佐多岬があることを知りました。
愛媛の例の細長い半島、鹿児島の右側(東)の先端の岬。
地名としては愛媛の細長いのが有名ですね、地理のテストにでるのもこっちだったでしょう。
なんといっても同じ関サバ・アジが別名で格安で食べられるんですからね。
暮れに入って挨拶回りも昨日で終了、あさつて床屋さんであとは仕事のみ。
そうそう畑の物置においてある刈り取った大豆の引き上げがありました。
景気の悪い年でした。
消費税引き上げののちのわずかな消費ダウンの後徐々に対前年比がプラスに移行、といっていたのはたぶん"操作"だつたように思われます。今朝の新聞で9、10がマイナスですって。
つまりそもそもプラスになんかなっていないのにつじつまを合わせるためにここでマイナスにしたんではないのでしょうか。
その間に都合のいいように政府は決めごとをする。
極端な偏りの景気アップで被害を被るのはだれでしょうか。
いまだに手が荒れない。
いつもなら11月はじめにはあかぎれになります。
ほんとにあたたかいんですね。
ここ数日はお昼前には窓を開けて運転していました。
温暖化の進行の先にはいったい何が待っているんでしょうか。
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2015年12月26日土曜日
2015年12月23日水曜日
毎年やっている
クリスマス会に今年もおよばれしました。
近所のひとたちや小学校の先生たちも来ていました。
細野春臣や松本隆史とグループを組んでいたこともあるフォーク歌手の牧師夫妻の運営している教会ですが、私が10歳以下の時に出来たことを考えるともう3代目くらいの先生になるのでしょうか。
例年と違いミューズのホールではなく、絵画展などをやるスペースを借り食事付きでのコンサートでした。
とてもあたたかくて癒やされた感じです。
「気にかけてくれるひとが居るとがんばれる」という会の初めの頃のあいさつのパッセージがこころの片隅に残り会の終わりまで点滅していたような気がします。
子供たちの小スキット(演劇)や赤鼻のトナカイさんについての牧師の話がとてもよく、またルカ伝第二章からの引用が「ことばの重さ、経験と共に深まるその言葉使用者の想いの深化」というものをひしひしと感じさせてくれました。
政治家たちの使うことばにはその「軽薄さ」ばかり感じますが、言葉がひとを動かし・救うちからをもっていることを教わりました。
会の終わりの恒例「きよしこの夜」を唄っているときに聖歌隊の中にいた中年女性が泣いていたのに気がつきましたが、牧師がこの一年さまざまな出来事を参加者に思い起こさせる言葉を発したのとあわせて思い起こすことがあったのでしょう。
また言葉の絶対的な、つまり誰からみてもの評価とはちょいと違う大切な事実もあるなと感じました。
誰から発せられたかということです。
きらいなひとの発するAという言葉、大切な友達の発するAという言葉。
同じAなのに・・・。
自分は宗教人ではないけれども、宗教性は持っていると感じてますがそれでいいのかなと思いました。
こんな自分を毎年お呼びしてくれる牧師夫妻に感謝です。
帰ると、やや疲れてしまい小雨も降っていたので夕方スターウォーズをみながら寝てしまいました。
そういえばダースベイダーの息子Lukeは、"ルカ"ですね。
そのことを意識してルカ伝を引っ張ってきたのかしらね。
近所のひとたちや小学校の先生たちも来ていました。
細野春臣や松本隆史とグループを組んでいたこともあるフォーク歌手の牧師夫妻の運営している教会ですが、私が10歳以下の時に出来たことを考えるともう3代目くらいの先生になるのでしょうか。
例年と違いミューズのホールではなく、絵画展などをやるスペースを借り食事付きでのコンサートでした。
とてもあたたかくて癒やされた感じです。
「気にかけてくれるひとが居るとがんばれる」という会の初めの頃のあいさつのパッセージがこころの片隅に残り会の終わりまで点滅していたような気がします。
子供たちの小スキット(演劇)や赤鼻のトナカイさんについての牧師の話がとてもよく、またルカ伝第二章からの引用が「ことばの重さ、経験と共に深まるその言葉使用者の想いの深化」というものをひしひしと感じさせてくれました。
政治家たちの使うことばにはその「軽薄さ」ばかり感じますが、言葉がひとを動かし・救うちからをもっていることを教わりました。
会の終わりの恒例「きよしこの夜」を唄っているときに聖歌隊の中にいた中年女性が泣いていたのに気がつきましたが、牧師がこの一年さまざまな出来事を参加者に思い起こさせる言葉を発したのとあわせて思い起こすことがあったのでしょう。
また言葉の絶対的な、つまり誰からみてもの評価とはちょいと違う大切な事実もあるなと感じました。
誰から発せられたかということです。
きらいなひとの発するAという言葉、大切な友達の発するAという言葉。
同じAなのに・・・。
自分は宗教人ではないけれども、宗教性は持っていると感じてますがそれでいいのかなと思いました。
こんな自分を毎年お呼びしてくれる牧師夫妻に感謝です。
帰ると、やや疲れてしまい小雨も降っていたので夕方スターウォーズをみながら寝てしまいました。
そういえばダースベイダーの息子Lukeは、"ルカ"ですね。
そのことを意識してルカ伝を引っ張ってきたのかしらね。
2015年12月22日火曜日
本日をもって
99.9パーセント刈り取り終了しました。
残りは何も実が入ってないので放棄します。
帰宅後脱穀。
晴れて乾燥しているとぱりぱりいう音が心地よいです。
おとといはお江戸日本橋亭で田辺鶴瑛・銀治親子の講談の会へ友人らと押し寄せました。お母さんは言うまでもなくですが、二枚目に昇進した銀治ちゃんは上手になりました。話もすべて自身で組み立てなければならないので、作家とも言えるでしょう
。
これに先立つこと軽く一杯と言うことでCOREDOとかいうビルで食事しました。与野のぼたもちの1/4くらいの大きさのぼたもちが280円でした。何これ! どのお店も賑やかです。地産地消などということばは、生活クラブのみ一所懸命に推進しているキャッチフレーズですが、ローカルの行政や大型店は"おかざり"程度の地元コーナーセッティングで実質はなんの効果も上げてないのが実態です。
景気は非常に悪い・・・都心や横浜をちょいとはずれると・・・。
夕方テレビで"地産都消"ということばを言ってました、これが実態かな。
これに乗れないものはおしまいとなるのでしょう。
残りは何も実が入ってないので放棄します。
帰宅後脱穀。
晴れて乾燥しているとぱりぱりいう音が心地よいです。
おとといはお江戸日本橋亭で田辺鶴瑛・銀治親子の講談の会へ友人らと押し寄せました。お母さんは言うまでもなくですが、二枚目に昇進した銀治ちゃんは上手になりました。話もすべて自身で組み立てなければならないので、作家とも言えるでしょう
。
これに先立つこと軽く一杯と言うことでCOREDOとかいうビルで食事しました。与野のぼたもちの1/4くらいの大きさのぼたもちが280円でした。何これ! どのお店も賑やかです。地産地消などということばは、生活クラブのみ一所懸命に推進しているキャッチフレーズですが、ローカルの行政や大型店は"おかざり"程度の地元コーナーセッティングで実質はなんの効果も上げてないのが実態です。
景気は非常に悪い・・・都心や横浜をちょいとはずれると・・・。
夕方テレビで"地産都消"ということばを言ってました、これが実態かな。
これに乗れないものはおしまいとなるのでしょう。
2015年12月17日木曜日
今頃
枝豆。
種まきが早すぎたナカセンナリともち大豆。
霜でことごとく葉っぱはかれているのですが、また゜まだ成長しようとしていたさやが青いままで成長ストップ。なん株かありました。
成長ストップから間もなければ枝豆として未熟とはいえ食べられると思うのですが・・・。
・・・。
途中で、お風呂・・・居眠りしてしまいました。
お風呂から出てくると・・・。
ややしなびた感じの枝豆が出来ていました。
ナカセンナリ、やはり現行のものではなく開発当初からの"世代数"が少ない保存タネをもとにしているので、すばらしくおいしかったです。
しなびた感じが貧相ではありますが、改良品種の名品たる気品は依然として持ち合わせています。ギンレイの枝豆のようでもありました。
ナカセンナリは長い間開発当初の性質を保持し続けてはいましたがここ十数年は高タンパクの性質を帯び、ぴしっと凝固しすぎてしまう性質の変質を顕著に現してきています。
遺伝子の世代数重ねての性質の"ブレ"が明白になりすぎたものです。
それにしても12/20にもなろうとしているこの時期に枝豆というのも粋を通り越して悪趣味とでもいったほうがいいでしょうかね。
ツルぼけ、という農業用語の失敗実例というかひょうたんからこまのもうけものなんでしょうか。
とにかく、うまかったです。
ことしは暖かくいまだにおおきな手荒れは起きていません。
あたたかいんですね。
夕方きょうのナカセンナリを脱穀。0.3反で5キロ以上あるので、タネとしては十分とれました。そんなに小粒でもありませんでした。ラッキーです。
種まきが早すぎたナカセンナリともち大豆。
霜でことごとく葉っぱはかれているのですが、また゜まだ成長しようとしていたさやが青いままで成長ストップ。なん株かありました。
成長ストップから間もなければ枝豆として未熟とはいえ食べられると思うのですが・・・。
・・・。
途中で、お風呂・・・居眠りしてしまいました。
お風呂から出てくると・・・。
ややしなびた感じの枝豆が出来ていました。
ナカセンナリ、やはり現行のものではなく開発当初からの"世代数"が少ない保存タネをもとにしているので、すばらしくおいしかったです。
しなびた感じが貧相ではありますが、改良品種の名品たる気品は依然として持ち合わせています。ギンレイの枝豆のようでもありました。
ナカセンナリは長い間開発当初の性質を保持し続けてはいましたがここ十数年は高タンパクの性質を帯び、ぴしっと凝固しすぎてしまう性質の変質を顕著に現してきています。
遺伝子の世代数重ねての性質の"ブレ"が明白になりすぎたものです。
それにしても12/20にもなろうとしているこの時期に枝豆というのも粋を通り越して悪趣味とでもいったほうがいいでしょうかね。
ツルぼけ、という農業用語の失敗実例というかひょうたんからこまのもうけものなんでしょうか。
とにかく、うまかったです。
ことしは暖かくいまだにおおきな手荒れは起きていません。
あたたかいんですね。
夕方きょうのナカセンナリを脱穀。0.3反で5キロ以上あるので、タネとしては十分とれました。そんなに小粒でもありませんでした。ラッキーです。
2015年12月6日日曜日
きょうもいろいろな
ことを考えながら歩きました。
おととい2万歩、きのう1.2万歩、きょう2.2万歩。
今まで歩んできた道、出会った人たち、出来事。
61歳。
いいことほとんど無し。
でもあとで振り返るとおもしろいことばかりですね。
かならずといっていいほど、どこかから助っ人が現れる。
・・・・あああ、あと何年あるのかしらね。
継続されるに値するものをつくること。
理解者はほとんどいないけどゼロではない。
この知的財産こそ"相続"に値する物ですね、相続税ゼロ。
最低限自分を理解してくれるひとには尽くさなければなりません。
柳瀬川回廊、志木市役所前、秋が瀬橋、西浦和と2.2万歩でした。
あしたは整体で浦和。
4日続きで歩きは無理かな。
あさっては検査。
いつものパターンだよ。
終わったら農作業。
去年は11/30で終了した刈り取りも恥ずかしながら少し残っているのです。
おととい2万歩、きのう1.2万歩、きょう2.2万歩。
今まで歩んできた道、出会った人たち、出来事。
61歳。
いいことほとんど無し。
でもあとで振り返るとおもしろいことばかりですね。
かならずといっていいほど、どこかから助っ人が現れる。
・・・・あああ、あと何年あるのかしらね。
継続されるに値するものをつくること。
理解者はほとんどいないけどゼロではない。
この知的財産こそ"相続"に値する物ですね、相続税ゼロ。
最低限自分を理解してくれるひとには尽くさなければなりません。
柳瀬川回廊、志木市役所前、秋が瀬橋、西浦和と2.2万歩でした。
あしたは整体で浦和。
4日続きで歩きは無理かな。
あさっては検査。
いつものパターンだよ。
終わったら農作業。
去年は11/30で終了した刈り取りも恥ずかしながら少し残っているのです。
2015年12月4日金曜日
日野正平の
自転車の旅は霧島市(昔の国分市)の木原小学校という創立134年の小・中学校を訪れていました・・・といっても校門だけですが、集まってきた子供とのやりとりや視聴者つまりこの小学校の卒業生からの手紙がとてもよくてうれしかったです。
52歳の女性視聴者からの手紙は達筆とまではいかないまでもきちんとていねいに書かれ、言葉も選ばれ、ドラマチックな内容があるわけでもないのにとても共感してしまい涙目になってしまいました。
子供たちの顔は・・・と、くると山の中の・・・という付帯事項を考えると「素朴・純粋・きれい」といった形容詞をつけるのが常套修飾語となるものですがこの子たちはまったく都会の子と同じ顔でした、・・・「がっかりした?」、いいえ発言やにぎわいがやっぱり素直さを感じました。
ふるさとをしっかりと刻み込んでいるようです。
創立134年といったら明治の学制が布かれて最初期の学校で、どのまちにもある筆頭の学校になるわけですが最近はそれだけ古くても廃校になってしまうものもたくさんあるようです。
「学校とはなんなんだろう?」と考えさせてくれた日野正平でした。
単なる建物? 入れ替わり立ち替わり人間が入れ替わり・・教員も生徒も、時代時代に上からの"方針"に振り回されあるいは"うまく乗っかって"、あるいは堅い枠組み内で最大限の"善意"を発揮して子供たちと歩み続けた先生たち・・・、学校というのはそれぞれの卒業生にとって大きな支えになっていることでしょうね、あるいは屈折していてただの「否定さるべき」ものととらえているひともたくさんいるでしょうがこれは裏を返すと教育への想い・要求が別次元で多々あるということでしょう。
学校は"中立"です。
ぼくは父の姉がひどい教員だったために「職業に貴賎あり、もっともいやしいのが教員である」とずーっと思っていましたが、その間違いをこの番組はそっとさとしてくれたように思います。
もちろんひどい教員はいつの時代にもいることでしょう。
知識の切り売り屋じゅない、・・・こんなことはみんなわかっているんですけどね。
ばかな父兄がいるから教員もばかにならざるをえない、ではなくてもっと堂々としていて欲しいです。ばかな父兄は言葉ではどうにも説得できる相手ではないので、そういう方の居場所がない社会になるように"一般"がもっとおりこうさんになり、教養を積むしかないということです。
しまいに、この番組に教員がひとりも出てきませんでした。
台本もなかつたと思います。
良かったです。
いい先生が増えて欲しいです。
我が師の恩、深い言葉です。
久しぶりに2万歩/3時間歩きました、急ぎ足です・・・最後のほうはよれよれかな?
52歳の女性視聴者からの手紙は達筆とまではいかないまでもきちんとていねいに書かれ、言葉も選ばれ、ドラマチックな内容があるわけでもないのにとても共感してしまい涙目になってしまいました。
子供たちの顔は・・・と、くると山の中の・・・という付帯事項を考えると「素朴・純粋・きれい」といった形容詞をつけるのが常套修飾語となるものですがこの子たちはまったく都会の子と同じ顔でした、・・・「がっかりした?」、いいえ発言やにぎわいがやっぱり素直さを感じました。
ふるさとをしっかりと刻み込んでいるようです。
創立134年といったら明治の学制が布かれて最初期の学校で、どのまちにもある筆頭の学校になるわけですが最近はそれだけ古くても廃校になってしまうものもたくさんあるようです。
「学校とはなんなんだろう?」と考えさせてくれた日野正平でした。
単なる建物? 入れ替わり立ち替わり人間が入れ替わり・・教員も生徒も、時代時代に上からの"方針"に振り回されあるいは"うまく乗っかって"、あるいは堅い枠組み内で最大限の"善意"を発揮して子供たちと歩み続けた先生たち・・・、学校というのはそれぞれの卒業生にとって大きな支えになっていることでしょうね、あるいは屈折していてただの「否定さるべき」ものととらえているひともたくさんいるでしょうがこれは裏を返すと教育への想い・要求が別次元で多々あるということでしょう。
学校は"中立"です。
ぼくは父の姉がひどい教員だったために「職業に貴賎あり、もっともいやしいのが教員である」とずーっと思っていましたが、その間違いをこの番組はそっとさとしてくれたように思います。
もちろんひどい教員はいつの時代にもいることでしょう。
知識の切り売り屋じゅない、・・・こんなことはみんなわかっているんですけどね。
ばかな父兄がいるから教員もばかにならざるをえない、ではなくてもっと堂々としていて欲しいです。ばかな父兄は言葉ではどうにも説得できる相手ではないので、そういう方の居場所がない社会になるように"一般"がもっとおりこうさんになり、教養を積むしかないということです。
しまいに、この番組に教員がひとりも出てきませんでした。
台本もなかつたと思います。
良かったです。
いい先生が増えて欲しいです。
我が師の恩、深い言葉です。
久しぶりに2万歩/3時間歩きました、急ぎ足です・・・最後のほうはよれよれかな?
2015年12月2日水曜日
脱穀時の汚粒は
雨が降った後の大豆ボディの乾き不十分からくるものばかりでなく、枯れきっていない・"青々しすぎ"の茎に起因するものがほとんどで、泥汚れというのはコンバイン・オペレーターの技術不足です。自分の場合はほぼ前者です。
雨が降らない日がきょうで5日めにしてストップということで、茎が青々としている秩父在来種の白光の残りをおおむね脱穀してしまいました。
ただやみくもにやるのではなく、大豆をたたきつけて脱粒させる回転ドラムにからみ付く青々の茎をこまめに除いてやりました・・・これが結構大変で時間もかかりますが天日干しを考えるとだいぶ手間取ります、そもそもさやの中のお豆さんはもう出きあがってしまっています。
豆ができあがっているのにボディは全く乾いていないという原因がどこにあるのかわかりませんが、品種・育て方・育った場所の日当たり具合・・・といったいろんな要素があるのでしょうけれどもね。
もひとつ気がついたことがあります。
それは、さやが開かない限り切り倒された株ですらさやの中のお豆さんは雨・露でも"ふやけない"ということの原因がどこにあるかということです。
枝豆の、ピークをやや過ぎた物は青い外皮の内側にプラスチックみたいな不透明・半透明のからにみなさん気がつきやや不快な感じをもたれたことを思い出されることかと思いますが、この殻が水を通さないのだと思います。
豆自体は根っこから吸い上げた水分を介して栄養を蓄積していくわけですが、豆自体は"へそ=芽、目"によってさやにくっついています。当然豆は呼吸もしているわけでさやの中は湿気があり、さらに割立てのさやの中の豆は少しべたつくのがわかります。さやの中の湿気もさやの外・外界に行ったり来たりをしているのが推察できます。
これってゴアテックスじゃないの?
ゴアテックス発明以前に自然界にゴアテックスがあったように思われます。
ゴアテックスを発明したデュポン社はだいぶもうかっていると思いますが、自然界の中にはとてつもない仕掛けに恵まれた物があるようです。
雨が降らない日がきょうで5日めにしてストップということで、茎が青々としている秩父在来種の白光の残りをおおむね脱穀してしまいました。
ただやみくもにやるのではなく、大豆をたたきつけて脱粒させる回転ドラムにからみ付く青々の茎をこまめに除いてやりました・・・これが結構大変で時間もかかりますが天日干しを考えるとだいぶ手間取ります、そもそもさやの中のお豆さんはもう出きあがってしまっています。
豆ができあがっているのにボディは全く乾いていないという原因がどこにあるのかわかりませんが、品種・育て方・育った場所の日当たり具合・・・といったいろんな要素があるのでしょうけれどもね。
もひとつ気がついたことがあります。
それは、さやが開かない限り切り倒された株ですらさやの中のお豆さんは雨・露でも"ふやけない"ということの原因がどこにあるかということです。
枝豆の、ピークをやや過ぎた物は青い外皮の内側にプラスチックみたいな不透明・半透明のからにみなさん気がつきやや不快な感じをもたれたことを思い出されることかと思いますが、この殻が水を通さないのだと思います。
豆自体は根っこから吸い上げた水分を介して栄養を蓄積していくわけですが、豆自体は"へそ=芽、目"によってさやにくっついています。当然豆は呼吸もしているわけでさやの中は湿気があり、さらに割立てのさやの中の豆は少しべたつくのがわかります。さやの中の湿気もさやの外・外界に行ったり来たりをしているのが推察できます。
これってゴアテックスじゃないの?
ゴアテックス発明以前に自然界にゴアテックスがあったように思われます。
ゴアテックスを発明したデュポン社はだいぶもうかっていると思いますが、自然界の中にはとてつもない仕掛けに恵まれた物があるようです。
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