桜ももうすぐだ。
コンピューターは2進法である。
ある条件にあてはまるか否かをyes、noつまり1か0とかいったように2つに振り分ける選択の集合体によってなりたっている。
人間の知恵もそうやってながーい時間をかけて蓄積されてきた。
子供が生まれてひとりだちしていく過程も2進法の蓄積である。
Aは食べられるものか否か。
進んでいいか否か。
手を挙げていいのかいなか。
・・・・・。
ひとはすべてあることがらを区別あるいは、片方をひいきして他方は排除(差別)しながらの時間の蓄積の中でおとなになっていく。
いじめは無くなるものではないというのがこのことからわかる。
自分と異質なものすなわち自分より劣ったもの優れたものは排除しようとする。
自分と同じでないものはあるものは排除しまたある場合は取り込んでしまおうとしたりする。
○か×かどちらに振り分けしないと生きていけないのが常である。
どちらでもないという灰色ももとをただせば2進法が根本にある。
いじめなどは無くなるものではなく、いじめるのが人のさがであることを前提に、ひとは他人をさとし自分自身を教育していくのである。
集団は対内的にも対外的にも必ずいじめを伴う。
こういう中でしかひとは生きていけないのだろう。
教育は、家庭にしろ学校にしろ、これを考えるのが大きな仕事であると思う。
浦和レッズの横(縦?)断幕がどういう意図で張られたのかしらないが、選手たちはかわいそうだよ。
日本人onlyの意図している"外国人排除"って何を意味しているのかね。
選手、観客の外国人? "外国"ということばでオブラートして本意は特定の国を指しているのかい。それとも日本人以外のひとすべてという意味なの?
ひとりでは行儀良い人間も集団となるといろんな行動に出るものだ。
スーパーの棚から洗剤が無くなっているというのもそんなものだろう。今は高くても売れる。今買いあさっているものは日常的に特売しているものだ。
同じ目的のもとに集まっている集団内のひとは、根底ではまわりのことなどたいして大切には思っていないのが常で、「おれがおれが」のひとたちにふりまわされているだけの場合がほとんどだ。
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