厚手の長袖は脱ぎたくなってなってしまう。
『ごちそうさん』良かったよ。典型的なメロドラマだけど何回か涙を流しながらみていたこともありさわやかな印象とともに終わった、終わったと言うよりこころのなかで続きをやっているみたいだ。
国全体がまだ貧しかった頃の幸せ探し。
食べ物をこんなに大切にしていた時代があったんだな。
家の中にものが増え、形のないサービスも生活を豊かにし、税金を使ってばらまかれている"福祉"とやらも暮らしの彩りを加える一助となっているかどうかしらないが、"幸せ感"はずーっと下降線にあるような気がする。
若い子たちに仕事がない。
夢がないと仕事がないの相関関係はあるのかどうかわからないが、これは大変なことなのだとみんな考えなければならない。
小泉首相を起点としてすべてが狂ってしまったというより、グローバル化という現象がすべての根源なのかもしれない。
豊かな国と貧しい国の経済の平準化。上から下へとゆっくりゆっくりと浸透していくこの現象。企業のじんぐり海外移転。韓国、中国からベトナム、ミャンマーそしてインド、そのあとはアフリカ?とじんぐりじんぐりと移動していく。それとともに下位にあるものの生活レベルが上がる。企業が出て行った上位の国は労働力が余る。上位の国が下位にある国を搾取する構造が弱くなっていくにつれて上位の国の内部では稼ぎの格差が拡大していく。悪循環である。いずれ行き着くところまでいって何がおこるのだろうか。
政府が国を支配しているのではなくグローバル企業が国を手のひらの上でころがしているのである。
「・・・の企業の社員です」ということが「・・・国人」というアイデンティティに優越する日が来るのかもしれない。そんな中で領土問題というのはまだまだクラシックな問題なのかな。
山川の教科書の最新版をみていると、これじゃあ子供たちは卑屈になるよと、つくずく感じてしまう。歴史と歴史教育とは別問題なのかもしれない。しかし純粋に学問的にとか客観的にとかはしょせん無理なのかもしれない。物理や化学と違って価値観を超越した論理学の世界とは隔絶している。
ちょっと異質かなというと、生物学なども最近は「・・・の(目的の)ために・・・という形質ができてきた」などという言い方を平気でするようになってきているので、生物学の考え方自体がかわってきているのかもしれない。物置きにあった生物のテストの答案をみていて、あのころはたしか足・手・目・・・が左右対称に2つあるのはなぜとかしっぽがあるのは・・・のためとか、・・・・といった目的を生物学に持ち込んで考えてはいけないなどと口をすっぱくして教え込んでいた教師のことばを思い出したりした。目的ということばには価値観が紛れ込んでいるような気がする。でもこういうほうが"見えざる力"などというものを考えやすくなり実に人間的なのだが。
物理にも自分らが学校へ通っているころはマルクス主義的物理学なるものもあり、あっけにとられてもいたものだが。
100の国があれば歴史の教科書は100ある。
それぞれがそれぞれの都合のいいように歴史を語るのが歴史教育なのだろう。
大人たろう、客観的たろうとしている姿勢がばかにされてしまうのが国際政治なのかもしれない。
バベルとはすごいたとえだなと思う。
ページビューの合計
2014年3月29日土曜日
2014年3月26日水曜日
さとういらず
でもめんを今週つくっている。
こういう高い大豆はきぬか寄せ豆腐というのが自分なりに自分用の規律としてきたわけだが、もめんもうまかった。
月曜日からあしたまで毎日なのだがだんだん良くなっていく。
初日はややあれていた。
荒れがいかに豆腐のマイナス要因かと言うことを再認識する。
たぶん失敗したにがり豆腐よりも、上手な硫酸カルシウム豆腐のほうがはるかにうまいと思う。一般のひとに食べてもらっても答えはおおよそ見当が付く。
畑におからを撒き・かき混ぜしだしてから3週間くらい立つだろうか。一日の製造量がたかがしれているので春のおから撒きは3,4反程度かなと思う。しかもうすーくまけるだけで、2・3回転するようかなと考える。
岩波の大英和がとどく。
高校の時に使っていたのは表紙がとれてしまってかわいそうな状態だ。
越谷の古本屋さんよりデッドストック品、送料込みで4500円。ぴっかぴかの無使用でもうけものであった。日本の古書検索、という検索コーナーはおもしろい。古本が安い。世の中は、電子化が原因で読まなくなったというより、そもそも文章を書いたり読んだりしなくなってしまったのだろう。これは学校の先生を責めてもしょうがないことで(われわれの時代より今のほうが先生たちの気遣いはおおきいのだと思う)、何が原因かと考えれば"豊かな文化生活"とやらに起因するのかもしれない。決して豊かではないはずだが、ただ所有物が多いのと情報がいくらでもいとも簡単に労力・金銭ともに少なくして手に入ってしまうことがおおきな原因だろう。
物置を片付ける。
いちばん古そうなスチールの扉付き書(類)棚をあけた。
かびくさい文庫でいっぱいだったが一番上に写真屋さんの袋がたばになっていた。
なんと雨飾山の初めてのときのカラー写真であった。
糸魚川からのながーいコースでたしか脱水症状気味で大変な山行だったような記憶がある。錯覚かもしれないがちいさいとはいえ"つちのこ"を思わせるものに出くわしたが、カメラを取り出している間にいなくなってしまった。急登にあえいでいてふと後ろを振り返ったとき目に入ってきた真っ青な日本海の色のあざやかさは今でも忘れられない。頂上では複数あったお地蔵さんと一緒に写っている写真があった。22,3歳のころだろうか。フトンビシの雪渓もびっしりと雪がつまっていて楽しかった。まだこのときは林道一番上の村営の民宿手前に露天風呂はなかった。
そのあと何回訪れたことだろうか、最初だけ夜行電車であとはみんな車であった。
そのほかにもサイクリングで全国を回っていたときの写真もあった、ただしカメラは不得手だったのでそんなに数はないのかなー。恥ずかしさもありみるのはまたにしようと思った。
もひとつすごいものに祖父が亡くなる前後の日記が出てきた。
1970年と書いてあるので16歳だ。
ちらっとみたがつらい内容なので読めない。
メリーなんてコリーのわんちゃんが亡くなった時の記述もある。
三島由紀夫の自決したときのこともある。
たぶんこわくて読むことはもうないのかな。
自分が死んだときに意味をなすのかもしれない。
そのほかにも国語の教科書の中にテストや生物のレポートがはいっていたりとおもしろかった。
自家製の英語の暗唱例文帳などもありほこりをはらって座敷にもってきた、少し楽しめそう。
小学校の時の卒業アルバムもこんなところにあった。わたしはこういったものを大切にしないおばかさんだが、まっさきに自分のクラス・・・何組だか忘れちゃったよ・・・をさがし夢中でMを探した。ど真ん中に写っていた。やはりかわいい子だった。
先生は・・・・クラス会もないので、元気かどうかもわからない。たしか20歳の頃お邪魔してラーメンをとってもらったことを覚えている。
山川の歴史教科書、中国史・イギリス史、中京出版の歴史参考書。なんで歴史がつまらなかったのか、読んでみて探ってみよう。
ほかの箱にもまだまだいろんなものがありそうだ。
捨てていいのかいけないのか。
困ったものだ。
こういう高い大豆はきぬか寄せ豆腐というのが自分なりに自分用の規律としてきたわけだが、もめんもうまかった。
月曜日からあしたまで毎日なのだがだんだん良くなっていく。
初日はややあれていた。
荒れがいかに豆腐のマイナス要因かと言うことを再認識する。
たぶん失敗したにがり豆腐よりも、上手な硫酸カルシウム豆腐のほうがはるかにうまいと思う。一般のひとに食べてもらっても答えはおおよそ見当が付く。
畑におからを撒き・かき混ぜしだしてから3週間くらい立つだろうか。一日の製造量がたかがしれているので春のおから撒きは3,4反程度かなと思う。しかもうすーくまけるだけで、2・3回転するようかなと考える。
岩波の大英和がとどく。
高校の時に使っていたのは表紙がとれてしまってかわいそうな状態だ。
越谷の古本屋さんよりデッドストック品、送料込みで4500円。ぴっかぴかの無使用でもうけものであった。日本の古書検索、という検索コーナーはおもしろい。古本が安い。世の中は、電子化が原因で読まなくなったというより、そもそも文章を書いたり読んだりしなくなってしまったのだろう。これは学校の先生を責めてもしょうがないことで(われわれの時代より今のほうが先生たちの気遣いはおおきいのだと思う)、何が原因かと考えれば"豊かな文化生活"とやらに起因するのかもしれない。決して豊かではないはずだが、ただ所有物が多いのと情報がいくらでもいとも簡単に労力・金銭ともに少なくして手に入ってしまうことがおおきな原因だろう。
物置を片付ける。
いちばん古そうなスチールの扉付き書(類)棚をあけた。
かびくさい文庫でいっぱいだったが一番上に写真屋さんの袋がたばになっていた。
なんと雨飾山の初めてのときのカラー写真であった。
糸魚川からのながーいコースでたしか脱水症状気味で大変な山行だったような記憶がある。錯覚かもしれないがちいさいとはいえ"つちのこ"を思わせるものに出くわしたが、カメラを取り出している間にいなくなってしまった。急登にあえいでいてふと後ろを振り返ったとき目に入ってきた真っ青な日本海の色のあざやかさは今でも忘れられない。頂上では複数あったお地蔵さんと一緒に写っている写真があった。22,3歳のころだろうか。フトンビシの雪渓もびっしりと雪がつまっていて楽しかった。まだこのときは林道一番上の村営の民宿手前に露天風呂はなかった。
そのあと何回訪れたことだろうか、最初だけ夜行電車であとはみんな車であった。
そのほかにもサイクリングで全国を回っていたときの写真もあった、ただしカメラは不得手だったのでそんなに数はないのかなー。恥ずかしさもありみるのはまたにしようと思った。
もひとつすごいものに祖父が亡くなる前後の日記が出てきた。
1970年と書いてあるので16歳だ。
ちらっとみたがつらい内容なので読めない。
メリーなんてコリーのわんちゃんが亡くなった時の記述もある。
三島由紀夫の自決したときのこともある。
たぶんこわくて読むことはもうないのかな。
自分が死んだときに意味をなすのかもしれない。
そのほかにも国語の教科書の中にテストや生物のレポートがはいっていたりとおもしろかった。
自家製の英語の暗唱例文帳などもありほこりをはらって座敷にもってきた、少し楽しめそう。
小学校の時の卒業アルバムもこんなところにあった。わたしはこういったものを大切にしないおばかさんだが、まっさきに自分のクラス・・・何組だか忘れちゃったよ・・・をさがし夢中でMを探した。ど真ん中に写っていた。やはりかわいい子だった。
先生は・・・・クラス会もないので、元気かどうかもわからない。たしか20歳の頃お邪魔してラーメンをとってもらったことを覚えている。
山川の歴史教科書、中国史・イギリス史、中京出版の歴史参考書。なんで歴史がつまらなかったのか、読んでみて探ってみよう。
ほかの箱にもまだまだいろんなものがありそうだ。
捨てていいのかいけないのか。
困ったものだ。
2014年3月25日火曜日
いろんな花が
次々と咲き始める。
こぶしなど真っ白でやや大きめのものも清楚でいいのだがすぐに焼けてしまいきたならしくなってしまう。
持ちは一瞬のようだ。
住宅建築中のわきを毎日通り過ぎているとできあがっていくのがよく見学できるのだが、基礎や水道・ガス・下水といった基本設備に2-3週間かかるのに対して、"箱"はクレーン連れ出しで2日で終わってしまう。その場にいる大工さんがやることは機械のとんかちやホチキスでぺたぺたコンパネを貼り付けているだけ。
これがすむと内装や電気製品等の取り付けだろう、これは結構日がかかる。
大手の住宅メーカーの繁栄がもたらしたものはこういった個々の個人住宅建設の知識・技術の退化である。
若い大工さんたちの技術程度が下がりすぎて嘆いている大工さんがいた。
需要がなければこういうことになってしまう。
いずれはそこら中新建材でできた住宅だけになってしまうだろう。
昔ながらの住宅は京都や奈良から宮大工でもよばないと、建築したりリフォームできなくなってしまうのかもしれない。
森も荒れ放題。
表面の値札だけが支配する市場ではこうなってもしかたないだろう。
近所の元代議士の家もハウスメーカーだ。
こういったひとに愛国心なんてあるのだろうか。
こぶしなど真っ白でやや大きめのものも清楚でいいのだがすぐに焼けてしまいきたならしくなってしまう。
持ちは一瞬のようだ。
住宅建築中のわきを毎日通り過ぎているとできあがっていくのがよく見学できるのだが、基礎や水道・ガス・下水といった基本設備に2-3週間かかるのに対して、"箱"はクレーン連れ出しで2日で終わってしまう。その場にいる大工さんがやることは機械のとんかちやホチキスでぺたぺたコンパネを貼り付けているだけ。
これがすむと内装や電気製品等の取り付けだろう、これは結構日がかかる。
大手の住宅メーカーの繁栄がもたらしたものはこういった個々の個人住宅建設の知識・技術の退化である。
若い大工さんたちの技術程度が下がりすぎて嘆いている大工さんがいた。
需要がなければこういうことになってしまう。
いずれはそこら中新建材でできた住宅だけになってしまうだろう。
昔ながらの住宅は京都や奈良から宮大工でもよばないと、建築したりリフォームできなくなってしまうのかもしれない。
森も荒れ放題。
表面の値札だけが支配する市場ではこうなってもしかたないだろう。
近所の元代議士の家もハウスメーカーだ。
こういったひとに愛国心なんてあるのだろうか。
2014年3月24日月曜日
きょうも半袖。
桜ももうすぐだ。
コンピューターは2進法である。
ある条件にあてはまるか否かをyes、noつまり1か0とかいったように2つに振り分ける選択の集合体によってなりたっている。
人間の知恵もそうやってながーい時間をかけて蓄積されてきた。
子供が生まれてひとりだちしていく過程も2進法の蓄積である。
Aは食べられるものか否か。
進んでいいか否か。
手を挙げていいのかいなか。
・・・・・。
ひとはすべてあることがらを区別あるいは、片方をひいきして他方は排除(差別)しながらの時間の蓄積の中でおとなになっていく。
いじめは無くなるものではないというのがこのことからわかる。
自分と異質なものすなわち自分より劣ったもの優れたものは排除しようとする。
自分と同じでないものはあるものは排除しまたある場合は取り込んでしまおうとしたりする。
○か×かどちらに振り分けしないと生きていけないのが常である。
どちらでもないという灰色ももとをただせば2進法が根本にある。
いじめなどは無くなるものではなく、いじめるのが人のさがであることを前提に、ひとは他人をさとし自分自身を教育していくのである。
集団は対内的にも対外的にも必ずいじめを伴う。
こういう中でしかひとは生きていけないのだろう。
教育は、家庭にしろ学校にしろ、これを考えるのが大きな仕事であると思う。
浦和レッズの横(縦?)断幕がどういう意図で張られたのかしらないが、選手たちはかわいそうだよ。
日本人onlyの意図している"外国人排除"って何を意味しているのかね。
選手、観客の外国人? "外国"ということばでオブラートして本意は特定の国を指しているのかい。それとも日本人以外のひとすべてという意味なの?
ひとりでは行儀良い人間も集団となるといろんな行動に出るものだ。
スーパーの棚から洗剤が無くなっているというのもそんなものだろう。今は高くても売れる。今買いあさっているものは日常的に特売しているものだ。
同じ目的のもとに集まっている集団内のひとは、根底ではまわりのことなどたいして大切には思っていないのが常で、「おれがおれが」のひとたちにふりまわされているだけの場合がほとんどだ。
コンピューターは2進法である。
ある条件にあてはまるか否かをyes、noつまり1か0とかいったように2つに振り分ける選択の集合体によってなりたっている。
人間の知恵もそうやってながーい時間をかけて蓄積されてきた。
子供が生まれてひとりだちしていく過程も2進法の蓄積である。
Aは食べられるものか否か。
進んでいいか否か。
手を挙げていいのかいなか。
・・・・・。
ひとはすべてあることがらを区別あるいは、片方をひいきして他方は排除(差別)しながらの時間の蓄積の中でおとなになっていく。
いじめは無くなるものではないというのがこのことからわかる。
自分と異質なものすなわち自分より劣ったもの優れたものは排除しようとする。
自分と同じでないものはあるものは排除しまたある場合は取り込んでしまおうとしたりする。
○か×かどちらに振り分けしないと生きていけないのが常である。
どちらでもないという灰色ももとをただせば2進法が根本にある。
いじめなどは無くなるものではなく、いじめるのが人のさがであることを前提に、ひとは他人をさとし自分自身を教育していくのである。
集団は対内的にも対外的にも必ずいじめを伴う。
こういう中でしかひとは生きていけないのだろう。
教育は、家庭にしろ学校にしろ、これを考えるのが大きな仕事であると思う。
浦和レッズの横(縦?)断幕がどういう意図で張られたのかしらないが、選手たちはかわいそうだよ。
日本人onlyの意図している"外国人排除"って何を意味しているのかね。
選手、観客の外国人? "外国"ということばでオブラートして本意は特定の国を指しているのかい。それとも日本人以外のひとすべてという意味なの?
ひとりでは行儀良い人間も集団となるといろんな行動に出るものだ。
スーパーの棚から洗剤が無くなっているというのもそんなものだろう。今は高くても売れる。今買いあさっているものは日常的に特売しているものだ。
同じ目的のもとに集まっている集団内のひとは、根底ではまわりのことなどたいして大切には思っていないのが常で、「おれがおれが」のひとたちにふりまわされているだけの場合がほとんどだ。
2014年3月23日日曜日
暑くて半袖となる。
今回の連休はどういうわけかどこも道が混んでまいった。
墓参りと+3パーセントでこんなになっちゃうのかね。
スーパーやホームセンターは洗剤が無いそうだ。
食品はちっとも売れない。
まあ分析は簡単だと思うけれど・・・。
住宅など損の3パーセントを全く補えない2~5割の資材や人件費の値上がりでどうみても、必ずやってくるであろう建設費の暴落を待った方が利口だと思うのだけれど・・・。
ただ人生暦のタイミングで実行している人は別だけど。
海棠が新芽とつぼみがちらほらとしてきたが、よく見ると白い虫が茎にいっぱいついている。
ひと月ほど前にバーナーで軽くやいたりの処理をしたのだがこんなに早く復活。ティッシューで片っ端からクリーニングしたがまたすぐにもどってしまうのかな。アブラムシかね?
腰がいたいのできょうはのんびりとごろごろしていよう。
墓参りと+3パーセントでこんなになっちゃうのかね。
スーパーやホームセンターは洗剤が無いそうだ。
食品はちっとも売れない。
まあ分析は簡単だと思うけれど・・・。
住宅など損の3パーセントを全く補えない2~5割の資材や人件費の値上がりでどうみても、必ずやってくるであろう建設費の暴落を待った方が利口だと思うのだけれど・・・。
ただ人生暦のタイミングで実行している人は別だけど。
海棠が新芽とつぼみがちらほらとしてきたが、よく見ると白い虫が茎にいっぱいついている。
ひと月ほど前にバーナーで軽くやいたりの処理をしたのだがこんなに早く復活。ティッシューで片っ端からクリーニングしたがまたすぐにもどってしまうのかな。アブラムシかね?
腰がいたいのできょうはのんびりとごろごろしていよう。
2014年3月21日金曜日
きょうは道路が
片っ端から混んでいた。
裏道を使ってもどこかで表通りを渡ったりしなければならないので閉口した。
ここ2,3日夜中に胃がむかむかして眠れなかったのは黒酢の飲み過ぎが原因のようであった。やめたらよく眠れた。かといって完全にやめるのもどうかと考えると量を減らすしかない。とにかくここんところ3食後にきちんと少しずつ増量してきたのを減らして続けてみようと思う。
借金無し15袋購入。
裏道を使ってもどこかで表通りを渡ったりしなければならないので閉口した。
ここ2,3日夜中に胃がむかむかして眠れなかったのは黒酢の飲み過ぎが原因のようであった。やめたらよく眠れた。かといって完全にやめるのもどうかと考えると量を減らすしかない。とにかくここんところ3食後にきちんと少しずつ増量してきたのを減らして続けてみようと思う。
借金無し15袋購入。
2014年3月19日水曜日
悲喜こもごもの
収穫談義。
宗像では豊作・・・というより宗像の特定の生産者の特定の畑の特定の品種は豊作・・・といったほうがいいかもしれない。
行田のTさんは全滅。
富岡の横山さんは大豊作。
所沢の山下君も大豊作・・・というよりいつもと同じ。
全国的には対前年比数割減。
今年は市場は大幅値上げで2割高以上とか。
九州のフクユタカは60キロ単位の落札価格が17000円つまり30キロだと8500円、これは落札しただけの価格でこれに保管料・運び賃・問屋さんのマージンが付加されるとたぶん12000円以上になるだろう。例年だとフクユタカの末端最終価格ですら7000円くらい。
30キロでもめんだと多くて250丁、きぬだと300丁。
きぬで換算しても、大豆の料金だけで一丁あたり40円になる。
大規模スーパーの全店で売るような物はセンター卸で売価の5割以下の卸価格なので論理的には100円前後でスーパーに並んでいる国産大豆豆腐は消滅することになる。1/2サイズにすれば合うだろう。
かてて加えて揚げ油、電気・燃料費、誘導賃上げ、配送料・・・・片っ端から値上げ要因である。
そしていままさにクリミア戦争・・・にならないように願うばかりだが、第一次世界大戦勃発何周年とやらだが、よりによってクリミアでおおさわぎということは何かの因縁だろうか。
宗像では豊作・・・というより宗像の特定の生産者の特定の畑の特定の品種は豊作・・・といったほうがいいかもしれない。
行田のTさんは全滅。
富岡の横山さんは大豊作。
所沢の山下君も大豊作・・・というよりいつもと同じ。
全国的には対前年比数割減。
今年は市場は大幅値上げで2割高以上とか。
九州のフクユタカは60キロ単位の落札価格が17000円つまり30キロだと8500円、これは落札しただけの価格でこれに保管料・運び賃・問屋さんのマージンが付加されるとたぶん12000円以上になるだろう。例年だとフクユタカの末端最終価格ですら7000円くらい。
30キロでもめんだと多くて250丁、きぬだと300丁。
きぬで換算しても、大豆の料金だけで一丁あたり40円になる。
大規模スーパーの全店で売るような物はセンター卸で売価の5割以下の卸価格なので論理的には100円前後でスーパーに並んでいる国産大豆豆腐は消滅することになる。1/2サイズにすれば合うだろう。
かてて加えて揚げ油、電気・燃料費、誘導賃上げ、配送料・・・・片っ端から値上げ要因である。
そしていままさにクリミア戦争・・・にならないように願うばかりだが、第一次世界大戦勃発何周年とやらだが、よりによってクリミアでおおさわぎということは何かの因縁だろうか。
2014年3月17日月曜日
刈り込み挟み、選定挟み、
ただのはさみ、高級肥後の守・・・と研ぎに研いで昼過ぎは過ぎた。
楽しめる新領域発見。
研いだら当然植木屋さん。
せんだっての伐採で切る物があんまりなかったが隣の本家との境界にあるひいらぎを剪定する。薄暗がりに鎮座ましますおいなり様に光が差して明るくなった。
本さかき3本もと思ったがこれは葉っぱに意味があるのでやめる、まだまだちいさいし。いずれプラスチックのさかきはやめて本物にしましょう。
あしたは彼岸の入りか。
楽しめる新領域発見。
研いだら当然植木屋さん。
せんだっての伐採で切る物があんまりなかったが隣の本家との境界にあるひいらぎを剪定する。薄暗がりに鎮座ましますおいなり様に光が差して明るくなった。
本さかき3本もと思ったがこれは葉っぱに意味があるのでやめる、まだまだちいさいし。いずれプラスチックのさかきはやめて本物にしましょう。
あしたは彼岸の入りか。
2014年3月16日日曜日
きのうは池袋で
飲み会。
良き友とにぎやかに。
池袋の地下街には、いつもと同じことなのに、非常に不快感を感じた。
もうこういった混雑には耐えられない。
BBCやNY Timesでは(Co-)Authorつまり(共)著者という言葉で表されているが、割烹着の研究者と一緒に論文を"書いた"ということで、なにからなにまで実験に立ち会っていたと推定される研究チーム実働部隊とは別に、論文に"重み・権威"を付与するためのビッグ・ネームがいたのかなと推定する。
文化系の論文なら切り貼り・剽窃はあたりまえだと考えてはいたが、こういった科学の世界でつまり実験しなおせばほんとかうそかすぐばれてしまう世界では切り貼りいんちき研究の危険さは発表する当人にも簡単に見当がつきそうなもので、まず常識的にはありえないものだと想っていた。まして理研といえば理科系のよりすぐりのエリート集団だとおもうのだけれど、捜査いや調査中とはいえとても考えられないような事件になってしまっている。
よく受験参考書とかには表紙に有名な学者の名前が付いて"・・・監修"とか書いてあるものがあるが、学術論文の場合にもこういうただ名前を貸しただけの、せいぜいぱらぱらと全体に目を通しただけの行為が行われているのだろうか
日本の権威といわれている山梨大のなんとかいう教授が「・・・引っ込めたほうがいい、とりあえず白紙にしたほうがいい」とはどういうことなのだろうか。
実験全体につきあい、目の前におこっている現象に対峙してきた共"研究者"ならば、そもそもこういった不完全あるいはでたらめの論文など提出させないと思うのだけれど・・・。
小保方さんにばかり批判が集中しているがもっとも悪いのは彼女の論文にお墨付き・権威付けをあたえた先輩学者たちでせあると思う。
今回の論文の内容にいたるまで"いんちき、さぎ"だとしたらこのあと転落するのは小保方さんだけであってはならないと思う。
それにしても論文をものしたひとがCo-Authorというのはけっこうあやしい世界であるが、はじめにことばありきという西のほうの文化が共著者は共研究者とはかならずしも一致しないのだと今回の事件が言っているようで、ずいぶんいいかげんな世界だなと思った。
論文の表紙は共研究者・・・、著者・・・とするのが本筋だと思う。
権威付けを与えたひとはうまくいけば労少なくして名声や経済面でにプラスになるわけでどんな世界もおんなじなのかな、とがっかりしてしまった。
割烹着のお姉様が登場したとき日本中がまいあがっていたはずで 今の大騒ぎを予想できたのはその道の専門家だけで・・・・いやいやそれすらなかったのかもしれない。
はじめにことばありきとは便利なことばで、その一言がひとの人生を動かした、というようなこともたしかにあるけれども還暦をもうすぐむかえる自分の人生観からすると「ことばだけでない世界」の重みをつくずく・しみじみと感じだしている今日この頃である。
ことばを職業にしているひとには申し訳ないが、ものつくり・もの育てで良かったと思っている。
良き友とにぎやかに。
池袋の地下街には、いつもと同じことなのに、非常に不快感を感じた。
もうこういった混雑には耐えられない。
BBCやNY Timesでは(Co-)Authorつまり(共)著者という言葉で表されているが、割烹着の研究者と一緒に論文を"書いた"ということで、なにからなにまで実験に立ち会っていたと推定される研究チーム実働部隊とは別に、論文に"重み・権威"を付与するためのビッグ・ネームがいたのかなと推定する。
文化系の論文なら切り貼り・剽窃はあたりまえだと考えてはいたが、こういった科学の世界でつまり実験しなおせばほんとかうそかすぐばれてしまう世界では切り貼りいんちき研究の危険さは発表する当人にも簡単に見当がつきそうなもので、まず常識的にはありえないものだと想っていた。まして理研といえば理科系のよりすぐりのエリート集団だとおもうのだけれど、捜査いや調査中とはいえとても考えられないような事件になってしまっている。
よく受験参考書とかには表紙に有名な学者の名前が付いて"・・・監修"とか書いてあるものがあるが、学術論文の場合にもこういうただ名前を貸しただけの、せいぜいぱらぱらと全体に目を通しただけの行為が行われているのだろうか
日本の権威といわれている山梨大のなんとかいう教授が「・・・引っ込めたほうがいい、とりあえず白紙にしたほうがいい」とはどういうことなのだろうか。
実験全体につきあい、目の前におこっている現象に対峙してきた共"研究者"ならば、そもそもこういった不完全あるいはでたらめの論文など提出させないと思うのだけれど・・・。
小保方さんにばかり批判が集中しているがもっとも悪いのは彼女の論文にお墨付き・権威付けをあたえた先輩学者たちでせあると思う。
今回の論文の内容にいたるまで"いんちき、さぎ"だとしたらこのあと転落するのは小保方さんだけであってはならないと思う。
それにしても論文をものしたひとがCo-Authorというのはけっこうあやしい世界であるが、はじめにことばありきという西のほうの文化が共著者は共研究者とはかならずしも一致しないのだと今回の事件が言っているようで、ずいぶんいいかげんな世界だなと思った。
論文の表紙は共研究者・・・、著者・・・とするのが本筋だと思う。
権威付けを与えたひとはうまくいけば労少なくして名声や経済面でにプラスになるわけでどんな世界もおんなじなのかな、とがっかりしてしまった。
割烹着のお姉様が登場したとき日本中がまいあがっていたはずで 今の大騒ぎを予想できたのはその道の専門家だけで・・・・いやいやそれすらなかったのかもしれない。
はじめにことばありきとは便利なことばで、その一言がひとの人生を動かした、というようなこともたしかにあるけれども還暦をもうすぐむかえる自分の人生観からすると「ことばだけでない世界」の重みをつくずく・しみじみと感じだしている今日この頃である。
ことばを職業にしているひとには申し訳ないが、ものつくり・もの育てで良かったと思っている。
2014年3月13日木曜日
日曜日では
ないけれど、雨をいいことにドイトへコンパネを買いに行く。
カットもしてくれるので便利だ。
ドイトはさいたま市が本社だったと思うが、昨今近所に増えてきた関西系のKと比べるとずーっと高品質・多様なものをつまりそんなに売れないものまで含めて品揃えしてくれているので買い物も楽しい。ドイトの売り上げ減の店をかたっぱしから買収していったのがKだがコンビニ同様売れる物しか置かないというのが基本中の基本のようだ。
21ミリのコンパネはとてものこぎりではつらいのでカットしてもらって正解だと思う。
家には父が買っておいた丸のこがあるんだけれども。
さてさてきょうのはオーディオラックにする予定である。
父の工具箱をかきまぜていると出てくるわ出てくるわ、大工さんや電気屋さんみたいである。りっぱな遺産だな。
きょうは雨なのでやりづらいのであしたかあさって組み立てよう。
これが終わったらちいさい可動式本棚をつくろうと思う。今感心のあるものと辞書や分厚い本をすぐ手の届くところにおいておこうと思う。
読売新聞にみなみらんぼうが連載している山行記も700回を越していて、これを55で割ると14年になる。最初のころはひとにつれていってもらった記録を書いて原稿料もらっているんだからけしからんやつだと思っていたが、まあ芸能界の"有名人"とはこんなものかと思っていた。
きょうのはなんと千駄ヶ谷の駅から歩いてすぐの例のあの富士山である。標高6メートル。富士信仰、浅間信仰とでもいうのだろうか似たようなものはあちこちにあるのかな。所沢にも狭山湖のそばに吾妻富士がある。各合目ごとに合目石もおいてある。
千駄ヶ谷の山頂には"奥社"もある。
去年の暮れにUさんのコンサートに行ったとき登頂していたのできょうの記事はうれしかった。こないだの大雪の時などは風雪の富士が楽しめたのかも。
ゆずというフォークグループがあるらしいが言われてみると「ごちそうさん」のテーマをやっているひとたちらしい。
「所沢」という曲を作っていたそうで、市役所で"歓迎"云々の申し出をしてこの曲のいわれを訪ねたところ、「別段なんの意味もありません」と答えたそうだ。こういう答え方をすること自体このまちに対してマイナスの想いをもっているのかなと勘ぐられてしまいかねないが、よく考えてみると以前にも将棋の羽生さんが子供のころ所沢にいっとき住んでいたことをとらえて彼を名誉市民に迎えようとして断られた話もある。
こういった取り組み自体いかにもいなかものの発想であることはいなめない。
中央から有名人を迎えて市の・・・にしたりといった「わたしはこんな有名人を知っています、コネがあるんですよ・・・・(すごいだろう)」という姿勢はモームがよくお笑いネタにしたことがらである。
カットもしてくれるので便利だ。
ドイトはさいたま市が本社だったと思うが、昨今近所に増えてきた関西系のKと比べるとずーっと高品質・多様なものをつまりそんなに売れないものまで含めて品揃えしてくれているので買い物も楽しい。ドイトの売り上げ減の店をかたっぱしから買収していったのがKだがコンビニ同様売れる物しか置かないというのが基本中の基本のようだ。
21ミリのコンパネはとてものこぎりではつらいのでカットしてもらって正解だと思う。
家には父が買っておいた丸のこがあるんだけれども。
さてさてきょうのはオーディオラックにする予定である。
父の工具箱をかきまぜていると出てくるわ出てくるわ、大工さんや電気屋さんみたいである。りっぱな遺産だな。
きょうは雨なのでやりづらいのであしたかあさって組み立てよう。
これが終わったらちいさい可動式本棚をつくろうと思う。今感心のあるものと辞書や分厚い本をすぐ手の届くところにおいておこうと思う。
読売新聞にみなみらんぼうが連載している山行記も700回を越していて、これを55で割ると14年になる。最初のころはひとにつれていってもらった記録を書いて原稿料もらっているんだからけしからんやつだと思っていたが、まあ芸能界の"有名人"とはこんなものかと思っていた。
きょうのはなんと千駄ヶ谷の駅から歩いてすぐの例のあの富士山である。標高6メートル。富士信仰、浅間信仰とでもいうのだろうか似たようなものはあちこちにあるのかな。所沢にも狭山湖のそばに吾妻富士がある。各合目ごとに合目石もおいてある。
千駄ヶ谷の山頂には"奥社"もある。
去年の暮れにUさんのコンサートに行ったとき登頂していたのできょうの記事はうれしかった。こないだの大雪の時などは風雪の富士が楽しめたのかも。
ゆずというフォークグループがあるらしいが言われてみると「ごちそうさん」のテーマをやっているひとたちらしい。
「所沢」という曲を作っていたそうで、市役所で"歓迎"云々の申し出をしてこの曲のいわれを訪ねたところ、「別段なんの意味もありません」と答えたそうだ。こういう答え方をすること自体このまちに対してマイナスの想いをもっているのかなと勘ぐられてしまいかねないが、よく考えてみると以前にも将棋の羽生さんが子供のころ所沢にいっとき住んでいたことをとらえて彼を名誉市民に迎えようとして断られた話もある。
こういった取り組み自体いかにもいなかものの発想であることはいなめない。
中央から有名人を迎えて市の・・・にしたりといった「わたしはこんな有名人を知っています、コネがあるんですよ・・・・(すごいだろう)」という姿勢はモームがよくお笑いネタにしたことがらである。
2014年3月12日水曜日
あたたかくて
ずいぶん楽だった。
なによりも手荒れがしなくなってきたのには感謝。
畑におからと廃棄用大豆・大豆がらを蒔いて即かきまぜ。
落ち葉もあるといいんだけれどなにせ貧弱な量なのでほんとは秋のうちにあちこちでもらっておけばいいのかなと思う、たしか市役所で回収してきたものをわけてくれると思うのだが人気ものなのでそんなにもらえるものとも思えない。航空公園にでも行って集めればいいのだろうが"どろぼう"とでもいわれかねない。
久しぶりにebayをやる。ウェストミンスター寺院のいろんなうんちくを述べた100年前の美本である。Paypalもずいぶんと明快になったものではあるが、これでは逆に出品者となんのやりとりもなく支払いだけとなってしまうのでとても"進化"とはいえない。
スムーズなのがなんでもかんでもいいとはいえない。
カーナビも配送業以外には無用の長物だと思う。
地図をみながら運転しろというわけではないが、地図を読むことは人生を豊かにする。
というわけで高校の地理で使っている帝国書院の地図帳を買うがややものたりない。
ロシア極東地域のなんとかという湖やオクスフォードの西にある美村Cotswoltsは載ってない。
それでも地図をみているとなんか夢がふくらんでくるのだよな。
学生のころ正確に覚えていた地名とその位置感覚はだいぶ狂ってしまっていることに気づく。
利尻島と礼文島が南・北が反対だったり、同じく屋久島と種子島でも屋久島の方が北にあったりと頭のなかもだいぶ劣化しているようだ。今話題のクリミア半島(地図にはクリム半島とある)も黒海の左(西岸)からつきだした半島かとずーっと思っていた。さわっただけでこわれるというコンタックス・コピーのロシアン・カメラ"キエフ"のもとになった地名も大都市なのにもかかわらず今頃になって位置確認をする。
この地図はひとことコメントや記号がついているので産物や名物も教えてくれる。
キジ島のあの木造教会も記述されている。
あとからあとから・・・、そしてすぐに忘れてしまう。
それだからこそ眺めているのが楽しくやめられないのかな。
新陳代謝をよくするというのでウコンをすすめられた。
黒酢、尿酸値で検索すると「とてもいい」と出た。
さてさて、冷蔵庫には飲みかけでやめていた黒酢がある。
また始めるか・・・三日坊主かなあ。
新陳代謝をよくするというのでウコンをすすめられた。
黒酢、尿酸値で検索すると「とてもいい」と出た。
さてさて、冷蔵庫には飲みかけでやめていた黒酢がある。
また始めるか・・・三日坊主かなあ。
2014年3月10日月曜日
3月の
この時期に氷点下というのもずいぶんと久しぶりのような気がする。
寒い冬は桜が早いのがつねだがことしみたいにいつまでも冬が続いているときはどうなってしまうのだろう。
植物たちは毎年のように同じ(ように)にみえるような繰り返しをしているが、われらが人間様はの世界はさまざまなことがあとからあとからと起きている。
あしたは3.11。
父とやりあったことがまず最初に来てしまう。
国がゼロになる日、G先生の言。
関東がゼロになる日。
頭ではあれやこれやと想像してみるのだが。
とことんたたかれてもたちあがっていく姿。
とことん追い込まれればがんばるしかない。
NHKの連ドラをごはんをみながら見ているが前回の三陸のドラマよりむしろ今やっている『ごちそうさん』のほうが、とことんたたかれている人間が「生き続けるしかない」人生を意識したり絆の根本を意識させるヒントがたくさんあるのを感じさせてくれる。
大量生産されたものを買ってきてテーブルにのっけるだけの夕食がいかに家庭をひいてはひととしての尊厳をこわしていってるかを感じる。
売れれば優良企業という収税側の論理だけでこの偽装繁栄はなりたっている。
国がゼロにならないと反省に追い込まれないのだろう。
寒い冬は桜が早いのがつねだがことしみたいにいつまでも冬が続いているときはどうなってしまうのだろう。
植物たちは毎年のように同じ(ように)にみえるような繰り返しをしているが、われらが人間様はの世界はさまざまなことがあとからあとからと起きている。
あしたは3.11。
父とやりあったことがまず最初に来てしまう。
国がゼロになる日、G先生の言。
関東がゼロになる日。
頭ではあれやこれやと想像してみるのだが。
とことんたたかれてもたちあがっていく姿。
とことん追い込まれればがんばるしかない。
NHKの連ドラをごはんをみながら見ているが前回の三陸のドラマよりむしろ今やっている『ごちそうさん』のほうが、とことんたたかれている人間が「生き続けるしかない」人生を意識したり絆の根本を意識させるヒントがたくさんあるのを感じさせてくれる。
大量生産されたものを買ってきてテーブルにのっけるだけの夕食がいかに家庭をひいてはひととしての尊厳をこわしていってるかを感じる。
売れれば優良企業という収税側の論理だけでこの偽装繁栄はなりたっている。
国がゼロにならないと反省に追い込まれないのだろう。
2014年3月9日日曜日
なんと
トラクターの燃料キャップがないまま畑をうなっていて帰路についたとき初めて気がついたというていたらく。
畑に落としたとしたら探すのはちょいと無理。
機械屋さんにあるかな。
と思いつつ家のそばまでくると路のはじっこに転がっていた。
ということは出かけてすぐにはずれて落ちたということだ、それにまったく気がついていなかったのか。
軽油でよかったよ。
きょうはお茶の木の刈り取りもやる。
刈り込みはさみは出かけに砥石でといてあったので切れ味最高。これのここちよさは経験者にしかわからない。こういうよろこびも大切である。
畑に落としたとしたら探すのはちょいと無理。
機械屋さんにあるかな。
と思いつつ家のそばまでくると路のはじっこに転がっていた。
ということは出かけてすぐにはずれて落ちたということだ、それにまったく気がついていなかったのか。
軽油でよかったよ。
きょうはお茶の木の刈り取りもやる。
刈り込みはさみは出かけに砥石でといてあったので切れ味最高。これのここちよさは経験者にしかわからない。こういうよろこびも大切である。
2014年3月8日土曜日
コーヒー屋さんに
行く。
先日買ったハワイ・コナがなんかさっぱりしすぎていてあれでいれかたがよかったのかなと聞いてみたら、さっぱり系なんですと答えてくれた。
窮極とはこういうものなのかなとよく考えるとほかの分野でもおおむね窮め尽くした姿は"無"であったなと"理解"する。
ただし頭で考えて"無"を売りにするのは程度が低いので自分は自分なりにやっていけばいいと考える。
自分自身は"あくが強い"とは決して思ってはいないのだが、自分の思うようなこと・好きなことを押し通しているのが「あくが強い」と思われるのなら仕方ない。
話は転じてしまうか小澤征爾が人気が高い(評価が高い、とはあえていいたくない)のもこういうことなのかなと理解する。
しかし多くのひとに好まれるものが"ほんもの"といえるかどうかは別次元の考えである。
評価する側が時の流れとともに変質してしまっているので正しい基準というものを設定するのがいいことなのかわるいことなのか迷ってしまう・・・が自分はやはりプラトン流なのかなと考える、アリストテレスではない。
多元的であることを大切にしながらもひとつのこと・ものを追い求め・・・、これでいいのかな。
石垣島の小浜大豆を選別する。
現地での播種期はたしか10月頃だったか正月頃だったか忘れたが、気候の全く違うところではなるほどとびっくりしたものだ。
おととしは7月に2期、8月あたまにもうひとつと三期に分けてまいたができる限り遅く蒔くのが正解のようであった。去年は7月の20日ころだったろうか、ややボディが行き過ぎで収穫はあまり良くない、褐色斑がきわめて多い。
褐色斑が多いのはいつものことだが、タネに気をつけてきれいなものを蒔いても褐色斑になってしまう。言うまでもないことだが褐色斑を蒔くと必ず褐色斑になってしまう。
沖縄ではこの大豆で"石豆腐"を作ると言うことだが2-4ミリ程度の大きさにしかならないこの大豆は選別だけでも難儀である。ちいささを生かすとしたら納豆しかないのかなと考える。どんな味の豆腐になるのか興味があるが、今日選別しただけでも200グラム程度なので気の遠くなるような話である。ただし褐色斑はきれいなものの10倍くらい出るのでそちらで造ればいいということだが・・・褐色斑のほうが一般論としては糖度は上がっている。
いずれにしてもこの大豆の手選別は2時間越すといらいらしてくる。
先日買ったハワイ・コナがなんかさっぱりしすぎていてあれでいれかたがよかったのかなと聞いてみたら、さっぱり系なんですと答えてくれた。
窮極とはこういうものなのかなとよく考えるとほかの分野でもおおむね窮め尽くした姿は"無"であったなと"理解"する。
ただし頭で考えて"無"を売りにするのは程度が低いので自分は自分なりにやっていけばいいと考える。
自分自身は"あくが強い"とは決して思ってはいないのだが、自分の思うようなこと・好きなことを押し通しているのが「あくが強い」と思われるのなら仕方ない。
話は転じてしまうか小澤征爾が人気が高い(評価が高い、とはあえていいたくない)のもこういうことなのかなと理解する。
しかし多くのひとに好まれるものが"ほんもの"といえるかどうかは別次元の考えである。
評価する側が時の流れとともに変質してしまっているので正しい基準というものを設定するのがいいことなのかわるいことなのか迷ってしまう・・・が自分はやはりプラトン流なのかなと考える、アリストテレスではない。
多元的であることを大切にしながらもひとつのこと・ものを追い求め・・・、これでいいのかな。
石垣島の小浜大豆を選別する。
現地での播種期はたしか10月頃だったか正月頃だったか忘れたが、気候の全く違うところではなるほどとびっくりしたものだ。
おととしは7月に2期、8月あたまにもうひとつと三期に分けてまいたができる限り遅く蒔くのが正解のようであった。去年は7月の20日ころだったろうか、ややボディが行き過ぎで収穫はあまり良くない、褐色斑がきわめて多い。
褐色斑が多いのはいつものことだが、タネに気をつけてきれいなものを蒔いても褐色斑になってしまう。言うまでもないことだが褐色斑を蒔くと必ず褐色斑になってしまう。
沖縄ではこの大豆で"石豆腐"を作ると言うことだが2-4ミリ程度の大きさにしかならないこの大豆は選別だけでも難儀である。ちいささを生かすとしたら納豆しかないのかなと考える。どんな味の豆腐になるのか興味があるが、今日選別しただけでも200グラム程度なので気の遠くなるような話である。ただし褐色斑はきれいなものの10倍くらい出るのでそちらで造ればいいということだが・・・褐色斑のほうが一般論としては糖度は上がっている。
いずれにしてもこの大豆の手選別は2時間越すといらいらしてくる。
2014年3月6日木曜日
柏市の事件の
容疑者が捕まったようだ。
本人への憎しみは当然としてもこういうものを作り出した親・家庭・学校・社会というもののゆがみをまじめに考えなければならない。
まじめに考えて反省しても"逸脱"のあるタイプのものは、不特定多数に危害を加えたい、という衝動にかられてしまうのは人間のさがなのだろうか。
こういった犯罪撲滅の窮極アンサーは存在しないと考えたほうがいいのかもしれない。
憎しみの対象がないのに・・・、というけど憎しみの対象は茫漠としてはいても憎しみ自体ははっきりとあるのである。
何か打ち込むことがあればこんなことしているヒマもないはずだが、若いひとから仕事をうばっている社会の仕組みがどうにもならない。なるようにしかなっていないのだろう。
額に汗しないでかせぐことがもてはやされるような社会(地球上すべてこれなのかもしれない)ももとをただせば政治や行政に根がある。
BSでやっていた「イッピン・・・」は京都の金網細工屋さんをとりあげていた。
再放送したら録画しようと思う。
こんなにひきしまっていてメッセージのしっかりした30分は久々であった。
あれだけ接近して亀の小型を編んでいる職人さんをみていると、作っている物は商品というより、親とか仲のいい知り合いが自分のためにそれを作ってくれているようで商売というより"あたたかい気持ちのかたまり"を作ってくれているような気がする。
定価が2-3000円では申し訳ないようで、もっと出してあげたいような湯豆腐すくい網であった。
被写体の当事者がすごいのはもちろんだが番組制作者も優秀だと思う。
伝統工芸だと呼ばないでください、と言っていた跡取り息子の言が印象的であった。
こういうものを育てていられる京都もやはりすごいところだ、便乗した軽薄会社も多々あるけれど・・。
本人への憎しみは当然としてもこういうものを作り出した親・家庭・学校・社会というもののゆがみをまじめに考えなければならない。
まじめに考えて反省しても"逸脱"のあるタイプのものは、不特定多数に危害を加えたい、という衝動にかられてしまうのは人間のさがなのだろうか。
こういった犯罪撲滅の窮極アンサーは存在しないと考えたほうがいいのかもしれない。
憎しみの対象がないのに・・・、というけど憎しみの対象は茫漠としてはいても憎しみ自体ははっきりとあるのである。
何か打ち込むことがあればこんなことしているヒマもないはずだが、若いひとから仕事をうばっている社会の仕組みがどうにもならない。なるようにしかなっていないのだろう。
額に汗しないでかせぐことがもてはやされるような社会(地球上すべてこれなのかもしれない)ももとをただせば政治や行政に根がある。
BSでやっていた「イッピン・・・」は京都の金網細工屋さんをとりあげていた。
再放送したら録画しようと思う。
こんなにひきしまっていてメッセージのしっかりした30分は久々であった。
あれだけ接近して亀の小型を編んでいる職人さんをみていると、作っている物は商品というより、親とか仲のいい知り合いが自分のためにそれを作ってくれているようで商売というより"あたたかい気持ちのかたまり"を作ってくれているような気がする。
定価が2-3000円では申し訳ないようで、もっと出してあげたいような湯豆腐すくい網であった。
被写体の当事者がすごいのはもちろんだが番組制作者も優秀だと思う。
伝統工芸だと呼ばないでください、と言っていた跡取り息子の言が印象的であった。
こういうものを育てていられる京都もやはりすごいところだ、便乗した軽薄会社も多々あるけれど・・。
2014年3月5日水曜日
雨の日は好きで
ぼおーっとして大豆の選別や映画をみたり、根気の続かない読書をしたりとなかなかのんびりとおだやかに時間が過ぎていく。
グリーンブラットのThe Swerve というのを読み始める。
ショーンコネリーがやっていた中世舞台の映画みたいな感じの始まりでわくわくする、あれはU.エーコだったかな。
YouTubeも観てみると講義がいくつか載っているのでそのうちということで音だけダウンロード。
さてウォークマンにどうやって転送するんだっけと、ここのところカセットばかり使っていたので、今風なものはすぐにつかいかたを忘れてしまう。
中国の軍備費は上昇するばっかしのようだ。
地方ではウィグル族の暴動があったばかりだが、日本国を戦争へと誘いをかけている一夜成金大国のご乱心にどう対応していったらいいものだろうか。
PM2.5でかの国でもみんなマスクをしているようだがマスク大繁盛のルーツは日本国だろうか。
金メダル選手までマスクをしていたソチ・オリンピックでは極東人以外はマスクをしているのは見あたらなかったが、ピアニストのHoughのブログにもかれが東京へコンサートに来ていた時の日本人のマスク装着には笑いを込めて疑問を呈していたのを思い出してしまった。
"保温"という昨日いやいや機能にはたしかに有効だ。
・・・カット、については・・・?というところだが医学的にはどうなのであろうか
日本も第二次大戦後同じこと、つまり先進者の先行する技術にただのり(同然)のことを経ながら戦後の工業大国化を成し遂げたわけであるが、今同じようでいて似て非なる蛮行"目先のカネだけ"をやっているごじんをみていて今更ながら、日本人に生まれて良かったなと思う。
ウィグルが辺境から攻め込んでくるのを苦しみ抜いた古代の中国支配者たちが、今正反対のことをしているわけだがロシア同様"おおきいことはいいことづくめ"という単純スケールメリット発想は切り捨てたほうがいいのではないのかい。
複数の国に分けたほうがいい。
あるいは徹底して地方を守る構造を組み立てたほうがいい。
我が国もスケールこそ違え、ここから多くを学ばなければならない。
東京(大都市)の生み出す利益は地方の犠牲の上に立っているということだ。
地方交付金という中央が地方をしばる道具としての地方への分配でなく、当然の取り分として地方へカネを回すべきだ。
国会議事堂の地下に原発を作ると仮定してどういう返答が用意されるか容易に見当が付くのだが、原発はあってもなくても企業は国外に出て行ってしまうのは自然の法則みたいなもので原発存続の理由付けはむなしいものだ。
新潮社の『日本語漢字辞典』を古本で買う。6500円でだいぶ安かったが、ほぼ新品の美品であった。読む辞典。トイレに入りながらではやや重いのだがひまつぶしにはとてもいい。これを教えてくださったNさんに感謝感謝。
もひとつおもしろいのが旺文社「世界人物事典」。中学生の時に母に刈ってもらったものだ。7-8センチの厚みで3000円くらいしただろうか。おとなが読んでもおもしろい。
グリーンブラットのThe Swerve というのを読み始める。
ショーンコネリーがやっていた中世舞台の映画みたいな感じの始まりでわくわくする、あれはU.エーコだったかな。
YouTubeも観てみると講義がいくつか載っているのでそのうちということで音だけダウンロード。
さてウォークマンにどうやって転送するんだっけと、ここのところカセットばかり使っていたので、今風なものはすぐにつかいかたを忘れてしまう。
中国の軍備費は上昇するばっかしのようだ。
地方ではウィグル族の暴動があったばかりだが、日本国を戦争へと誘いをかけている一夜成金大国のご乱心にどう対応していったらいいものだろうか。
PM2.5でかの国でもみんなマスクをしているようだがマスク大繁盛のルーツは日本国だろうか。
金メダル選手までマスクをしていたソチ・オリンピックでは極東人以外はマスクをしているのは見あたらなかったが、ピアニストのHoughのブログにもかれが東京へコンサートに来ていた時の日本人のマスク装着には笑いを込めて疑問を呈していたのを思い出してしまった。
"保温"という昨日いやいや機能にはたしかに有効だ。
・・・カット、については・・・?というところだが医学的にはどうなのであろうか
日本も第二次大戦後同じこと、つまり先進者の先行する技術にただのり(同然)のことを経ながら戦後の工業大国化を成し遂げたわけであるが、今同じようでいて似て非なる蛮行"目先のカネだけ"をやっているごじんをみていて今更ながら、日本人に生まれて良かったなと思う。
ウィグルが辺境から攻め込んでくるのを苦しみ抜いた古代の中国支配者たちが、今正反対のことをしているわけだがロシア同様"おおきいことはいいことづくめ"という単純スケールメリット発想は切り捨てたほうがいいのではないのかい。
複数の国に分けたほうがいい。
あるいは徹底して地方を守る構造を組み立てたほうがいい。
我が国もスケールこそ違え、ここから多くを学ばなければならない。
東京(大都市)の生み出す利益は地方の犠牲の上に立っているということだ。
地方交付金という中央が地方をしばる道具としての地方への分配でなく、当然の取り分として地方へカネを回すべきだ。
国会議事堂の地下に原発を作ると仮定してどういう返答が用意されるか容易に見当が付くのだが、原発はあってもなくても企業は国外に出て行ってしまうのは自然の法則みたいなもので原発存続の理由付けはむなしいものだ。
新潮社の『日本語漢字辞典』を古本で買う。6500円でだいぶ安かったが、ほぼ新品の美品であった。読む辞典。トイレに入りながらではやや重いのだがひまつぶしにはとてもいい。これを教えてくださったNさんに感謝感謝。
もひとつおもしろいのが旺文社「世界人物事典」。中学生の時に母に刈ってもらったものだ。7-8センチの厚みで3000円くらいしただろうか。おとなが読んでもおもしろい。
登録:
投稿 (Atom)