アメリカが日本に売っている大豆の量はアメリカ全体の0.3パーセント、それに対して中国に対して売っている量は同64パーセント。
つまりアメリカの大豆産業にとってお客としては日本なんかどうでもいい、えらそうにへんな要求ばっかするなという感じの相手なのだと思います。
そして日本国内では大豆の消費量そのものが減少しているそうです。
大豆の減少ということは米の消費量減少と比例しています。
もっとも醤油等への理解も海外では始まっているようでこれからどうなるかはわかりませんが。
TPPの米の問題もここの辺が大きな一因かもしれません。
パン食をはじめとして食生活の多様化・・・裏をかえせば豊かになった・・・が一因でしょう。
占領政策の延長で学校給食をパン食主体にしたのも遠い日本農業衰退化をねらったアメリカの農業政策の一環かと思われます。
TPPでどんどんカリフォルニア米が入ってきても消費者が買わなければすむ問題・・・とはいかないでしょう。外食産業、スナック菓子等米加工品、老人向け介護食品等いくらでもカリフォルニア米の行き場はありそうです。
これをただ大規模化、はたまた高品質というよりは高級品特化による競争力強化などという能書きで対応できるのかどうかしりませんが、一度我が国の農業はこわれる・・・もう壊れているかしら・・・ことによってしか国民は反省しないものと思われます。
大きくなることしか自分を守る方法はないという、根本的な生き方の指針自体の変更をせまられる時がもうすぐそこに来ているのではないかと思います。
ページビューの合計
2015年1月30日金曜日
2015年1月29日木曜日
千葉県八千代市勝田台まで
いってきました 。
所沢から100分。高田馬場から60分。
19日になくなったOさんにお別れしてきました。
千葉県なのにこちらよりひいやりとしていて雪がこれからやってくるときの湿気を感じました。
久しぶりに電車に乗りましたが、やはり夕方の混雑には閉口しました。
所沢から100分。高田馬場から60分。
19日になくなったOさんにお別れしてきました。
千葉県なのにこちらよりひいやりとしていて雪がこれからやってくるときの湿気を感じました。
久しぶりに電車に乗りましたが、やはり夕方の混雑には閉口しました。
2015年1月28日水曜日
テレビや新聞は
人質事件一色で大豆のことなんか書くのはバカかと思われそうです。
脅されながらただ言葉を読んでいるような感じの後藤さんのメッセージが印象的でした。
政府もだれに対して体面をたもつかに悩まされているようで国益よりも避難回避に躍起になっているようです。
だれからも好かれる政治家。
このまちの以前の市長もそんな感じで16年も続いたかたがいます、なんの業績もない。
政治家は"ある見込み"のもとに試行錯誤も含めさまざまな施策を考え実行し、その将来的な現実的責任は問われないことになっていますが、さすが教科書に名前がのってしまうような国家の運営者ともなると、また地方政治とはことなった使命感・政治観をもって仕事をしているものと思われます。役人もそうでしょう。
ものをつくる、と社会・国を作るには共通点はあまりないのかもしれませんがほんとは比重の差はもちろんあるとしても双方の感覚は持ち合わせていないといけないのでしょうね。
真にノンポリなんてそういるものではないと思います。
選挙にいかないひとも「どうでもいい」というよりは社会に不満を持っている場合のほうが多いのではないでしょうか。
若い世代が"極端"にいい気持ちになるのはわかる気がします。
つまずき、屈折がきっかけになったり。
あるいはけがれたものに対する潔癖症から。
いろんな原因があるかもしれません。
どういうひとと出会うか。
どういう"しごと(職業とは限らない)"と出会うか。
どういう不運と出会うか。
だれにもこういうきっかけ的なことが若き日にはあったであろうと思います。
でも今、けがれたものにとりかこまれていても普通に生きていられる免疫は持ち合わせています。
これが"愚の骨頂"といわれてしまえばそれまでですが、それでも日々働いてなにがしかの感謝を他人から得、少しは税金も納めて国づくり町づくりの足しには少しは寄与しているはずです。
自分を必要としているひとが家族以外に、ひとりはいるはずです。
ひともうらやむはでな仕事というものはおおむねうそや気取り・独善の集合体です。
極端・過激主義のきっかけ・導きはどこにもあるはずです。
宗教の差は関係ない。
生存競争のため以外の理由で争うのは人間だけでしょうか。
ギブ・アンド・テイクがないにもかかわらず一緒にいられるのも人間だけでしょうか・・・もちろん仲良くなるもとはいろんな意味のギブ・アンド・テイクがあるからですがね。
さてさて大豆はあいかわらず選別。
機械の設定ほちょいと変えて2回目の選別をやると少しばかりさらにきれいに選別されます。
球体のころがりを利用した選別機なので、かびて丸いものや一部が欠けていてもころがるものは"いいほう"に来てしまいます。
まあ、完璧というものはありませんね。
大豆の等級が大きく意味を持つのは煮豆屋さんや納豆屋さんといった球形がそのまま商品になる商売のかたがただけです。
脅されながらただ言葉を読んでいるような感じの後藤さんのメッセージが印象的でした。
政府もだれに対して体面をたもつかに悩まされているようで国益よりも避難回避に躍起になっているようです。
だれからも好かれる政治家。
このまちの以前の市長もそんな感じで16年も続いたかたがいます、なんの業績もない。
政治家は"ある見込み"のもとに試行錯誤も含めさまざまな施策を考え実行し、その将来的な現実的責任は問われないことになっていますが、さすが教科書に名前がのってしまうような国家の運営者ともなると、また地方政治とはことなった使命感・政治観をもって仕事をしているものと思われます。役人もそうでしょう。
ものをつくる、と社会・国を作るには共通点はあまりないのかもしれませんがほんとは比重の差はもちろんあるとしても双方の感覚は持ち合わせていないといけないのでしょうね。
真にノンポリなんてそういるものではないと思います。
選挙にいかないひとも「どうでもいい」というよりは社会に不満を持っている場合のほうが多いのではないでしょうか。
若い世代が"極端"にいい気持ちになるのはわかる気がします。
つまずき、屈折がきっかけになったり。
あるいはけがれたものに対する潔癖症から。
いろんな原因があるかもしれません。
どういうひとと出会うか。
どういう"しごと(職業とは限らない)"と出会うか。
どういう不運と出会うか。
だれにもこういうきっかけ的なことが若き日にはあったであろうと思います。
でも今、けがれたものにとりかこまれていても普通に生きていられる免疫は持ち合わせています。
これが"愚の骨頂"といわれてしまえばそれまでですが、それでも日々働いてなにがしかの感謝を他人から得、少しは税金も納めて国づくり町づくりの足しには少しは寄与しているはずです。
自分を必要としているひとが家族以外に、ひとりはいるはずです。
ひともうらやむはでな仕事というものはおおむねうそや気取り・独善の集合体です。
極端・過激主義のきっかけ・導きはどこにもあるはずです。
宗教の差は関係ない。
生存競争のため以外の理由で争うのは人間だけでしょうか。
ギブ・アンド・テイクがないにもかかわらず一緒にいられるのも人間だけでしょうか・・・もちろん仲良くなるもとはいろんな意味のギブ・アンド・テイクがあるからですがね。
さてさて大豆はあいかわらず選別。
機械の設定ほちょいと変えて2回目の選別をやると少しばかりさらにきれいに選別されます。
球体のころがりを利用した選別機なので、かびて丸いものや一部が欠けていてもころがるものは"いいほう"に来てしまいます。
まあ、完璧というものはありませんね。
大豆の等級が大きく意味を持つのは煮豆屋さんや納豆屋さんといった球形がそのまま商品になる商売のかたがただけです。
2015年1月25日日曜日
たいして飲みも
しなかったのにかったるくてしかたないようです。
年末からずーっとこんな感じですが用事が多いのでしらない間に時間が過ぎてしまうのでしょう。
きのうは楽しい飲み会で収穫のおおきいおしゃべりでした。
著者がほんとに好きならば本は買わなければ、という一語が大きかったです。
古書はインターネットが便利ですが、よほどの事がない限りはアマゾンは利用しないのがいいのかなとも考えました。
古書店連合のネット検索システムっていくつぐらいあるんでしょうね。
古書店をぶーらぶらと一日渡り歩くのも楽しいことではありますが。
さてきのうからは大豆の袋詰めを、かびまじりの脱穀されたものからかび豆はじきを平行しながら、始めました。さらに横山君ところのサトウイラズも500-600キロ程度あずかっているのでこれも選別機にかけなければなりません。
締め切りがおおむねわかっているのでまた一気にやりとげなければなりませんかね。
筑波の研究所からメールで講演会・シンポジウムのご案内をいただきました。行ってみようと思います。つくばエクスプレスとかいう電車でいくのかな。
年末からずーっとこんな感じですが用事が多いのでしらない間に時間が過ぎてしまうのでしょう。
きのうは楽しい飲み会で収穫のおおきいおしゃべりでした。
著者がほんとに好きならば本は買わなければ、という一語が大きかったです。
古書はインターネットが便利ですが、よほどの事がない限りはアマゾンは利用しないのがいいのかなとも考えました。
古書店連合のネット検索システムっていくつぐらいあるんでしょうね。
古書店をぶーらぶらと一日渡り歩くのも楽しいことではありますが。
さてきのうからは大豆の袋詰めを、かびまじりの脱穀されたものからかび豆はじきを平行しながら、始めました。さらに横山君ところのサトウイラズも500-600キロ程度あずかっているのでこれも選別機にかけなければなりません。
締め切りがおおむねわかっているのでまた一気にやりとげなければなりませんかね。
筑波の研究所からメールで講演会・シンポジウムのご案内をいただきました。行ってみようと思います。つくばエクスプレスとかいう電車でいくのかな。
2015年1月22日木曜日
二日間の
雨となり、すっかり体もお休みできたかなーというところですがやはり根っからのビンボー症で"なにもしていない"というのが耐えられないようです。
機械選別のものをさらにきれいにしようとブルブルとふるえながら物置で選別していたのを、こんどは場所を変えて家の中でストーブにあたりながらの作業。
結局50キロほどはやったでしょうか、・・・京都の在来種。
従軍していないフリーの戦場カメラマンや記者というものは、たしかに報酬の多い商売ではありますが、純粋この上ないボランティアでこの言葉の本来の意味を貫き通した職業なのかなと思います。
でも今回のはなんか変だなと思いました。
使命感以上に"無責任"を感じました。
ボランティア性の全くない税金を使って売名行為をしているまちづくりボランティア、自分も昔やっていた・・・これゆえにまちづくりということばがだいきらいになりました、と比較するのは戦場を駆け回るひとたちには失礼かもしれないですがほめ言葉一色で相対できるひとたちではないなと感じました。だれかが助けてくれる、という期待・想定担保付きで行動している。
携帯電話で助けを呼ぶ山登りやスノボーに似ているんではないですか。
まあこういうこと以前にテロリズム、過激主義がなんでおこるのかなということが問題ですけれどもこれはなにもイスラムだけのことではありません。
原始ユダヤ教からみればイエス・キリストは過激。アンタイ・セミティズム(反セム主義)はローマ帝国の時代からヒトラーへそしてネオ・ナチへと延々と続いている。普通のキリスト者からすれば確かにこのキリスト者たちは行き過ぎ、でも彼らからすればユダヤ人の行動規範自体が"過激"。
お互いに自分のことしか考えないのが人間の性。
これを前提にして"妥協・まとめる努力"をしていくのがデモクラシー。
宗教色がなくても過激なわがまま行動は世界中にあります。
まちの中にも"過激なわがままだらけ"です。
ホッブスの自然状態そのままの世の中になろうとしているのでしょうか、いやいや人間そのものがそういう動物性を内包している未熟進化しかできない限界をもっているのでしょうか。
中庸の訓練というものは教育によってしか勝ち得ない人間独自の問題なのかもしれませんが、教育というとすぐ"学校"のことしか頭に浮かばない我々の社会はなんと無責任な社会なのかなと感じてしまいます。
家庭、地域、学校、師弟関係、食べ物・・・。
教育の場はそこら中にあります。
すべてが軽視され、マニュアル通り・できあいの既製品思考利用・ファッション・思考停止、といった具合に自分の頭で組み立て判断しなくなってきてます。
こわいのでしょうか、自身がないのでしょうか、それともなまけているのでしょうか。
"リッチ"とはなんなのか考えなおしてみることだと思います。
ほんとの金メッキの卓上計算機88万円、どこぞでやっている宝飾フェアーで展示されているそうです。田舎もん成金。
機械選別のものをさらにきれいにしようとブルブルとふるえながら物置で選別していたのを、こんどは場所を変えて家の中でストーブにあたりながらの作業。
結局50キロほどはやったでしょうか、・・・京都の在来種。
従軍していないフリーの戦場カメラマンや記者というものは、たしかに報酬の多い商売ではありますが、純粋この上ないボランティアでこの言葉の本来の意味を貫き通した職業なのかなと思います。
でも今回のはなんか変だなと思いました。
使命感以上に"無責任"を感じました。
ボランティア性の全くない税金を使って売名行為をしているまちづくりボランティア、自分も昔やっていた・・・これゆえにまちづくりということばがだいきらいになりました、と比較するのは戦場を駆け回るひとたちには失礼かもしれないですがほめ言葉一色で相対できるひとたちではないなと感じました。だれかが助けてくれる、という期待・想定担保付きで行動している。
携帯電話で助けを呼ぶ山登りやスノボーに似ているんではないですか。
まあこういうこと以前にテロリズム、過激主義がなんでおこるのかなということが問題ですけれどもこれはなにもイスラムだけのことではありません。
原始ユダヤ教からみればイエス・キリストは過激。アンタイ・セミティズム(反セム主義)はローマ帝国の時代からヒトラーへそしてネオ・ナチへと延々と続いている。普通のキリスト者からすれば確かにこのキリスト者たちは行き過ぎ、でも彼らからすればユダヤ人の行動規範自体が"過激"。
お互いに自分のことしか考えないのが人間の性。
これを前提にして"妥協・まとめる努力"をしていくのがデモクラシー。
宗教色がなくても過激なわがまま行動は世界中にあります。
まちの中にも"過激なわがままだらけ"です。
ホッブスの自然状態そのままの世の中になろうとしているのでしょうか、いやいや人間そのものがそういう動物性を内包している未熟進化しかできない限界をもっているのでしょうか。
中庸の訓練というものは教育によってしか勝ち得ない人間独自の問題なのかもしれませんが、教育というとすぐ"学校"のことしか頭に浮かばない我々の社会はなんと無責任な社会なのかなと感じてしまいます。
家庭、地域、学校、師弟関係、食べ物・・・。
教育の場はそこら中にあります。
すべてが軽視され、マニュアル通り・できあいの既製品思考利用・ファッション・思考停止、といった具合に自分の頭で組み立て判断しなくなってきてます。
こわいのでしょうか、自身がないのでしょうか、それともなまけているのでしょうか。
"リッチ"とはなんなのか考えなおしてみることだと思います。
ほんとの金メッキの卓上計算機88万円、どこぞでやっている宝飾フェアーで展示されているそうです。田舎もん成金。
2015年1月20日火曜日
Jean Ferratの
CD、いったい何回転きのうから聴いているだろうか。
少なくとも歌唱と旋律は自分にぴったしの相性でした。
最近亡くなっているのでしょうか。
活動時期自体はそんなにながくはなかったようですが・・・・。
ことばがわかればいいのですが・・・。
ぽつぽつと単語だけで文章になってしまうと、もうわかんないですね。
でも「自由のair」なんて出てくると反戦の闘志なのかしらね、なんても思うのですがあまりにもやさしい柔らかな歌い方なのでとまどってしまいます。
林田寮右さんが講師をしていたころにラジオの講座である月の今月のうたとしてやっていたイヴ・デュテイユみたいな、というか林田先生自身みたいなやさしいおにいさんて感じです。
砂糖が利きすぎた曲と違って何回聴いても飽きません。
少なくとも歌唱と旋律は自分にぴったしの相性でした。
最近亡くなっているのでしょうか。
活動時期自体はそんなにながくはなかったようですが・・・・。
ことばがわかればいいのですが・・・。
ぽつぽつと単語だけで文章になってしまうと、もうわかんないですね。
でも「自由のair」なんて出てくると反戦の闘志なのかしらね、なんても思うのですがあまりにもやさしい柔らかな歌い方なのでとまどってしまいます。
林田寮右さんが講師をしていたころにラジオの講座である月の今月のうたとしてやっていたイヴ・デュテイユみたいな、というか林田先生自身みたいなやさしいおにいさんて感じです。
砂糖が利きすぎた曲と違って何回聴いても飽きません。
2015年1月18日日曜日
見たい聴きたい知りたい
がどんどんとはいえないまでも増え続ける中で、いままでと違っているのは終わりを意識しすぎるようになってしまったことです。
つまり無限(に近いと錯覚している)と思っていた若い頃と違って終わりまでせいぜいあと10年、それ以降はないのと同じ・・・・・同年代はみんな似たようなこと考えているのでしょうか。
終わりを意識しながら今をやっているのは、たしかにものによっては終わり支度をしているのですが、自分だけにかかわる"好きごと"(もちろん仕事のある部分はこれに入ります)に関してはしかたないのかなとは思いますがね。
ふと、不安になってしまうときがあります。
たくさんの"ひとの死"を見てきて自分自身の死そのものへのおそれは人並みにすくなくなってきてはいるはずなのですが、突然終わるという可能性にやはり一抹の不安を感じます。
もっとも、始終おそれおののいているこころの状態というのも残された時間の無駄使いともいえるでしょう。
・・・・。
昼から何考えているのでしょうか。
さて、湯たんぽにお湯をいれましょう。
また夕方書けるかしらね。
少年は滋賀県でつかまったようです。
アナウンサーが「時代を象徴する犯罪だ」といっていました・・・けれど、道具は確かにITでもその本質は戦後のマス情報がもたらした社会・産物がもたらしたものと考えていいのではないでしょうか。
アクセス数・・・千・万、テレビにでちゃった、目立ちたい・ちやほやされたい・・・。
本質は単なる「俺が俺が」と同じ。
まちの名士といわれるおおくの人たちも似たようなことをしています、いやいや模範を示しています。うわべの言葉だらけ、言葉の錬金術。なんの思いもない・・・いやいや自分愛だけです。
この少年がこういう行動にいたった経緯にはだれもが想像もできないようなあるいはだれもが想像しているようなこころの屈折があったと思われますが、普通だと妄想だけで終わってしまうものが実際にやってしまう・・・それもいとも簡単にやってしまうというところに現代の病があると思います。こういった犯罪衝動は昔からあるものと思われますが、それをいとも簡単に、というところが問題です。
奇しくもきょうの新聞にはセンター試験の問題と解答が載っていました。
18,9の失敗がずーっと尾をひいたまま一生が終わってしまうひともいるだろうしあるいはきわめて少ないとはいえかえってバネになってしまうというひともいるでしょう。・・・またうまくいってそのまま思い上がりの人生となって人間としては落伍者となってしまうひともいるでしょう。
この少年のそばに語りかけてくれるひとがいればいいなと思います。
報道はおおきかったですが、大事にいたったわけではないのが不幸中の幸いです。
それにしてもアナウンサーとは軽薄な職業だなと思いました。
つまり無限(に近いと錯覚している)と思っていた若い頃と違って終わりまでせいぜいあと10年、それ以降はないのと同じ・・・・・同年代はみんな似たようなこと考えているのでしょうか。
終わりを意識しながら今をやっているのは、たしかにものによっては終わり支度をしているのですが、自分だけにかかわる"好きごと"(もちろん仕事のある部分はこれに入ります)に関してはしかたないのかなとは思いますがね。
ふと、不安になってしまうときがあります。
たくさんの"ひとの死"を見てきて自分自身の死そのものへのおそれは人並みにすくなくなってきてはいるはずなのですが、突然終わるという可能性にやはり一抹の不安を感じます。
もっとも、始終おそれおののいているこころの状態というのも残された時間の無駄使いともいえるでしょう。
・・・・。
昼から何考えているのでしょうか。
さて、湯たんぽにお湯をいれましょう。
また夕方書けるかしらね。
少年は滋賀県でつかまったようです。
アナウンサーが「時代を象徴する犯罪だ」といっていました・・・けれど、道具は確かにITでもその本質は戦後のマス情報がもたらした社会・産物がもたらしたものと考えていいのではないでしょうか。
アクセス数・・・千・万、テレビにでちゃった、目立ちたい・ちやほやされたい・・・。
本質は単なる「俺が俺が」と同じ。
まちの名士といわれるおおくの人たちも似たようなことをしています、いやいや模範を示しています。うわべの言葉だらけ、言葉の錬金術。なんの思いもない・・・いやいや自分愛だけです。
この少年がこういう行動にいたった経緯にはだれもが想像もできないようなあるいはだれもが想像しているようなこころの屈折があったと思われますが、普通だと妄想だけで終わってしまうものが実際にやってしまう・・・それもいとも簡単にやってしまうというところに現代の病があると思います。こういった犯罪衝動は昔からあるものと思われますが、それをいとも簡単に、というところが問題です。
奇しくもきょうの新聞にはセンター試験の問題と解答が載っていました。
18,9の失敗がずーっと尾をひいたまま一生が終わってしまうひともいるだろうしあるいはきわめて少ないとはいえかえってバネになってしまうというひともいるでしょう。・・・またうまくいってそのまま思い上がりの人生となって人間としては落伍者となってしまうひともいるでしょう。
この少年のそばに語りかけてくれるひとがいればいいなと思います。
報道はおおきかったですが、大事にいたったわけではないのが不幸中の幸いです。
それにしてもアナウンサーとは軽薄な職業だなと思いました。
2015年1月17日土曜日
年が明けてから
手荒れしなくなっています。
なまけているからでしょうか、あたたかいからでしょうか。
ここのところジャズのCDを聞くようになり物置をひっくりかえしていろんなものを取り出して来て聞いています。
積ん読ならぬ積ん聴きで、未開封のCDもたくさんありました。
ジャズははっきりいって不得手でピアノ・ソロ、ピアノ・トリオ、ベース・ソロかduo程度なのですが、トランペットやサックスでもやわらかーい吹きかたをする管楽器なら聴いていられます。たぶんジャズ・ファンとは言えないミーハーなのでしょうね。こちらも本質は声楽・ヴォーカルにあるのかなー、と考えますがなかなか食わず嫌いと言うところがあるかもしれません。
音楽の原点はやはり"声"で、その延長の笛やラッパに"原理"があるような気がします。
ジャズに限らずあらゆる音楽の源は"声"なのかなー・・・あと"たたく・拍子、つまりリズム"か。
理屈はさておき、久しぶりにケニー・ドリュー、ミシェル・ペトルチアー二(たしか数年前に亡くなってしまったような気がしますが)、・・・大西順子はどうしているのかなー。
Ferratってシャンソンだったよなジャズじゃない、ジャン・フェラ、これはあした車で聴く。
ペトルチアーニは障害者で背の高くならない病気のピアニストですが、そのピアニズムには目を見張るばかりです。大西順子もそんな延長にあるパワフルおねえさんでしたが、こころの病で中断したあとどうなってしまったのでしょうか。
みんな命をかけて仕事に取り組んでいるひとたちです。
大豆の選別で出た小粒や割れ・虫食いはミックスで豆腐にするとこの時期とてもおいしくできます。
虫食いは食われた面が酸化することによって劣化が早いためあたたかくなるころはアウトとなりますが気温の低いこの時期はいい感じに加工できます。とはいえそんなに大量に出るわけではありませんが・・・・・。
つまり大中小ばらばらにいろんなのが出るものは避け、おおむね似たような大きさのものができる品種をメインの品種にしているためです。
コーヒー豆のように選別基準の低い作物は、最終的に販売するひとたちが苦労することになりますが、手選別の普及でコーヒーの世界もほんもの・どうでもいい・インスタントというように三極分化しているようです。
なまけているからでしょうか、あたたかいからでしょうか。
ここのところジャズのCDを聞くようになり物置をひっくりかえしていろんなものを取り出して来て聞いています。
積ん読ならぬ積ん聴きで、未開封のCDもたくさんありました。
ジャズははっきりいって不得手でピアノ・ソロ、ピアノ・トリオ、ベース・ソロかduo程度なのですが、トランペットやサックスでもやわらかーい吹きかたをする管楽器なら聴いていられます。たぶんジャズ・ファンとは言えないミーハーなのでしょうね。こちらも本質は声楽・ヴォーカルにあるのかなー、と考えますがなかなか食わず嫌いと言うところがあるかもしれません。
音楽の原点はやはり"声"で、その延長の笛やラッパに"原理"があるような気がします。
ジャズに限らずあらゆる音楽の源は"声"なのかなー・・・あと"たたく・拍子、つまりリズム"か。
理屈はさておき、久しぶりにケニー・ドリュー、ミシェル・ペトルチアー二(たしか数年前に亡くなってしまったような気がしますが)、・・・大西順子はどうしているのかなー。
Ferratってシャンソンだったよなジャズじゃない、ジャン・フェラ、これはあした車で聴く。
ペトルチアーニは障害者で背の高くならない病気のピアニストですが、そのピアニズムには目を見張るばかりです。大西順子もそんな延長にあるパワフルおねえさんでしたが、こころの病で中断したあとどうなってしまったのでしょうか。
みんな命をかけて仕事に取り組んでいるひとたちです。
大豆の選別で出た小粒や割れ・虫食いはミックスで豆腐にするとこの時期とてもおいしくできます。
虫食いは食われた面が酸化することによって劣化が早いためあたたかくなるころはアウトとなりますが気温の低いこの時期はいい感じに加工できます。とはいえそんなに大量に出るわけではありませんが・・・・・。
つまり大中小ばらばらにいろんなのが出るものは避け、おおむね似たような大きさのものができる品種をメインの品種にしているためです。
コーヒー豆のように選別基準の低い作物は、最終的に販売するひとたちが苦労することになりますが、手選別の普及でコーヒーの世界もほんもの・どうでもいい・インスタントというように三極分化しているようです。
2015年1月15日木曜日
信号待ちをしていると
右の車線におしゃれな配色の車が止まりました。
ちいさくてミニクーパーかと思いましたが左サイドのドアのそばには「HONDA SUPER DELUXE」というちいさいエンブレムがついていました。窓ガラスはちいさいためか、さすが三角窓は付いてませんでした。
たぶんクラシックカーなのでしょうね。オーバーホールなりの大がかりなメインテナンスをして大事に使っているのだろうと、感心してしまいました。
こういうおしゃれはいいですね。
まもなく車が発進して後ろのナンバーをみると8ナンバーになっていたので、なんなのかなと不思議に思いましたが、エンジンでも取り替えた改造車とでもいうのでしょうか。
きのうは暇つぶしに、ニコンのFMとFM2を修理しました。
FMは巻き上げが途中でひっかかり「巻き上げ不可、シャッターNO」、FM2は巻き上げレバーぶらぶらでシャッター不可ということでやややっかいでしたがどちらも動くようになりました。
FM2の露出計の赤LEDは点灯していないというかそもそも取り外されてしまっているようで、露出計無しカメラとなっていましたが写真は撮れるようになりました。ペンタ部が打撲でぺしゃんこになっているとはいうもののプリズムは破損も"黒線"も入っていなくて実用可の状態です。
今朝見たホンダのクラシック・カー同様こういった一昔前の"マニュアルもの"がおもしろいです。
フル・電化のデジカメとまでいかなくてもアナログ末期、デジタル移行過渡期のオート・フォーカスなるものは見事な"基板"機械となっておりどうにも機械遊びのできるものではありません。それに壊れたら、基板交換を前提としているため、修理も何もしろうとには手がでません。
マニュアルは直っても直らなくても"分解"の楽しみがあり、老後の暇つぶしには最適です・・・ただしねじの頭が見えなくなってきた等の問題も生じて来ましたけれどもね。
午後は雨のため、『ダブリンの街角で』というアイルランドの首都を舞台の、路上シンガーソングライターの恋を題材の映画を見ました。ブロードウェイで大ヒットしたミュージカルのもとになった映画とのことでした。大きな事件もない、ややまずしい庶民の日常のなかのちいさな"恋愛事件"を描いたものですが、歌われる曲がどれもとてもよくてうれしくなりました。「CDに焼いてやるよ」などというせりふと全く出てこない携帯電話の風景から、年代はいつごろのことなんでしょうね。
この映画の前にBSで「ぐるっとイギリス・・・キロ」というのをやっていて、ベルファストのことをやっていたのでアイルランドにたっぷりとはいわないまでもその片鱗に振れられたことはラッキーだった気がします。
昔は肉など食べたことはほとんどなくジャガイモが主食だった話や、ジャガイモが・・・線虫の被害で大飢饉となりイギリスやアメリカへの移民が盛んになったこと、タイタニック号はベルファストで作られ・出航したことなど興味の尽きない内容の番組でした。
さてさて不真面目ですが、テレビをみながら20キロ程度はみすず在来の大粒の最終手選別をやりました。20キロの中から200グラムくらいでしょうか、しわ・虫食い・褐色斑等をのぞいたわけですが、こんな程度でも混じっているときはずいぶんと選別が悪いなと感じるものです。コーヒー豆の選別もこんな感じなのでしょうかね。
ちいさくてミニクーパーかと思いましたが左サイドのドアのそばには「HONDA SUPER DELUXE」というちいさいエンブレムがついていました。窓ガラスはちいさいためか、さすが三角窓は付いてませんでした。
たぶんクラシックカーなのでしょうね。オーバーホールなりの大がかりなメインテナンスをして大事に使っているのだろうと、感心してしまいました。
こういうおしゃれはいいですね。
まもなく車が発進して後ろのナンバーをみると8ナンバーになっていたので、なんなのかなと不思議に思いましたが、エンジンでも取り替えた改造車とでもいうのでしょうか。
きのうは暇つぶしに、ニコンのFMとFM2を修理しました。
FMは巻き上げが途中でひっかかり「巻き上げ不可、シャッターNO」、FM2は巻き上げレバーぶらぶらでシャッター不可ということでやややっかいでしたがどちらも動くようになりました。
FM2の露出計の赤LEDは点灯していないというかそもそも取り外されてしまっているようで、露出計無しカメラとなっていましたが写真は撮れるようになりました。ペンタ部が打撲でぺしゃんこになっているとはいうもののプリズムは破損も"黒線"も入っていなくて実用可の状態です。
今朝見たホンダのクラシック・カー同様こういった一昔前の"マニュアルもの"がおもしろいです。
フル・電化のデジカメとまでいかなくてもアナログ末期、デジタル移行過渡期のオート・フォーカスなるものは見事な"基板"機械となっておりどうにも機械遊びのできるものではありません。それに壊れたら、基板交換を前提としているため、修理も何もしろうとには手がでません。
マニュアルは直っても直らなくても"分解"の楽しみがあり、老後の暇つぶしには最適です・・・ただしねじの頭が見えなくなってきた等の問題も生じて来ましたけれどもね。
午後は雨のため、『ダブリンの街角で』というアイルランドの首都を舞台の、路上シンガーソングライターの恋を題材の映画を見ました。ブロードウェイで大ヒットしたミュージカルのもとになった映画とのことでした。大きな事件もない、ややまずしい庶民の日常のなかのちいさな"恋愛事件"を描いたものですが、歌われる曲がどれもとてもよくてうれしくなりました。「CDに焼いてやるよ」などというせりふと全く出てこない携帯電話の風景から、年代はいつごろのことなんでしょうね。
この映画の前にBSで「ぐるっとイギリス・・・キロ」というのをやっていて、ベルファストのことをやっていたのでアイルランドにたっぷりとはいわないまでもその片鱗に振れられたことはラッキーだった気がします。
昔は肉など食べたことはほとんどなくジャガイモが主食だった話や、ジャガイモが・・・線虫の被害で大飢饉となりイギリスやアメリカへの移民が盛んになったこと、タイタニック号はベルファストで作られ・出航したことなど興味の尽きない内容の番組でした。
さてさて不真面目ですが、テレビをみながら20キロ程度はみすず在来の大粒の最終手選別をやりました。20キロの中から200グラムくらいでしょうか、しわ・虫食い・褐色斑等をのぞいたわけですが、こんな程度でも混じっているときはずいぶんと選別が悪いなと感じるものです。コーヒー豆の選別もこんな感じなのでしょうかね。
2015年1月14日水曜日
きのうお店に
たっていて閉店間際、相撲見物の帰りだといういつもたくさん買ってくださるお客様に国技館の地下で売っているとかいう「やきとり」のおみやげをいただきました。
国技館というところに行ったこともなくお恥ずかしい限りなのですが、このやきとりを食べて「なるほどな」と感じるところがありました。
冷えてても旨い、たれは確かについてはいるのだけれども何も付けなくても旨いのです。
駅弁と同じ感覚で製造しているのでしょうね。
あたたかければ旨くて当たり前。冷えてしまってもうまい、というのがこういった弁当製造のキーポイントなのでしょう。
2015年1月12日月曜日
新道の
所沢・狭山・入間線の4車線道路を走っていて、12月に一件、1月に(といっても一週間の間に)二件・・・たぬきが車にひかれて死んでいるのに出会いました。
秋草学園という高等学校のそばに集中していることからたぶん家族のたぬきなのだと思います。
センターラインのない生活道路でも猛スピードを出しているばかものもいますが、話が4車線道路ともなるとだれにもこういった事故との遭遇の可能性があるわけで、つくずく人間・文明というものの罪深さを感じてしまいます。
きのうのテレビや新聞ではカラスの大量餓死というニュースをやっていました。
鳥インフルか?と保健所や多くのひとはひやりとしたものかと思われますが、この"餓死"の意味する者がなんなのかははっきりしませんがやはり人為を原因とするものなのでしょうか。
新聞記者くずれと思われる科学評論家なるものが、体の言いきれいごとを"異物混入"さわぎについて語っていましたが、返す返すもこういう弁論・記述のひとたちが"うけねらい"ばかりの単なる金儲けなのかなとがっかりしました。
根底には人間のおごりがあるのでしょう。
不・無自然こそが人間の精華とばかりの我が世の春の人間界。
自分はどう生きていったらいいのでしょうか。
秋草学園という高等学校のそばに集中していることからたぶん家族のたぬきなのだと思います。
センターラインのない生活道路でも猛スピードを出しているばかものもいますが、話が4車線道路ともなるとだれにもこういった事故との遭遇の可能性があるわけで、つくずく人間・文明というものの罪深さを感じてしまいます。
きのうのテレビや新聞ではカラスの大量餓死というニュースをやっていました。
鳥インフルか?と保健所や多くのひとはひやりとしたものかと思われますが、この"餓死"の意味する者がなんなのかははっきりしませんがやはり人為を原因とするものなのでしょうか。
新聞記者くずれと思われる科学評論家なるものが、体の言いきれいごとを"異物混入"さわぎについて語っていましたが、返す返すもこういう弁論・記述のひとたちが"うけねらい"ばかりの単なる金儲けなのかなとがっかりしました。
根底には人間のおごりがあるのでしょう。
不・無自然こそが人間の精華とばかりの我が世の春の人間界。
自分はどう生きていったらいいのでしょうか。
2015年1月10日土曜日
年末から湯たんぽが
はなせなくなりました。
だいたいストーブにかけておくのが1,2時ころまでなのでそのときお湯を入れ替えます。
これで寝るときちょうどいい塩梅になります。
忘れてしまい夕方や寝る直前だったりすると熱くて蹴飛ばしたり、眠りが浅くて先日みたいに一晩に何度も夢をみたりということになってしまいます・・・まあ、これはこれで楽しいのですが。
脱穀100%完了しました。
少し時間があったので東京都在来種「みすず」ちょっぴし選別しました。
今年は豆腐にできそうです。
そして今年は増産してみようと思います。
去年の5月に漬けた「ゆすら梅酒」を飲んでみました。
なんの酒に漬けたか書いてありませんがすごい味となりました。
砂糖はそれなりに入れたと思うのですがさほど甘いという感じはしません。
この引き締まり方は尋常ではなく、これからの毎日が楽しみです。
40度以上のお酒だと思いますが・・・。
やはり酒が良くないとだめですね。
こういう幸せの一瞬はそう味わえるものではありません、・・・特にこれが"最初"だからでしょうね。
だいたいストーブにかけておくのが1,2時ころまでなのでそのときお湯を入れ替えます。
これで寝るときちょうどいい塩梅になります。
忘れてしまい夕方や寝る直前だったりすると熱くて蹴飛ばしたり、眠りが浅くて先日みたいに一晩に何度も夢をみたりということになってしまいます・・・まあ、これはこれで楽しいのですが。
脱穀100%完了しました。
少し時間があったので東京都在来種「みすず」ちょっぴし選別しました。
今年は豆腐にできそうです。
そして今年は増産してみようと思います。
去年の5月に漬けた「ゆすら梅酒」を飲んでみました。
なんの酒に漬けたか書いてありませんがすごい味となりました。
砂糖はそれなりに入れたと思うのですがさほど甘いという感じはしません。
この引き締まり方は尋常ではなく、これからの毎日が楽しみです。
40度以上のお酒だと思いますが・・・。
やはり酒が良くないとだめですね。
こういう幸せの一瞬はそう味わえるものではありません、・・・特にこれが"最初"だからでしょうね。
2015年1月9日金曜日
暮れからずーっと
体長がややすぐれませんが、ここへきてかなり疲れた感じでいます。
過去急性膵炎を2回やっていますが、最初のは9月、2回目は1月。
発症時期についてその意義はおおよそだれにも予想つくことかと思われます。
夏ばて、年末年始の疲れといったことかと思われますが職業柄どうにもならないのかとも思われます。
神社仏閣、温泉街でもない普通の生活圏のなかで元旦から物売りすることがいかにおろかなことかがわかります。
お正月にまつわる風習まで劣変成させています・・・というより消滅化させようとしています。
さらに追い打ちをかけるように、自然に広まったわけでもない関西の一極狭い地域の風習を商売道具にして下品な豆まき添加行事にしています。
元旦をはさんでプラスマイナス2週間の小売業の売り上げは、その間無休だろうが3,4日休みだろうが合計するとおおむね同じになるはずです。
ある作家が「正月が短くなってしまった、小売店舗の元旦営業をはじめ社会の発動が早くなったからだろう」と言っていました。
選挙のローラー作戦よろしく空間的にも時間的にも片っ端からお金をはぎ取る、という発想しかわかないこの商法は日本人的といえるのかどうかわかりませんが、いずれは反省を迫られるときがくることを期待してがまんするしかありませんが流通業というのはこういった守銭奴性をすてさることはできないのでしょうかね。
戦後のいやしむべき悪癖です。
過去急性膵炎を2回やっていますが、最初のは9月、2回目は1月。
発症時期についてその意義はおおよそだれにも予想つくことかと思われます。
夏ばて、年末年始の疲れといったことかと思われますが職業柄どうにもならないのかとも思われます。
神社仏閣、温泉街でもない普通の生活圏のなかで元旦から物売りすることがいかにおろかなことかがわかります。
お正月にまつわる風習まで劣変成させています・・・というより消滅化させようとしています。
さらに追い打ちをかけるように、自然に広まったわけでもない関西の一極狭い地域の風習を商売道具にして下品な豆まき添加行事にしています。
元旦をはさんでプラスマイナス2週間の小売業の売り上げは、その間無休だろうが3,4日休みだろうが合計するとおおむね同じになるはずです。
ある作家が「正月が短くなってしまった、小売店舗の元旦営業をはじめ社会の発動が早くなったからだろう」と言っていました。
選挙のローラー作戦よろしく空間的にも時間的にも片っ端からお金をはぎ取る、という発想しかわかないこの商法は日本人的といえるのかどうかわかりませんが、いずれは反省を迫られるときがくることを期待してがまんするしかありませんが流通業というのはこういった守銭奴性をすてさることはできないのでしょうかね。
戦後のいやしむべき悪癖です。
2015年1月8日木曜日
昨夜から今朝にかけて
5つぐらい夢をみました。
最初のがはっきり覚えていて、宇宙人が戦闘機20機くらいの編隊を組んで地面に爆撃ではなくなにものかを打ち込んだ後、宇宙人らしきものがうようよと出てきてこちらは逃げ回るという寸断。建物にかくれたものの自分以外のひとたちがすべて捕まってしまうところで目が覚める。
そのあとの夢は続きではなかったものの、なんであったかも覚えていません。
この年になって宇宙人の攻撃、ということでキーボードをたたいている今でもうれしくなってしまいました・・・こんな夢が見られるんだね。
午前中は睡眠不足のため窓はあけっぱなしで車を運転。
ちっとも寒くなく、さわやかな寒風をあびて走るのもいいものだと感じました。
ただし配達のミスが多く、北と南、東と西両極端をいったりきたりしていました。
脱穀は最後のひと山はやや量が多く片付け切れませんでした。
脱穀殻は畑に蒔きます。
最初のがはっきり覚えていて、宇宙人が戦闘機20機くらいの編隊を組んで地面に爆撃ではなくなにものかを打ち込んだ後、宇宙人らしきものがうようよと出てきてこちらは逃げ回るという寸断。建物にかくれたものの自分以外のひとたちがすべて捕まってしまうところで目が覚める。
そのあとの夢は続きではなかったものの、なんであったかも覚えていません。
この年になって宇宙人の攻撃、ということでキーボードをたたいている今でもうれしくなってしまいました・・・こんな夢が見られるんだね。
午前中は睡眠不足のため窓はあけっぱなしで車を運転。
ちっとも寒くなく、さわやかな寒風をあびて走るのもいいものだと感じました。
ただし配達のミスが多く、北と南、東と西両極端をいったりきたりしていました。
脱穀は最後のひと山はやや量が多く片付け切れませんでした。
脱穀殻は畑に蒔きます。
2015年1月7日水曜日
ここのところ車の中では
デューク・エリントンの1952/シアトルコンサートというのを繰り返し聞いています。
こういう大きなバンドのジャズは基本的にきらいでめったに聴くことはないのですが、まぐれあたりというかこのCDは当たりでした。
特にサキソフォンが何種類も出てきてなおかつ演奏もとても楽しくやっています。
人間の声部がかたっぱしからそろっているような多種のサキソフォンの競演にはこころ踊りました。
脱穀は2ヤマ完遂。
ぱりぱりにかわいた株は気持ちよい音をたてて脱粒されていきます。
正直、一年中脱穀していたいくらいです。
この作業がいちばん楽しい。
ただし畑で即・脱はよろしくない。
あくまでもたっぷりと乾燥期間をもたせてぱりぱりにしてからが楽しいのです。
手刈りの醍醐味というものでしょうか。
あとひとヤマでおしまい。
いよいよ選別となります・・・とはいっても稀少種タネ取りはすでに始まっており、例によって虫君ぞろぞろの脱穀そのままの小ヤマを手選別しています。
こういう大きなバンドのジャズは基本的にきらいでめったに聴くことはないのですが、まぐれあたりというかこのCDは当たりでした。
特にサキソフォンが何種類も出てきてなおかつ演奏もとても楽しくやっています。
人間の声部がかたっぱしからそろっているような多種のサキソフォンの競演にはこころ踊りました。
脱穀は2ヤマ完遂。
ぱりぱりにかわいた株は気持ちよい音をたてて脱粒されていきます。
正直、一年中脱穀していたいくらいです。
この作業がいちばん楽しい。
ただし畑で即・脱はよろしくない。
あくまでもたっぷりと乾燥期間をもたせてぱりぱりにしてからが楽しいのです。
手刈りの醍醐味というものでしょうか。
あとひとヤマでおしまい。
いよいよ選別となります・・・とはいっても稀少種タネ取りはすでに始まっており、例によって虫君ぞろぞろの脱穀そのままの小ヤマを手選別しています。
2015年1月5日月曜日
去年何冊本を読んだろうかと
思い出してみるのだが・・・10冊くらいしか名前が出てこない。
たくさん読めばいいということではないけれども、本を読むと言うことはものを考えた、本によって思考をうながされたということでやはりその数が少ないと言うことはとりもなおさず「積み重ね作業」の怠りということになる。
ものを考えることを促すものはなにも本ばかりではないけれども、"知"そのものではないさまざまな物事・風景・歴史的遺産・・・といった、いやいや自分・他人の日々の営み・仕事そのものから思考をうながされるということはそれなりにこちら側の"おつむの活気"がなければだめなことで、これはかえって本を読む行為よりも困難なことである。
"空気につめをたてて"ということを30代で良く言われたけれども、なんかそういうぴりぴりとした緊張感が失われてしまった初老突入期の今現在の感慨である。
こんなことではいけないな・・・、だけれども。
さてさて、我が家の柿でつくってもらったあんぽ柿は最高であった。
こんな時期からいちごを食べる行為自体軽蔑する。
自然にならったふつうの食生活のなかに美を求めればよい。
元旦にタケノコを出すためになにも亜熱帯から安く仕入れることもないと思う。
早め早め、も度を過ぎると無粋の限りだ。
たくさん読めばいいということではないけれども、本を読むと言うことはものを考えた、本によって思考をうながされたということでやはりその数が少ないと言うことはとりもなおさず「積み重ね作業」の怠りということになる。
ものを考えることを促すものはなにも本ばかりではないけれども、"知"そのものではないさまざまな物事・風景・歴史的遺産・・・といった、いやいや自分・他人の日々の営み・仕事そのものから思考をうながされるということはそれなりにこちら側の"おつむの活気"がなければだめなことで、これはかえって本を読む行為よりも困難なことである。
"空気につめをたてて"ということを30代で良く言われたけれども、なんかそういうぴりぴりとした緊張感が失われてしまった初老突入期の今現在の感慨である。
こんなことではいけないな・・・、だけれども。
さてさて、我が家の柿でつくってもらったあんぽ柿は最高であった。
こんな時期からいちごを食べる行為自体軽蔑する。
自然にならったふつうの食生活のなかに美を求めればよい。
元旦にタケノコを出すためになにも亜熱帯から安く仕入れることもないと思う。
早め早め、も度を過ぎると無粋の限りだ。
2015年1月3日土曜日
元旦から売り場に
立っていると足がつりかかる気配を感じることが何度かありました。
きのうは夜寝ようとしていたらやはりつりかかりました。
すぐ、たぶん・・・、原因に思い当たりました。
立ち続けたからではありません、トイレを敬遠していままで続けていた水2リットルをやっていなかったからです。
同年代のガードマンさんとおしゃべりしていたらやはり「そうだろう」と同じ体験を言っていました。
水を、特に年をとってきたら、今までよりややおおめに飲むと言うことが大切なことなのだなと推論しています。
きょうは昼までで交代が来てくれたのでそのあとずーっとごろごろ。
のんびりできました。
毎日こうだったらいいな、・・・いやいやたまったもんじゃないのかしらね。
きのうは夜寝ようとしていたらやはりつりかかりました。
すぐ、たぶん・・・、原因に思い当たりました。
立ち続けたからではありません、トイレを敬遠していままで続けていた水2リットルをやっていなかったからです。
同年代のガードマンさんとおしゃべりしていたらやはり「そうだろう」と同じ体験を言っていました。
水を、特に年をとってきたら、今までよりややおおめに飲むと言うことが大切なことなのだなと推論しています。
きょうは昼までで交代が来てくれたのでそのあとずーっとごろごろ。
のんびりできました。
毎日こうだったらいいな、・・・いやいやたまったもんじゃないのかしらね。
2015年1月2日金曜日
年が明け
お店で古くからの(ということは当然みんなお年をめして・・・)お客様とつい長話になってしまいます。元気だったり、あっちがいたいこっちがいたかったり、がんを2回目手術したり・・・、だとか。
30年も前からのお客様ともなるとほんとに神棚にあげたいくらいの気持ちなのですが、自分のわがままな豆腐造りによくつきあっていただいてることに感謝のことばの述べようもありません。
「いっとき・瞬間ファン(もどき)」になりすぐにあきられ外で顔を合わせても避けるように逃げていってしまうのが商売のおおかたの実態だと思いますが、耐えなければならないことが多すぎるひとの世の世渡りにへとへとになっているきょうこのごろ正月の決心は?と問われると・・・・・、今まで通り普通にいきましょう。
その場その場で対処することはちゃんとして、今まで通りの希望を持ち続けていけばいいのかしらねえ。
私はつきあいも普通と比べると相当せまい人間ですが、自分を受け入れ・理解してくれているひとはわずかではあるけれどもいるにはいるのでその細い線を大切にしていくしかないでしょう。
また、まだあったこともないのにあるいはもうすでに亡くなっているのに自分にとっては「先生」であるひとたちも、自分のこころの大きな支えであることにかわりはなくこれからも希望の光となることでしょう。
さらに「先生」ということばで表すことのできないこころの支えになっているひとたちも大切に思い続けていくことを決意しています。
よくお葬式で引用されることばですが、「ひとは二度死ぬ」というのがあります。
一度はお葬式のとき、もひとつは「忘れられてしまったとき」ということです。
亡くなってしまっていても大切にこころのなかで思い続けてやることが、そのひとたちへの礼儀・恩返しなのかなと思います。
30年も前からのお客様ともなるとほんとに神棚にあげたいくらいの気持ちなのですが、自分のわがままな豆腐造りによくつきあっていただいてることに感謝のことばの述べようもありません。
「いっとき・瞬間ファン(もどき)」になりすぐにあきられ外で顔を合わせても避けるように逃げていってしまうのが商売のおおかたの実態だと思いますが、耐えなければならないことが多すぎるひとの世の世渡りにへとへとになっているきょうこのごろ正月の決心は?と問われると・・・・・、今まで通り普通にいきましょう。
その場その場で対処することはちゃんとして、今まで通りの希望を持ち続けていけばいいのかしらねえ。
私はつきあいも普通と比べると相当せまい人間ですが、自分を受け入れ・理解してくれているひとはわずかではあるけれどもいるにはいるのでその細い線を大切にしていくしかないでしょう。
また、まだあったこともないのにあるいはもうすでに亡くなっているのに自分にとっては「先生」であるひとたちも、自分のこころの大きな支えであることにかわりはなくこれからも希望の光となることでしょう。
さらに「先生」ということばで表すことのできないこころの支えになっているひとたちも大切に思い続けていくことを決意しています。
よくお葬式で引用されることばですが、「ひとは二度死ぬ」というのがあります。
一度はお葬式のとき、もひとつは「忘れられてしまったとき」ということです。
亡くなってしまっていても大切にこころのなかで思い続けてやることが、そのひとたちへの礼儀・恩返しなのかなと思います。
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