錯覚させるさっぱりとしたいい天気です。
お客様の病院に配達に行くと、事務所の窓ガラスにせみの抜け殻がありました。
清潔にしているところなのでつねにお掃除しているはずなので去年の抜け殻とは思えませんね。
ついこないだ、ひょっとすると今朝成虫になったのかもしれませんね。
残念ながら病院の森は広すぎてせみの鳴き声は聞こえませんでした。
さてさてこの時期の蝉というと東北のぶな林を歩いていると聞こえてくる春ゼミを思い出します・・・ちょっと待てよ、もう7月か?上の方が残雪の頃なので5,6月と言ったところでしょうか。
それにしてもこの辺でこの時期に"蝉"というのはどちらかというと"異常"の部類に入るのかなと思います。
それにしても今朝はこの蝉くんたちが2枚の網戸に4匹、2匹と集中して抜け殻を置いていったことに対して感動しきりです。
お昼を食べてから裏の畑を草つぶしのためうなり、やや涼しくなったらいとこのところで種まきといたしましょう。
いま11時42分。
夕方も更新できるかな?
お昼を食べて家の裏をうなり、そのあといとこのところへ。
途中9年前の古タネの畑をチェック、ほとんど発芽せず・・・まき直し。
いとこのところでは3時頃から涼しくなり一気に6じ45分まで。25列。さすが疲れました。
やはり古いタネはきちんと発芽チェックのために10粒程度テストしてからが肝要のようです。
たとえ5度C保存でも"経年"という劣化要因があることを念頭におかなければならないようです。
もっとも10年経っても発芽するものは発芽するのですけれどもね。
きのうから今朝にかけてたぶん熱帯夜だったのかなと思いますがきょうはどういうことになるのでしょうか。
疲れすぎて爆睡、あるいは逆に寝られないと言うこともあり得ます。
まあ、なるようにしかならないですね。
ページビューの合計
2015年6月28日日曜日
2015年6月27日土曜日
きのうはずいぶんと
前から予定に入っていた食事会のおよばれのため畑はひとやすみということになっていましたが、運良く"本降り雨"だったためどのみち畑はできない日でした。
ラッキーでした。
楽しいお話とビール・餃子で生気をいくらか取り戻せたようです。
帰りはややあぶなかったのですが、電車の遅れで武蔵野線の最終マイナス1の電車に乗れました。
ところで行きのの電車の中で2Cellosというチェロのデュオ・グループの録音を聴いていましたが若さ・情熱がはちきれんばかりに極上の技術に支えられた演奏で眼が覚める思いで聞き入っていました。
ベルリン・フィルの12チェロのはっと言わせる登場はもう40年も前のことでしょうか。
このとき後にギター曲でおなじみのヴィラ・ロボスの名前をはじめて身近に感じたものですが、今回の2Cellosは今月の初めからアルバン・ベルク弦楽四重奏団のコンサート録音やスメタナかブダペスト・カルテットだったかと思いますがバルトークの弦楽四重奏、そして例のクロノス・カルテットをちょうどMDで聴いていたため意外性はありませんでしたが、音楽本来の即興性をほうふつとさせる演奏には感動しました。
たぶんこのスィングしている気分はジャンルを超えて若い人たちの感性にすっと受け入れられる要因かもしれません。逆にポップスやロックのひとたちもクラシックに"高飛車"性を意識せずにすんなりとはいっていけるきっかけになるのかとも思えます。
芸術とは?なんて言えた柄ではありませんが、芸術は大衆・平民迎合であってはならないと思います。
"つん"としていていいのです。いやいや"つん"としていなければなりませぬ。
貴族的でいいのです。
大事なことは、「まね、だけに終わらないこと」、「前の時代になかったことを作り上げること」だと思います。
しかもそういったものはおおむね、なかなか理解されない。
だから芸術家は"苦しい"。
生きることが苦しくなる。
パトロンを求める。
求めすぎ・迎合しすぎてただの商売に堕する。
ここにつらい選択をせまられるのです。
まあ毎日同じ(ような)ものを作っている職人には上に述べたことは雲の上のひとたちのことですが、学ぶところはたくさんあります・・・そのまま教訓に、反面教訓としても。
この2CellosというDuoが今後どういうふうになっていくかはなんとなく予想ができます。
ただ彼らはジプシー的な出自というわけでもなく、きちんとした教育を受けた人なので"音楽する喜び"をもっと深く・広くおおくの人に教えていく伝導師たる事は忘れないものと信じています。
がんばってください。
グレングールド、つのだたかし等古楽アンサンブルの先達たち、クロノス・カルテット等のいろんなバージョンがまだまだ出てくるのでしょうね。
でもやっぱし楽しいのははじめのはじめのような気がします。
たぶんこのスィングしている気分はジャンルを超えて若い人たちの感性にすっと受け入れられる要因かもしれません。逆にポップスやロックのひとたちもクラシックに"高飛車"性を意識せずにすんなりとはいっていけるきっかけになるのかとも思えます。
芸術とは?なんて言えた柄ではありませんが、芸術は大衆・平民迎合であってはならないと思います。
"つん"としていていいのです。いやいや"つん"としていなければなりませぬ。
貴族的でいいのです。
大事なことは、「まね、だけに終わらないこと」、「前の時代になかったことを作り上げること」だと思います。
しかもそういったものはおおむね、なかなか理解されない。
だから芸術家は"苦しい"。
生きることが苦しくなる。
パトロンを求める。
求めすぎ・迎合しすぎてただの商売に堕する。
ここにつらい選択をせまられるのです。
まあ毎日同じ(ような)ものを作っている職人には上に述べたことは雲の上のひとたちのことですが、学ぶところはたくさんあります・・・そのまま教訓に、反面教訓としても。
この2CellosというDuoが今後どういうふうになっていくかはなんとなく予想ができます。
ただ彼らはジプシー的な出自というわけでもなく、きちんとした教育を受けた人なので"音楽する喜び"をもっと深く・広くおおくの人に教えていく伝導師たる事は忘れないものと信じています。
がんばってください。
グレングールド、つのだたかし等古楽アンサンブルの先達たち、クロノス・カルテット等のいろんなバージョンがまだまだ出てくるのでしょうね。
でもやっぱし楽しいのははじめのはじめのような気がします。
2015年6月25日木曜日
6日連続の
農作業できょうはだいぶ疲れています。
ゆえに、夕飯のとんかつがうまかった。
きょうはいとこのところを20列。
一列が長いので体力消耗。
でも充実感はたっぷりで、ここのところ毎日寝付き3時間後に眼が覚めるとはいうもののそのあとまたすぐに眠りに入り・・・浅いので、夢はよくみる・・・疲れもとれているようです。
さて20日に蒔いた極小が発芽しました、ほぼ全員発芽しています。
そのとなりに蒔いた9年前のK在来は今のところ全く発芽していません・・・4日めなのでまだまだかしらね。
ゆえに、夕飯のとんかつがうまかった。
きょうはいとこのところを20列。
一列が長いので体力消耗。
でも充実感はたっぷりで、ここのところ毎日寝付き3時間後に眼が覚めるとはいうもののそのあとまたすぐに眠りに入り・・・浅いので、夢はよくみる・・・疲れもとれているようです。
さて20日に蒔いた極小が発芽しました、ほぼ全員発芽しています。
そのとなりに蒔いた9年前のK在来は今のところ全く発芽していません・・・4日めなのでまだまだかしらね。
2015年6月21日日曜日
天気予報は
大はずれのようでした。
昼過ぎ畑に出ようか出まいかとまよっていましたが出ることにして正解でした。
まず家の裏を草刈り。
そして中富を昨日の続きで巻き終わりました。
昨日と違うK在来で、最近白目と茶目が混在するようになってきたので、保存してあった2006年産の古タネを蒔きました。発芽しなかったらもちろんまきなおしですが、去年の"白・茶混在"ロットから白目を選別してあるので、それを蒔くことになります。
25列。夕方5時終了。
途中やめようかという状況がやってきましたが、たいしてぬれることもなく続けることができました。
帰るときはお日様が照ってました、天気予報は大はずれです。
きょうは夜中に足がつりそうな予感がします。
実際、昼間つりかかりました。
昼過ぎ畑に出ようか出まいかとまよっていましたが出ることにして正解でした。
まず家の裏を草刈り。
そして中富を昨日の続きで巻き終わりました。
昨日と違うK在来で、最近白目と茶目が混在するようになってきたので、保存してあった2006年産の古タネを蒔きました。発芽しなかったらもちろんまきなおしですが、去年の"白・茶混在"ロットから白目を選別してあるので、それを蒔くことになります。
25列。夕方5時終了。
途中やめようかという状況がやってきましたが、たいしてぬれることもなく続けることができました。
帰るときはお日様が照ってました、天気予報は大はずれです。
きょうは夜中に足がつりそうな予感がします。
実際、昼間つりかかりました。
2015年6月20日土曜日
午後
お店があったものの日没が7時過ぎであることを考えトラックで種まきの用意をしてでかける。
夕方お店交代で6時半まで2時間タネを蒔きました。
奇しくも4車線をはさんでの反対側にはいとこがうなりに来てくれていました。
早生の極小品種を15畝蒔きました、0.5反以下でしょうか。
去年より一日早いスタートです。
畑がはじまり散歩もしなくなったのが不眠の原因かもしれませんが、これからの農作業でその真偽がわかるでしょう。
夕方お店交代で6時半まで2時間タネを蒔きました。
奇しくも4車線をはさんでの反対側にはいとこがうなりに来てくれていました。
早生の極小品種を15畝蒔きました、0.5反以下でしょうか。
去年より一日早いスタートです。
畑がはじまり散歩もしなくなったのが不眠の原因かもしれませんが、これからの農作業でその真偽がわかるでしょう。
2015年6月19日金曜日
去年の大豆日誌を
取り出してみるとなんと、6/21日から播種しているのがわかりました。ブログにも書いているかもしれません。そして一番最初に蒔いた2種は両方共に「ほきる=ボディばかりおおきくなってしまい実のならないこと」ことなくよく収穫できたことがわかっています。
去年こんなに早かったのは15反という面積に一気にふやしたこともあっての警戒感からだと思います、・・・・蒔ききるだろうか?という不安。
ということで今年も「行っちゃえ」ということで21日頃から同じものを蒔いてしまおうと思います。それと同時にやはり6月中に蒔いて「ほきて」しまい大失敗のもあるのでそれはくりかえさないように気を付けます。
例年の記録・記憶から「ややはやめ」ということを意識しながら6月中の播種を塩梅したいのですがやや"ばくち性"の高い世界です。
でも失敗も知的財産です。
そんなわけでまいたものの細かい成長、成長完了期の記録はきわめて重要なデータとなります。
あともちろん、枝豆でうまいか、豆腐(豆乳)にしてうまいか、・・・虫に強いかももちろん重要データです。
去年こんなに早かったのは15反という面積に一気にふやしたこともあっての警戒感からだと思います、・・・・蒔ききるだろうか?という不安。
ということで今年も「行っちゃえ」ということで21日頃から同じものを蒔いてしまおうと思います。それと同時にやはり6月中に蒔いて「ほきて」しまい大失敗のもあるのでそれはくりかえさないように気を付けます。
例年の記録・記憶から「ややはやめ」ということを意識しながら6月中の播種を塩梅したいのですがやや"ばくち性"の高い世界です。
でも失敗も知的財産です。
そんなわけでまいたものの細かい成長、成長完了期の記録はきわめて重要なデータとなります。
あともちろん、枝豆でうまいか、豆腐(豆乳)にしてうまいか、・・・虫に強いかももちろん重要データです。
2015年6月18日木曜日
今日の午後は
大変でした。
午後1時から8時まで売り子。
途中休憩無し。
16時間労働かな、といっても体はほとんど使わないけれど。
ひまつぶしに混入・変異の多いK在来の純タネ用選別。
あっという間に時間は過ぎてしまったようですが家に帰るとくたくたです。
そもそもここ何日かやや不眠気味で毎日3時間くらいしかねていないかもしれません。
おやすみ音楽はエヴァ・キャシディーでいきましょう。ライナー・ノートに家族や友人への感謝の辞。書物でも意外と身近なひとへの献呈の辞が書かれているのがあちらさんの習慣です、日本だと師匠だとかパトロンというところでしょうね。意外とカネ・カネや世渡りがこういうところに出てくるのが物書きの卑屈精神丸出しの日本なのでしょうか。
エヴァの場合はもう「余命・・・」ということが意識にあったのでしょうか。
彼女の濁りのない透明な声には脱帽です。
にごりがいいんだよ、という歌謡曲・ポップスへの賛辞もまっとうなんですけれどもね。
午後1時から8時まで売り子。
途中休憩無し。
16時間労働かな、といっても体はほとんど使わないけれど。
ひまつぶしに混入・変異の多いK在来の純タネ用選別。
あっという間に時間は過ぎてしまったようですが家に帰るとくたくたです。
そもそもここ何日かやや不眠気味で毎日3時間くらいしかねていないかもしれません。
おやすみ音楽はエヴァ・キャシディーでいきましょう。ライナー・ノートに家族や友人への感謝の辞。書物でも意外と身近なひとへの献呈の辞が書かれているのがあちらさんの習慣です、日本だと師匠だとかパトロンというところでしょうね。意外とカネ・カネや世渡りがこういうところに出てくるのが物書きの卑屈精神丸出しの日本なのでしょうか。
エヴァの場合はもう「余命・・・」ということが意識にあったのでしょうか。
彼女の濁りのない透明な声には脱帽です。
にごりがいいんだよ、という歌謡曲・ポップスへの賛辞もまっとうなんですけれどもね。
2015年6月17日水曜日
クリーブランド オーケストラというとなぜか自分には
キリギリスのイメージのあるジョージ・セルのめがね顔、がすぐ頭にうかぶのですが先日BSでやっていたこのオーケストラの演奏会をみていて気づいたことがあります。
すべてブラームスの作品ですが一曲目が"ピアノ交響曲"ともあだ名されるピアノ協奏曲一番でした。ピアニストの細かいミスはあったもののピアとの協和はここちよく十分楽しめました。
日本人(の顔の)演奏家が多いことにびっくりしました。
例のスキャンダルで有名になったコンサートマスターのとなりには初老の女性。ちょうどせんだってジーンバンクで講演していただいた理化学研究所の先生みたく学者然・芸術家然とは全く感じさせないやさしそうなおばあちゃんという感じでした。
風貌だけでうれしくなりました。
もちろんにこにこしながら演奏していたというわけではありませんけれどもね、真剣そのものです。そのうしろには2人バイオリンがいたでしょうか。スペインのあの宮廷画家描く女性の風貌をしたフルート奏者がわたしには異様な感じがしました。そしてふたりのフルート奏者の使っている楽器が黒くてクラリネットのようでもあり、これはいったいなんなのかしらとクラリネットを検索すると"木製"のクラリネットがはやっているとのことでした。ちなみにヤマハで110万円。
金とか銀メッキがあたりまえの楽器だと思っていたら木管楽器本来の"木製"が復活したんですね。たぶん古楽つまりearly musicの流行のもたらした一現象なのでしょうか。古楽アンサンブルでなく普通のオーケストラでこういうことが起こっているようです。
古楽器の世界もいまでは新奇・珍奇だけでは通用しないほど演奏レベルもあがっていることでしょう。西洋音楽の一ジャンルとして落ち着きつつあるようです。
豆腐でいうと"にがり"は当たり前、在来種・無農薬も普通のこと、というのと同じようなものでしょうか。
このオケには7、8人くらい日本人の顔した演奏家がいるのでしょうかね。
付け足しで、指揮者とピアノのうしろ二列目のビオラ奏者がナターシャ・キンスキーそっくりの色白美人でした、絵になるほんとにきれいな方でした。
もひとつ付け足しですが、放送の後半はまだみていませんがオーストリアの聖フローリアン教会でのブルックナー7番で我が朝比奈さんが世界的名演をなしたブルックナー本人の眠っている教会での演奏会です。
教会自体が楽器となったオルガンを彷彿とさせる重厚なひひぎきをつくりだしてくれていることでしょうね、これはあとのお楽しみ。
草刈り。
隣の畑のMさんから枝豆を大量にいただきました。
そんなに甘くはありませなでしたがさわやかな若々しさに満ちた早生の大豆でした。
小分けして冷凍にしました。
いっぺんに食べると尿酸値があがってしまいます。
すべてブラームスの作品ですが一曲目が"ピアノ交響曲"ともあだ名されるピアノ協奏曲一番でした。ピアニストの細かいミスはあったもののピアとの協和はここちよく十分楽しめました。
日本人(の顔の)演奏家が多いことにびっくりしました。
例のスキャンダルで有名になったコンサートマスターのとなりには初老の女性。ちょうどせんだってジーンバンクで講演していただいた理化学研究所の先生みたく学者然・芸術家然とは全く感じさせないやさしそうなおばあちゃんという感じでした。
風貌だけでうれしくなりました。
もちろんにこにこしながら演奏していたというわけではありませんけれどもね、真剣そのものです。そのうしろには2人バイオリンがいたでしょうか。スペインのあの宮廷画家描く女性の風貌をしたフルート奏者がわたしには異様な感じがしました。そしてふたりのフルート奏者の使っている楽器が黒くてクラリネットのようでもあり、これはいったいなんなのかしらとクラリネットを検索すると"木製"のクラリネットがはやっているとのことでした。ちなみにヤマハで110万円。
金とか銀メッキがあたりまえの楽器だと思っていたら木管楽器本来の"木製"が復活したんですね。たぶん古楽つまりearly musicの流行のもたらした一現象なのでしょうか。古楽アンサンブルでなく普通のオーケストラでこういうことが起こっているようです。
古楽器の世界もいまでは新奇・珍奇だけでは通用しないほど演奏レベルもあがっていることでしょう。西洋音楽の一ジャンルとして落ち着きつつあるようです。
豆腐でいうと"にがり"は当たり前、在来種・無農薬も普通のこと、というのと同じようなものでしょうか。
このオケには7、8人くらい日本人の顔した演奏家がいるのでしょうかね。
付け足しで、指揮者とピアノのうしろ二列目のビオラ奏者がナターシャ・キンスキーそっくりの色白美人でした、絵になるほんとにきれいな方でした。
もひとつ付け足しですが、放送の後半はまだみていませんがオーストリアの聖フローリアン教会でのブルックナー7番で我が朝比奈さんが世界的名演をなしたブルックナー本人の眠っている教会での演奏会です。
教会自体が楽器となったオルガンを彷彿とさせる重厚なひひぎきをつくりだしてくれていることでしょうね、これはあとのお楽しみ。
草刈り。
隣の畑のMさんから枝豆を大量にいただきました。
そんなに甘くはありませなでしたがさわやかな若々しさに満ちた早生の大豆でした。
小分けして冷凍にしました。
いっぺんに食べると尿酸値があがってしまいます。
2015年6月13日土曜日
自分の発した
ことばに酔うひと。
自分の演説・あいさつに涙を流している・・・会長・会頭、・・・市長。
いのちとかいきる力とか「いいこといったなあ」なんて自己満足に陥っている教壇にたったこともない文部官僚。
読むだけで作曲もしたことない指揮者や評論家たちのたいそうな表現・評言。
作ったこともないのに、またたいしたヴァリエーション、多様性を経験したこともないのに商品に良・不良の点数をつける食い物評論家たち。
読書の集積だけから「ひとのこころが読める」とうそぶいている売文物書き。
新聞の論説を組み替えただけの「おいらの見解」。
・・・・・。
数え上げたらきりがない。
・・・のつもり、・・・きどりにあふれかえっているのが昔も今も変わらぬ"世間"というものでしょうか。
らっきょうを1キロ、黒酢・はちみつにつけました。
にんにくすこしばかり醤油・砂糖・はちみつにつけました。
タマネギを黒酢・はちみつにつけました。
南高梅2キロを梅酒にしました・・・この高級梅は梅干し専用なのでしょうか。まあ、実験と言うことでいきます。
夕飯時にテレビをみていると駿河湾のあじをやっていました。
ボディの上半分がなにやら金色に光っていてふつうのよりややおおきめです。
あじは普通は近海を回遊して荒波にもまれてしまっているのが普通だそうですが、駿河湾でとれて珍重されているのは回遊しないで湾内のおいしいえさをたべているものらしいです。
油がのっている。
でも待てよ、これって皮下脂肪、単なる食い過ぎ・肥満じゃないの。
ただえさがこんぶとかおいしいものばかりのようで、えさのせいでおいしいということかしらね。
ここで思い出すのが関さばと同様豊後水道つまり関と三浦君とこの佐多岬半島の間でとれる関あじです。
あそこは明石海峡同様荒波にもまれて筋肉がひきしまり・・・、の論ではなかったでしょうか。
駿河湾のなかで食い道楽しているあじとは正反対です。
この辺の説明をテレビにしてもらいたかったのですがね。
なんでもかんで"甘いのがいい"というのがひとの味覚の美意識をそこねているのではないでしょうか。
自然に甘いのはもちろんいい。
大豆の在来種は、つまり品種改良されていない野生に近いものは、すべてとはいいませんが雑味も豊富ですが甘いものも多い。
あえて改良しなくても自然状態で甘い。
しかるにいうちご、トマト等諸果実・くだものひたすらに甘く・甘くと品種改良していく。
ヒトの味覚は堕落していきます。
こういうのって食べ物ばかりでなくて、文章、おはなし、音楽、絵画、映像、器・・・なにからなにまで大量生産・大量流布されていく薄利多売改めぱくりやばい商売の本質なのかもしれません。
みんなと同じだと安心。
その裏返しとして主張のはっきりとしない「ただみんなと違えばいい」になっていってしまうようです。
自分が生きている間にいまのかたちの資本主義の一形態がどういうふうに崩壊していくのかみることはできないのかなとは思いますが、確実に壊れていくものと確信します。
こわれたあと何がくるんでしょうかね。
そしてどういうふうに落ち着いていくんでしょうかね。
自分の演説・あいさつに涙を流している・・・会長・会頭、・・・市長。
いのちとかいきる力とか「いいこといったなあ」なんて自己満足に陥っている教壇にたったこともない文部官僚。
読むだけで作曲もしたことない指揮者や評論家たちのたいそうな表現・評言。
作ったこともないのに、またたいしたヴァリエーション、多様性を経験したこともないのに商品に良・不良の点数をつける食い物評論家たち。
読書の集積だけから「ひとのこころが読める」とうそぶいている売文物書き。
新聞の論説を組み替えただけの「おいらの見解」。
・・・・・。
数え上げたらきりがない。
・・・のつもり、・・・きどりにあふれかえっているのが昔も今も変わらぬ"世間"というものでしょうか。
らっきょうを1キロ、黒酢・はちみつにつけました。
にんにくすこしばかり醤油・砂糖・はちみつにつけました。
タマネギを黒酢・はちみつにつけました。
南高梅2キロを梅酒にしました・・・この高級梅は梅干し専用なのでしょうか。まあ、実験と言うことでいきます。
夕飯時にテレビをみていると駿河湾のあじをやっていました。
ボディの上半分がなにやら金色に光っていてふつうのよりややおおきめです。
あじは普通は近海を回遊して荒波にもまれてしまっているのが普通だそうですが、駿河湾でとれて珍重されているのは回遊しないで湾内のおいしいえさをたべているものらしいです。
油がのっている。
でも待てよ、これって皮下脂肪、単なる食い過ぎ・肥満じゃないの。
ただえさがこんぶとかおいしいものばかりのようで、えさのせいでおいしいということかしらね。
ここで思い出すのが関さばと同様豊後水道つまり関と三浦君とこの佐多岬半島の間でとれる関あじです。
あそこは明石海峡同様荒波にもまれて筋肉がひきしまり・・・、の論ではなかったでしょうか。
駿河湾のなかで食い道楽しているあじとは正反対です。
この辺の説明をテレビにしてもらいたかったのですがね。
なんでもかんで"甘いのがいい"というのがひとの味覚の美意識をそこねているのではないでしょうか。
自然に甘いのはもちろんいい。
大豆の在来種は、つまり品種改良されていない野生に近いものは、すべてとはいいませんが雑味も豊富ですが甘いものも多い。
あえて改良しなくても自然状態で甘い。
しかるにいうちご、トマト等諸果実・くだものひたすらに甘く・甘くと品種改良していく。
ヒトの味覚は堕落していきます。
こういうのって食べ物ばかりでなくて、文章、おはなし、音楽、絵画、映像、器・・・なにからなにまで大量生産・大量流布されていく薄利多売改めぱくりやばい商売の本質なのかもしれません。
みんなと同じだと安心。
その裏返しとして主張のはっきりとしない「ただみんなと違えばいい」になっていってしまうようです。
自分が生きている間にいまのかたちの資本主義の一形態がどういうふうに崩壊していくのかみることはできないのかなとは思いますが、確実に壊れていくものと確信します。
こわれたあと何がくるんでしょうかね。
そしてどういうふうに落ち着いていくんでしょうかね。
2015年6月12日金曜日
朝霞まで
配達があって混雑の川越街道を久しぶりに走りました。
「朝霞警察付近でのろのろ」というのは決まり文句の表示で「はい、わかりました」。
税務研修所前で左折。税務研修所というのは司法修習生の研修所みたく税理士や国税専門官の訓練所なんでしょうね。
交差点から駅前まではすばらしい樹木のトンネル。
いい町並みで・・じゃなくて道の風景かなでうれしくなりました。
きょうはこれがいいたかったです。
畑は陸稲もささげもおおむね発芽。ささげは2度蒔きしてますがテグスの効果はあったといえるのかしらね、でもまだまだ大量に蒔いた大豆の上に張ってはじめて効用の是非はいえるのですけれども。おおざっぱに今年の播種選定、順番を頭に思い描いていますが早生以外はおおむね収穫・できあがり時期が同じなので何やっても無駄かなという感じはしますが"若干"の速い・遅いの時間差を利用できればなと毎年無駄な抵抗をしています。
特に今年のキーポイントは去年O在来の中からとれた"背高のっぽ白目"の変異種です。
見た目がきれいでうっとりしてしまいます。
今年は増産です。
家に帰るとショルティをGoogleで。
アムステルダム・コンセルトヘボウの来日公演でキーシンを迎えてのベートーベンの『皇帝』がMDで残っていたので聴いていたのですが丹羽正明さんの解説では指揮とピアノの不一致を言ってましたが、自分には久しぶりと言うこともありまた録音が秀逸であったためとてもいい演奏会のろくおんでした 。そして当時業界最長老のショルティに対する評言がいま言ったそれだけだったのでがっかりしたわけですが、いったいショルティというのはどういう評価を受けているのかとネットで調べると、比較的若いと思われるひとの言ばかりであまり読む気にもなれなかったのですがおおかた「ばかにされていた」ようです。「へぇー」とばかりに意外に思いました。
たしかにフルベン、ベーム、チェリ、クナ、クライバー、マタチッチ、バーンスタイン、朝比奈、山田和雄・・・とくらべると際だった個性もなくアバドと同類の"現代"(といっても1970-2000を意味しますが)を代表する指揮者と考えていますが、「まずく」はないと思います。
どちらかというと「いい」です。
いいけど陳腐、陳腐だけどいい。高貴な凡庸です。
とくにこれはオランダの放送局から送られた録音テープでのNHK放送と記憶していますがベートーベンの『田園』は秀逸で、過去音楽で涙を流した5演奏の中の一演奏でもあります。
きょうきいた『皇帝』もとてもよかったです。
キーシン、などというとミーハーみたいですがきょうのはよかったです。
15歳からの目立ち人生ですが、いまはどんな感じなんでしょうね。
中国のリンリン・ランランとかいうピアニストもネットでの音楽ニュースで時々"スペル"を拝見するので、ミーハー相手のアクロバット演奏家は脱しているのでしょうか。
丹羽正明さんはFMでさんざんお世話になった評論家で、いろんなことを学んだかたです。穏やかな口調で好きな評論家でしたが宇野功芳ほどのインパクト・あおりのことばは発しない人で一見陳腐に感じられたのかもしれませんがいいことばで音楽を好きにさせてくれることばをたくさん発してくれた方です。
でもきょうの解説はわかりませんでした。
ステレオの"高級"セレクター(金メッキ、高級ボリューム使用)の断線による左・音出ずを発見しひさびさに「ハンダ付け」をやりました。ハズキルーペなしの肉眼でこまかいところをくっつけましたがおもしろかったです。カメラ内のハンダ付けよりははるかに楽で、もうこの年齢ではこの程度かなと思いました。
夜になっても蒸し暑く夏も本格的にやってくる予感です。
すずしい音楽・・・ドビュッシー、いやいや熱くてしょうがないバーベキュー音楽もいいもんです。
「朝霞警察付近でのろのろ」というのは決まり文句の表示で「はい、わかりました」。
税務研修所前で左折。税務研修所というのは司法修習生の研修所みたく税理士や国税専門官の訓練所なんでしょうね。
交差点から駅前まではすばらしい樹木のトンネル。
いい町並みで・・じゃなくて道の風景かなでうれしくなりました。
きょうはこれがいいたかったです。
畑は陸稲もささげもおおむね発芽。ささげは2度蒔きしてますがテグスの効果はあったといえるのかしらね、でもまだまだ大量に蒔いた大豆の上に張ってはじめて効用の是非はいえるのですけれども。おおざっぱに今年の播種選定、順番を頭に思い描いていますが早生以外はおおむね収穫・できあがり時期が同じなので何やっても無駄かなという感じはしますが"若干"の速い・遅いの時間差を利用できればなと毎年無駄な抵抗をしています。
特に今年のキーポイントは去年O在来の中からとれた"背高のっぽ白目"の変異種です。
見た目がきれいでうっとりしてしまいます。
今年は増産です。
家に帰るとショルティをGoogleで。
アムステルダム・コンセルトヘボウの来日公演でキーシンを迎えてのベートーベンの『皇帝』がMDで残っていたので聴いていたのですが丹羽正明さんの解説では指揮とピアノの不一致を言ってましたが、自分には久しぶりと言うこともありまた録音が秀逸であったためとてもいい演奏会のろくおんでした 。そして当時業界最長老のショルティに対する評言がいま言ったそれだけだったのでがっかりしたわけですが、いったいショルティというのはどういう評価を受けているのかとネットで調べると、比較的若いと思われるひとの言ばかりであまり読む気にもなれなかったのですがおおかた「ばかにされていた」ようです。「へぇー」とばかりに意外に思いました。
たしかにフルベン、ベーム、チェリ、クナ、クライバー、マタチッチ、バーンスタイン、朝比奈、山田和雄・・・とくらべると際だった個性もなくアバドと同類の"現代"(といっても1970-2000を意味しますが)を代表する指揮者と考えていますが、「まずく」はないと思います。
どちらかというと「いい」です。
いいけど陳腐、陳腐だけどいい。高貴な凡庸です。
とくにこれはオランダの放送局から送られた録音テープでのNHK放送と記憶していますがベートーベンの『田園』は秀逸で、過去音楽で涙を流した5演奏の中の一演奏でもあります。
きょうきいた『皇帝』もとてもよかったです。
キーシン、などというとミーハーみたいですがきょうのはよかったです。
15歳からの目立ち人生ですが、いまはどんな感じなんでしょうね。
中国のリンリン・ランランとかいうピアニストもネットでの音楽ニュースで時々"スペル"を拝見するので、ミーハー相手のアクロバット演奏家は脱しているのでしょうか。
丹羽正明さんはFMでさんざんお世話になった評論家で、いろんなことを学んだかたです。穏やかな口調で好きな評論家でしたが宇野功芳ほどのインパクト・あおりのことばは発しない人で一見陳腐に感じられたのかもしれませんがいいことばで音楽を好きにさせてくれることばをたくさん発してくれた方です。
でもきょうの解説はわかりませんでした。
ステレオの"高級"セレクター(金メッキ、高級ボリューム使用)の断線による左・音出ずを発見しひさびさに「ハンダ付け」をやりました。ハズキルーペなしの肉眼でこまかいところをくっつけましたがおもしろかったです。カメラ内のハンダ付けよりははるかに楽で、もうこの年齢ではこの程度かなと思いました。
夜になっても蒸し暑く夏も本格的にやってくる予感です。
すずしい音楽・・・ドビュッシー、いやいや熱くてしょうがないバーベキュー音楽もいいもんです。
2015年6月11日木曜日
期待という後に
「はずれ」という語がくっつくのは日常生活の中でごくごく当たり前のことになっていますが・・・それだけ日常がぜいたくになってしまった、ものが多すぎる、比較する基準の能書きが多すぎる・・・「期待以上」という語を使いたくなるものにひさびさに遭遇しました。
補聴器です。
メーカーはパイオニアで中国製だとは思えますが、とても自然に音がおおきく聞こえます。
補聴器というよりは「集音器」というようで、17800円でした。
母のは真空管で昔名前を覚えたドイツのシーメンスのもので小指の第二関節くらいまでの大きさで電池を入れたりするやっかいさばかり記憶に残っていますが数回使ってどこかへ行ってしまいいまだに出てきていません。たしか20-30万円の間でした。
この17800円の機械はすぐれものです。
自分の生活に革命が起きたような感じです。
ごく自然に音が大きくなったように感じます、音質はすこし変わっているかしらね。
テレビを正面にしてこれをつけると、自然にテレビの音量がおおきくなったような感じです。
会議のときなどにもっていこうと思います。
日常生活では付けないでいままでどおりでいこうかなと思います。
たぶん衣擦れ、風の音とううるさく感じられるかもしれませんがたいせつな話をしているときにあれば十分です。
少なくともテレビを前にしてこれを使ったときの聞こえがとてもよかったことだけはたしかです。
「生活の革命」が自分に起こりました。
補聴器です。
メーカーはパイオニアで中国製だとは思えますが、とても自然に音がおおきく聞こえます。
補聴器というよりは「集音器」というようで、17800円でした。
母のは真空管で昔名前を覚えたドイツのシーメンスのもので小指の第二関節くらいまでの大きさで電池を入れたりするやっかいさばかり記憶に残っていますが数回使ってどこかへ行ってしまいいまだに出てきていません。たしか20-30万円の間でした。
この17800円の機械はすぐれものです。
自分の生活に革命が起きたような感じです。
ごく自然に音が大きくなったように感じます、音質はすこし変わっているかしらね。
テレビを正面にしてこれをつけると、自然にテレビの音量がおおきくなったような感じです。
会議のときなどにもっていこうと思います。
日常生活では付けないでいままでどおりでいこうかなと思います。
たぶん衣擦れ、風の音とううるさく感じられるかもしれませんがたいせつな話をしているときにあれば十分です。
少なくともテレビを前にしてこれを使ったときの聞こえがとてもよかったことだけはたしかです。
「生活の革命」が自分に起こりました。
2015年6月8日月曜日
梅雨入りしそうだなと
朝の天気予報を見ながら予想していたら案の定そのとおりになりましたね。
最近はとろくなったとはいえ元来が機械好きで、アンプ・カメラ・時計・ステレオ・・・と比較的ちいさい機械に興味を示しこわしたり組み立てなおしたり、動かないのを動くようにしたり(みせかけたり)して遊ぶのが生き甲斐でもありました。
コンパーの大判シャッターなどは原因が他にあったであろうはずなのに、ある部分を削って強引に動かしたりして(どこかにマイナスは生じているはずであった)ほくそ笑んでいた昔が笑って思い出されます。
今はちいさいものに対する眼の分解能が落ち、ねじ山の方向すらわからなくなってしまいハズキ・ルーペを使ったりしていますがやはり肉眼の良さには・・・というところがあります。
耳は特に聴力が劣化し音が割れている原因が耳なのか機械なのか・・・接点不良、ガリ音ボリュームのせいなのかよくわからない状況です。
ラックスの真空管アンプ(プリ、パワー)の最新版で真空管としてはかなりメリハリのいい現代的な性能を獲得できた機械のはずなのに「こんな程度」かとがっかりしたり・・・というのが耳のせいなんでしょうけれども・・・と感覚の劣化にがっかりするばかりです。
老化とはこんなものなのかしら。
通常ならば「肉体は衰えても感覚・感性は年とともに・・・」と書きたいところですが自分の場合は劣化していくばかりのようです。"知"の体力の劣化ってあるのかなあ。・・・感性はもちろん知性の一種と考えていますが。
新聞の日曜版には一面・二面にわたるコラムが"有名な"論客によって投稿いやいや以来原稿で載せられていますが、きのうの読売朝刊で北岡伸一とかいう政治学者が書いたものを読んでなんか陳腐だなあと思っていたところN氏の薦めでみた谷山雄二郎という青年のYoutubeの発言があまりにも強烈で説得力があったので"東大教授"・・・政治学者とはいっても"法学部"政治学者・・・という社会的地位・存在の重さというものを考え直さざるをえないものと感じました。
公務員・学者・インテリとしてのポジション保全のためにこんな程度の発言しかできないのかなとがっかりでした。
従軍慰安婦問題も"事実"の確証はどこ吹く風で謝罪・賠償の主張。
こういう"先生"のもとからこの国のドライバーたちが増産されていくんですね。
谷山雄二郎さんは一件芸能人ぽい・・・出だしのころの水谷豊や柴田恭兵みたく・・・大丈夫かなと心配してみていたのですが50分くらいでしょうかあっという間に時間が過ぎてしまいました。
日本の教育をうけたひとではないなと話の展開やジョークの組み立てからすぐにわかりましたが、"推論"や"おもいこみ、不勉強"から組み立てている多くの我が国の有名論客とは全く異なった論理展開で気持ちが良かったです。
事実を材料にした論理の展開の重要性をたたきこまれました。
それにしてもこのような教養の持ち主はいかようにして作られたのかなと想像してみるのも楽しいことです。旧制高校のシステムならばこういうのもありかなと思います。
それにしても慰安婦問題はどういうふうに展開していくのでしょうか。
河野洋平。
こんなかたがいたんですね。
でも目先の"落ち着き、安定"のためにこんなことも言っちゃうんですね。
会社の社長ならとんでもないことがそのうちやってくる。
自分の判断にきちんとした責任をともなわない職業っていいですね。
時間・任期が過ぎてしまえば関係ない。
・・・・などということを考えながらブログ更新。
MDで遊びましょう。
MDという機械・方式もかわいそうなもので最後の最後にソニーがファイル転送できるしくみにできたところ゛iPodやメモリー・ウォークマンが出てきてしまったんですね。
MDは今の基準からするととても重いですが、この程度は"物質感"としてあって当然のものと思うんですけれどもね。重さとそれに"おおきさ"も、です。
最近はとろくなったとはいえ元来が機械好きで、アンプ・カメラ・時計・ステレオ・・・と比較的ちいさい機械に興味を示しこわしたり組み立てなおしたり、動かないのを動くようにしたり(みせかけたり)して遊ぶのが生き甲斐でもありました。
コンパーの大判シャッターなどは原因が他にあったであろうはずなのに、ある部分を削って強引に動かしたりして(どこかにマイナスは生じているはずであった)ほくそ笑んでいた昔が笑って思い出されます。
今はちいさいものに対する眼の分解能が落ち、ねじ山の方向すらわからなくなってしまいハズキ・ルーペを使ったりしていますがやはり肉眼の良さには・・・というところがあります。
耳は特に聴力が劣化し音が割れている原因が耳なのか機械なのか・・・接点不良、ガリ音ボリュームのせいなのかよくわからない状況です。
ラックスの真空管アンプ(プリ、パワー)の最新版で真空管としてはかなりメリハリのいい現代的な性能を獲得できた機械のはずなのに「こんな程度」かとがっかりしたり・・・というのが耳のせいなんでしょうけれども・・・と感覚の劣化にがっかりするばかりです。
老化とはこんなものなのかしら。
通常ならば「肉体は衰えても感覚・感性は年とともに・・・」と書きたいところですが自分の場合は劣化していくばかりのようです。"知"の体力の劣化ってあるのかなあ。・・・感性はもちろん知性の一種と考えていますが。
新聞の日曜版には一面・二面にわたるコラムが"有名な"論客によって投稿いやいや以来原稿で載せられていますが、きのうの読売朝刊で北岡伸一とかいう政治学者が書いたものを読んでなんか陳腐だなあと思っていたところN氏の薦めでみた谷山雄二郎という青年のYoutubeの発言があまりにも強烈で説得力があったので"東大教授"・・・政治学者とはいっても"法学部"政治学者・・・という社会的地位・存在の重さというものを考え直さざるをえないものと感じました。
公務員・学者・インテリとしてのポジション保全のためにこんな程度の発言しかできないのかなとがっかりでした。
従軍慰安婦問題も"事実"の確証はどこ吹く風で謝罪・賠償の主張。
こういう"先生"のもとからこの国のドライバーたちが増産されていくんですね。
谷山雄二郎さんは一件芸能人ぽい・・・出だしのころの水谷豊や柴田恭兵みたく・・・大丈夫かなと心配してみていたのですが50分くらいでしょうかあっという間に時間が過ぎてしまいました。
日本の教育をうけたひとではないなと話の展開やジョークの組み立てからすぐにわかりましたが、"推論"や"おもいこみ、不勉強"から組み立てている多くの我が国の有名論客とは全く異なった論理展開で気持ちが良かったです。
事実を材料にした論理の展開の重要性をたたきこまれました。
それにしてもこのような教養の持ち主はいかようにして作られたのかなと想像してみるのも楽しいことです。旧制高校のシステムならばこういうのもありかなと思います。
それにしても慰安婦問題はどういうふうに展開していくのでしょうか。
河野洋平。
こんなかたがいたんですね。
でも目先の"落ち着き、安定"のためにこんなことも言っちゃうんですね。
会社の社長ならとんでもないことがそのうちやってくる。
自分の判断にきちんとした責任をともなわない職業っていいですね。
時間・任期が過ぎてしまえば関係ない。
・・・・などということを考えながらブログ更新。
MDで遊びましょう。
MDという機械・方式もかわいそうなもので最後の最後にソニーがファイル転送できるしくみにできたところ゛iPodやメモリー・ウォークマンが出てきてしまったんですね。
MDは今の基準からするととても重いですが、この程度は"物質感"としてあって当然のものと思うんですけれどもね。重さとそれに"おおきさ"も、です。
2015年6月5日金曜日
ちょっと忙しくて
更新していませんでした。
午後畑をかきまぜているとぽつぽつと雨。
とりあえず3反片付けて家に。
やや小降りとなり家の裏の陸稲とささげを見に行きました。
陸稲まったく出ていません。
ささげはすでに出ているとはいうもののだいぶはとぽっぽにられていました。
引っこ抜いて遊んでいるだけで、こちらをばかにして笑っているようです。
そこで今年初登場の"釣り糸(テグス)張り"をしました。
どのように張ったらいいのか知識がないためとりあえず畝の上に張りました。
こうするとハトがたとえ一回目は着陸したとしても離陸の時に糸にはねをひっかけたりすると、羽をいためたりの危険を学習しその次からはそこの畑に近づかないということです。
複数のひと、複数の地域のひとにお聞きしたのでたぶん大丈夫なのかなと期待しているのですけれどもね。
一番完璧なのはもちろん高価なサンサンネットをべたりと地面につけてある程度まで発芽後そのままにしておくことですが、順番に移動していくのがひとりではとても大変なのです。それにサンサンネットが高価なのを知っているやからがこれを盗んだりするのです。
うまくいくといいのですが、大豆シーズン始まり前にささげで実験できるということでラッキーでした。だめだったらまたサンサンネット追加購入となります。100メートルで1.8万強(税抜き)つまり2万というところでしょうか。
寺田寅彦のエッセイを朗読で聴いています。
彼は五校に在学中に漱石の授業を受けており、それが縁で漱石一門に列席していたというわけですが、そのときの授業のことなどがおもしろく聴けます。
「そんなこと君、(小説を)書いた当人にもわかるわけないじゃないですか」とやたらと質問をしてくる生徒に向かって返答している話などおもしろかったです。
大勢ひとが居る前でやたらと質問するという"人種"は昔も今もいるようで、自己顕示本能の典型なのかもしれませんね。
また『茶碗の湯』というエッセイもおもしろく、茶碗の中に湯が入っているというありふれた事実の中に"蒸気"、"光の屈折"・・・といった複数の科学現象があるだよ、という話なども漱石から学んだことは確かでしょうが漱石自身も弟子から教えを再確認させられたようでいてさぞかし「えへへ」といったところかなと思います。
ここで一連の漱石関係の朗読を聴いていて思ったことは評論家ということばをあれやこれやと考え込んでしまいました。
絵はまったく描けないのに絵の読み込みはするどいひとたち。
楽器はひとつも満足にこなせないのにこれまた読み込みの表現をことば豊かに展開できるひと。
食い物評論家。
骨董見識家。
・・・・・。
ことばで生きている人たちにきわめて疑問を感じてしまいました。
絵を例にとるとたぶん、作家が意図していないような崇高な理念・重い、線・かたち・音楽性・論理性・・・・といったむつかしいことをじょうずに"説明、よいしょ"され、作家自体が「おれってこんなことも無意識のうちに我が手がみちびいてくれたのか」なんて思ってしまうことが、多々あるのではないかと思います。
描いている本人の意図は少しそれに近いところにあったとしても、りっぱな"弁士"の応援に「そうだ、そうだ」となってしまうこともあるのかなあ、なんて思ってしまいました。
このことは絵についてなんの見識もない山下君としては思い上がり、僭越な見解かもしれませんが・・・。
で食い物評論家なるもののいうことはおおむねあたっているのかなと思います。
作っている当人はそんなに高邁な理想のもとに制作しているわけではないのにたいそうな能書きをプレゼントしてくれています。
制作者は有頂天になってしまいます。
ここから堕落が始まります。
ことばはあまり信じなくなってしまったのが昨今の心境です。
午後畑をかきまぜているとぽつぽつと雨。
とりあえず3反片付けて家に。
やや小降りとなり家の裏の陸稲とささげを見に行きました。
陸稲まったく出ていません。
ささげはすでに出ているとはいうもののだいぶはとぽっぽにられていました。
引っこ抜いて遊んでいるだけで、こちらをばかにして笑っているようです。
そこで今年初登場の"釣り糸(テグス)張り"をしました。
どのように張ったらいいのか知識がないためとりあえず畝の上に張りました。
こうするとハトがたとえ一回目は着陸したとしても離陸の時に糸にはねをひっかけたりすると、羽をいためたりの危険を学習しその次からはそこの畑に近づかないということです。
複数のひと、複数の地域のひとにお聞きしたのでたぶん大丈夫なのかなと期待しているのですけれどもね。
一番完璧なのはもちろん高価なサンサンネットをべたりと地面につけてある程度まで発芽後そのままにしておくことですが、順番に移動していくのがひとりではとても大変なのです。それにサンサンネットが高価なのを知っているやからがこれを盗んだりするのです。
うまくいくといいのですが、大豆シーズン始まり前にささげで実験できるということでラッキーでした。だめだったらまたサンサンネット追加購入となります。100メートルで1.8万強(税抜き)つまり2万というところでしょうか。
寺田寅彦のエッセイを朗読で聴いています。
彼は五校に在学中に漱石の授業を受けており、それが縁で漱石一門に列席していたというわけですが、そのときの授業のことなどがおもしろく聴けます。
「そんなこと君、(小説を)書いた当人にもわかるわけないじゃないですか」とやたらと質問をしてくる生徒に向かって返答している話などおもしろかったです。
大勢ひとが居る前でやたらと質問するという"人種"は昔も今もいるようで、自己顕示本能の典型なのかもしれませんね。
また『茶碗の湯』というエッセイもおもしろく、茶碗の中に湯が入っているというありふれた事実の中に"蒸気"、"光の屈折"・・・といった複数の科学現象があるだよ、という話なども漱石から学んだことは確かでしょうが漱石自身も弟子から教えを再確認させられたようでいてさぞかし「えへへ」といったところかなと思います。
ここで一連の漱石関係の朗読を聴いていて思ったことは評論家ということばをあれやこれやと考え込んでしまいました。
絵はまったく描けないのに絵の読み込みはするどいひとたち。
楽器はひとつも満足にこなせないのにこれまた読み込みの表現をことば豊かに展開できるひと。
食い物評論家。
骨董見識家。
・・・・・。
ことばで生きている人たちにきわめて疑問を感じてしまいました。
絵を例にとるとたぶん、作家が意図していないような崇高な理念・重い、線・かたち・音楽性・論理性・・・・といったむつかしいことをじょうずに"説明、よいしょ"され、作家自体が「おれってこんなことも無意識のうちに我が手がみちびいてくれたのか」なんて思ってしまうことが、多々あるのではないかと思います。
描いている本人の意図は少しそれに近いところにあったとしても、りっぱな"弁士"の応援に「そうだ、そうだ」となってしまうこともあるのかなあ、なんて思ってしまいました。
このことは絵についてなんの見識もない山下君としては思い上がり、僭越な見解かもしれませんが・・・。
で食い物評論家なるもののいうことはおおむねあたっているのかなと思います。
作っている当人はそんなに高邁な理想のもとに制作しているわけではないのにたいそうな能書きをプレゼントしてくれています。
制作者は有頂天になってしまいます。
ここから堕落が始まります。
ことばはあまり信じなくなってしまったのが昨今の心境です。
登録:
投稿 (Atom)