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2015年5月30日土曜日

きょうは午後お店に

出ました。
友人のお茶屋さん改めコーヒー屋さんとおしゃべりできました。
アメリカから上陸したチェーンのコーヒーの特徴は深煎り、ということです。
コーヒーをあれやこれややる前は"深く炒ったもの"、細かく挽いたものがいいという先入観がありました。
深く炒るというのは極端にいうと"炭"にしている、つまりどんなものもみんな同じようになってしまう。いいも悪いも無く、要するに"古い"をごまかすためにそうしているということらしいです。
ほんとにこだわっているひとは浅めに炒って・・・ということでした。
挽き方も、これはN氏から教わりましたが中目あるいはやや粗めということでした。えぐみが出過ぎないようにとのことでした。
なーるほど、そうすると窮極はブルーマウンテンかということになりますね。
ただしこういったものは好みの問題なのでそう簡単に決めつけはできないのでしょうね。
やはり文化は多様性ということでしょうか。

社会もそうですね。
性格も、主張もいろんなひとがいたほうがいい。
もっとも社会運営はそこに"妥協"と少数意見考慮、という方便が入ってくるのですけれどもね。

2015年5月28日木曜日

円が119円くらいで安定していても

ガソリンの値段はちっとも安くなってはいかず133円止まりだったような気がしますがここで一気に1ドル125円、130円ととばしていけばガソリンも140円、150円、160円となっていくのでしょうか。
プラスチック製品も値段が下がることなくまたまた値上げでしょう。
輸入大豆があがれば必然的に国産も便乗・必然値上げとなっていきます。
景気はダウンで、ここのところ最後の最後まで低迷している最終末端消費・・・つまり日用品市場はまたまた不景気に。ということでアベノミクス・ダウン。
どうなるのでしょうか。
もうかったところから政府の作為コスト分をちゃんと吸い上げているのでしょうか。

スポーツ界の汚職もいまさら、という感じです。
頂点のオリンピックの運営自体がカネまみれ。
スポーツって商売なの?という疑問は今ならばかにされてしまう質問かもしれませんが、改めて「スポーツって商いなの」と問い返してみたいです。
サッカーだけではない、すべてです。
オリンピックもやる必要ないなと思いました。


陸稲蒔きました。
収穫というよりも"わら"欲しさです。
あしたはあずきを蒔こうかな。
ゆすらうめ収穫。
35度の焼酎1.8×2リットルに漬けました。

2015年5月27日水曜日

朝から

ビールが飲みたくなるような暑さです。
34.6度もあったのはどこでしょう。

朝のテレビのニュースで「種継ぎびとの会」というのをやっていました。
"タネつぎ"とは昔からある地域に絶えることなく継続的に播種されてきた、すなわち今も栽培されている作物・・・要するに在来種の栽培のことです。
ウチの場合は"実験場、試験場"の意味があるので"昔から所沢で絶えることなく"という文言は通用しませんが、ジュラシック・パークみたく"復活"実験とそれに付随するさまざまな知的副産物獲得のためにやっています。
副産物の宝庫です。

こうして獲得されたデータがどちらかというと組み替え技術に利用されたりしているので不満は多々あるのですが、学者の知的好奇心を押さえることは不可能だと思います。
遺伝子にかかわる知的産物は医学とも交錯しており、しかも最先端と称する"理工系"の技術ともだぶっているところがあり、もはやとどまることをしらない知的混淆状態にあるというのが生命科学の実態とえるでしょう。

ただ自然から逸脱しすぎた、思い上がりの"人知"はいずれはさまざまなものを巻き込みながら悪魔の所行よろしく、自滅の末路にいたるよう気がします。
「特定の形質を取り除く」、「特定の形質を強化する」、「特定の形質を他の生命体から移植する」、「動物に植物のある形質を取り込む」・・・、なんでもありの科学の時代はもう目の前にあるいはすでに行われているのでしょうね。

地球上から多くの生命体がほろびた時期が地球誕生後何回かあったと言われてますが、次回は何が起こるのでしょうか。
彗星でもない、火山でもない、太陽でもない、・・・・。人間自身の愚行が生み出した地獄絵もどきの惨状が出現するのでしょうか。

自分らは何をしているのが一番いいのでしょうか。
みんなつながっている。
霞を食っていると言いながら実際に霞だけでいきているひとはいない。

畑の境界のお茶の木刈り込み。
カイガラムシびっしりの木が多かったですが、活き活きと活動しているカイガラムシの木はそんなにありませんでした。多くは残骸で、文字通りの貝殻状態です。
一本すごいのがあったのでかなり深く刈り込んで、なおかつ幹にこっついているものをこぞげおとしました。
ぞくぞくと寒気がするものの、去年の海棠のカイガラムシ退治がおもしろかったので、しばしお茶の木でもこれを楽しむ。
この害虫はネットで調べても薬物では退治困難なようでこそげ落とすとか、火であぶるしかないようです。火であぶるのは幹をいためてしまうのでむつかしいと思いますけど。

刈り込みハサミも何時間も使っているといいかげんバテテきます。
いい肩・腕の運動になりました。
すぐそばのいつものおじさんが車に収穫したばかりのたまねぎを置いていってくれてありました。

我が輩は猫であるの朗読はまだまだ続いていて毎日楽しいのですが、一週間ではとても無理で2週間くらいはかかりそうです。
マクラウドの本もまだまだ終わりそうにもありません。
熱くなるほど、だらだらと汗を流しながら読むのが山下流なのですが・・・昔からそうで、8月は結構本を読んでいます。

2015年5月25日月曜日

我が輩は猫である、

の無料の朗読をダウンロード。
mp3で一枚のCDに。
車の中で全部聞くのに4,5日はかかりそうです。
きわめて上手な朗読で、読んでいる人はもとアナウンサーか俳優さんのようにも思えてしまいます。
便利な時代です。
こういう自己顕示欲はいい。
たぶん"ひとのため"などという思いで始めたものではないと思います。
自分の得意、大好き分野で出すこういった自己顕示欲はいい結果になりやすいかなと考えますが・・・。(もちろん犯罪への誘導じみたものも多々あるんでしょうがね)。

高校生の頃に一回読んだきりなのでおおかた忘れてしまっていましたが、雰囲気はなんとなく覚えていて朗読を今こうして聞いているとくすくすとした笑いがあとからあとからと続いていきます。

きのうはウチのお客様で音楽好きの同年代から引っ越したからと木の香りのぷんぷんする家へおよばれしました。
大好きな分野なのでだいぶおしゃべりしすぎたようにも感じましたが、おだやかなやさしいご夫妻でほっとしました。
このごろ、どういうわけか自分と同年代・ぴったし同じ年齢のかたとの出会いが多いです。
自営とサラリーマンでは生活感覚が全然違うのかなとも思うのですが、それ以上に"通り抜けてきた時代の同一性"や60年という時間の蓄積の共通性等考えると結構話が合うようです。
もっともすべてこういくとは限りませんがね。
なにか引き合うものが・・・"引力"が働く組み合わせというものがあるんでしょうね。
金曜日のビール屋さんでのおしゃべりもきわめて楽しく、そういったたぐいのものだったのかなと思いました。・・・それとそれまで悶々としていたこころの中のしこりをさらけ出してしまったのですっきりとしてしまったのでしょうかね。

きょうは畑を3枚ほどうなり(かきまぜ)ました。
あしたはごまと陸稲でもまこうかなと思います。

2015年5月21日木曜日

きょうもお店。

きのうからきょうにかけては睡眠3時間。
10時頃寝て1時ちょっと過ぎに目覚めてしまいそのあとは寝たり覚めたりの繰り返し。
明け方には雷様。
きょうも実に眠かったです。

はじめて外付けハードディスクを購入。
えええ、こんなにちいさいの。
この中にマイ・ドキュメントノ写真や音や雑誌・報道のスクラップ等をしまっておけばこれを持ち運びして異なったパソコンで使えるわけね。
もっとも万が一落としてこれをこわしたらどうなるのかな。
結局大事なものはCDやDVDに焼いておくということだろうか。
しかしこのCDやDVDも酸化による劣化・破壊があるわけだから、ほんとにほんとの大事なものは10年程度ごとに焼き直しということだろうか。
結構やっかいなものかしらね。
いずれにしてももうすぐあふれそうになっているこのVISTAも当座のHELPができたわけでしょうか。

2015年5月18日月曜日

大豆を

30袋ほど、低温倉庫に保管してもらうことにしました。
ひと月いくらという感じの料金です。
出し入れ・配送まで含めての料金なので自分で農業用冷蔵庫を設備するよりは安いような気がします。
それほど冷蔵庫というのは"やわ"でCPが低いです。
故障も多いし維持費・電気代も高い。

裏庭でピラミッドどくだみまっさかりです。
ゆすらうめがちらほら色づいてきました、去年漬けたのはまだ飲んでいませんが途中でなめた感じではとてもいい具合です。
あじさいも花が青い状態で、色づくのを待っています。

けさのニュースで、震災被害のあった東北の内陸部・・・地名を聞き逃しましたが、地震でダムが崩壊し幾多の死者をだした不幸な歴史を追っている地域のひとが、戦後すぐにできたダムなのに湖底に山あじさいの芽が出たのに気づきそれを他に移植し2年後に花をつけ た話をしていました。
とてもいい話でした。
わずかな時間のニュースでしたが"いい"童話を聞いたような気がして涙ぐんでしまいました。

午後はきのうの歩きすぎで出来た足の裏の"マメ"が片方はそのまま、もう片方はつぶれてしまったことも考え散歩は中止しました。
今年のタネ用大豆を若干整理しました。

2015年5月17日日曜日

パソコンも

必要に迫られての話ですが、欲しい情報があるときだけ"やり方"のあれやこれやに夢中になって若干知識が増えるわけですが、"夢中"期間が過ぎてしまうとまたまた技術が下がってしまうんですね。みんな忘れてしまう。
今は"夢中"期のようです。
音声もののダウンロードに夢中です。
散歩中に"遊べる"からです。
きょうも柳瀬川回廊、志木市役所、志木大踏切改め地下道、手焼きおせんべ屋さん、帰宅といったぐあいに28000歩/4.5時間きっかり歩きましたが4時間もウォークマンを聞き続けていると空きます。
気温は30度はあったであろう2時台は、すずしいときの自分の定番ドビュッシーの前奏曲集Ⅰ・Ⅱ/ミケランジェリで快適なお散歩、そのあとはラジオドラマとリア王の講義、いつもの大瀧詠一「冬の旅人」さまざまバージョンといった具合に紆余転変しましたが夕方も5時台になってくると風が心地よくウォークマンなんか聞いているのは無粋の極みだと感じました。
自然の風、音・空気感を感ぜよ、です。

きのうはきょうと同じコースでしたが武蔵野線新座駅ですでに6時近かったので電車で短縮。
きょうは捲土重来です。新座駅前・野火止交差点で5時10分。
長い距離歩いていると自分のペース配分とか意識するようになり、"作戦"の重要さを感じます。しかもこれからは30度続出でしょう。

5000歩で調子が出ます。
しかし肩が疲れるようになり、かばんなどないほうがいいことがわかります。財布もうっとうしい、小銭入れかポケットにじかに小銭入れた方がいい。
かばん無し、ポケットティッシューとハンケチあるいはタオル。それだけ。
水・茶は自販機でいい。
それと帽子。

脚のほうは基本的には最後まで快調かなと言う感じですが、スタート時よりは最後のほうは若干脚力は落ちています。肩のほうは25000歩あたりから疲労を感じなくなりました、麻痺してしまうことによる錯覚なのでしょうか。
4.5時間で28500歩なので10分あたりで1000歩強が平均的な足運びですが、スタート時は1200歩、最後のほうは1000歩かそれ弱になっているかもしれません。
気持ちだけは元気なようでも他人からみたら最後はへとへとになっているように見えるのでしょうね。
いずれにしてもきょうは新記録達成です。
志木街道経由で南浦和まで25000歩だったので、28500歩ならば与野か大宮程度には達していたものと思われます、バンザイ!
こういうのは自慢してもいいなあ。

子供には貸し冷蔵倉庫屋さんに預ける大豆を縁側の前に出してもらっておきました、すいませんね。

2015年5月15日金曜日

きょうもあしたもお店。

しかし副産物も。
30数年ぶりにお客様だったAさんが。
やはり30年の間にはいろいろなことがあり、夫婦そろって大病をしたとのこと。
でもやせたとはいえ元気そうでなにより、今度一杯やりましょうということに。
帰りは東村山まで電車で行き、まず正福寺に。
記憶の中にある正福寺とは違うものにみえたのですがやや時間をおくとまざまざと昔の感動がよみがえってきました。
鎌倉の円覚寺舎利殿と同じ様式のつくりでその渋い色調、素朴・剛健さ・威圧感はやはり"関東"であることと時代の作り上げた者なのかなと感じました。
見ている人は私だけ。
気軽に入れて気軽に近くまで寄れてしまうのがかえってこわくもありました、心配です。
これでも国宝管理なの?と思いました。
次回はカメラ持参で"部品"をことごとく接写してみようと思います。
前に夢中になっていたときは脇にぼたん園、ちょいとうしろにあじさいといった具合に花を前掲にして背後に本体を入れて楽しく写真撮影できましたが、きょういってみてなんとなくせまく感じられました。
ぼたん園はつぶされて小灌木に。
あじさいの植えられていた参道沿いには大きな石碑がいくつも建てられ、・・・さん寄贈とかなんとかのよくある文字がきざまれました。
このお寺は単なる見せ物・観光・・・・ここでパソコン、ダウン。終了作業に自動でなってしまいました。
(明けて5/15日記述)
このお寺は単なる見せ物・観光でにぎわっているお寺ではなく周辺の多くの檀家をかかえた生きたお寺であるためこういうことになるのでしょうかね。
国宝建造物への配慮を考えるならば以前のゆったりとした(悪く書けば、ただっぴろい)風景の法がはるかによかったです。

正福寺を後にしてうろおぼえの裏街道を歩きながら西武新宿線をわたると左に老舗の当麻石材屋さん、その隣がどういうわけか長屋(庄屋)門。ややちいさいですが立派な門。
しばらく行くと東村山になんと造り酒屋。なんとこんなところにあったのかと驚いてしまいました。小銭しか持っていなかったので次回に購入予定。
やがて空堀川沿いの遊歩道。
このブログを書いているきょうNHKで放送されたのですが、なんと火野正平の自転車隊が自分と同じ所を走っていました・・・にたり。
そして円福寺のところで進路変更・・・ここにK先生のお父様が眠ってらっしゃるはずですが・・・して東久留米へ(これまたウチの親戚のそばへと続く通い慣れた道でした)。
自分の散歩コースが移っていておもしろかったですね。

ちいさいパソコンはWindows7で調子がいいのですがキーボードがちいさくて使いづらく、ブログを書くのは調子の悪いVISTAのほうでワープロしています。

ところできのうとは違いますが午後お店に立っているとウチの近所出身という方が買い物に来てくださりまたまた意気投合して世間話。
特にバード・ウォッチングの話がおもしろく「へちぇー」の連発でした。
カワセミなどという者はうまれてこのかた2週間前まで実物をみたことがなかったのに、川がきれいだった自分の子供時代には当たり前にいたんだよ、ということでした。
最近増えてきたということはだいぶ川がきれいになってきたということでしょうね。
さらにその方はいろんな鳥の名前を出していて、身近にそんなに鳥がいるとはびっくりでした。
自分では雀、からす、目白、こじゅけい程度しかしりません。
こじゅけいやキジバトも山林にはほとんどいなくなりましたがね。

2015年5月13日水曜日

草むしりと草刈りで

午後はつぶれました。
パソコンはモデムの"コンセント"を付けたり外したり繰り返しましたが、メールのダウンロードはあいかわらずおそいです。インターネットのつながり自体は回復しているでしょうか、つまり"現在つながりません"みたいな表示は出なくなりました。
椅子に座っての据え置きパソコンは悪評のVISTAですが、容量自体もだいぶ少なくなってきていて、重すぎるのかなという感じもします。
そういえばここのところiTunesやPodcast、Librivoxといった"ただダウンロード"ばかりしていてだいぶデータがたまりすぎてしまったようです。
きょうはダウンロードした圧縮ファイルをそのままウォークマンにダウンロードしても"曲"のリストに表れず、それなのに他のところで調べるとあきらかにウォークマンの中には入っていることになっているファイルが、どうして"聴けないのだろうなと悩んでいました。
あれやこれややっているうちにzip形式とは、zipperつまりチャックのことであるということと、そのままでは受け取る側の態勢ができていないのでうんともすんともいかないことがわかりました。
"解凍"するんですって。
というかファイル名を右クリックして「すべて展開・・・」という作業をすればいいことがわかりました。
ファイルの形式とか保存の方法とかやっかいなことばかりが多くて混乱します。
将来的にはこちらの作業の"意図"がコンピューターが察知してくれてどんどん先へ先へと作業を進めてくれるようになるのでしょうか。

Librivoxというのは英語圏の無料朗読サイトで、もちろん英語・仏語・・・・とありはしますが、ウィキペディアみたく無償の奉仕によってアップロードされてできあがってるサイトです。
YouTubeもある意味ボランティアでしょうが、「知ってもらいたい」という思いでアップロードしたのならば公にダウンロードしてもいいとは思うのですが、"芸能人"の隠し撮りとかテレビの録画を勝手にアップロードしているむきも多いのでやっかいなのかしらね。
日本にも無料の朗読サイトがごくごくこぢんまりとやっていたとは思いますが、なかなか充実しませんね。
古典や著作権の切れた作品など材料はいくらでもあるとは思うのですが、"読み聞かせ"とか視覚障害者等への朗読ボランティアのまだまだの状態の表れでしょうか。

夕方また佐多岬半島から元気な電話がかかってきました。
現況報告ですが、楽しく豆腐造りに邁進しているとのことでした。
こちらもうれしかったです。

2015年5月11日月曜日

ほんとにきのうきょうと

パソコンがおかしいというかインターネットにつながりにくくなっています。
パソコン2台ともになのでパソコンが原因というわけではないと思うのですがいらいらしてしまいます。
きょうのお昼時はまったくだめ。
今2時ちょっと過ぎで、つながりました。

車の中でハムレットの朗読を聞いていますが何度聞いてもおもしろいのが゜オフィーリアのお父さんのボローニアスとハムレットの会話です。
当時のことばの発音は当然のことながら現代のものとは異なっていて、この録音のまったく"今風"の発音には問題があるかとは思うのですが、ことばのインタープレイのすごみはよく伝わってくるので楽しさこの上ありません。
現実の社会生活でこのようなことばのやりとりがあつたとはとても思えませんが、にたにたしながら脚本書きに三昧となっていたシェイクスピアのわくわく感は伝わってきます。

外は暑いけど家の中はすずしくていねむりには最高の陽気です。
でもいねむりというわけにもいくまい・・・というわけでこれから・・・。

いつものコースで少し歩数アップ。
柳瀬川回廊、英インター、新座野火止交差点、志木街道、いつものおせんべい屋さん、帰宅ということで21000歩。3時間強。
歩いているといろんなことを考えます。
きょうは過去出会ったひとたちを考えました。
つながっている人、切れた人。
つながっていようが切れようがすべて自分には栄養になっていて大切な資源であることに変わりははありません・・・こういう言い方はやや不遜かしらね、"資源"?・・・。
出会ったとはもちろん面識があるというのが一番基本にはなりますが、神様みたいにたてまつっているのは実際には合ったこともない(ありえない)ひとや瞬間とか数時間ご一緒しただけというひとが多く、実生活で"・・・先生"と呼んでいるひとは入っていません。
・・・先生と日常的に呼んでいる方たちは「・・・師匠」というよりは、なんなんでしょうね尊敬というよりは敬愛とか"大好き"とか・・・欠点まで含めて信頼しきっているかたたちです。
欠点のないひとはいません。
欠点まで愛してしまえるひとがぼくの"先生"です。
尊敬、ということばはむつかしすぎる。
尊敬しているのは湯川秀樹、猪熊弦一朗、渡邊耕三、御子柴公人、松下村塾のひとよりは最後の会津藩士たち・・・です。猪熊先生は吉田松陰になぞってもいいのですがね。
先生と呼んでいるひとたちはこれとはちょいと違うんですね。

根がだらしないせいか潔癖症のようで居てそうでない。
ある面では潔癖でも他の面ではだらしなさも許してしまう。
仕事は潔癖でなければなりませんが、実は完璧ということばをもってこられるとやや違和感を感じます。
食べ物屋なのでいいますが、"うまさ"はおもしろさでもあります。
これは手作りにしか実現できない強みでもあります。
完璧を"臨機応変に"少しずらしてやるところにほんとのうまさがあります。
制作のその都度に「"ずらし"のあそび」をすることです。
ずらすことは"完璧"を理解していないとできません。
楽器の演奏もそうかなと思います。
完璧のまんまがつまらない。
逸脱はあくまでも完璧の上に立った遊びであることを意識していなければなりません。
こういうのは畑の作物の栽培とはちょっと違うところにあるのかなと感じます。
農業と食品製造・加工業はちと相容れないところがあるのかなと思いますが、似ていないからこそプラスの刺激が生まれるものだとも考えます。

・・・・・。
まあ、こんなことをそこはかともなく考えながら3時間歩き続けました・・・いやいや、おせんべ屋さんで15分ほど一服してましたね。
家に近づく頃には右足がやや"つり"かかりました。
やはり自分にとって20000歩はひとつのちいさい壁のように思えます。
夜中につらなければいいのですが。

2015年5月10日日曜日

きょうは午後

疲れていたせいもあって、ずーっとパソコンで遊んでいました。
ウォークマンの中身やパソコン内に保存したものの整理をしていました。
ついでながらいろんなことが学べました。
WindowsでiTunes経由でダウンロードしたものを"整理・整頓"していて途中でパソコンが止まってしまったりするのはしかたのないことだなと思いました。
ライバルの道具を取り込んでライバルの"仕組み"で成り立っているソフトを取り組むというのにはやはり少しばかりひずみ・ゆがみが発生するということです。
こういうのさえなければパソコンというのはほんとに便利なもので、わずか(2000年を自分なりの起点と考えると)15年程度でこんなに変わってしまったのだとびっくりするばかりです。
科学技術や科学論理的思考の成長・発展は"何倍"なんてものではなく"なん乗"という感じで進んでしまうのだなと思いました。
ソニーのXーアプリというのを取り込みましたが、これだと市販のCDがパソコンに取り込めてしまうためにCD劣化(酸化による)対策にもなるしすごいことですね。コピーもできるのかしらね。

こういった人類の"知恵"の進化にもかかわらず今朝の新聞の書評絶滅危惧種"人類"なることばが出てきていました。
地球には過去数回、多くの生命絶滅の機会がありました。
しかしバッター交代でその都度次の"王者"が現れる。
外的刺激によるのか、自ら引き起こした刺激によるのかどちらかはわかりませんが未来は暗そうです。
にもかかわらずみーんな贅沢し放題です。
必要のないものばかり造っている。
そのようにして高負担高ばらまきをしている。
一部は高負担・高軍備。
世界の主要宗教は人間のこういった習性を何千年も前にみーんな見抜いていたんですね。
やっかいな生命体ですね、人類は。
「この世でもっともおもしろいのは人間関係だ」なんてだれかが言ってましたが、とてもしらじらしいせりふに感じています。

2015年5月8日金曜日

所沢から葛飾の

スカイツリーもしくはお花茶屋の東邦酒場まで、川を下降する感じで歩いてみようという思いを捨て去りがたく、朝霞・志木・和光、東京都全図の地図を買いました。
川の土手の存在程度は地図の描き方でなんとなくはわかるのですが、はっきりと道になっているのか、支流との合流で橋なりによって渡れるのかはっきりとしないところが続出で、いきなりは実行できないなと感じました。
とりあえず何回か電車でコースの部分部分を偵察に行く必要があるのかなと感じました。
いつごろ実行か、あるいは中止になるか?
まあこういう夢もいいのかなと・・・。
それにしても地図をながめるのは楽しいもので山登りの2.5万図や5万図ばかりでなく、購入した昭文社の地図も眺めているだけで楽しいものです。
副産物も多々あり、柳瀬川は川越のあのどぶ川"新河岸川"より下位の河川であることがわかりました。柳瀬川は新河岸川と合流し、そのあとの名前は新河岸川になっていました。それが最終的には荒川につながる。
でも新河岸川よりは柳瀬川のほうがはるかきれいになっているので"おらが川"の自慢は続けたいと思います。
目の前に地図を広げているといつも歩いているコースの再確認や、新規にこんな組み合わせは?とか思い切ってここまで、とか夢は膨らむばかりです。
火野正平さんの自転車の旅はいまでも続いていると思いますが、自転車ですら速すぎると感じてしまう"歩く"旅もけっこういいものです。まず"通り過ぎてしまう"ということがほとんどない。
ばっちりとものを見ています。
強制的に風を浴びる感じの自転車と違い自然の風そのままです。


夕方いつものように柳瀬川回廊。
連休中とはうってかわっていつもの適度な愛好者とのすれ違い。
先だってのキャンプ地はあとかたもなくもとの河川敷・土手に戻っていました。
マナーの普及でしょうか全般的にきれいでした。
ごみを捨てる人は日常の中での行為のように思えました。
車の中はごみひとつないきれいな個室、ゴミはお外へポイ。
このレベルのひとたちなのでしょうか。
今に始まったことではなく昔からこういうのはいます。
4車線の分離帯はゴミだらけ。
やるひとはやはり特定のひとたちなのでしょうね。
どこへ行っても犯人は"同一"かもしれません。

我が家のもそうですがあちこちの植え込みの芍薬が咲き始めています。
ちいさめですがぼたんと比べてつつましやかでとても好きです。
土手の桑の木も実が赤くなり始めました、やがてどどめ色に。
熱いとはいいながらも夕方の涼しい風に心地よさこの上なしでした。

2015年5月6日水曜日

ロビンフッドが

どうしてしゃーウッドの森のロビンフッドになったかというややかちかちの映画を見ました。
ロビンフッドが伝説として存在している以上、なにがしかそのモデルになるようなあるいは民衆の"おもい"のモデルとなるようなひとが存在したのだとは思いますが、史実とどうマッチングしているのかあとで調べてみようと思います。
子供用の分厚い本を小学校の図書館で借りて夢中になっていたころを思い出しました。
南総里見八犬伝なんてのも夢中になっていたころです。
がむしゃらとまではいかないものの受験などなんにも関係ない時間にできたぜいたくだったと思います。

物置からオークションで落とした携帯MDプレーヤーを引っ張り出してきました。山で買ったもので一個100円もしなかったと思いますが動くかどうかはわかりません。
この手のものは分解できる技術は持っていないので、接点クリーニング程度しかできませんが動くものも少しはあると思います。特に生産終了、古いのが出てきてもほとんど使えないというガム電池でなくとも単三電池のアダプターの付いてるものはもうけもので、動いたらいいなと思います。
そして音楽と言うよりは、朗読や討論・講義・講演会みたいなものをダビングして車でつないで使ってようと思います。名画の音声だけ録音してもいいかなあと考えます。
MDの歴史はほんとに短くもはかなく燃え尽きてしまいました。
10年も存在したのでしょうか。
それだけ"携帯"性の追求のはげしかった時代です。
ソニーの副社長をした川越工業高校のなんとかというひとが開発したカセット・ウォークマンから始まってあっというまに今のiPodやウォークマン。
ちいさいくせにカセットテープ数千本分くらいの音が2万くらいのちいさく・軽すぎる機械の中に入ってしまいます。
音楽CDすらなくなってしまうのでしょうか。
ただしデジタルの"工夫"はあくまでも原音の"リニア"記録ではなく、圧縮・加工したもので"ほんもの"ではありません。私たちは"錯覚"でいい音だ、と聞いているだけにすぎません。
もっと厳密に言えば録音テープですら"加工"の回路が入っています。
ほんとにほんものはビクターのわんちゃんマークだったでしょうか、ラッパに向かって音を入れそのまま"ひっかき傷"として録音したものが"リニア"そのものといえます。
家一軒より、というとカメラのライカというのがこのことばの形容的使い方として一般ですが、さらにそれより高かった(商品名は忘れましたが)蓄音機を聴いたときそれを感じました。
ひっかき傷の雑音の向こうにある音は本物です。
これを聞かしてくれた友人のI君も今はどこにいるのかしらね。

お花の百花繚乱同様、道具・機械の多すぎ、ソフトの多すぎ、道楽の多すぎ。
結果として"体験"は貧弱化。
感性の衰退。
弱ったものだ。
このままぼけてしまうのだろうか。

本を読む行為、絵を見る行為、器を使って楽しむ行為・・・・・は"受動"の営みの中にあっても、"能動"の脳の働きを要求してくるので"ぼけ化"には逆行していると思います。

2015年5月4日月曜日

きょうは昼過ぎ

ゴールデンウィークだからとごろごろしていようかと思いましたが、突然思い出したように散歩に出発。
いつものように柳瀬川回廊から始まりました。
なんとあちこちで幕営真っ盛り。
たしか禁止していたはずだと・・・思いましたが、自分があの世代だったらと思うと責めずらいなとも感じました。
世の大半の子育て世代はアウトドアーなのかなと思います。
ただ自分らは山の中でテントを張るのが専門でこういった身近な河原で遊んだことがないのでやや違和感ありでした。
案の定テントからややはずれてではありますがカップ麺の器やペットボトル、ティッシューといったごみが多いとは言えませんがあちこちで散見できました。
ごみはゴミ箱ではなくて家に持ち帰ってくださいね。
それにしても去年と今年で川面を眺めていて気づいたことは、小魚の群れがまったく見えなくなってしまったということです。
釣りによってみんないなくなってしまったのでしょうか。
ただ゜し子供が魚釣りするのは、釣った後の生育管理は無視したとしても、昆虫採集同様子供の本能みたいな者で、いい年したおじさんが「命の議論」など持ち出してもどうにもならないことはわかってはいるのですがね。

暑いとはいいながらも風が強かったので汗だらだらという感じの歩行ではありませんでした。
関越道を越して右折し平林寺方向・志木街道を目指し、志木街道をいものように帰宅コースにとりました。
実はきょうのコースは、やたらと例の手焼きせんべいが食べたくなっていた、というのが理由で作り上げたコースでした。
夕方でしたがまだせんべいの生地は残っていて、厚手のものを10枚ほど買いました。
そしてるんるんで帰宅と相成ります。
志木街道は夕方のいつもの混雑は無く、しかも人間の歩く姿もほとんどなく「これがゴールデンウィークか?」と理解しました。
家の前の団地に入るとこの時期のさまざまな花が百花繚乱。
何から何までという感じ。
でもこういうのってありがたみが感じないんですね。
"爛熟"とは受け入れる側の知性の退化も促すものだとつくずく感じました。
なんにも無い中にぽつんと・・・。
こういうほうがいいな。
想像力も働く。

帰宅すると冷たい幅広乾麺がおいしかったです。