上のいとこもそのことをはっきり覚えていると言われた、幕張メッセとはその潮干狩りをした浅瀬の上にたっているんでしょうね・・・武蔵野線利用の千葉県行きは2度目。前回は館山に引っ越したばかりの大村さんとこに行ったものでしたが、蘇我とか云う駅で40分ぐらい待って特急で行ったことを覚えています、全部で4時間ぐらいかかったのかな。

きのうも海浜幕張行きの電車に乗ればよかったのですが知識がなかったのでかまわず乗った電車がちょっと寸足らずで途中までしか行かず2回乗り換え。全部で100分かかりました。
駅から会場までもけっこう歩くようでしたが寒風の中ぞろぞろとそちららしき方向に向かう人たちにかまわずついていったら会場着。
いくつかの部門に分かれたなかの全国物産コーナーに入る。
外の寒さとは対照的にむっとする熱気を感じました。まずもってうじゃうじゃとひとが入っていました。本能的にこういうところは回避するように自分の脳みそはプログラムされているので即退場しようかとも思ったのですが青ヶ島への義理からせめてあいさつだけでもと国交省の離島コーナーへ。Yさんの指導の下若い子ががんばっていました。秋田の大潟村のにがり散布水田のお米のおにぎりにひんぎゃの塩。これは絶品であった。うちのは離農ではなく理農在来新豆でつくった絹豆腐でしたが、塩はふらずそのまま提供していました。
すこしおしゃべりしているうちにすぐにも帰りたいという気持ちはやわらぎすこし回ってみようという気持ちになりました。
県単位、ローカル銀行単位(銀行がいくらかカネを出し低額で顧客に場所提供)、会社個別ブース、なんでも屋食品の貸し切りコーナー、・・・といろいろなパターンの出方がありましたが一区画高いんだろうなと思いました。離島コーナーのように国の支援があるところはかくれた宝物の発掘ということでおおきな意義があると思いますが名の知れた裕福な企業が普通のものを出すのは無意味だと思う、自分で大金払ってごくろうさんですが。
試食は小さすぎてはっきりいっていまいちが多かった。
ただしヒントもたくさんあって業界以外を見てみる意義はおおいにある。
粉屋さんがおもしろかったが乾燥にんにくのわずかなかけらがにおいが圧縮されていてあとが大変であった。
豆腐もうちのを入れて5カ所ぐらいはあったろうか、帯広の豆腐屋のがうまかった。
Oさんの村の冷凍枝豆を相原さんとこでいただいたことがありますが、それと似たようなものを入れた豆腐もありました、「枝豆豆腐」。
川越からもケーキ屋さんと弓削田醤油が出ていました。
秋田の大清水とかいう日本酒がおいしかった。
仙秋ラインを神室山を左に見て峠をくだると稲庭というちいさな町に到着しますがそこのうどんも出ていました、今は亡き及川さんとも神室山のついでに行ったのを覚えています。
他の先端分野とか外国のコーナーも見たかったのですがとても時間が足りない。
ひとつのコーナーにまる一日か半日は必要だろう。
試食をもっとでかくしてもらいたかった、クレームはそれだけ。

来年は輸入と最先端部門をのぞいてみたい。

帰りは、上は曇っていても西の方がかすかに雲がとれており山並みが見えた。かたちは所沢からとまったく同じつまり武甲山から始まって有間山の尾根、長沢背稜線、御前山、雲取山、一段奥に大菩薩連嶺、左へ丹沢山塊・・・富士は見えず。
なお武甲山の右側の低い山並みつまり渡辺さんちがある奥武蔵の丘陵もちゃんと見えた。
大きさは所沢からみるものの半分くらいだろうか。雪の白さも確認できるんだろうなと思う。
こちらへ越してでも来たら山なみを眺めては涙することだろうなと思う。
ふるさとの山は・・・。

乗った電車は西国分寺行きなので寝ていれば着いてしまうのだが・・・ちょい待てよ、ここは千葉県のはしっこ、葛飾に近い。葛飾に行くには常磐線・・・と考えながら一路お花茶屋へ。金町で京成に乗り換え単線の電車で青戸へ、途中柴又というのが聞こえなかった。座席の前の音大付属高(略して普通音高というが)のおしゃべりがかわいかった・・・ああいう時代がなつかしい。

青戸で上野行きに乗り換えお花茶屋。埼玉屋へ表敬訪問。
商売のじゃまをして一杯やる。
とちゅあうから若い士もよんだりですいませんでした。
近所学ということばを考えましたが日本全国通用の学問です。

10時ちょっと前頃出て上野、池袋経由で家に着いたのは11時15分。こんなに近かったのか?

2011年3月3日木曜日

Foodexに行く。

幕張メッセに行ってきました。片道乗り換え入れて1時間40分。
帰りはお花茶屋経由で一杯やってきました。
もう遅いのであした書きます。

2011年3月2日水曜日

"結婚式あげる"

率が3割だと教わりました。
結婚式プロモーターのKさんからお聞きしました。
離婚率も3割程度でイギリスとほぼ同じ。
幸せそうにしている若いカップルも3組に一組は必ず分かれるということです。
ここ30年でこんなにも変わってしまったのですね・・・、というよりその3割を作っているのは私たちの世代か?

きょうはちょっとコーヒーの飲み過ぎで、8杯くらい、寝られないかもしれません。
あしたは幕張いけるかな?

2011年3月1日火曜日

きょうもおー寒。

雨で本職以外中止。
午後クラブ生協のかたと会談、楽しかった。
非農家が畑を借りることがこんなに所沢では大変だとは知らなかった。

相変わらず腰と右ふくらはぎ、両手の関節がいたい。
年をとるとはこういうことか。

サンデル教授の講義の中でビル・ゲイツの生涯平均収入の話が出てくるが秒収(一秒間あたりの収入)が150ドルということで、落ちている100ドル札をひろうのも無駄な手間とのこと。すごいなー、と同時にアメリカの国自体にカネを呼び寄せている貢献度はとんでもないものだなと思った。でも、幸せの大きさはこれとは関係ないので卑下することなくすなおに彼をほめなければならない。
たくさんかせぐ人は孤独だろうし神経のピリピリも計り知れないものがある。
歴史の教科書に名をきざむことで、こういうヒーローたちをねぎらうのが凡人のつとめかもしれない。