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2014年4月30日水曜日
大宮氷川神社参道一の鳥居
を通り越してふと振り返るとモナリザがこちらを見つめ・・・、というとおばさんの葬式の時の写真がモナリザそっくりでどの角度にいてもみつめられてにこっとされているような感じをそのときの挨拶に交えましたが、こんど言ってみようかなと思いました。大宮といえばせんだってのNHK新日本紀行で盆栽公園を特集していたのがとても気に入っていたのであのへんをぶらりぶらりとしてみたいものです。盆栽って、"継続"そのものの象徴です。軽薄な現代社会をしかっているようでとても気持ちよかった。
三春の近くの船引は"ふなひき"と発音したら"ふねひき"だよと福島のかたに直されましたがどっちがほんとなのかしら。
きょうは大好きな雨模様でしたのでのんびりできました。グリーンブラットもやっとこさルクレティウスのところにやってきました。主人公がこの本の写本を発見したときのおどろきは現代の自分たちとは比較にならないおおきなものがあったと思います。教会に真っ向から対立する内容です。しかも教会の発生はおろかイエス・キリスト誕生以前にかような見解をもちえたということはやはり安易に使ってはいけない"天才"ということばを使ってしか表せない人物であったということが感じ取れます。今もってしてもすごいなとびっくりしてしまいました。
本に取り囲まれ本をさわっている、しかもかび臭い本を、ことに幸せを感じる還暦間近のおっさんもきょうはさらなる感動の一冊(コーテックスでもない"巻"でもない)、折りたたみ式のブリヂストン『サイクリングマップ 中部・北陸編』、が出てきてうれしくなりました。書き込みのしてある地図です。発行年が書かれていませんが18-22,3歳のころかと思われます。『ああ、野麦峠』をやっていたころで飛騨高山から美女峠、乗鞍南麓の開田高原経由のまむしうろうろの砂利道サイクリングで野麦峠、信州松本へ抜けたコースの書き込みをみて、よくやったもんだよと感心してしまいました。能登半島行きにしても書き込みはもっぱらアップダウンの激しいコースでひいひいいっていたことがらばかり記入されていました。還暦記念にと・・・、とも考えたのですがやはり無理かな。今はひたすら創業150年に向けてある程度のかっこうをつけてやることが目標です。カネはすっからかんになってしまった。意欲は増幅するばかり。どうしたらいいんだろうかね。景気は悪いし苦難の道が・・・。
E.V.Lucasの"Roving East and Roving West"が届く。Stella Books という英国の「顕著な顧客サービスを示した零細(このことばはよくない)企業」賞を獲得した古書店からのもので、ささいなこととはいえ紙質の悪い本文用紙に布張りハードバックというフル革装でも3/4革装でもない安物本をていねいに梱包しビニールのブックカバーまでつけてくれて送ってくれました。(もと)大国とはそれなりに汚い部分を背景にもっているものですが、大きな犠牲の上になしとげた文化、出版文化はそれでもおおきな財産を人類に残してくれているものだと思うとやはりこれはこれで評価しなければならないものだと思います。ただしその成果をなしとげたのは人類全体の功績と考え・・・きのうもいったように文化とはこういうものなのだとわりきるしかないのかなと思います。かつては王様が食っていた者を平気でみんな食っている。王宮でしか聞けなかった音楽を歩きながらみんな聞いている。
さてこの本は中の題字の向かいのページにふたりの男が部屋から富士を眺めている北斎の版画背をのせていてなんかうれしくなってしまいました。
筆者がインド、日本、アメリカと旅行したときの紀行文です。
表拍子の裏にはPrizeと書かれてあり、女子高校の校長から生徒への"よくがんばったね"のごほうびでおくられた旨が手書き・シールされています。この手の古書は結構多くてこういうものが張られていると値段は若干安くなりますが、買う方としてみるとこういうのが結構おもしろいのです。
2014年4月29日火曜日
小保方さんに続いて
ついにきょうは山中教授まで写真のことで問題になっていた。
きのう写真のことを書いたばっかしだったので、"やはり"かと思った。
ただし中身の問題つまり本質そのものの問題ではなく、"受けねらい"、"見栄え"のために写真を修整したようである。この学会ばかりでなく、あらゆる分野で写真の"修正"は行われているようだ。
コントラストとか切り取りのような単純なことならしかたないんだろうが、合成のようなことは困った問題だと思う。写真がかならずしも"証拠"としてますます信用できなくなる時代になったのだろう。映像って文章と同様なんでも作れてしまう領域なのだろうか。しかも写真や映像にはみんなすぐに信じ込まされてしまうものだ。
写真や映像に芸術性を認める、ということは現代では当たり前のこととしてとらえられていることだがこれはいいかえると、写真や映像に抽象性が表現できる・・・表現と言うこと自体がもう芸術の域に一歩踏み込んでいる・・・ということである。猪熊先生流に言えば、「具象とか抽象とかの見かけ上の分類ではなく大切なのは"抽象性"だ」ということだ。
再生細胞の写真に抽象性が必要なのだろうか。
戦場の写真ですら一瞬を切り取った一枚も場合によってはとんでもない、作者の意図したことと反対の意味にとらえられることもある。
芸術ならば作者の意図とは関係なく、その抽象性の解釈は一人歩きしていくことは許されることだ。
写真の芸術性っていったいなんなのだろう。
"事実の証拠"という役割を写真に負わせることはもはや無理なのだろうか。
事実はそれに直面した人にしかわからない。それを他者に伝えることが・・・もはや無理ということなのだろうか。
きのう写真のことを書いたばっかしだったので、"やはり"かと思った。
ただし中身の問題つまり本質そのものの問題ではなく、"受けねらい"、"見栄え"のために写真を修整したようである。この学会ばかりでなく、あらゆる分野で写真の"修正"は行われているようだ。
コントラストとか切り取りのような単純なことならしかたないんだろうが、合成のようなことは困った問題だと思う。写真がかならずしも"証拠"としてますます信用できなくなる時代になったのだろう。映像って文章と同様なんでも作れてしまう領域なのだろうか。しかも写真や映像にはみんなすぐに信じ込まされてしまうものだ。
写真や映像に芸術性を認める、ということは現代では当たり前のこととしてとらえられていることだがこれはいいかえると、写真や映像に抽象性が表現できる・・・表現と言うこと自体がもう芸術の域に一歩踏み込んでいる・・・ということである。猪熊先生流に言えば、「具象とか抽象とかの見かけ上の分類ではなく大切なのは"抽象性"だ」ということだ。
再生細胞の写真に抽象性が必要なのだろうか。
戦場の写真ですら一瞬を切り取った一枚も場合によってはとんでもない、作者の意図したことと反対の意味にとらえられることもある。
芸術ならば作者の意図とは関係なく、その抽象性の解釈は一人歩きしていくことは許されることだ。
写真の芸術性っていったいなんなのだろう。
"事実の証拠"という役割を写真に負わせることはもはや無理なのだろうか。
事実はそれに直面した人にしかわからない。それを他者に伝えることが・・・もはや無理ということなのだろうか。
2014年4月28日月曜日
きのう知り合いから
今年初ののびろをもらう。どこでとってきたのだろうか。我が家のはまだ増やすことに専念したいので消費せず。株分けしようと思う。
小保方さんの事件にまつわり関係研究員が別件で"切り貼り"の疑いが出て、調査委員を辞退するとかの報道があったけれど、写真というものがパソコン上で簡単に変形・変更・合成ができるようになったことを考えれば当然の成り行きなのだろうか。最終的には発表・提供するひとの職業的良心・義務感にたよるしかないことがらなのだろうがノルマだとか収入だとか名誉欲が目の前にぶらさがるとこういうことになってしまうのだろうか。
刑事事件ではこんなパソコン操作の以前から合成写真云々の可能性からすぐに100パーセントの証拠にはしない習慣があったと思うのだけれど、それとて普通の人にはできる芸当ではなかった。
便利さがひとの"良心"を汚染してしまっている時代なのだろう。
問屋さんの話によればインドでも商社が大豆栽培をしかけようとしているが、社会資本(つまり鉄道・道路)の未熟さゆえになかなかうまくいかない、とのことだった。赤道近くの高温地帯で収穫されても移動に時間がかかりすぎると大豆はすぐに味・力が劣化してしまう。力とは粘りとか凝固時の凝固反応に対する誤差の幅の大きさ(つまり許容力ということである)を意味する。
祖父の残した昭和15年の地図をみると朝鮮半島・満州・樺太には相当数・距離の鉄道がしかれている。国内を見ても全国のかなりの部分が鉄道でつながっている。
パックスブリタニカが16世紀以降アジアを侵略して、置きみやげしていった文化遺産てなんだったのだろうか。教会だけか。教会の使命としてアジアを文明侵略したのか。侵略の口実を宗教にもとめたのだろうか。
今、1700年代1800年代のイギリスの物書きたちの書いたものを読んでいると、こうした"自信"の背景にある搾取されてきたひとたちの涙を思わないわけにはいかない。
文化という者はおおむね・すべて底辺の搾取の上に築きあげられたもので、これは共産主義といえども同じことだ。文化とは高貴なものだ。そもそも平民・賤民が手にすることができなかったものが、じわじわと下に下がってきて自分らはそれをただ同然で享受している。自分が今こうして楽しんでいる事柄・サービスはみんな昔のひとたち・遠くのひとたちの犠牲の上になりたっているものだ。絵・本・食べ物・車・電気・・・・・、こういったものの"所有"が、つまりあまねくこういった冨の恩恵に浴せる社会というものはいずれたちゆかなくなる。上から下までという言葉が意味をなさない平準化した社会とはつまりこの世の終わりになるときだと思う。
つまり格差によって人類は平穏を保ち、あるいはその格差によって平穏をゆさぶられしながら道を歩んできた。
すみからすみまで豊か(というよりも、食うにこまらないといったほうがいいだろうか)な世界とは・・・?
といってもその前に一悶着あってやはり、格差によって社会や国家間はバランスを保っていくのだろう。
りこうなひとはこれを具にしてひともうけ。清い人はぶつぶついいながら霞を食って生きていける。おおかたはおおきな波にのまれるのにまかせてその日・その場ぐらし。
ひとは孤島では居続けられないものだ。
なるようにしかならないのだろう。
戦前はあちこちで繊維工場がありそれらはおおきな繁栄を示していた。
富岡製糸場が世界遺産に認定されたが、戦前の織り屋さんから一気に没落してしまったという家系のひともたくさんいて、思いは複雑だと思う。
織機を作っていたトヨタは織り屋さんそのものでなかったことがその後の発展につながったと見られるがおおきな努力と鋭く未来を見ていたものと思われる。
これから先、日本はどういう"ものつくり像"を描いて努力していくのだろうか。
小保方さんの事件にまつわり関係研究員が別件で"切り貼り"の疑いが出て、調査委員を辞退するとかの報道があったけれど、写真というものがパソコン上で簡単に変形・変更・合成ができるようになったことを考えれば当然の成り行きなのだろうか。最終的には発表・提供するひとの職業的良心・義務感にたよるしかないことがらなのだろうがノルマだとか収入だとか名誉欲が目の前にぶらさがるとこういうことになってしまうのだろうか。
刑事事件ではこんなパソコン操作の以前から合成写真云々の可能性からすぐに100パーセントの証拠にはしない習慣があったと思うのだけれど、それとて普通の人にはできる芸当ではなかった。
便利さがひとの"良心"を汚染してしまっている時代なのだろう。
問屋さんの話によればインドでも商社が大豆栽培をしかけようとしているが、社会資本(つまり鉄道・道路)の未熟さゆえになかなかうまくいかない、とのことだった。赤道近くの高温地帯で収穫されても移動に時間がかかりすぎると大豆はすぐに味・力が劣化してしまう。力とは粘りとか凝固時の凝固反応に対する誤差の幅の大きさ(つまり許容力ということである)を意味する。
祖父の残した昭和15年の地図をみると朝鮮半島・満州・樺太には相当数・距離の鉄道がしかれている。国内を見ても全国のかなりの部分が鉄道でつながっている。
パックスブリタニカが16世紀以降アジアを侵略して、置きみやげしていった文化遺産てなんだったのだろうか。教会だけか。教会の使命としてアジアを文明侵略したのか。侵略の口実を宗教にもとめたのだろうか。
今、1700年代1800年代のイギリスの物書きたちの書いたものを読んでいると、こうした"自信"の背景にある搾取されてきたひとたちの涙を思わないわけにはいかない。
文化という者はおおむね・すべて底辺の搾取の上に築きあげられたもので、これは共産主義といえども同じことだ。文化とは高貴なものだ。そもそも平民・賤民が手にすることができなかったものが、じわじわと下に下がってきて自分らはそれをただ同然で享受している。自分が今こうして楽しんでいる事柄・サービスはみんな昔のひとたち・遠くのひとたちの犠牲の上になりたっているものだ。絵・本・食べ物・車・電気・・・・・、こういったものの"所有"が、つまりあまねくこういった冨の恩恵に浴せる社会というものはいずれたちゆかなくなる。上から下までという言葉が意味をなさない平準化した社会とはつまりこの世の終わりになるときだと思う。
つまり格差によって人類は平穏を保ち、あるいはその格差によって平穏をゆさぶられしながら道を歩んできた。
すみからすみまで豊か(というよりも、食うにこまらないといったほうがいいだろうか)な世界とは・・・?
といってもその前に一悶着あってやはり、格差によって社会や国家間はバランスを保っていくのだろう。
りこうなひとはこれを具にしてひともうけ。清い人はぶつぶついいながら霞を食って生きていける。おおかたはおおきな波にのまれるのにまかせてその日・その場ぐらし。
ひとは孤島では居続けられないものだ。
なるようにしかならないのだろう。
戦前はあちこちで繊維工場がありそれらはおおきな繁栄を示していた。
富岡製糸場が世界遺産に認定されたが、戦前の織り屋さんから一気に没落してしまったという家系のひともたくさんいて、思いは複雑だと思う。
織機を作っていたトヨタは織り屋さんそのものでなかったことがその後の発展につながったと見られるがおおきな努力と鋭く未来を見ていたものと思われる。
これから先、日本はどういう"ものつくり像"を描いて努力していくのだろうか。
2014年4月25日金曜日
あとからあとから
用事がでてきてなにもできなかったけどさわやかな空気でいらいらもせず気持ちよい一日だった。
本業のほうのホームページもあれやこれやいじっていてわからなかった階層化(下位にページをふやしていく方法)がやっとわかった。これでページか゜ふやせそうだ。入り口に関しては増やすべきでないと最初に制作してくれたKさんが言っていたので農場だけくっつけてあとひとつくらいにしておこうかなと思う。
ヤフオクで買ってあったAurexつまり東芝かな山洋かなのダイレクトドライヴのプレーヤーを空回り検査している。ストロボに軽くゆれがみられるがほぼ安定しているもよう。アームベースごと取り替えられるタイプで高級機を意図したものと思える。ヤフオクで5000円くらいしたろうか、3年くらい前。カートリッジはたくさんあるのでいろいろ使える。今はカンチレバーがしっかりしていれば針だけ(つまりダイヤモンドのの石の部分のこと)取り替えてくれる会社(といってもそもそも針をつくっていた会社だが)があるので安心だ。また、ヤフオクに出てくるカートリッジもまだまだ使える針先状態のものがあるのでレコード遊び自体現役の遊びだといえる。単なる回顧趣味ではない。
ちいさい文字を読むのに虫眼鏡を使うことが多くなった。
それにしてもやはり紙の本はことをほっとさせるものがある。
一度以上読んだことのある本に囲まれ見守られているのはこころ落ち着くものだ。
本業のほうのホームページもあれやこれやいじっていてわからなかった階層化(下位にページをふやしていく方法)がやっとわかった。これでページか゜ふやせそうだ。入り口に関しては増やすべきでないと最初に制作してくれたKさんが言っていたので農場だけくっつけてあとひとつくらいにしておこうかなと思う。
ヤフオクで買ってあったAurexつまり東芝かな山洋かなのダイレクトドライヴのプレーヤーを空回り検査している。ストロボに軽くゆれがみられるがほぼ安定しているもよう。アームベースごと取り替えられるタイプで高級機を意図したものと思える。ヤフオクで5000円くらいしたろうか、3年くらい前。カートリッジはたくさんあるのでいろいろ使える。今はカンチレバーがしっかりしていれば針だけ(つまりダイヤモンドのの石の部分のこと)取り替えてくれる会社(といってもそもそも針をつくっていた会社だが)があるので安心だ。また、ヤフオクに出てくるカートリッジもまだまだ使える針先状態のものがあるのでレコード遊び自体現役の遊びだといえる。単なる回顧趣味ではない。
ちいさい文字を読むのに虫眼鏡を使うことが多くなった。
それにしてもやはり紙の本はことをほっとさせるものがある。
一度以上読んだことのある本に囲まれ見守られているのはこころ落ち着くものだ。
2014年4月24日木曜日
赤いのに続き
ピンクと白い牡丹もつぼみがぷっくら。
ネットで買った"ほんさかき(榊)"3株は半日陰ですくすく・・とまてはいかないけれど元気に新芽を出している。そばのおいなりさんは父が買ってきたプラスチックの榊が挿してあったが本物と取り替えてやる。
お花屋さんでみかける榊と違って葉っぱがびっしりと詰まって無く隙間がたっぷりとあいているので「にせものかな?」とも思ったのだが、式年遷宮のお伊勢さんの番組を観ていてでてきた榊をみるとウチのと同じ感じだった。ということはお花屋さんのはにせものだろうか。
相も変わらずおから撒きだがこのごろはハトの集団(30匹前後)がすぐに・・・へたすると撒いてるすぐそばに着陸しておからをついばんでいる。
撒きおわるとすぐに家に帰りトラクターに乗り換えて畑に直行するのだが撒いたところはハトがびっしり。急いでかき混ぜてやってそこを離れるとすぐにハトはやってきて土混じりのおからをついばんでいる。こりゃまいったな。近所の家からクレームがこないかな。畑を屋根の上からのぞき込んでえさがやってくるのを待っているのだが屋根の上下は糞だらけかも。
片付け。
昭和60年、足立区の父の同級生から父へ暑中見舞い。
毛塚さんというが面識はないが名前は知っている。今どうしているのだろうか。
文の末尾に
菩提寺のぼだいのはなを見仰ぐれど
かほりに酔いていまだひらけず
毛塚さんありがとう。
仏壇に供えた。
昭和15年発行、『新正 鐵道旅行図(旧字体のずが出てこないよ)』 ¥0.2 東京 三芳屋発売
細長の折りたたみの携帯鐵道地図である。満州・・・旅順とか奉天とか・・・、樺太・・大泊、豊原・・・とか歴史上の地名が。西武池袋線は"武蔵野鐵道"、西武新宿線は"西武電鐵"池袋と椎名町の間には"上り屋敷"、保谷と東久留米の間には田無町、飯能の先には天覧山という駅が飯能からスイッチバックでなくまっすぐ延長されている。西武園駅は村山貯水池となっている。堤防の下には皇宮警察の職員の家があったという。・・・。
京浜東北はなく東北本線のみ。川口の次は蕨、その次は浦和、続いて北浦和、與野、大宮となっている。
昭和15年なので父が使ったとは思えず祖父が使ったものと思われる。お伊勢さんと三陸の松島の絵はがき等が残っているのでそのときに使ったものだろう。
これも仏壇に供えた。
ネットで買った"ほんさかき(榊)"3株は半日陰ですくすく・・とまてはいかないけれど元気に新芽を出している。そばのおいなりさんは父が買ってきたプラスチックの榊が挿してあったが本物と取り替えてやる。
お花屋さんでみかける榊と違って葉っぱがびっしりと詰まって無く隙間がたっぷりとあいているので「にせものかな?」とも思ったのだが、式年遷宮のお伊勢さんの番組を観ていてでてきた榊をみるとウチのと同じ感じだった。ということはお花屋さんのはにせものだろうか。
相も変わらずおから撒きだがこのごろはハトの集団(30匹前後)がすぐに・・・へたすると撒いてるすぐそばに着陸しておからをついばんでいる。
撒きおわるとすぐに家に帰りトラクターに乗り換えて畑に直行するのだが撒いたところはハトがびっしり。急いでかき混ぜてやってそこを離れるとすぐにハトはやってきて土混じりのおからをついばんでいる。こりゃまいったな。近所の家からクレームがこないかな。畑を屋根の上からのぞき込んでえさがやってくるのを待っているのだが屋根の上下は糞だらけかも。
片付け。
昭和60年、足立区の父の同級生から父へ暑中見舞い。
毛塚さんというが面識はないが名前は知っている。今どうしているのだろうか。
文の末尾に
菩提寺のぼだいのはなを見仰ぐれど
かほりに酔いていまだひらけず
毛塚さんありがとう。
仏壇に供えた。
昭和15年発行、『新正 鐵道旅行図(旧字体のずが出てこないよ)』 ¥0.2 東京 三芳屋発売
細長の折りたたみの携帯鐵道地図である。満州・・・旅順とか奉天とか・・・、樺太・・大泊、豊原・・・とか歴史上の地名が。西武池袋線は"武蔵野鐵道"、西武新宿線は"西武電鐵"池袋と椎名町の間には"上り屋敷"、保谷と東久留米の間には田無町、飯能の先には天覧山という駅が飯能からスイッチバックでなくまっすぐ延長されている。西武園駅は村山貯水池となっている。堤防の下には皇宮警察の職員の家があったという。・・・。
京浜東北はなく東北本線のみ。川口の次は蕨、その次は浦和、続いて北浦和、與野、大宮となっている。
昭和15年なので父が使ったとは思えず祖父が使ったものと思われる。お伊勢さんと三陸の松島の絵はがき等が残っているのでそのときに使ったものだろう。
これも仏壇に供えた。
2014年4月23日水曜日
ちょっと贅沢だが
昼過ぎずーっとごろごろしていた。
ほんに気持ちのいい4月の五月晴れもどき。
こういう日は外に出て・・・というのが常識なのだろうが、こういうのんびりタイムもいいもんだ。
スズラン咲く。
ぼたんも一部咲く。
なにもしない午後・・・充実した半日でした。
無が有となる。
パートさんが三春の桜見物のおみやげにとゆべしを買ってきてくれた。ふつうよくもらうのがくるみのもちで長野でもあったような気がする。三春のはテトラポットならぬトリポットといった、たぶんあんを包むとき指でつまんで自然にできたスタイルなのだと思う。おいしかったのたで通販で取り寄せてみようとおもう。ゆずを使ってないのになんでゆべしなのかしらね。
柚餅子というと茶事などで出てくるのは北陸のゆず釜の保存食タイプの伝統食品で非常にコストのかかった高級珍味で、"気軽"などとはとてもいえない高貴な食べ物に感じたことがあるが、どちらも歴史はとても古いみたいだ。ウィキペディアでみると備前にも別のがあるようだ。
三春といえば近隣の船引という駅起点の山行を計画したことがあり実現しなかったとはていうもののなつかしく思った。それに武澤先生の設計になる文化会館だったか市庁舎も思い出した。
ただ有名になりぎた観光地というものはひとひとひとでいっぱいで自分が見学・撮影に行くことは絶対にありえないだろう。右前方の書棚にある『脱百名山登山学』や『藪岩魂』がこちらをみてにたっとしている。『晴れたら山へ』も物置から掘り出してきたよ。
あしたは青山在来をやる。
ほんに気持ちのいい4月の五月晴れもどき。
こういう日は外に出て・・・というのが常識なのだろうが、こういうのんびりタイムもいいもんだ。
スズラン咲く。
ぼたんも一部咲く。
なにもしない午後・・・充実した半日でした。
無が有となる。
パートさんが三春の桜見物のおみやげにとゆべしを買ってきてくれた。ふつうよくもらうのがくるみのもちで長野でもあったような気がする。三春のはテトラポットならぬトリポットといった、たぶんあんを包むとき指でつまんで自然にできたスタイルなのだと思う。おいしかったのたで通販で取り寄せてみようとおもう。ゆずを使ってないのになんでゆべしなのかしらね。
柚餅子というと茶事などで出てくるのは北陸のゆず釜の保存食タイプの伝統食品で非常にコストのかかった高級珍味で、"気軽"などとはとてもいえない高貴な食べ物に感じたことがあるが、どちらも歴史はとても古いみたいだ。ウィキペディアでみると備前にも別のがあるようだ。
三春といえば近隣の船引という駅起点の山行を計画したことがあり実現しなかったとはていうもののなつかしく思った。それに武澤先生の設計になる文化会館だったか市庁舎も思い出した。
ただ有名になりぎた観光地というものはひとひとひとでいっぱいで自分が見学・撮影に行くことは絶対にありえないだろう。右前方の書棚にある『脱百名山登山学』や『藪岩魂』がこちらをみてにたっとしている。『晴れたら山へ』も物置から掘り出してきたよ。
あしたは青山在来をやる。
2014年4月21日月曜日
"棚"に関心があったので
リサイクルショップを覗く。こういうところに入るのは初めてだが結構楽しかった。
家具置き場ではかなりきれいなものが多く、しかも値段もかなり安くて、なにか欲しくなったらまずこういうところで見つけてみたらと思った。
極端に安い棚やラックは合板であることはいわずとしれたところだが、しっかり具合は十分だろう。ただ経年変化で表面板がはがれたりはするのだろうがそんなにいつまでもというのならこれで十分だろう。
無垢材のものはそれなりに高いが家具屋さんなら10万くらいするものが2-3万くらいでしかもかすかな使用感程度なのでお買い得だろう。
ところでお店の駐車場から出て大通りに出るところに「家具工房、手作り家具教室・・・」というのがあった。軒先に無垢板が置いてあり、乾燥させているのかなと思ったが、合板でない木工職人が健在だなとほっとした。
何から何まで家具は合板三昧となっている昨今、こういった木工職人は生きるすべを失ってしまうわけで、そうすれば職人の数減少、技術レベル低下、知らない間にただ稀少であるということだけで、"職人"を通り越して"芸術家"きどりの木工屋さんがはびこってくる。陶芸の世界でもそうで、芸術家先生乱造の世の中だ。裏を返せば"職人"をバカにしている気持ちがあるのだろう。
大工さんの数が増えることを望む。そのためには家は木造で、まちの大工さんに頼むのがただしいと思う。これは"ただしい"といいたい。
というわけでお金があったらいい家具を買わなければならない。
こういうおしゃれは価値がある。
家具置き場ではかなりきれいなものが多く、しかも値段もかなり安くて、なにか欲しくなったらまずこういうところで見つけてみたらと思った。
極端に安い棚やラックは合板であることはいわずとしれたところだが、しっかり具合は十分だろう。ただ経年変化で表面板がはがれたりはするのだろうがそんなにいつまでもというのならこれで十分だろう。
無垢材のものはそれなりに高いが家具屋さんなら10万くらいするものが2-3万くらいでしかもかすかな使用感程度なのでお買い得だろう。
ところでお店の駐車場から出て大通りに出るところに「家具工房、手作り家具教室・・・」というのがあった。軒先に無垢板が置いてあり、乾燥させているのかなと思ったが、合板でない木工職人が健在だなとほっとした。
何から何まで家具は合板三昧となっている昨今、こういった木工職人は生きるすべを失ってしまうわけで、そうすれば職人の数減少、技術レベル低下、知らない間にただ稀少であるということだけで、"職人"を通り越して"芸術家"きどりの木工屋さんがはびこってくる。陶芸の世界でもそうで、芸術家先生乱造の世の中だ。裏を返せば"職人"をバカにしている気持ちがあるのだろう。
大工さんの数が増えることを望む。そのためには家は木造で、まちの大工さんに頼むのがただしいと思う。これは"ただしい"といいたい。
というわけでお金があったらいい家具を買わなければならない。
こういうおしゃれは価値がある。
2014年4月20日日曜日
お昼時
横になって『夢千代日記』をみていると、こっくりこっくりと寝たり覚めたりが十回以上、最近では珍しいことであった。夜よく寝られるせいか昼過ぎ横になっても居眠りはほとんどしない。こっくりこくりこっくりのなんと心地よいことか。
片付けをやっているとトラクターの領収証が出てきた。136万円だった。16年前。たぶん一番最小の機械だと思う。今だと200万前後するのだろうか。この機械に去年50万のオーバーホールを施したのだが(おととしの20万もいれると70万か?)、こりゃあと2,3年使えればいいやじゃすまなくなってしまった。もっとも愛着分の料金を入れればしかたなすか。後ろのドラムがやや変な音がしたりするが少し変形してひっかかっているのかな、くせみたいだ。
トラクターは昔のものはきわめて頑丈でおおむね20年以上は使えるものだというが、現行の新しいものはそれでは商売にならんということでもっとはやくだめになってしまうそうである。いつだったか親戚の部品屋さんが、ロボットなどを作っているメーカーから・・・年でこわれるようにモーターの軸を作ってくれとたのまれたといって笑っていたがほんとうにこういったことって日本でも起こっていることなのだろうか?
きのう物置でほこりだらけのソニーのドデカホーンといラジカセに電気を流してやるといい音を出してくれた、FMで。もちろんCDやカセット部分はゴムの劣化(伸び、あるいは融化)でだめだと思うがFMラジオはほんとにいい音していた。ただしコンデンサーは劣化していると思うので使っていると煙が出る可能性はある
、寝ながらはだめで起きていなければならない。中3、と書いたカセットも出てきた。中身がなんなのかはわからないが、おそらく今焼いて作っているCDなどよりはよっぽど耐久性があるのではないかと思う。CDやDVDは確かに精密化もしれないが酸化による読み取りエラーがおおきくなったりするとどうにもならないものだと思う。つまりおおざっぱな磁気記録のほうがはるかに別の意味で正確だということになる。一生(といってもあと何年あるんだろうか)かかっても聞けないほどの磁気録音やレコードがあるが、うれしいといったらいいのか困ったなといったらいいのか。テープは自分で撮ったものなので思い入れ・価値は録音者固有のものだけれど。
片付けをやっているとトラクターの領収証が出てきた。136万円だった。16年前。たぶん一番最小の機械だと思う。今だと200万前後するのだろうか。この機械に去年50万のオーバーホールを施したのだが(おととしの20万もいれると70万か?)、こりゃあと2,3年使えればいいやじゃすまなくなってしまった。もっとも愛着分の料金を入れればしかたなすか。後ろのドラムがやや変な音がしたりするが少し変形してひっかかっているのかな、くせみたいだ。
トラクターは昔のものはきわめて頑丈でおおむね20年以上は使えるものだというが、現行の新しいものはそれでは商売にならんということでもっとはやくだめになってしまうそうである。いつだったか親戚の部品屋さんが、ロボットなどを作っているメーカーから・・・年でこわれるようにモーターの軸を作ってくれとたのまれたといって笑っていたがほんとうにこういったことって日本でも起こっていることなのだろうか?
きのう物置でほこりだらけのソニーのドデカホーンといラジカセに電気を流してやるといい音を出してくれた、FMで。もちろんCDやカセット部分はゴムの劣化(伸び、あるいは融化)でだめだと思うがFMラジオはほんとにいい音していた。ただしコンデンサーは劣化していると思うので使っていると煙が出る可能性はある
、寝ながらはだめで起きていなければならない。中3、と書いたカセットも出てきた。中身がなんなのかはわからないが、おそらく今焼いて作っているCDなどよりはよっぽど耐久性があるのではないかと思う。CDやDVDは確かに精密化もしれないが酸化による読み取りエラーがおおきくなったりするとどうにもならないものだと思う。つまりおおざっぱな磁気記録のほうがはるかに別の意味で正確だということになる。一生(といってもあと何年あるんだろうか)かかっても聞けないほどの磁気録音やレコードがあるが、うれしいといったらいいのか困ったなといったらいいのか。テープは自分で撮ったものなので思い入れ・価値は録音者固有のものだけれど。
2014年4月19日土曜日
きのうスチール棚を
検索していて結局は近所のホームセンターでパイプ棚を買った訳だけれども、一晩あけてパソコンを使い出すと右のコマーシャルスペースにはDinosという会社のコマーシャルが入っている。なんの権利があってこういううっとうしいコマーシャルが入ってくるのかわからないが、何かものを検索しただけでこのひとは何々に感心があるというデータが蓄積されてそれがコマーシャルになってあらわれるというわけのようだ。コマーシャルもりこうになったものだが、しかし検索自体に料金がかかってるわけではないのでどうしようもないという所だろうか。こういったデータはかなり精密さを増していくものと思われ、いずれは自分の趣向ばかりでなく性格・動き回る範囲・交際範囲・・・とかたっぱしからその"傾向"が第三者に把握されてしまう時代が来、しかもそれに関連したエサで詐欺事件等も巧妙化・頻繁化するものと思われる。
便利なものはひとをバカにするばかりでなく、日々時々警戒しなければならないという不便な時代を作り上げていくのであろう。
60億総白痴化時代到来。
地球上ことごとく平準化していく。
金銭ばかりでなく、感覚、宗教観等々。
これって幸せなのだろうか。
赤い牡丹のつぼみがいまにも開きそうだ。
高山植物や野草専門のひとにとっても牡丹は魅力的ではないかと思う。
いかにも"人工"の世界の花のようだけど何かひきつけるものがある。芍薬、桜、海棠もそうだけど。
気温が上がり続けてくると大豆たちはもう新まめ状態からは離れてゆく。
劣化に応じてそれなりの微妙な異なりを示すが、それを味の多様性とみるか単なる劣化とみるか、考え方次第だけれど手前味噌かもとしれないが"多様性"ということにしておこう。
たけのこももうすぐ。
三重県のたぶん在来のらっきょうは6月頃だろうか。
にんにくもある。
やまいもは去年植えたものがことしにも・・・というわけにはいかないだろう。
のびろは株(球根)を分けるだけにして食べるのはやめよう。
ゆすらうめはまだ緑だがちいさい実をたくさん付けている。
便利なものはひとをバカにするばかりでなく、日々時々警戒しなければならないという不便な時代を作り上げていくのであろう。
60億総白痴化時代到来。
地球上ことごとく平準化していく。
金銭ばかりでなく、感覚、宗教観等々。
これって幸せなのだろうか。
赤い牡丹のつぼみがいまにも開きそうだ。
高山植物や野草専門のひとにとっても牡丹は魅力的ではないかと思う。
いかにも"人工"の世界の花のようだけど何かひきつけるものがある。芍薬、桜、海棠もそうだけど。
気温が上がり続けてくると大豆たちはもう新まめ状態からは離れてゆく。
劣化に応じてそれなりの微妙な異なりを示すが、それを味の多様性とみるか単なる劣化とみるか、考え方次第だけれど手前味噌かもとしれないが"多様性"ということにしておこう。
たけのこももうすぐ。
三重県のたぶん在来のらっきょうは6月頃だろうか。
にんにくもある。
やまいもは去年植えたものがことしにも・・・というわけにはいかないだろう。
のびろは株(球根)を分けるだけにして食べるのはやめよう。
ゆすらうめはまだ緑だがちいさい実をたくさん付けている。
2014年4月18日金曜日
こういう雨の日って
好きです。
仕事が終わるとずーっと片付け。
カイガラ虫もほとんどいなくなってしまったのでややものたりない日々が続きましたがこうなるとひたすら片付け三昧。
親の葬式をやったあとはだれにもこういう時期があるはず・・・だが、こちとらのはそれを超えて何から何までの片付け屋になってしまった。
パイプの組み立て式の棚をフリー組み合わせ(割高だが)で、しかもがっちりタイプの太いほうをかってきて組み立て。納戸の中に書棚誕生。パソコンの脇は辞書ともっとも読み返したいものを陳列。中には受験参考書や高校の書き込みだらけの英語読本まである、かびくさい。
The Crown Readers Book2(第3版)、岩波古語辞典、御子柴先生の『大豆のつくり方』、打田さんの『藪岩魂(やぶいわたましい)』、石井光造『脱百名山登山学』、中野好夫『英文学夜ばなし』、横山雄策『シェークスピア研究』、猪熊先生の『私の履歴書』、坂崎先生の『絵画への視線』、保田輿重郎『わが万葉集』、柳沢保正『クラシックカメラと遊ぶ』、『新々英文解釈研究』、『太田裕美白書』、ゴルゴ13が2冊、上條さなえ『なきむしなこいぬ』、de CarleのPractical Watch Repairing、ラスキンのエッセイ集といった自分にとっての豪華版だがキーボードをたたいている自分を見下ろしている(みくだしている、ではない)気配にこちとらは元気をもらっている。あるだけで安心する。読まなくてもいい。
村上春樹がビートルズ『イエスダディ』を関西弁で訳したものを付した小説を雑誌に載せ、その後単行本出版したさいには削除したという新聞記事があった。著作権に関わる方から意見されたと言うがどういうことなのだろうか。翻訳なので100人の訳者がいれば100とおりの訳ができることなどはだれにも理解されていることだと思うが・・・。
「さわぎにしたくない」という村上春樹のコメントが載っていたそうだが、こういった世間体を気にするのはインテリらしくないと思う。差別発言だとかいうなら話は別だが、イメージをこわすからやめてくれといわれてすこすこと引き下がってしまうのもなんなのかね。見方を変えると"関西"を侮辱しているということにもなる。交通事故を起こすと叙勲を逸すとか言って急に車に乗らなくなってしまうレベルと同列の話なのだろうか。
物書きって最高級のインテリだと思うのだけれど世間体ということを気にしたりするんでしょうかね。
食品の世界も"受けねらい"横行の時代。
商業有機(栽培)、能書きを食べる食品、付加価値喧伝食品・・・・・、食べる側がもっときっちりと相手を見つめて欲しい。うまいのかまずいのか?
韓国の船舶事故は悲惨だ。
もと日本で走行していた船のお下がりを改造して重心バランスを悪くした上に、運転ミスでひっくり帰ったという。またのんきにお休み中の船長に取って代わって新人4ヶ月の航海士が運転していたという。管理体制自体がめちゃくちゃな会社だなと思った。船長は先頭を切って逃げたという。
仕事が終わるとずーっと片付け。
カイガラ虫もほとんどいなくなってしまったのでややものたりない日々が続きましたがこうなるとひたすら片付け三昧。
親の葬式をやったあとはだれにもこういう時期があるはず・・・だが、こちとらのはそれを超えて何から何までの片付け屋になってしまった。
パイプの組み立て式の棚をフリー組み合わせ(割高だが)で、しかもがっちりタイプの太いほうをかってきて組み立て。納戸の中に書棚誕生。パソコンの脇は辞書ともっとも読み返したいものを陳列。中には受験参考書や高校の書き込みだらけの英語読本まである、かびくさい。
The Crown Readers Book2(第3版)、岩波古語辞典、御子柴先生の『大豆のつくり方』、打田さんの『藪岩魂(やぶいわたましい)』、石井光造『脱百名山登山学』、中野好夫『英文学夜ばなし』、横山雄策『シェークスピア研究』、猪熊先生の『私の履歴書』、坂崎先生の『絵画への視線』、保田輿重郎『わが万葉集』、柳沢保正『クラシックカメラと遊ぶ』、『新々英文解釈研究』、『太田裕美白書』、ゴルゴ13が2冊、上條さなえ『なきむしなこいぬ』、de CarleのPractical Watch Repairing、ラスキンのエッセイ集といった自分にとっての豪華版だがキーボードをたたいている自分を見下ろしている(みくだしている、ではない)気配にこちとらは元気をもらっている。あるだけで安心する。読まなくてもいい。
村上春樹がビートルズ『イエスダディ』を関西弁で訳したものを付した小説を雑誌に載せ、その後単行本出版したさいには削除したという新聞記事があった。著作権に関わる方から意見されたと言うがどういうことなのだろうか。翻訳なので100人の訳者がいれば100とおりの訳ができることなどはだれにも理解されていることだと思うが・・・。
「さわぎにしたくない」という村上春樹のコメントが載っていたそうだが、こういった世間体を気にするのはインテリらしくないと思う。差別発言だとかいうなら話は別だが、イメージをこわすからやめてくれといわれてすこすこと引き下がってしまうのもなんなのかね。見方を変えると"関西"を侮辱しているということにもなる。交通事故を起こすと叙勲を逸すとか言って急に車に乗らなくなってしまうレベルと同列の話なのだろうか。
物書きって最高級のインテリだと思うのだけれど世間体ということを気にしたりするんでしょうかね。
食品の世界も"受けねらい"横行の時代。
商業有機(栽培)、能書きを食べる食品、付加価値喧伝食品・・・・・、食べる側がもっときっちりと相手を見つめて欲しい。うまいのかまずいのか?
韓国の船舶事故は悲惨だ。
もと日本で走行していた船のお下がりを改造して重心バランスを悪くした上に、運転ミスでひっくり帰ったという。またのんきにお休み中の船長に取って代わって新人4ヶ月の航海士が運転していたという。管理体制自体がめちゃくちゃな会社だなと思った。船長は先頭を切って逃げたという。
2014年4月16日水曜日
片付け魔
ということばがあったかと思いますが、片付け始めると片っ端からやってしまいたくなるものですね。
物置だけでなくこんどは家の中をやっています。それも父や母のものを片付けるというばかりでなく、ものでいっぱいになったところや乱雑になっているところを整理整頓したくなるのです。
本来がだらしのないタチで、ちらかしっぱなしというのが自分の性癖なのですが、一度片付け出すと毎日毎日と続けられるものなんですね。
きのうの夜納戸のスチール棚の一段を自分の本で占拠してしまったのを家内が変な顔をして覗いていたのですが、今日仕事を終わって納戸を覗くとスチール棚の反対側にあったちいさい食器棚とその上にあった段ボール箱に入っていたがらくた(?)がなくなっていました。書棚をおいてもいいかいと聞くと、「そのためにどかしたの」ということでした。でも納戸がまたせまくなるなあ、と目の前にある広がった空間をみて考え込んでしまいました。
単に広くある、ということもとても快感なんだなということがわかったのです。
さて、どうしようかな。
床屋に行く。
またまたカイガラムシの話題で恐縮ですが、だいぶまんまるの姿はほとんど見かけなくなってしまったとはいうものの、今日初めて白くて羽の付いたちいさーい虫が太い幹の上を動いているのがわかりました。
あのまん丸貝殻から出てきたんではなくて、白い細長抜け殻もどきから出てきたのかなと推察します。つまり抜け殻ではなかったのです。
この虫はいったいどういうふうに変態していくのでしょうね。
それとも関係のない別の虫なのでしょうか。
物置だけでなくこんどは家の中をやっています。それも父や母のものを片付けるというばかりでなく、ものでいっぱいになったところや乱雑になっているところを整理整頓したくなるのです。
本来がだらしのないタチで、ちらかしっぱなしというのが自分の性癖なのですが、一度片付け出すと毎日毎日と続けられるものなんですね。
きのうの夜納戸のスチール棚の一段を自分の本で占拠してしまったのを家内が変な顔をして覗いていたのですが、今日仕事を終わって納戸を覗くとスチール棚の反対側にあったちいさい食器棚とその上にあった段ボール箱に入っていたがらくた(?)がなくなっていました。書棚をおいてもいいかいと聞くと、「そのためにどかしたの」ということでした。でも納戸がまたせまくなるなあ、と目の前にある広がった空間をみて考え込んでしまいました。
単に広くある、ということもとても快感なんだなということがわかったのです。
さて、どうしようかな。
床屋に行く。
またまたカイガラムシの話題で恐縮ですが、だいぶまんまるの姿はほとんど見かけなくなってしまったとはいうものの、今日初めて白くて羽の付いたちいさーい虫が太い幹の上を動いているのがわかりました。
あのまん丸貝殻から出てきたんではなくて、白い細長抜け殻もどきから出てきたのかなと推察します。つまり抜け殻ではなかったのです。
この虫はいったいどういうふうに変態していくのでしょうね。
それとも関係のない別の虫なのでしょうか。
2014年4月15日火曜日
増税後「支出減らさず62パーセント、負担感じる75パーセント」
がどういう意味合いをもっているのか考えてみたら、負担は多いけど"福祉"のためには買い物をしなければならない、という、なんか学校の優等生アンサーみたいな感じの解釈でいいのだろうか。
先月の公示地価発表ではもちろん数字の操作はなかったのだろうが、公表地点に取捨選択がなされていて世論を誘導している操作がみてとれる。
マスコミがアヘノミックスを応援しているということだろうか、戦争中と同じことをやっているのだろうか。
景気の回復につながる応援自体は大切なことだと思うが、世の中に起こっていることがらのお知らせをトリックもどきに発表しているのは単なる世論操作にしかすぎないと思う。
また゜消費税改訂ご2週間なので3月までの惰性で消費行動していると思う。
なんだたいして変わんないじゃないのー、というのが食品レベルでの買い物で感じることかもしれないがひと月ふた月とたつうちに締めてくるものと思われる。
先月の公示地価発表ではもちろん数字の操作はなかったのだろうが、公表地点に取捨選択がなされていて世論を誘導している操作がみてとれる。
マスコミがアヘノミックスを応援しているということだろうか、戦争中と同じことをやっているのだろうか。
景気の回復につながる応援自体は大切なことだと思うが、世の中に起こっていることがらのお知らせをトリックもどきに発表しているのは単なる世論操作にしかすぎないと思う。
また゜消費税改訂ご2週間なので3月までの惰性で消費行動していると思う。
なんだたいして変わんないじゃないのー、というのが食品レベルでの買い物で感じることかもしれないがひと月ふた月とたつうちに締めてくるものと思われる。
2014年4月14日月曜日
手荒れが
しなくなってくるとやっと春が来たという感じだ。
しかし今度は日光過敏症がやってくる。
冬の間乾燥肌はなかったけれど今度はあせもだ。
皮膚が弱い。
車で走っていると新緑がまばゆい。
ある意味花よりこちらのほうがいい。
萌え上がる緑がこちらも萌えあがらせてくれるようだ、うきうきしてくる。
村岡花子さんが連ドラになっている。
幼児期の子役の演技がすごくておどろいていたが2週目でもういなくなってしまった。
はじめから「・・・ずら」ということばを使っていたのでこれは静岡かなと思っていたが周りの山の感じからいって山梨かなと思ったらあたっていた。
村岡さんてまだ生きているのかなと思っていたがずいぶんと昔の生まれなんだと言うことがわかる。きのう物置の片付けでディケンズの『炉辺のこほろぎ』の訳者が村岡さんになっていた。
相当な量の翻訳や童話・エッセイ等を書かれたひとのようだ。
ウィキペディアでみたら通ったのが東洋英和女学院だということで、逆にこの女子校はこういう出で立ちの学校なのかとわかった。同級にこの学校の卒業生がいたので・・・しかも相当な美人であったがひとつ年上であった・・・なつかしく思った。
相も変わらず思ったことは、日本で仕事していて日本語をしゃべれないこの学校の校長たちはいったいなんなのよということだった。
いまだに日本で仕事するのに日本語もしゃべれないで平気でやってくるアメリカ人だらけだ。
しかし今度は日光過敏症がやってくる。
冬の間乾燥肌はなかったけれど今度はあせもだ。
皮膚が弱い。
車で走っていると新緑がまばゆい。
ある意味花よりこちらのほうがいい。
萌え上がる緑がこちらも萌えあがらせてくれるようだ、うきうきしてくる。
村岡花子さんが連ドラになっている。
幼児期の子役の演技がすごくておどろいていたが2週目でもういなくなってしまった。
はじめから「・・・ずら」ということばを使っていたのでこれは静岡かなと思っていたが周りの山の感じからいって山梨かなと思ったらあたっていた。
村岡さんてまだ生きているのかなと思っていたがずいぶんと昔の生まれなんだと言うことがわかる。きのう物置の片付けでディケンズの『炉辺のこほろぎ』の訳者が村岡さんになっていた。
相当な量の翻訳や童話・エッセイ等を書かれたひとのようだ。
ウィキペディアでみたら通ったのが東洋英和女学院だということで、逆にこの女子校はこういう出で立ちの学校なのかとわかった。同級にこの学校の卒業生がいたので・・・しかも相当な美人であったがひとつ年上であった・・・なつかしく思った。
相も変わらず思ったことは、日本で仕事していて日本語をしゃべれないこの学校の校長たちはいったいなんなのよということだった。
いまだに日本で仕事するのに日本語もしゃべれないで平気でやってくるアメリカ人だらけだ。
2014年4月13日日曜日
捜し物はなんですか・・・
の2つめ、脱穀機の天板が出てきた。プチプチに包まれてさびひとつない状態でオーダーメードした封筒の箱に入っていた、気がつくわけない。
10-15年くらい前の焼酎があったのであとで飲んでみよう。
4月も二週目に入ろうとしているが景気はどうなっているのかな。
食料品はまだパーセントの率は低い方だと思うが、固いものや機械類はひどいことになっているのだろうか。サービス業は・・・関係ないのかな、いやいや旅行がダウンとかいってたな。
ペパーミント/はっかの株を植える。いちごみたいに蔓が地面をはって飛び石みたいに増えていくんだね。そういえばいつもいちごをやってみたいと思いながらいつも実行できずにきた。いとこのところで株分けしてもらおう。たしかすっぽりっぱなしでもみかけのいいものはできないとはいえ、食べてうまいと感じられるものはできてしまうのでそれでもいいと思う。
毎日虫つぶしをしているせいか海棠の木はだいぶカイガラムシはいなくなったような気がする。ちょっとなまけるとおおきなまん丸がどうどうと樹液を吸って分泌物のべたべた水滴を出していたりする。どこかから飛んでくるのだろ過、・・・テントウムシみたいな形ではあるけれど羽はついてるようには見えないが。
頭が性能は落ちたとはいえ、希望をいだきつづけ努力しようと前向きでいられる状態があと何年続けられるだろうかとかこのごろよく考える。やりたいことは山とある。ただ大学生と違って、職業をしている状態でいろんなことをしたいので困ってしまう。もちろん「捨てることが・・・」などという世渡りの術は頭ではわかっている。
欲望と能力の乖離はいかんともしがたいものがあり、どうしたらいいものかね・・・なんて悩んでいる時間があったらさっさと行動に移ったほうがいいんだけれど。
10-15年くらい前の焼酎があったのであとで飲んでみよう。
4月も二週目に入ろうとしているが景気はどうなっているのかな。
食料品はまだパーセントの率は低い方だと思うが、固いものや機械類はひどいことになっているのだろうか。サービス業は・・・関係ないのかな、いやいや旅行がダウンとかいってたな。
ペパーミント/はっかの株を植える。いちごみたいに蔓が地面をはって飛び石みたいに増えていくんだね。そういえばいつもいちごをやってみたいと思いながらいつも実行できずにきた。いとこのところで株分けしてもらおう。たしかすっぽりっぱなしでもみかけのいいものはできないとはいえ、食べてうまいと感じられるものはできてしまうのでそれでもいいと思う。
毎日虫つぶしをしているせいか海棠の木はだいぶカイガラムシはいなくなったような気がする。ちょっとなまけるとおおきなまん丸がどうどうと樹液を吸って分泌物のべたべた水滴を出していたりする。どこかから飛んでくるのだろ過、・・・テントウムシみたいな形ではあるけれど羽はついてるようには見えないが。
頭が性能は落ちたとはいえ、希望をいだきつづけ努力しようと前向きでいられる状態があと何年続けられるだろうかとかこのごろよく考える。やりたいことは山とある。ただ大学生と違って、職業をしている状態でいろんなことをしたいので困ってしまう。もちろん「捨てることが・・・」などという世渡りの術は頭ではわかっている。
欲望と能力の乖離はいかんともしがたいものがあり、どうしたらいいものかね・・・なんて悩んでいる時間があったらさっさと行動に移ったほうがいいんだけれど。
2014年4月12日土曜日
古い写真が
出てきて思うことは、よくもあんな思いものをもって山に登ったり、自転車をかたに担いだりして細くてくずれやすい山道を通過したりしたものだということである。
それだけに一枚の重みは今とは全く違う。
うまいとかへただとかの問題ではない。
それですら、最初期の大判カメラからみたらコンパクトで軽く、フィルムも小さくて安価なのだけれど。
現像不要、プリント家でOK(といっても、質は業務用とは比べものにならないが)ということであとからあとからプロのスナップ写真家みたいにたくさん移す姿勢からは構図とか光の意識はかなりうすれていってしまうのではないかと思う。
シャッタースピード、露出で悩まない分シャッターチャンスは逃しにくくなっているのでスナップには最高なのかもしれないけれど、不便な時のほうがシャッターを押すまでの頭の中の悩み多き作業が充実感がある。結果さえよければいいことなのかもしれないがシャッターを押す行為ひとつが昔は重かった。
大菩薩峠の写真は左1/3が濡れてしまっていて捨ててしまっても、の感じなのだがそれにまつわる"肩に食い込むおもーい"記憶が、「ちょいと待てよ」と言っている。
Nikon FM2のチタンじゃない最初のやつだがずいぶんと使い込んであっちこっちへこんでしまったものだ。
友人からTwitterでフォローしてくれというメールが来たので意味がわからず四苦八苦。いろいろとクリックしつつユーザーネームやパスワード入れたりするがなんか変だな。
そもそも2,3行の文章を投稿するという行為自体あまり感心しない。
政治家もこういうのを利用しているらしい。
ヒットラーがラジオの利用なら、これからはネットの利用だ。
ひとをみたらどろぼうとおもえはネット社会の常識中の常識となろう。
疑うことの連続の一日は疲れる。
ほっとするひととき、・・・各自それぞれなんだろう。
加山雄三と谷村新司が対談していた。
加山雄三のほうが若く見えた。
軽薄に見えたうたも今歌ってみるとけっこういいことば・旋律だなと思う。
御子柴公人先生の『ダイズのつくりかた』を取り出す。紙質が悪く昭和50年発行とはとても思えない。拍子の絵がすてきで百姓がダイズを刈り取ってまとめたたばを棒に結わいてかついでいる姿だ。
現場のよき観察者でこまかいところがきちんと説明されている。見解の異なるところがあるものの経験則からの発言なので説得力がある。自分もダイズの本を出したいなと言うところであるがとてもかなわない。あと20年早くダイズ栽培を始めていれば名と悔やまれる。
ただし加工の現場、つまり実需者としてはこちとらの発言も重いわけで農業試験場(農総研)よりも、より現場に即した発言・提言にはなっているのではないかと思う。こういった公の試験場はおおむね実験的なことはこまわりのきかない大手にたのんでやっているので、かなり基本的なところで"わかっていない"ことをデータが示している。つまりあまりにもおおざっぱ、どうでもいいようなことにこだわった見解を示していることがある。
それだけに一枚の重みは今とは全く違う。
うまいとかへただとかの問題ではない。
それですら、最初期の大判カメラからみたらコンパクトで軽く、フィルムも小さくて安価なのだけれど。
現像不要、プリント家でOK(といっても、質は業務用とは比べものにならないが)ということであとからあとからプロのスナップ写真家みたいにたくさん移す姿勢からは構図とか光の意識はかなりうすれていってしまうのではないかと思う。
シャッタースピード、露出で悩まない分シャッターチャンスは逃しにくくなっているのでスナップには最高なのかもしれないけれど、不便な時のほうがシャッターを押すまでの頭の中の悩み多き作業が充実感がある。結果さえよければいいことなのかもしれないがシャッターを押す行為ひとつが昔は重かった。
大菩薩峠の写真は左1/3が濡れてしまっていて捨ててしまっても、の感じなのだがそれにまつわる"肩に食い込むおもーい"記憶が、「ちょいと待てよ」と言っている。
Nikon FM2のチタンじゃない最初のやつだがずいぶんと使い込んであっちこっちへこんでしまったものだ。
友人からTwitterでフォローしてくれというメールが来たので意味がわからず四苦八苦。いろいろとクリックしつつユーザーネームやパスワード入れたりするがなんか変だな。
そもそも2,3行の文章を投稿するという行為自体あまり感心しない。
政治家もこういうのを利用しているらしい。
ヒットラーがラジオの利用なら、これからはネットの利用だ。
ひとをみたらどろぼうとおもえはネット社会の常識中の常識となろう。
疑うことの連続の一日は疲れる。
ほっとするひととき、・・・各自それぞれなんだろう。
加山雄三と谷村新司が対談していた。
加山雄三のほうが若く見えた。
軽薄に見えたうたも今歌ってみるとけっこういいことば・旋律だなと思う。
御子柴公人先生の『ダイズのつくりかた』を取り出す。紙質が悪く昭和50年発行とはとても思えない。拍子の絵がすてきで百姓がダイズを刈り取ってまとめたたばを棒に結わいてかついでいる姿だ。
現場のよき観察者でこまかいところがきちんと説明されている。見解の異なるところがあるものの経験則からの発言なので説得力がある。自分もダイズの本を出したいなと言うところであるがとてもかなわない。あと20年早くダイズ栽培を始めていれば名と悔やまれる。
ただし加工の現場、つまり実需者としてはこちとらの発言も重いわけで農業試験場(農総研)よりも、より現場に即した発言・提言にはなっているのではないかと思う。こういった公の試験場はおおむね実験的なことはこまわりのきかない大手にたのんでやっているので、かなり基本的なところで"わかっていない"ことをデータが示している。つまりあまりにもおおざっぱ、どうでもいいようなことにこだわった見解を示していることがある。
2014年4月11日金曜日
大菩薩峠で
撮った、自転車と一緒の自分の写真が出てきた。
下りは確か・・・旧道の峠越えではなく柳沢峠に出て青梅街道を奥多摩に・・・ではなくたしか塩山に戻ったのかなー? 青梅街道を奥多摩へはそれ以前の往復サイクリングだったような気がする。
そしてこないだも書いた雨飾山の写真を見直すとびっしり雪の詰まった荒管沢の写真もあった。
毎日"後ろ向き"のことばかりやっていてなんか気が引けるんだけど。
下りは確か・・・旧道の峠越えではなく柳沢峠に出て青梅街道を奥多摩に・・・ではなくたしか塩山に戻ったのかなー? 青梅街道を奥多摩へはそれ以前の往復サイクリングだったような気がする。
そしてこないだも書いた雨飾山の写真を見直すとびっしり雪の詰まった荒管沢の写真もあった。
毎日"後ろ向き"のことばかりやっていてなんか気が引けるんだけど。
2014年4月9日水曜日
昼間はだいぶ暑くなってきて
お昼頃は半袖。
目白って静止した姿はなかなか見られないが、きょうお客様の病院で目白の写真をみてとてもかわいく感じた。なんでも花の蜜を吸うとか言っていたけどほんとかな。はちどりみたいだね。
海棠にたかるカイガラムシは下から枝を観察するとちいさく水滴みたいなものがついているところに虫がいることがわかる。また、こそげ落として傷ついた樹皮からは樹液がでてきてべったりした感じのところがあるけれどそこにも虫が寄ってきているようだ。こまめに虫取り・・・というよりもなんか虫取りが趣味みたいになってしまった。毎日枝を見上げては虫つぶしをしている。
畑になにをどういうふうに配分して撒くかという計画が楽しい。ちょうど旅行の計画みたいである。たくさんつくるもの、保存タネ更新用、まったく新規の実験栽培とわくわくするばかりである。
畑で隣の畑のMさんの奥さんとおしゃべり。
専業農家で息子もよく手伝っている、だいじょうぶだろう。
税金逃れ農業がほとんどだという近辺の農業実態を考えると、TPP突入後大都市近郊農業がまじめにやっているものもいいかげんにやっているものもあるいはふざけているものも含め大変なSwerveを迎えなければならないことは確かである。民主党政権以前の自民党時代は4町歩以下は農家と認識していなかったという事実は大都市近郊の農家はだれも知らない。所沢には4町歩以上の農家はたしか2軒しかないはずだったと思うが・・・。大豆の補助金は4町歩以下の農家には認められなかった。こういった自民党の思惑も知らないで「農地を守ってくれるのは自民党だけだ」などと洗脳されてきたのが大都市周辺の農家だろう。土地にプライスカードが付いた商品としてしかイメージできないのが政治家や行政である。別に値上がりする商品として農地を維持してきたわけではないだろう。もちろん根っからのなまけものもいる。
さてさてMさんとああしたらいい、こうしたらいいと一時間も話してしまったがおしゃべりするとすっきりする。
ここのところあまりひととの会話がない。
農閑期でヒマができたとたん結構時間を無駄にしているのかな・・・いやいやこうした無為の時間には大きな効用があるのかもしれないのは60年も生きてくると認識できるのだけれど。
物置片付けで3つの捜し物のうちひとつがきょう見つかった。
副産物もあり。
祖父の軍隊の写真。
絶縁したおばさんの使った教科書・・・とくに色の付いた世界地図が興味深い。
父の使った(教科書)と字の練習帳・・・たぶん昭和ひとけた代のものかもしれない。
自分の学生時代の健康診断表・・・肝臓に問題あり、・・・そんなことあったっけかな。
証明写真の亀鶴館のちいさい袋。岩波ホールのチケット・・・トロイアの女、モリエール、・・・、人形のチケット、ジャンジャンのチケット、授業料の振り込み表、授業の時間割、ラブレターの下書きもどき、The NewYorker、またまたEncounter、短波で聞いていたBBCのLondon Calling、国弘さん(先生といってもいい)のやっていた『英語会話中級』のテキスト、第二ラウンドのアーデン版テンペストハードカバー(40年前で6000円弱もした、今は8000円くらいする)、そして大切な大切なソーンダイク・バーンハートのハイスクール用辞書(これはきわめてすぐれた辞書である)、45年以前のプラチナとパイロットのインクカートリッジ(まだ中のインクは動いている)、巻き取ったコダックのフィルム、赤いうすーいボディのスイス・アーミーナイフ(2徳なので最低の安いやつだと思う)、・・・楽しかった。
ニュースでさいたま市の空き家の問題をやっていた。迷惑限りないのだが個人財産なので行政はどうにもできないという。親の作った家に住まないという悪習が何時のまに当たり前になってしまったのか知らないが、強制執行できるしくみをつくるべきだ。所有者への処罰もきっちりとすべきである。隣家は不安でいっぱいのはずである。
マッカーサーの日本壊し計画は今になっていろんな分野で発生している。家族の崩壊、"継続"の軽視、農業破壊、・・数え上げたらきりがない。
目白って静止した姿はなかなか見られないが、きょうお客様の病院で目白の写真をみてとてもかわいく感じた。なんでも花の蜜を吸うとか言っていたけどほんとかな。はちどりみたいだね。
海棠にたかるカイガラムシは下から枝を観察するとちいさく水滴みたいなものがついているところに虫がいることがわかる。また、こそげ落として傷ついた樹皮からは樹液がでてきてべったりした感じのところがあるけれどそこにも虫が寄ってきているようだ。こまめに虫取り・・・というよりもなんか虫取りが趣味みたいになってしまった。毎日枝を見上げては虫つぶしをしている。
畑になにをどういうふうに配分して撒くかという計画が楽しい。ちょうど旅行の計画みたいである。たくさんつくるもの、保存タネ更新用、まったく新規の実験栽培とわくわくするばかりである。
畑で隣の畑のMさんの奥さんとおしゃべり。
専業農家で息子もよく手伝っている、だいじょうぶだろう。
税金逃れ農業がほとんどだという近辺の農業実態を考えると、TPP突入後大都市近郊農業がまじめにやっているものもいいかげんにやっているものもあるいはふざけているものも含め大変なSwerveを迎えなければならないことは確かである。民主党政権以前の自民党時代は4町歩以下は農家と認識していなかったという事実は大都市近郊の農家はだれも知らない。所沢には4町歩以上の農家はたしか2軒しかないはずだったと思うが・・・。大豆の補助金は4町歩以下の農家には認められなかった。こういった自民党の思惑も知らないで「農地を守ってくれるのは自民党だけだ」などと洗脳されてきたのが大都市周辺の農家だろう。土地にプライスカードが付いた商品としてしかイメージできないのが政治家や行政である。別に値上がりする商品として農地を維持してきたわけではないだろう。もちろん根っからのなまけものもいる。
さてさてMさんとああしたらいい、こうしたらいいと一時間も話してしまったがおしゃべりするとすっきりする。
ここのところあまりひととの会話がない。
農閑期でヒマができたとたん結構時間を無駄にしているのかな・・・いやいやこうした無為の時間には大きな効用があるのかもしれないのは60年も生きてくると認識できるのだけれど。
物置片付けで3つの捜し物のうちひとつがきょう見つかった。
副産物もあり。
祖父の軍隊の写真。
絶縁したおばさんの使った教科書・・・とくに色の付いた世界地図が興味深い。
父の使った(教科書)と字の練習帳・・・たぶん昭和ひとけた代のものかもしれない。
自分の学生時代の健康診断表・・・肝臓に問題あり、・・・そんなことあったっけかな。
証明写真の亀鶴館のちいさい袋。岩波ホールのチケット・・・トロイアの女、モリエール、・・・、人形のチケット、ジャンジャンのチケット、授業料の振り込み表、授業の時間割、ラブレターの下書きもどき、The NewYorker、またまたEncounter、短波で聞いていたBBCのLondon Calling、国弘さん(先生といってもいい)のやっていた『英語会話中級』のテキスト、第二ラウンドのアーデン版テンペストハードカバー(40年前で6000円弱もした、今は8000円くらいする)、そして大切な大切なソーンダイク・バーンハートのハイスクール用辞書(これはきわめてすぐれた辞書である)、45年以前のプラチナとパイロットのインクカートリッジ(まだ中のインクは動いている)、巻き取ったコダックのフィルム、赤いうすーいボディのスイス・アーミーナイフ(2徳なので最低の安いやつだと思う)、・・・楽しかった。
ニュースでさいたま市の空き家の問題をやっていた。迷惑限りないのだが個人財産なので行政はどうにもできないという。親の作った家に住まないという悪習が何時のまに当たり前になってしまったのか知らないが、強制執行できるしくみをつくるべきだ。所有者への処罰もきっちりとすべきである。隣家は不安でいっぱいのはずである。
マッカーサーの日本壊し計画は今になっていろんな分野で発生している。家族の崩壊、"継続"の軽視、農業破壊、・・数え上げたらきりがない。
2014年4月7日月曜日
4月7日は
昔から入学式と決まっているようだが12時ころ清瀬市内を運転していると学校帰りの子供たちがぞろぞろと歩いている。胸にお花はつけていなかったので、当事者親子さんたちはまだ学校で説明を受けていたのかな。
桜は意外とまだたくさん花びらがついいる。
朝寒かったけどお昼ともなると結構あたたかい。
午後また片付け。
きょうは管理機つまり耕運機を動かしてやる。
ガソリンも使わないで置くと劣化するのかな。
オイルは秋に交換しているので大丈夫だと思うのだが・・・黒い煙は出てこない、透明である。
プラグも9月頃取り替え、中耕以降は使うことがないので、大丈夫だろう。
どっちにしても久しぶりなので最初のから運転はなんとなく軽快ではない、1時間ほど空運転する。
グリーンブラットは読み進めてくるとますますおもしろくなってきた。原題はThe Swerveで転換点という意味だが、まさに1417年のルクレティウスの著作(といっても写本だが)の再発見を意味している。量子力学の元祖みたいなものが、たとえ実験を伴わない"想像"とはいえ2000年以上も前から存在していたとはおどろきだ。
桜は意外とまだたくさん花びらがついいる。
朝寒かったけどお昼ともなると結構あたたかい。
午後また片付け。
きょうは管理機つまり耕運機を動かしてやる。
ガソリンも使わないで置くと劣化するのかな。
オイルは秋に交換しているので大丈夫だと思うのだが・・・黒い煙は出てこない、透明である。
プラグも9月頃取り替え、中耕以降は使うことがないので、大丈夫だろう。
どっちにしても久しぶりなので最初のから運転はなんとなく軽快ではない、1時間ほど空運転する。
グリーンブラットは読み進めてくるとますますおもしろくなってきた。原題はThe Swerveで転換点という意味だが、まさに1417年のルクレティウスの著作(といっても写本だが)の再発見を意味している。量子力学の元祖みたいなものが、たとえ実験を伴わない"想像"とはいえ2000年以上も前から存在していたとはおどろきだ。
2014年4月6日日曜日
いたち豆
は抜群にうまい豆であることを確信する。
量が少ないのでもうそんなにたくさんは作れないが新豆状態の維持できる今月いっぱいかなと感じる。褐色斑が出やすくて検査は通りにくいためまず農家はこういうものはやらないだろう。褐色斑が出やすい品種がほかにもいくつかあるが小~中のまんまる黄大豆でみんな黒目である。
ことしの桜は満開なりかけの夜にどしゃぶりがあったためまだいっぱい花びらがついているとはいえ、なんかあっけなく感じられた。ゆっくりと満開にいたる過程が好きなのだがそれがなかった。
これからはぼたんや芍薬、藤、かたくりといろんなものが以外と近所で楽しめるようになる。浦和の田島ヶ原の桜草もいいのだがひとが多すぎる。
病院の先生が「歩きなさい歩きなさい」といつもアドバイスしてくださるのだけれどなかなかできずにいる。カメラを持つといいよ、とも友人が言ってくれるのだが実行できずにいる。
坂崎乙郎先生の『絵画の視線』が出てきた。小林和作の章ががあったのだが理解できなかった。坂崎先生は恩師で語学の授業を受け持っていたわけだが絵の話などはまったくせずむっつりとしていていつも朝日新聞の論説委員をしていたおにいさんの悪口というか劣等感じみた発言をしていておかしかったのだが、同級生でNHKに入ったMが絵のことで先生のご自宅におしかけるとそれはそれはの対応をしてくれ分厚い美術史の本までくれたということだ。くしくも玄洋先生の先生と懇意であったとは不思議な縁だけれど、20代では自分はまったくの絵・不感症であった。相原さんに導かれて絵に接するようになったわけだけれどもっと坂崎先生と話ができていたらなあとくやまれる、もちろん絵をみるようになって以降のことだけれど。坂崎先生は50代でなくなられたのかな?
ここのところテレビをほとんどみなくなってしまったが、食事の時間にNHKの連ドラをみることが多い。今やっているのは赤毛のアンのシリーズを訳した明治生まれの村岡花子さんのことをやっている。脚色の程度がわからないのでほんとうのところはわからないが、主人公の親はすごい夫婦だなと思った。自分が子供のころ、本を読んでいたりするとウチへやってきた近所のおっさんやおばさんは「本を読んでいる行為」をばかにしたものである。ところが明治の山梨県の田舎で、知的にませた主人公がみせる学問への意欲に前向きに背中を押してやろうとするこの夫婦、そしてOKを出すおじいさんはすごいなと思った。
第二次大戦直後までは本を読むことなどはいやしいことととらえられていたのが地方農村の実態だったのだろう。今はその正反対でぎゃくに額に汗することが卑しまれている。・・・なにはともあれ多くのひとがやっていることはおおむねゆがんでいることがほとんどであるということを前提に人生は考えたほうがいいと思う。別にこういうのはへそまがりというのでもないと思うのだがね。
ここのところテレビをほとんどみなくなってしまったが、食事の時間にNHKの連ドラをみることが多い。今やっているのは赤毛のアンのシリーズを訳した明治生まれの村岡花子さんのことをやっている。脚色の程度がわからないのでほんとうのところはわからないが、主人公の親はすごい夫婦だなと思った。自分が子供のころ、本を読んでいたりするとウチへやってきた近所のおっさんやおばさんは「本を読んでいる行為」をばかにしたものである。ところが明治の山梨県の田舎で、知的にませた主人公がみせる学問への意欲に前向きに背中を押してやろうとするこの夫婦、そしてOKを出すおじいさんはすごいなと思った。
第二次大戦直後までは本を読むことなどはいやしいことととらえられていたのが地方農村の実態だったのだろう。今はその正反対でぎゃくに額に汗することが卑しまれている。・・・なにはともあれ多くのひとがやっていることはおおむねゆがんでいることがほとんどであるということを前提に人生は考えたほうがいいと思う。別にこういうのはへそまがりというのでもないと思うのだがね。
2014年4月5日土曜日
きょうは村祭り
、といっても伝統祭りではなく航空公園でやっている市民フェスティバルの縮小版といったところ。地域交流祭り、といったもので今風の、住宅街で行われるものと一般である。
エラリークィーンのミステリーマガジンというのを大昔に一時読んでいたことがあり、一冊だけ出てきたので一話読んでみた。雑誌なので紙質は最低、・・・だが単行本だとなかなか読みがすすまないのが、こういった小さなサイズの雑誌で一ページ二段(たてに二列なので"段"ではなく、二列というのかな)なのですいすいと読める。
推理小説はやはりおもしろいな。
終わりのほうにメグレ刑事(なんとかシメノンとかいうフランスの作家が書いたんだったかな)の翻訳もあったがやや長いのであとにしよう。子の雑誌には松本清張の作品も載っていたことがあり、日本人としてはうれしかった。
グリーンブラットの1417年はなかなか進まないがおもしろい。文章は良くないというかやはりアメリカ人だなと思う。でもピューリッツァー賞ものか?、・・・こういう作品を読んでいるとまたあのショーンコネリー/ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』がみたくなる。
エラリークィーンのミステリーマガジンというのを大昔に一時読んでいたことがあり、一冊だけ出てきたので一話読んでみた。雑誌なので紙質は最低、・・・だが単行本だとなかなか読みがすすまないのが、こういった小さなサイズの雑誌で一ページ二段(たてに二列なので"段"ではなく、二列というのかな)なのですいすいと読める。
推理小説はやはりおもしろいな。
終わりのほうにメグレ刑事(なんとかシメノンとかいうフランスの作家が書いたんだったかな)の翻訳もあったがやや長いのであとにしよう。子の雑誌には松本清張の作品も載っていたことがあり、日本人としてはうれしかった。
グリーンブラットの1417年はなかなか進まないがおもしろい。文章は良くないというかやはりアメリカ人だなと思う。でもピューリッツァー賞ものか?、・・・こういう作品を読んでいるとまたあのショーンコネリー/ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』がみたくなる。
2014年4月4日金曜日
海棠の虫取り
をしていると、ご近所のMさんが「カイガラムシだろう」と教えてくれました。ネットで調べるといろんな種類がいるようですが、カタカイガラムシのようです。
薬よりもじかにこそげ落としてしまおうとへらでかたっぱしからつぶしたりひっかいたりしました。球体とは別に白くてひらべったいものもたくさんついていたのでこれもそぎ落としました、たまごかと思いましたが調べると幼虫の抜け殻のようです。
家の裏一枚をかき混ぜました。ぺんぺん草がけっこうでかくなっています。
天気予報は当たり、夕方雨となりました。当日と翌日はほんとによく当たるようになったもんですね。
薬よりもじかにこそげ落としてしまおうとへらでかたっぱしからつぶしたりひっかいたりしました。球体とは別に白くてひらべったいものもたくさんついていたのでこれもそぎ落としました、たまごかと思いましたが調べると幼虫の抜け殻のようです。
家の裏一枚をかき混ぜました。ぺんぺん草がけっこうでかくなっています。
天気予報は当たり、夕方雨となりました。当日と翌日はほんとによく当たるようになったもんですね。
2014年4月3日木曜日
雨。
ちょっと強く降ったりも。
右足の腰から太ももがいたくてややしびれる。
右足の甲も少ししびれるようだ、前にもこんなことがあった気がする。
物置のなかを片付けているといろんなものがあとからあとから出てきてどれをどう処分したらいいのか悩んでしまうが、やはり実際に使ったものは捨てがたい。
教科書は特にそうで、妙なにおいのする薄っぺらな読本などはちょっと読み始めるとなんとあのころの授業を思い出してくるのである。・・月・・日、自分の番、なんてメモもある。
また中には買っただけのものもたくさんあり困ったものだ。
岩波の逆引き辞典などというのもあり、ページをめくってみると結構おもしろい。
よく使った分厚い、辞書・事典系のものにはだいたいはがきとかちょっとしたメモ、写真等が入っていたりしてそれが結構自分にとってはお宝だ。
開く前のまんまるのぼんぼり状態の海棠がかわいい。
雨の日は落ち着いていい。
さらに物置の片付け続行。
14歳のときの日記が出てきた。
これにはなんと武蔵野西線(当初はこう呼ばれていた)が通る前の家の裏の建物の配置図がかかれていて、うろ覚えだった記憶を補強してくれた。
字のみにくさばかりでなく内容から言っても他人には見せたくないし自分で読むのもはずかしくなってしまった。
また妹の答案用紙にまぎれて小学校の6年の時のだろう、校舎の前の池の前でとった談氏だけの集合写真が出てきた、もちろんモノクロ、真ん中に伊東先生がいる。みんなどうしているのかな。
もひとつおまけに誠文堂新光社の時計の本が出てきた。これも自分にはお宝で、これをみて目覚まし時計の分解(分解だけ)やったような気がする、そしてスイスの時計学校に行ってみたいなどという妄想をいだいたのを覚えている。5,6年生のころだとおもうがやたらといろんなものを分解していたような気がする。・・・ハードカバーの分厚い、けど字はでかい、本で子供ながら親にだだこねて買ってもらったのだろう。・・・きのうNHKで「直し屋」さんの番組をやっていたが、たまたま腕時計だったので余計に子の本との対面にうれしくなってしまった。
思えば時計、ラジオ、アンプ、自転車といろんなものを壊したりなおしたりのおもしろい青春時代であった。ここのところもうギブアップしているが機械式カメラも10年くらいばらしたり直したりで遊び続けた。カメラのシャッターは"ある与えられたシャッタースピード"の減速が基本原理で、その減速機のことをガバナー(支配・コントロールするということだろう)というけれど、そのちいさなちいさな歯車やねじ、スプリングをばらしてはもとにもどらなくなったりの繰り返しでいらいらしたりの繰り返しとはいえうまくいった時の達成感がなんともいえずうれしかったので、小さい物が見えにくくなってきたとはいえ、ずーっとつつけてきた。
なんか遊んでばかりの人生だったようだ。
カプリコーンのグァテマラがとてもうまかった。今日のはいれ方もよかったのだと思う。
車のスタート時は日本茶、450cc+300ccの2本なので尿酸値を押し下げてくれるのではないかと思うのだが・・・。お昼はコーヒー。夜もコーヒー。途中であったりなかったりだがコーヒー。コーヒー一日3杯かな。
久しぶりに本業のほうのブログを更新した。一年以上なにもしなかったような気がする、恥ずかしい。引き出しをあまり持たない自分には毎日文章を更新し続けることはとても難儀なのだが日記だと思ってどうでもいいことを書き続ければいいかしらね。書くとなんとなくすっきりする。
右足の腰から太ももがいたくてややしびれる。
右足の甲も少ししびれるようだ、前にもこんなことがあった気がする。
物置のなかを片付けているといろんなものがあとからあとから出てきてどれをどう処分したらいいのか悩んでしまうが、やはり実際に使ったものは捨てがたい。
教科書は特にそうで、妙なにおいのする薄っぺらな読本などはちょっと読み始めるとなんとあのころの授業を思い出してくるのである。・・月・・日、自分の番、なんてメモもある。
また中には買っただけのものもたくさんあり困ったものだ。
岩波の逆引き辞典などというのもあり、ページをめくってみると結構おもしろい。
よく使った分厚い、辞書・事典系のものにはだいたいはがきとかちょっとしたメモ、写真等が入っていたりしてそれが結構自分にとってはお宝だ。
開く前のまんまるのぼんぼり状態の海棠がかわいい。
雨の日は落ち着いていい。
さらに物置の片付け続行。
14歳のときの日記が出てきた。
これにはなんと武蔵野西線(当初はこう呼ばれていた)が通る前の家の裏の建物の配置図がかかれていて、うろ覚えだった記憶を補強してくれた。
字のみにくさばかりでなく内容から言っても他人には見せたくないし自分で読むのもはずかしくなってしまった。
また妹の答案用紙にまぎれて小学校の6年の時のだろう、校舎の前の池の前でとった談氏だけの集合写真が出てきた、もちろんモノクロ、真ん中に伊東先生がいる。みんなどうしているのかな。
もひとつおまけに誠文堂新光社の時計の本が出てきた。これも自分にはお宝で、これをみて目覚まし時計の分解(分解だけ)やったような気がする、そしてスイスの時計学校に行ってみたいなどという妄想をいだいたのを覚えている。5,6年生のころだとおもうがやたらといろんなものを分解していたような気がする。・・・ハードカバーの分厚い、けど字はでかい、本で子供ながら親にだだこねて買ってもらったのだろう。・・・きのうNHKで「直し屋」さんの番組をやっていたが、たまたま腕時計だったので余計に子の本との対面にうれしくなってしまった。
思えば時計、ラジオ、アンプ、自転車といろんなものを壊したりなおしたりのおもしろい青春時代であった。ここのところもうギブアップしているが機械式カメラも10年くらいばらしたり直したりで遊び続けた。カメラのシャッターは"ある与えられたシャッタースピード"の減速が基本原理で、その減速機のことをガバナー(支配・コントロールするということだろう)というけれど、そのちいさなちいさな歯車やねじ、スプリングをばらしてはもとにもどらなくなったりの繰り返しでいらいらしたりの繰り返しとはいえうまくいった時の達成感がなんともいえずうれしかったので、小さい物が見えにくくなってきたとはいえ、ずーっとつつけてきた。
なんか遊んでばかりの人生だったようだ。
カプリコーンのグァテマラがとてもうまかった。今日のはいれ方もよかったのだと思う。
車のスタート時は日本茶、450cc+300ccの2本なので尿酸値を押し下げてくれるのではないかと思うのだが・・・。お昼はコーヒー。夜もコーヒー。途中であったりなかったりだがコーヒー。コーヒー一日3杯かな。
久しぶりに本業のほうのブログを更新した。一年以上なにもしなかったような気がする、恥ずかしい。引き出しをあまり持たない自分には毎日文章を更新し続けることはとても難儀なのだが日記だと思ってどうでもいいことを書き続ければいいかしらね。書くとなんとなくすっきりする。
2014年4月1日火曜日
桜は
つぼみがいっきに膨らみ出す頃から初めて、開花宣言、3分咲き、満開直前の"満開"、ほんとの満開、桜吹雪、"がく片"の"満開"・・・、ミニさくらんぼ、秋の紅葉、・・・最後のひと葉、とどの段階をとってもいいものでこういうときになんとか言葉をひねり出して"創作"できたらなといつももじもじしているけれど、言葉に無能な自分を再認識してがっかりするばかりだ。
現実には桜ばかりでなく雑草まで含め、遠くから観たり接近してみたりの"なにげなく"でない観察からはちょっとした感動ものの時間が過ごせることが多々ある。
母の残した海棠のアブラムシとかまん丸虫をこまめに退治しここに来てぷっくらとしたつぼみに対面するとなにかこころ暖まるものを感じる。
小保方さんのニュースをみて、いよいよいんちき発表であることが明確になってきたような雰囲気だ。
京大の山中チームは土台が遺伝子操作の極致みたいなところがあって人間の傲慢も行き着くところまできたかと常々マイナスの気分を抱いていた中、"環境適応"という"生命の自助保存本能"がコンセプトの小保方さんたちの研究にはある意味バラ色を感じていたのに、とがっかりだ。
しかしこの手法はなんとなく将来的に研究しなおされるような気がする。
とても"いのちの製造業"は好きにはなれない。
地球上のどこかには絶対に人間のクローンがいるばだ。
遺伝子いじりが将来的にどういうメリットを生み、どういうデメリットを生んでいくのかはだれにもわからない。
ダ・ヴィンチやガリレオが自説・自案を叫んでいた頃は世間は馬鹿にしたり罪人扱いしたりのまったくの無視状態だった。ひょっとしたら小保方さんたちの研究がサギであったとしても、その発想自体は500年、1000年後に具体的な成果に結びつく可能性はあると思う。
つくずく遺伝子いじりは唾棄すべきものと感じるが、人間の好奇心はおさえることのできないもので、こういった右へふれ左へ振れしてして進んでいくしかないのが人類史なのだろう。
政治とか経済はもっとどろどろとしたわがままのかたまりだ。
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