飲み会。
良き友とにぎやかに。
池袋の地下街には、いつもと同じことなのに、非常に不快感を感じた。
もうこういった混雑には耐えられない。
BBCやNY Timesでは(Co-)Authorつまり(共)著者という言葉で表されているが、割烹着の研究者と一緒に論文を"書いた"ということで、なにからなにまで実験に立ち会っていたと推定される研究チーム実働部隊とは別に、論文に"重み・権威"を付与するためのビッグ・ネームがいたのかなと推定する。
文化系の論文なら切り貼り・剽窃はあたりまえだと考えてはいたが、こういった科学の世界でつまり実験しなおせばほんとかうそかすぐばれてしまう世界では切り貼りいんちき研究の危険さは発表する当人にも簡単に見当がつきそうなもので、まず常識的にはありえないものだと想っていた。まして理研といえば理科系のよりすぐりのエリート集団だとおもうのだけれど、捜査いや調査中とはいえとても考えられないような事件になってしまっている。
よく受験参考書とかには表紙に有名な学者の名前が付いて"・・・監修"とか書いてあるものがあるが、学術論文の場合にもこういうただ名前を貸しただけの、せいぜいぱらぱらと全体に目を通しただけの行為が行われているのだろうか
日本の権威といわれている山梨大のなんとかいう教授が「・・・引っ込めたほうがいい、とりあえず白紙にしたほうがいい」とはどういうことなのだろうか。
実験全体につきあい、目の前におこっている現象に対峙してきた共"研究者"ならば、そもそもこういった不完全あるいはでたらめの論文など提出させないと思うのだけれど・・・。
小保方さんにばかり批判が集中しているがもっとも悪いのは彼女の論文にお墨付き・権威付けをあたえた先輩学者たちでせあると思う。
今回の論文の内容にいたるまで"いんちき、さぎ"だとしたらこのあと転落するのは小保方さんだけであってはならないと思う。
それにしても論文をものしたひとがCo-Authorというのはけっこうあやしい世界であるが、はじめにことばありきという西のほうの文化が共著者は共研究者とはかならずしも一致しないのだと今回の事件が言っているようで、ずいぶんいいかげんな世界だなと思った。
論文の表紙は共研究者・・・、著者・・・とするのが本筋だと思う。
権威付けを与えたひとはうまくいけば労少なくして名声や経済面でにプラスになるわけでどんな世界もおんなじなのかな、とがっかりしてしまった。
割烹着のお姉様が登場したとき日本中がまいあがっていたはずで 今の大騒ぎを予想できたのはその道の専門家だけで・・・・いやいやそれすらなかったのかもしれない。
はじめにことばありきとは便利なことばで、その一言がひとの人生を動かした、というようなこともたしかにあるけれども還暦をもうすぐむかえる自分の人生観からすると「ことばだけでない世界」の重みをつくずく・しみじみと感じだしている今日この頃である。
ことばを職業にしているひとには申し訳ないが、ものつくり・もの育てで良かったと思っている。
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