ページビューの合計

2014年4月12日土曜日

古い写真が

出てきて思うことは、よくもあんな思いものをもって山に登ったり、自転車をかたに担いだりして細くてくずれやすい山道を通過したりしたものだということである。
それだけに一枚の重みは今とは全く違う。
うまいとかへただとかの問題ではない。
それですら、最初期の大判カメラからみたらコンパクトで軽く、フィルムも小さくて安価なのだけれど。
現像不要、プリント家でOK(といっても、質は業務用とは比べものにならないが)ということであとからあとからプロのスナップ写真家みたいにたくさん移す姿勢からは構図とか光の意識はかなりうすれていってしまうのではないかと思う。
シャッタースピード、露出で悩まない分シャッターチャンスは逃しにくくなっているのでスナップには最高なのかもしれないけれど、不便な時のほうがシャッターを押すまでの頭の中の悩み多き作業が充実感がある。結果さえよければいいことなのかもしれないがシャッターを押す行為ひとつが昔は重かった。
大菩薩峠の写真は左1/3が濡れてしまっていて捨ててしまっても、の感じなのだがそれにまつわる"肩に食い込むおもーい"記憶が、「ちょいと待てよ」と言っている。
Nikon FM2のチタンじゃない最初のやつだがずいぶんと使い込んであっちこっちへこんでしまったものだ。

友人からTwitterでフォローしてくれというメールが来たので意味がわからず四苦八苦。いろいろとクリックしつつユーザーネームやパスワード入れたりするがなんか変だな。
そもそも2,3行の文章を投稿するという行為自体あまり感心しない。
政治家もこういうのを利用しているらしい。
ヒットラーがラジオの利用なら、これからはネットの利用だ。
ひとをみたらどろぼうとおもえはネット社会の常識中の常識となろう。
疑うことの連続の一日は疲れる。
ほっとするひととき、・・・各自それぞれなんだろう。

加山雄三と谷村新司が対談していた。
加山雄三のほうが若く見えた。
軽薄に見えたうたも今歌ってみるとけっこういいことば・旋律だなと思う。

御子柴公人先生の『ダイズのつくりかた』を取り出す。紙質が悪く昭和50年発行とはとても思えない。拍子の絵がすてきで百姓がダイズを刈り取ってまとめたたばを棒に結わいてかついでいる姿だ。
現場のよき観察者でこまかいところがきちんと説明されている。見解の異なるところがあるものの経験則からの発言なので説得力がある。自分もダイズの本を出したいなと言うところであるがとてもかなわない。あと20年早くダイズ栽培を始めていれば名と悔やまれる。
ただし加工の現場、つまり実需者としてはこちとらの発言も重いわけで農業試験場(農総研)よりも、より現場に即した発言・提言にはなっているのではないかと思う。こういった公の試験場はおおむね実験的なことはこまわりのきかない大手にたのんでやっているので、かなり基本的なところで"わかっていない"ことをデータが示している。つまりあまりにもおおざっぱ、どうでもいいようなことにこだわった見解を示していることがある。

0 件のコメント:

コメントを投稿