ことばに酔うひと。
自分の演説・あいさつに涙を流している・・・会長・会頭、・・・市長。
いのちとかいきる力とか「いいこといったなあ」なんて自己満足に陥っている教壇にたったこともない文部官僚。
読むだけで作曲もしたことない指揮者や評論家たちのたいそうな表現・評言。
作ったこともないのに、またたいしたヴァリエーション、多様性を経験したこともないのに商品に良・不良の点数をつける食い物評論家たち。
読書の集積だけから「ひとのこころが読める」とうそぶいている売文物書き。
新聞の論説を組み替えただけの「おいらの見解」。
・・・・・。
数え上げたらきりがない。
・・・のつもり、・・・きどりにあふれかえっているのが昔も今も変わらぬ"世間"というものでしょうか。
らっきょうを1キロ、黒酢・はちみつにつけました。
にんにくすこしばかり醤油・砂糖・はちみつにつけました。
タマネギを黒酢・はちみつにつけました。
南高梅2キロを梅酒にしました・・・この高級梅は梅干し専用なのでしょうか。まあ、実験と言うことでいきます。
夕飯時にテレビをみていると駿河湾のあじをやっていました。
ボディの上半分がなにやら金色に光っていてふつうのよりややおおきめです。
あじは普通は近海を回遊して荒波にもまれてしまっているのが普通だそうですが、駿河湾でとれて珍重されているのは回遊しないで湾内のおいしいえさをたべているものらしいです。
油がのっている。
でも待てよ、これって皮下脂肪、単なる食い過ぎ・肥満じゃないの。
ただえさがこんぶとかおいしいものばかりのようで、えさのせいでおいしいということかしらね。
ここで思い出すのが関さばと同様豊後水道つまり関と三浦君とこの佐多岬半島の間でとれる関あじです。
あそこは明石海峡同様荒波にもまれて筋肉がひきしまり・・・、の論ではなかったでしょうか。
駿河湾のなかで食い道楽しているあじとは正反対です。
この辺の説明をテレビにしてもらいたかったのですがね。
なんでもかんで"甘いのがいい"というのがひとの味覚の美意識をそこねているのではないでしょうか。
自然に甘いのはもちろんいい。
大豆の在来種は、つまり品種改良されていない野生に近いものは、すべてとはいいませんが雑味も豊富ですが甘いものも多い。
あえて改良しなくても自然状態で甘い。
しかるにいうちご、トマト等諸果実・くだものひたすらに甘く・甘くと品種改良していく。
ヒトの味覚は堕落していきます。
こういうのって食べ物ばかりでなくて、文章、おはなし、音楽、絵画、映像、器・・・なにからなにまで大量生産・大量流布されていく薄利多売改めぱくりやばい商売の本質なのかもしれません。
みんなと同じだと安心。
その裏返しとして主張のはっきりとしない「ただみんなと違えばいい」になっていってしまうようです。
自分が生きている間にいまのかたちの資本主義の一形態がどういうふうに崩壊していくのかみることはできないのかなとは思いますが、確実に壊れていくものと確信します。
こわれたあと何がくるんでしょうかね。
そしてどういうふうに落ち着いていくんでしょうかね。
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