どうしてしゃーウッドの森のロビンフッドになったかというややかちかちの映画を見ました。
ロビンフッドが伝説として存在している以上、なにがしかそのモデルになるようなあるいは民衆の"おもい"のモデルとなるようなひとが存在したのだとは思いますが、史実とどうマッチングしているのかあとで調べてみようと思います。
子供用の分厚い本を小学校の図書館で借りて夢中になっていたころを思い出しました。
南総里見八犬伝なんてのも夢中になっていたころです。
がむしゃらとまではいかないものの受験などなんにも関係ない時間にできたぜいたくだったと思います。
物置からオークションで落とした携帯MDプレーヤーを引っ張り出してきました。山で買ったもので一個100円もしなかったと思いますが動くかどうかはわかりません。
この手のものは分解できる技術は持っていないので、接点クリーニング程度しかできませんが動くものも少しはあると思います。特に生産終了、古いのが出てきてもほとんど使えないというガム電池でなくとも単三電池のアダプターの付いてるものはもうけもので、動いたらいいなと思います。
そして音楽と言うよりは、朗読や討論・講義・講演会みたいなものをダビングして車でつないで使ってようと思います。名画の音声だけ録音してもいいかなあと考えます。
MDの歴史はほんとに短くもはかなく燃え尽きてしまいました。
10年も存在したのでしょうか。
それだけ"携帯"性の追求のはげしかった時代です。
ソニーの副社長をした川越工業高校のなんとかというひとが開発したカセット・ウォークマンから始まってあっというまに今のiPodやウォークマン。
ちいさいくせにカセットテープ数千本分くらいの音が2万くらいのちいさく・軽すぎる機械の中に入ってしまいます。
音楽CDすらなくなってしまうのでしょうか。
ただしデジタルの"工夫"はあくまでも原音の"リニア"記録ではなく、圧縮・加工したもので"ほんもの"ではありません。私たちは"錯覚"でいい音だ、と聞いているだけにすぎません。
もっと厳密に言えば録音テープですら"加工"の回路が入っています。
ほんとにほんものはビクターのわんちゃんマークだったでしょうか、ラッパに向かって音を入れそのまま"ひっかき傷"として録音したものが"リニア"そのものといえます。
家一軒より、というとカメラのライカというのがこのことばの形容的使い方として一般ですが、さらにそれより高かった(商品名は忘れましたが)蓄音機を聴いたときそれを感じました。
ひっかき傷の雑音の向こうにある音は本物です。
これを聞かしてくれた友人のI君も今はどこにいるのかしらね。
お花の百花繚乱同様、道具・機械の多すぎ、ソフトの多すぎ、道楽の多すぎ。
結果として"体験"は貧弱化。
感性の衰退。
弱ったものだ。
このままぼけてしまうのだろうか。
本を読む行為、絵を見る行為、器を使って楽しむ行為・・・・・は"受動"の営みの中にあっても、"能動"の脳の働きを要求してくるので"ぼけ化"には逆行していると思います。
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