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2015年5月11日月曜日

ほんとにきのうきょうと

パソコンがおかしいというかインターネットにつながりにくくなっています。
パソコン2台ともになのでパソコンが原因というわけではないと思うのですがいらいらしてしまいます。
きょうのお昼時はまったくだめ。
今2時ちょっと過ぎで、つながりました。

車の中でハムレットの朗読を聞いていますが何度聞いてもおもしろいのが゜オフィーリアのお父さんのボローニアスとハムレットの会話です。
当時のことばの発音は当然のことながら現代のものとは異なっていて、この録音のまったく"今風"の発音には問題があるかとは思うのですが、ことばのインタープレイのすごみはよく伝わってくるので楽しさこの上ありません。
現実の社会生活でこのようなことばのやりとりがあつたとはとても思えませんが、にたにたしながら脚本書きに三昧となっていたシェイクスピアのわくわく感は伝わってきます。

外は暑いけど家の中はすずしくていねむりには最高の陽気です。
でもいねむりというわけにもいくまい・・・というわけでこれから・・・。

いつものコースで少し歩数アップ。
柳瀬川回廊、英インター、新座野火止交差点、志木街道、いつものおせんべい屋さん、帰宅ということで21000歩。3時間強。
歩いているといろんなことを考えます。
きょうは過去出会ったひとたちを考えました。
つながっている人、切れた人。
つながっていようが切れようがすべて自分には栄養になっていて大切な資源であることに変わりははありません・・・こういう言い方はやや不遜かしらね、"資源"?・・・。
出会ったとはもちろん面識があるというのが一番基本にはなりますが、神様みたいにたてまつっているのは実際には合ったこともない(ありえない)ひとや瞬間とか数時間ご一緒しただけというひとが多く、実生活で"・・・先生"と呼んでいるひとは入っていません。
・・・先生と日常的に呼んでいる方たちは「・・・師匠」というよりは、なんなんでしょうね尊敬というよりは敬愛とか"大好き"とか・・・欠点まで含めて信頼しきっているかたたちです。
欠点のないひとはいません。
欠点まで愛してしまえるひとがぼくの"先生"です。
尊敬、ということばはむつかしすぎる。
尊敬しているのは湯川秀樹、猪熊弦一朗、渡邊耕三、御子柴公人、松下村塾のひとよりは最後の会津藩士たち・・・です。猪熊先生は吉田松陰になぞってもいいのですがね。
先生と呼んでいるひとたちはこれとはちょいと違うんですね。

根がだらしないせいか潔癖症のようで居てそうでない。
ある面では潔癖でも他の面ではだらしなさも許してしまう。
仕事は潔癖でなければなりませんが、実は完璧ということばをもってこられるとやや違和感を感じます。
食べ物屋なのでいいますが、"うまさ"はおもしろさでもあります。
これは手作りにしか実現できない強みでもあります。
完璧を"臨機応変に"少しずらしてやるところにほんとのうまさがあります。
制作のその都度に「"ずらし"のあそび」をすることです。
ずらすことは"完璧"を理解していないとできません。
楽器の演奏もそうかなと思います。
完璧のまんまがつまらない。
逸脱はあくまでも完璧の上に立った遊びであることを意識していなければなりません。
こういうのは畑の作物の栽培とはちょっと違うところにあるのかなと感じます。
農業と食品製造・加工業はちと相容れないところがあるのかなと思いますが、似ていないからこそプラスの刺激が生まれるものだとも考えます。

・・・・・。
まあ、こんなことをそこはかともなく考えながら3時間歩き続けました・・・いやいや、おせんべ屋さんで15分ほど一服してましたね。
家に近づく頃には右足がやや"つり"かかりました。
やはり自分にとって20000歩はひとつのちいさい壁のように思えます。
夜中につらなければいいのですが。

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