ページビューの合計

2014年12月28日日曜日

有馬記念の

出走馬表の親馬に気をつけてみていると、雌はまちまちなのに雄は7/16頭がディープインパクトであった。血統で支配されている世界のようだけれども、人間界も・・・ただし一度とんでもないことが起きたあとの事だと思うけれども・・・・こんなふうに、血統・"優良"遺伝子で選別される時代がやってくるのだろうか。

大豆はひとまず休止で、本業の年末態勢に入る・・・専念する。
あと、おおそうじ。
きょうは植木屋さんが年内片付けきれなかった家の裏部分の伐採をやる。
神棚の榊を入れ替える。本榊が3本あるがまだちいさいので、そう頻繁に枝は替えられない。

中里さんのところで買ったインドネシアの神山ピーベリー・・・というコーヒーを淹れてみたがお店で飲んだものとは別物の味がした。ただし特徴的な"あの味"はかすかに感じられたが。
やはりやかんの太い口ではだめなのかなと思い、1900円のコーヒーケトルを注文する。鶴の首みたいな細い口。

武澤先生の『大仏はなぜこれほど巨大なのか』(平凡社新書)を読了する。ひと月前にいただいて、ちょい読みかけたまま放置してあったがきのう一晩で150ページ読んでしまう。
こういうものの見方をもっともっと早い段階で知っていたなら・・・とは思うのだが、よく考えてみるとこちらの変成も重要な意味をもっているのでやはり物事は今目の前で起こっていることをすなおに受け止め解釈しなければならない。
もう少し早くやっていれば、とかもう少し早く出会っていればなんていうものは意味がないのかもしれない。
歴史の"もし"議論みたいなものだろう。
60から始めた"著作業"はけっして"60から突然始まった"というものではなく、それまでの多くの体験・蓄積から自然にわき出してきたもので先生の建築という世界から築き上げた立体・社会・芸術をみる力が本の端々から感じ取られて驚嘆するばかり。
職業から教わる、とはこういうことかと真剣に反省する。
エリアーデの日記を昔読んでいたことがあるので、このほんの随所に出てくるエリアーデへの指摘があらわれるとうれしくなっていたのだが、電話で聞くと20のころやっと出始めた翻訳を読んでいたとのことで、建築学徒が宗教学の碩学の本を読んでいたとはふつうの一級建築士とはやはり毛並みが違っていたのかなと思う。彼のお父様が銀座で個展を開いたとき『遊心』という油絵に完動し、その後ウチの業界のある"クラブ"の名前に流用してしまった。
親子違うようでいてやはり共通した者をしょっているなと感じた。
こういう本を読むとなにか大きな得をしたような気になり・・・いやいやほんとに得をしたわけだけれど、生きている幸せのわくが少し広くなったような気がする。
グリーンブラットのルクレチウスこそ出てこないが、古代の哲学者の宇宙の始まりの話も武澤先生の話に出てきて、こういう書物との出会いも人間同士との出会いと同様いやそれ以上に大切なことがあるものだなとつくずく感じた。

Nさんの紹介していた『グローバル経済の誕生』はきわめて有名な本で、名前だけどこかで聞いていたけれど読んでみたい本だ。
年齢的にもう乱読もできなくなっているので、・・・なんてえのも弁解かな・・・ほんとに活字から縁遠くなってしまっていて自分の怠惰を恥じ入るばかり。

2014年12月21日日曜日

年内無理だろう

と思っていたいとこのところの脱穀がきょう完了してしまいました。
お友達が5人来てくれて3時間程度で終わってしまいました>
かびてしまったものもいくらかありましたがおおむね予想の範囲内なのでよかったです。
それにしても脱穀機の脱穀殻吐き出し口から外にはき出されてしまう良豆がけっこうあるので、いっぺんに株を押し込んだり、干し場の下の方にはぜてたまっ豆たちを一気に脱穀入り口に入れることは良くない使い方だと理解できました。
それにしても疲れました。
とろーんとした目で画面を追っていますが早く寝たいです。
あしたから年末の準備が少し出来るでしょうかね。

2014年12月6日土曜日

たのくろ豆、

は今年たね取りに蒔いたひとつですが、いとこのところで刈り取りが終わって(あと一日で完了しそう)お茶にしてくれるというので、おばさんとおしゃべり。
息子は浦和にアルディージャかなんかの試合を見にとかで話し相手が欲しかったのでしょう。
彼女は入間川のそばの水田地帯で育ったので稲作についてはよく知っていて、大豆も水田のかたわら半端地でそだてていたことを語ってくれました。
その中で「田のくろ=田の周辺を水が漏らないように土できれいな壁状にすること、というのを聞きました。田の"くろつくり、くろすけ"ともいうそうで、こんなに身近に"たのくろ"のことを現実に知っているひとがいてびっくりしました。
農水のひとたちがこのいわれについて知っているかどうか聞いてみたいものです。
さらに、麹についても各家庭で味噌を造ることが常識であった時代"麹むしろ"というのがあって、毎年同じそれで麹を自分でつくっていたということも聞きました。
麹屋さんという職業が町中にはあったはずですが、農村地帯では毎年毎年自分で作っていたのですね。
ところで今年蒔いたたのくろ大豆は農薬も使わないのにいい収穫となりました。
増やしていこうと思います。

畑から帰ると眠たくて眠たくてというのがここのところの日常です。
園田高弘さんの悲愴を毎日聞きながら湯たんぽで暖まった布団に潜り込みますが、第二楽章でいつも寝てしまうようです。

2014年12月4日木曜日

bravura

ぶらぶら、いやいやブラヴューラ・・・知りませんでした。
brave、bravoと語源を同じくするものと思われますが日本語との比較からおかしかったです。
「華麗な曲、演奏」ということですが眠れない夜中にはとてもヘッドフォンをつけて聞けるような手合いではありませんが、このbravuraの正反対ということで思い出したのが30年以上前のことでしょうか、カーネギーホールではなばなしいデビューを飾った"天才ピアニスト"(というふれこみ)のニレジハージーの高崎音楽大学と第一生命ホールでのソロ・コンサートでした。
音楽業界の商業主義に反発してコンサートをしなくなりどういう30~70代をおくったのかわかりませんが、貧困の極致にあったものを高崎音楽大学の学長さんかなにかが救いの手をさしのべた末のコンサートだったと思います。
高崎のは私家版のレコードもあり自分も所有していますが、第一生命ホールのも大手レーベルから2枚組かなんかで出ていたと思います。両方とも探すのが大変でどこに行ってしまったかわかりませんが、とにかく高崎の印象は暗くて暗くて気が滅入ってしまったのを覚えています。
第一生命ホールでは演奏の記憶は全くなく、わあわあといった雰囲気の中で知らない間にコンサートが終わってしまったのを覚えています。フジ子ヘミングという方がどういう演奏をするのか知りませんが、ミーハー客の押し寄せたコンサート会場というものは似たようなものなのでしょうか。
ところで第一生命ホールでもっとも印象に残ったのは音楽ではなく菅原文太さんでした。
コンサートの企画というか支える側にいたのです。
利用されたのかそれとも自主的にそうなさったのかは知るよしもありません。
流れ星・・・のイメージしかなかった彼ですが、晩年の活動をみると首尾一貫したものを持っていたのかなと今になって感じています。
菅原文太がリストを、しかも幻のピアニストのコンサートに・・・。
その場では目の前にいた菅原文太の姿になにかおかしみすら感じてしまったのですが今になって、「ああ、映画の中のまんまなのだな」と感じています。

それにしても演奏会をしないで何を自分の外界にメッセージしようとするのか理解に苦しむところですが、純粋なんでしょうね。
ひとには売らない夢の豆腐をつくる、注文主がいないのに夢の建築をつくる設計士、・・・。矛盾しているようで矛盾していないおとぎばなし。

2014年12月3日水曜日

またあした

雨かと思うと憂鬱になります。
今日の脱穀は非常に"質"の良さを感じました。
つまり乾燥によってこんなにも作業能率が上がり、さらに豆たちもきれいな状態で出てくるので仕事自身が楽しくなります。
汚粒の原因はいままで"青い茎"とばかり考えていましたが、(これももちろん原因の一部ではありますが)ほとんどはサヤや茎がたとえ枯れていたとはしても"湿り気"を持っていると通常では粉状のゴミとして発生する粉砕片がべったりとして豆のまわりについてしまう、というのが大きな原因のようです。コンバインの刈り取り常識として雨が降ってから一週間、というのはそういうことだったのです。コンバインはいっぺんに大面積を片付けられます。
自走式脱穀機は3時間で、刈り取り時間も含めて、せいぜい60キロの収穫量です。
従ってぱりぱりに乾いたベストのタイミングでもそんなに大量の脱穀は不可能。
だから"雨が降ってから一週間"は待てません。
ここが、自走式脱穀機の限界なんだなと納得しました。
そして今年は運が悪いのです。
数日ごとに雨が降ります。
まあ、なるようにしかならないのですかね。

友人二人から本をいただきましたがなかなか読む時間がありません。
感想を書きたいのですが・・・・。
新書一冊をものにするのにも、かくも大量の読書・思索を積み重ね、それまでの人生の積み重ねのベースの上に新たな思考を展開できる60代の青年には驚愕を感じざるをえません。
自分の場合はただ実験・経験からの観察と、多様な加工の楽しみを列挙しているだけなのでお恥ずかしい限りです。
"考える"からはずーっと遠いところで右往左往しているのかしらね。