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2011年4月30日土曜日

きょうは何の日

ただの月末か。
10日も連休するひともいるのか。

少し寒い感じの曇り日。

お店で「萩の月」を売っていた、新聞に書いてあったな。
被災者の援助といってもいくら寄付しても、いくら税金を使っても失ったもの・・・単なる物質、家とか車とかといったものだけでも・・・の額にはほど遠い。
たとえば車にしても、車を買ってくれるわけではなく税金免除というだけのことで本体金額自体は自分で払わなければならない。
気の毒としかいいようがない。
こまめに、少額ながら、寄付しても何の足しにもなってないようで申し訳ない。がんばれ、ということばもおおきな声では叫びづらい。

東電が尾瀬を売りに・・・、とびっくりしたのだがよーく考えたら尾瀬はほとんど東電のもの。
奥多摩の東京都水源涵養林などと似ていてダムのための水源保護と言うことで100年も前から所有・管理していたものらしい。
尾瀬沼のほとりにあった東電小屋には一度泊まったことがあるような気がする、高校2年か3年のころだ。
木道やゴミ等その他の細々とした管理は東電がやっていたようだ、"観光"地とはいっても特殊な地域なのでもちろん東電の持ち出し利益なしのボランティア同様の自然保護だったと思う。
尾瀬を守るために一般国民は何をすべきかと考えたとき答えは「尾瀬に行かないことだ」と結論。
25過ぎてからは一度も行ってない・・・・・いやいや鳩待峠から至仏分岐まで歩き笠ヶ岳経由水上へ、という山行をやったことがあるがあれからもう30年もたつだろうか。今はどんなふうになっているのだろうか。
ここの所有権移転には困難がともないそう・・・。

それにしても想像もつかなかったいろんなことが起こってくるものだなと思った。
原発は東電だけの責任問題ではなく"公"がからんだおおきな歴史の選択をせまられるpointにまで来てしまっているのだろう。

放射能の「何が危険でどこまでが安全か」という問題の基準になっているのは、広島・長崎の被爆者の方々の犠牲の上になりたった貴いデータのもとに築き上げられたものだと思う。こういったことまで含めてこれからの電気の問題を真剣に議論していく必要がある。
当事者ばかりでなく、一般市民もきちんとした情報・説明を受け何を選択するかを真剣に考えるべきだ。そしてそのことに伴う「生活の便利さ」の犠牲も覚悟しなければならない。
いかに我々の"便利・安全"というものが過去のひとびとの犠牲の上に成り立っているのかということをきちんと認識し、これからのひとたちのことまで含めて"今"を塩梅しなければならない。
生活の不便さはこころの豊かさと、反比例とまでは断定できないとしても"あまり関係ない"ということがわかってくるのではないかと思うのだが。

2011年4月29日金曜日

きんらんの花が

xxxxx老人ホームの雑木林樹下に咲いていた。
実名を出すと盗掘するばかものがいるのでxxxxx。
平林寺にもきれいに咲いているはずだが柵から相当はなれているのでよく見えない。
和らんはいいなあ。

脱穀2時間。
おおむね片付いたことになる、あとちょい。
種まきとの間のわずかな期間だが飲みほーだい期間、言い過ぎかな。

ダイアナ妃のご子息の結婚式。
月日の巡るのはほんとにはやいなー。

トルストイの「最後の旅」のDVDを買う。
30年以上昔NHKで海外の秀作ドラマみたいな感じで同じ題でやったことがある。たしかBBCのもので50分くらいのドラマであったが題名だけしつこく頭の隅にのこっていた 、それと駅のイメージが残っていたがこのDVDの原題は"The Last Station"となっている。駅に関係あるのか?あしたみられるかな。
戦争と平和とアンナ・カレーニナしか読んだことがないけれどトルストイというひとも死ぬまで苦しみ抜いたひとのようだ。悪妻で有名な彼の妻と並んで、こんどはマーラーの映画でアルマのことが描かれるようだ。そちらもみてみたい。悪妻によって天才(マーラーが天才なのかどうかは疑問が残るが)たちは研ぎ澄まされていくのか。

イギリスの結婚式をみていたので上條先生のはあしただな。ごめんなさい。
きょうも疲れた。

一週間たつとなぜか新秋津に向かいたくなる。中毒化し始めたようだが、でもこれは自分が立ち直り始めた証なのかなとも感じる。
はじめはひとりのひとに、そしてその周りのひとたちに助けられている。
ありがたいことだ。
そしてプラス・ワンでスーちゃんの大きな助けがある。
キャンディーズなんて現役の時は好みでもなくばかにしていたエンターテイナーであったが、こんなに深く人生を生きてきた女性・人間なんだなとおおきな感銘を受けた。
自分がひとのために何ができるだろうか、何をしたらいいのかということを考えるいい契機なのだが結局今の自分を押し通しつづけることなのかなとも感じた。

2011年4月28日木曜日

ぼたんの花が

おとといから咲き始める。
みんな母の植えたものだ。
大輪の花はあまり日本人には好まれないと思うが牡丹とと芍薬は別格だろう。
うちではまず赤が咲く。その次が黄色か、待機中だ。

暑いので薄着で銀座へ。
都心の駅地下連絡通路は薄暗い。
でもこの程度がいいのかなとも思う。

檜垣先生は猪熊さんの弟子で20年ほど新制作に在籍。その後は個展と多摩美大の教授を通して絵に生きてきたひと。染色の研究にも若い頃より打ち込まれてきたかただ。
鳥に自由・希望・平和を仮託して染色技法やコラージュを織り交ぜての楽しいふわふわとした画面には、何か昨日述べた震災で亡くなった多くのひとたちへの手向けのようなものを勝手にイメージしてしまった。
楽しく、おだやかで、そして絵の中に入って遊べるすてきな画面である。ミロよりも動きがあり明るく、励ましを感じる絵である。
おととし、自分は特殊な精神状況にあったがためだが、川越でやった脇田和さんの赤い基調色の絵の前で涙がとめどなく出てしまい、これはなんだと自分でもわからなかったがきょうの檜垣先生の「いざ、イトカワ」の絵にそのときの赤を感じてしまった。
鳥は猪熊先生、脇田先生ともに愛した対象で脇田先生の特別展で涙を流した絵も紅葉と鳥の絵であった。面識も知識もないひとの絵の前で涙を流したのは初めてのことであった。
鳥、というと音楽の世界ではオリビエ・メシアンの鳥類譜が有名で彼の奥様イボンヌ・ロリオのピアノによる全曲版をLPで2セット持っているので今度、昔ピアノもやっていた先生にさしあげようとおもう。
久しぶりにいい絵を見てどこにも寄り道せずに帰宅。
大桃に電話しようかとも思ったがここのところ飲み過ぎなので止める。
いまここの部分は仕事を終えて9時台に書いているのだがなんとなくいい倦怠感の就寝前である。
きょうはここまでにしようか。

上條先生のBSの録画はあしたみよう。

2011年4月27日水曜日

温度計はみてないが、

夏日(に近いの)ではないかと思う。
半袖でも暑い。風も強く、草一つ生えない畑ははでに埃をまきあげている。
明日は雨のようなので檜垣檀先生の個展にいこうと思う、銀座だ。
ここのところ電車に乗ることが多い。
切符で改札というのも高速のEMT・一般と同様肩身の狭い感じがする。
切符コンプレックス?

脱穀2時間。
かなり疲れた。
残すところ5回くらいあれば片付くと思う、そうすれば完全な農閑期。
ただし6月真ん中までに2回くらいはかき混ぜるようだろうか。
トラクターは楽ちんだ。

黒柳さんの番組がギネス登録だそうだ。
昔の写真が出ていたが若くて肌のつやも良く"きれい"だった。
遠くから見ると昔も今もそんなに変わらない。
マスメディア・マスコミの一部ともいえる芸能界とは、ひとつの"権力"で、その中で泳ぎ・生きていくことにかかわるどろどろしたものはたくさんあると思うが、いちいち割り引いて聴き・観ることは非常に疲れることだ、だからあまりみない。
でもスーちゃんのあの録音は地震後、苦しみの中にあるひとばかりでなく一般の国民に大きないやしと励ましをあたえた芸能界の出来事ではなかったかと思う。総理やその他政財官界、文化人のいかなることばよりも重かったような気がする。

おとといKと飲んでいて話題になったことだが、亡くなった方たちをきちんととむらっていないということが話題になった。事情が事情だけにどうしようもないのだが、ぐうぜんにも何の被害もなかったわれわれは親戚や友達ではなくても弔う思いを持ち、持ち続けなければならない。
生きながらえているというのはほんの偶然にしかすぎないということだ。
Kはこないだ小名浜に行ったそうだが海岸に向かって亡くなった人たちに向かって思いをつなげ語り合っていたということだ。
不審者と思われて質問されたそうだが。

久しぶりにレコードをかける。
石川ひとみの「夢模様」というアルバムで全音楽ジャンル含めて歴史に残る名曲ぞろいの名盤である、だいぶすりきれてきたので2枚目は用意してある。ジャケットもすてきである。

28日、BSプレミアム18時。

2011年4月26日火曜日

青ヶ島の

「鬼辛(青)」をいただく。
新潟のかんずりの"南のくに"版である。
発酵が亜熱帯と雪の中という正反対の条件で行われるわけだがどちらも名珍味(調味料)といえる。このレベルのからさでもからくないという奇人もいるかもしれないが、食卓にかかせない一品・逸品。

串田孫一の「ギリシア神話」の朗読がとびとびで録音されていた。
なんだどうせと思って聴いていたのだが、これがいい。
女性のアナウンサーだが朗読がまずいい。
そして何よりも文章がいいことに気づく。
野上弥生子さんがブルフィンチのギリシア語かラテン語からの英訳を訳した重訳版をこどものころ呼んだが途中飽きてしまって放棄。串田孫一版はあくまでも「串田孫一著」であり彼がいろいろ読んだものを咀嚼・反芻して自分の文章に置き換えたものである。
聴いてて心地よいのである。
斉藤孝の「声に出して・・・」シリーズがひところはやったが、こういった耳に心地よい美しい日本語のひびき、日本語の伝統的な型にのっとった文章を人生の早い時期にやっておかなかったことを後悔している。これは自分の怠慢プラス国の教育政策の怠慢であったと思う。
思えば「素読で・・・」という新書をずいぶん前に読んで一時期素読をやってみたりし筆で書き写したりしたこともあったが中途半端に終わる。
たしか浦和のどこかで素読教室を開いている先生のご著書だと思ったが。
幼少期、特別な感覚の持ち主である"撰ばれた"ひとたちは別にして、ぼくみたいにことばにとろい人間にはそんなにたくさんの本を読む必要はなかったのではないかと思っている。
中学、高校などはほんの数冊の本をすみからすみまで覚えてしまうくらいの本読みをするほうが、のちのちの人生の栄養・ちからになったのではないかと思う。
国語はだいきらいであった。
今は本読みは、のろいとはいいながらも、大好きである。
子供にどんな本を読ませたらいいのかな、と質問すると「興味のわくままに好きなものをよませればいい」というのが、"教養ある本好きの"お母様方・教育者の定番の答えであった(ある?)が、それは有る程度ませた・できあがったこどもたち想定のマニュアル答弁であるような気がする。
読ますべき本はある、と思う。
くだらない受験勉強のためにどれだけ人生の大切な時間を無駄にしたかがくやまれる。

いまは試験もレポートもなにもなく気ままに読める。
ただ読みっぱなしもつまらないので、語り合う友を見いだし、また文章を書いたりするのがいいのかなと思う。

スーちゃんのおわかれのことばをまた聴いたが「・・・ここにお集まりの・・・」から始まっていたんだね・・・・・。
過去のさまざまな社会活動も紹介していたが、病が彼女を洗練・とぎすましていったような気がする。
大きいちいさいの違いはあってもさまざまな形の"ハンデ"をしょって生きていくというのが人生だが、ハンデはやすりでもある。
重荷は神様のいたずらと考えてしまいがちだが、努力させるためのしかけでもあるのかもしれない。

ただ今回のような天変地異に対しては言う術を持たない。
人間の営み(現実も、魂のことも)をはるかに越える大きな力には何を言ったらいいのかわからない。無力感のみある。

脱穀3時間。
楽な作業にもかかわらず結構疲れる。
疲れるのが早くなってきた。
この夏の35度、37度が乗り切れるだろうか。たぶん暑いよ。

2011年4月25日月曜日

変わりやすい天気で

お昼頃空は真っ暗。
寒くなる。
スーちゃんの出棺に合わせて青山葬儀場の上では空が泣いたそう。

脱穀3時間、疲れた。

夜、緊急飲み会。
23時10分帰宅。
スーちゃんはひと月前に間近の死を認識し「おわかれのことば」を録音していたんですね。
全国に向かって感謝の言葉と地震からの復興と。
発声するのも苦しそうな状態だが、おもいをしっかりと伝えようとしていた。
出棺の時にこのテープを流すことをひと月も前の苦しい体調の中で考えていたんだね。
病気で苦しみの中にいるひとたちばかりでなく、元気なひとたちまで励まされた形のメッセージ。
被災者の方たちへのもっとも強くこころあたたまるメッセージでもあったように思う。
よくいきた女性だ。

2011年4月24日日曜日

ここち良い日曜日。

快晴。すこし寒い。
ぼたんのつぼみが大きくなってきた。
それに続くシャクヤクもかわいいつぼみが待機している。
東村山の国宝東福寺(?名前がうろ覚え)の建物のわきにあるぼたん園からぼたんの花を入れてよく撮影に行ったものだ。
八国山の稜線のあたりは山つつじがたくさんあって一日写真をとっていても飽きない、今はひとが多くてだめだろうな。

また山に行きたくなってきたよ。
ただ、足が弱ってきてるんだろうな。

国土地理院の5万図、2.5万図の引き出しには三陸の田老町近辺のの図福があったはずで、岩手山、早池峰、兜岩山、・・・と東北道と三陸海岸にはさまれた山域に感心があった時期がある。「かぬかてい」と呼ばれるこの地域の、海に面した部分がいっぺんにおおきな被害をーうけたことにこころ痛む。
山をとおしてこの国の文字通りの「物理的な姿」をながめてきた自分にとって、他人ごとには感じられない。実際には海岸沿いの小山たちには登れなかったけれど。
海の見える山、というのはあこがれだった。
山から見た海でもっとも感動的だったのは雨飾山で、糸魚川から山口新湯経由の登りで長い尾根をひいひいいいながら、主稜線に飛び出す直前でふと振り返った時赤とんぼの群れの向こうに日本海が見えた一瞬が忘れられない。
三陸の小山たちもいずれいくつか登ってみたい。
田老町という名前がニュースで入ってきたとき、「あっ、あそこか」とびっくりしたものである。

飲み会の翌日の農作業は疲れる。
ちょっとばてた。
アイスクリームがうまい、グリコ・パナップ。

市議選。
10人程度落ちるようだ。
まあ、意見もない。

4/28 BSプレミアム18時を覚えとく。
教養とか知識とか試験とか一切関係なくのぴのび・のんびり活字を読める幸せに感謝する。
齢経たものへのごほうび。
仕事・利害・地域・・・に関係なく人間対人間のおしゃべりのできる関係がうれしいな、これも齢経たものへのごほうび。
仕事でも遊び・趣味、研究でもなんでもいいから、何かに夢中に打ち込んでいる人、あるいは深く生きているひとはすてきだ。・・・このひとたちは天、神様に撰ばれた人なのだと思う。
それと同時に、ともだち関係というものもお互い同士に撰ばれた人間である、という関係なのだと思う。

人生の後半にちょっといいことがあればいい、という上條先生のことばをかみしめる。

50代半ばで豆腐屋を始め、しかも奥さんも子供さんもしっかり励まし(尻をたたいている?・・・失礼)家族全体でにぎやかに家庭作りをしている宗像の和田さんにはあたまがあがらない。
初めてこちらに見えたとき、この年で大丈夫かな・どうせミーハーだろうと瞬間思ったのだが作ったものを見せられて、他人のこととはいえ関係ないのにうれしくなってしまったが、その原因を今考えてみると和田さんご夫妻の年齢といきいきとした目つきにあったのかと今になって気づく。
おおきくこちらがいやされてしまった次第である。
こういうあたたかい家族は鏡である。
自分が恥ずかしいばかりである。

スーちゃんのご主人が出ていた。
夏目雅子さんのお兄さんだったのね。
苦しみの中にあるスーちゃんをはげまし深く愛し合ったすてきなご夫婦。
ご主人はやはり立派な"かお"の人であった。
きのうも言ったが、ばちあたりな男がほとんどのなかでこんな貴いこころを持った男のひともいるんだな。
自分はけがれている。

2011年4月23日土曜日

今月中の

脱穀完了は無理だろう。
埼玉県産無農薬は自家農園産冷蔵保存のものとKさんの作ったサトウイラズがわずか。
自分の店で少しずつ小出しすれば2年分くらいはあると思う。
去年産のものはテスト以外はまず使わない。古い、といっても5度以下保存、を順番に使っていく。
品種特定オーダーは一切おことわり。

脱穀も気温が高くなってくるとやっかいとなる。
きょうは飲み会。
飲み会の帰り、一駅乗り過ごしてしまった。オーバーは生まれて初めてである、眠りつづけていて突然目が覚め一駅前でおりてしまったということはよくあったが。
きょうの飲み会はよかった。店の中全体が仲間みたいな感じで、不思議な縁でつながった飲み助たちの極楽であった。
こういう場に居合わせられる、あるいは別の言い方をするとそこにいる人々がお互いに「撰び、撰ばれたひとである」という感覚が貴く感じられた。
毎月一回例会を設けることに決まる。
つかれたのでこの辺で・・・23時26分、おやすみ。

2011年4月22日金曜日

朝からどんより

暖かいけど寒いような。

成駒屋どんどん、脱穀。茎は細くさやは多い。軽快脱穀。時々ぽつぽつと小雨。

人形劇三国志もよーく見ていると結構おもしろい。
不連続に録画してあったのをみている。
20代と思われる伸介・隆介が解説で出、しかも出演者(人形)としてもしんしん・ろんろんとして出ている。とてもかわいい人形だ、欲しいなあ。
人形の感情表現も体・首の動かし方で眉毛や目、口が動かなくてもかなり上手にできている。
川本喜三郎さん(?)の人形。

ヘラルド・トリビューンに日本を侮辱したような核汚染記事が載っていたということが夕刊に載っていたが、ネットでonline版をみたが削除されていたようで、見つからなかった。広島・長崎を忘れていない我々にかような扇動文章を論説に載せるアホ、不可解な白人の使命感ということを言ってやりたかったのだが・・・。
ただ欧米の、インテリもそうでないひともすべてのひとがみんなある性質というものではないので、十把一絡げの断定はよくない、キーンさんに申し訳ない。いい人はいい。
でも間違った・間違いをあおるマスコミにはきちんと抗議しないといけないね。

平均的には日本人が思っているほどには欧米人は日本のことを思ってはいないことは確かで、一部の知日家を除けば、今回の地震をこころより心配してくれている欧米人は少なくともonlineのマスコミ上ではニュース・経済・社説を除けば、インテリたちのブログでもほとんど・あるいは全く話題にすら(コメント欄にすら)されてない状態である。
ビアード教授やホフ(ホー)はおもしろいのでファンなのだが日本の話題は全く出てこない。ホフはピアノの話題になると好みのチッカリングは別として、シュタインウェイと対比的にヤマハを出してくるがそれだけのことで、日本について語ってくれることはない。ただしコメント投稿者の中にハンドルネームや英文の質から日本人だとわかるものが時々は出ているが、日本の混乱について心配する話題へと誘導するものはないようである。する雰囲気ではないので自分もしないけど。

キャンディーズのスーちゃんが亡くなった、55才。Mも55才10日前だった。
がんだとは知らなかった。
夏目雅子のお兄さん(弟?)さんと結婚したと思っていたが。
初発20年目と言うことだ。Mは初発後20年目にリンパ腫(転移?)。その3年後に骨転移たくさん、PET撮影後ひと月で没。
スーちゃんは去年暮れから免疫力の低下から各所に転移、最後はMと同じくDICによる多臓器不全と思われる。Mと全く同じパターンだ。Mがなくなったのは8月だが。
ご冥福をお祈りします。
いま僕は泣いています。
・・・・・。
苦しみに苦しみぬいた年末からの闘病生活だったと思う。
乳ガンの女性は6-7割は亭主に捨てられるというのが先進国の標準である、特に若いと・・・。
彼女は幸せな、病気であるがゆえに、深い愛を受けることのできた女性であったのだと思う。
りっぱなご主人である。
「思われている」という気持ちが彼女の魂をより清く美しくしている。
彼女は「いってしまった」のではなく、「引っ越した」のである。
ご主人・ご家族のこころの中に。そして多くのファンのこころの中に。ずーっと生き続けていくであろう。
苦しみから解放されてスーちゃん、病気を意識しないで歌えるね。
ドラマもとてもよかったよ。
うたもドラマも同じ再生でもちがう・新しい語りかけをしてくれるね。
苦しみの中にある多くのひとを励ましてください。
今ぼくは泣いています。
一夜漬けで練習した悲愴の第二楽章をたどたどしく弾いてくれたMが今そばにいる。
ご亭主にいやされ励ましつづけられてきたスーちゃん、ご主人を励ましてください。
こんなに幸せな人生をおくった女性はそうはいないはずです。

病気で苦しんでいる多くのひとたちよ、君をほんとに思ってくれているひとがすぐそばにあるいは遠くかもしれないが必ずいる。
それだけでひとは生き続けるに値する。
免疫力を上げようね。
家族・友達・本の中の人物(動物も)・・・とお話してね。

2011年4月21日木曜日

今期第一回かきまぜ終了

雑草たちは栄養であると同時に土壌コンディショナーである。
青ヶ島から塩がたくさん来る。
内地発送拠点を仰せつかる。

福島いじめがたくさん紹介されていた。
東電の電気を使っている埼玉、千葉、東京、神奈川。
地方に迷惑施設を押しつけいいとこだけ享受している関東のばかものたちを笑ってあげてください。
人間の本性とはこういうものである。
教育を受けてもなおかつこういうものは出てくる、これからも延々といろんな場面で・・・今回のことばかりでなく・・・吹き出してくる人間の見にくい獣性である。
教育(他から、自分で自分を)のちからには限度がある・・・・ではなくて、そういうけがれたことをする遺伝子を受け継いだものたちの矯正は不可能なのだろうと思う。
犯罪にならない犯罪。
ただし自分だけはそんなことは・・・・、と思っていても知らず知らずに他人を傷漬けていることばかりというのが人生なのかな。
いろんなひとの苦しみや悲しみに感情移入することは大切なことである。
自分が今あるは自分や家族だけの力によるものではないということの認識をもたなければならない。

ドナルド・キーンさんがあえてこんな時期に日本永住を決意されたことに感謝いたします。
逃げてった大使館員、留学生や労働者はもういらないよ。
特に原爆を落とした国の出国者はもう日本にこないでね。
・・・切れてるカモ!

2011年4月20日水曜日

久しぶりに畑に出て耕耘

トラクターでかきまぜる。
快晴の暑くも寒くもないいい天気。
ここちよい気分。
ぺんぺん草がびっしり。
ただ去年大豊作の部分は草はあんまり生えてない。
トラクターも3時間が限度だ、飽きる。
終わっても体が振動している。

りんごと梨の花がきれい。
実はほとんどつかない・・・。

物置にあった8ミリビデオの保存箱にあったテープから「人形劇三国志」を撰んで、再生。
さしたる感動はなかった。
何かものたりない。
せりふだけの感じで、慣れるまでややいらいらした・・・、がしだいにおもしろくなる。
動きがおおざっぱではあるが、顔の角度で表情の変化は感じさせられるので楽しめる。
辻本じゅサブローではなくて川本・・・だったかな。
馬良のまゆげが白い・・・から来た「白眉」の由来、劉備の孫権の妹との縁談・孔明の3つの錦の袋の段だが、やはり中国電視台制作の映画のほうがおもしろい。
人形浄瑠璃では歌舞伎よりはるかに人間的な表現のできる"人形"なのだが・・・。人形浄瑠璃の"高さ"を改めて痛感する。人間より人間的である。生身の人間でなく人形を使い抽象化されてることで余計なものをそぎおとし大事な事柄が強く訴え出てくるのかなと思う。


川北さんの「朔風の道」完読。1ページを乗り越えるのに1ヶ月、残りは3時間で読んでしまった。文章が軽快で心地よい。
覚明のものがたりだが推理の部分が創作となるが、なるほどと思った。
平家物語もずいぶんと読んでいなかったがまた読んでみようと思う。
朗読はないのかな。


夕飯のラーメンがうまかった。
昔の屋台の味がした。
のり、があう。

2011年4月19日火曜日

きょうは寒い

千葉の小学校で福島の避難者の子供たちが学校でいじめられたという。
「うつる」ということで。

広島の原爆のときも投下後江田島の兵学校から広島に救援に向かったG先生たちが後に「うつる」ということで差別された話を聞いたことがある、当時と今では知識の量・質がまったくちがうけど。

いじめは人間の獣性の名残なのかなと認識する。本能なのだろう。
異質、異物をはきだそう拒否しようというのである。
前にも書いたが、これを修正・リファインしていくのが教育のちからなのだがそれにもかかわらずこの"獣性"は人生のあちこちで顔をのぞかせるものと思われる。
風評被害もこれと同じことである。
人間のさがなのだろうが罪深いことである。
おとなの世界のいじめは日常茶飯事であるが、こんなにひどい仕打ちをうけた被災者に対してまでこういう人間の非洗練・暗黒部分がもろにそれも子供の口から出てくることに人間というのは何千年たっても、あるいはこれからずーっと、改良されないのかなと落胆するものである。
単なる野獣・・・かなしいな。

「白人の使命」も同様であろう・・・いい点もたくさんあるが・・・デモクラシー、多元主義とかきれいごとのお題目ばかりで、やってることは(自称)善意・正義の押し売りばかりのようだ。

かと思うと暖かいニュースで、ドナルド・キーンさんが日本に帰化するとかなんとかきのう出ていたようですね、キーン先生は日本にとっては特別中の特別な方だけど。

2011年4月18日月曜日

楓の花

もみじのごくごくちいさい赤い花がかわいい。
この時期のおおきな楽しみのひとつ。

市議選。
市民一万人あたりひとり。
8年前の金銭授受による選挙違反で公民権停止(5年)が大量に発生したので他市にもこのことを記憶されているかたもおられるかもしれないが、何人か今回出馬している。
被災地支援に隠れて当市に関わる論点が不明である。

疲れてきょうは脱穀休み。

史記列伝をひろい読みする。
司馬遷(BC100年前後のひと)は漢のの武帝のころのひとだが、我が国がアマテラスと天皇の意味をさぐりこの国のルーツをくみたてつつあったはるか前からこれだけの権力闘争・ドラマを展開していた中国の歴史におどろきを感じずにはいられない。アレクサンダー大王がインドにまで遠征してきたのはもうちょっと前だろうか。キリストはまだ生まれていない。
ローマ、イギリス、アメリカ等ひっくるめてパックス・ユーロピアーナと呼ぶのならばこれから先過去あったほどの「アジアの時代」とよべる時がくるのかな。
WASPの使命感の行き詰まりがあるとするならば・・・あるだろう・・・そのあとに来るのは何なのだろう。決して正反対のものではないと思うけど。

夜仕事の帰りに雑木林と茶畑の間の4メートル道路を走っているとたぬきが目の前を横断・・・とっくりをさらに細長く腹の部分をもうちょいふくらました体躯の動物・・・した、びっくり。去年は「となりのトトロ」に出てくる七国山病院」の山の稜線をはさんで反対側にある久米田んぼ水源あたりの竹林ら出てきたのがよれよれとして目の前に現れたのをじーっと観察、あのときは逃げなかった、逃げられないほど衰弱していたのだろう。
農家が農薬等を昔ほど使わなくなったり雑木林の下草刈りをしなくなってやぶになってることが生息環境の良質化もたらしているのだろうか。
数秒の出来事であったが逃げ込んだ茶畑に向かって「車や人間に気をつけろよ」と念じた。

夕飯時「はんちょう」という番組に唐十朗が出ていた。北の国からに素っ裸で出ていたのをみてから久しぶりにみた。

毎日のようにテレビに映し出される被災地のがれきの山をみると、現実問題としてこのがれきの撤去・・・それ以前に海の中と併せて行方不明者の捜索・・・にとてつもない困難がともなうことをしろうとながらにも痛感する。
政府の指揮が重要である。
目下は目の前に起こっていることの処理に追われているが、同時に先への展望もきちんともって行動していかなければならない。
原発等はそもそもは自民党の時代の工作物である。
質問している野党側の発言もむなしい。

東京(とその郊外)の繁栄の基礎の基礎インフラはみんな他県にある。
その恩返しをするときだよ。

自衛隊員も過労と思われる原因で2名亡くなっている。
こころで願っているだけの自分が情けないのだが・・・。

2011年4月17日日曜日

きのうよりは

低めの気温だがまあ、暑い。
一年のうちでもっとも心地よいと感じられる日和なのではないだろうか。
ちいさいほうの山を半分脱穀。
日陰乾燥はだめだということを再認識、まだ虫の生きたのがたくさん入っている。
歩留まりも悪そう。

きのうきょうで一気に疲れたようだが、暑さにも慣れたような気がする。
夕方はきのうもきょうも風で寒い。

スパイダーマン3があるんだ。
ちいさいテレビが欲しいなあ。
自分の部屋のはディスプレー専用でDVDのために使っている、テレビはつなげてない。
リージョン1もリージョン2もみられる。
画面はちいさくて、何インチというんだろうか。
ときどきつかなくなってたたくとついたり音が出たりする。
接触不良だと思うがもう寿命かなという気もする。
夕飯食べてる時以外はテレビはみないのでこれでいいのかなという気もするのだが・・・。
今手塚治虫の孫悟空をみている。
基本の筋は合っているがそうとう子供用におもしろくデフォルメしている、おとながみてもいいかな。
これが終わったらジャングル大帝だ。

横山有策先生の「シェイクスピア研究」の2冊目を買う。最初のは箱付きの美本で保存用。どちらも昭和6年の初版で1000円台、重い。20代からずーっと探していたものだがおととし箱入り美本をみつけた時にはとびあがんばかりに喜んだものである。MKに合ったことと並んでこの年のこの2つの出会いは自分にとっての画期であった。これは天命なのであろうか。
きょうのは赤線引きありのものだが表紙や背はちゃんとしているので読書用にする。
この本はNHKへ行ったMI君から教わったもので、この本によって自分はこの道に導かれた。
でもここ20年くらいブランクだった。
ジャンジャンというのにも良く通ったものだが、江守徹や平幹二郎、ボローニアス等名脇役の橋爪巧、太地喜和子さんなんかもさかんにこの分野をやっていたころで懐かしく思い出される。
太地喜和子さんは顔が丸くてでかくテレビに映しだされるが舞台で見た実際はほっそりとした美人であった。PTAの二次会のカラオケで良く唄われていた「かおでかーい」というばかな歌を聴くと太地喜和子さんの顔がすぐ思い出されたものだが、すぐに亡くなってしまったことは残念ではあるが、舞台での姿ははっきりとまぶたにきざみ込まれている。いい役者だった。
今では長老の小田島先生もばりばりの売れっ子学者だったかな。
斉藤勇が孫に殺されたなんて悲劇もあったっけ。

2011年4月16日土曜日

夏日

脱穀には最悪日和。

納豆もそろそろ平常状態のようだ。

ビールはどうやらおおきな工場がいくつか全壊したようだ。
1/3程度しか入ってこないと卸屋さんが言っていた。
輸入ビールに切り替えろといわれても・・・嗜好品だからね。
酒にしろ・・・これも無理だよ。ビールはビールの世界。
安定供給に1年程度かかると言っていた。

あと残りの2山にとりかかる。
風が強く風向きに合うように脱穀機の向きを塩梅する。
ひなた干しでなかったためかくだけ具合はよくない。
はじめから終わりまで日陰干しはよくない。
久しぶりにステレオを聴く。
ウォークマン系のものは静かに聴くにはやはりものたりない。

2011年4月15日金曜日

桜吹雪、桜地吹雪

の中を車の運転いい気分。
きょうも暑い。

ここ何日かつづけてきた山を片付け終わる。
あとこぼれおちたものの片付けはあした。
そのあとは、あと2山。

夏の電力供給が増えるということだ。
教育的配慮からいえば大型小売店などは節電の訓練の場になったのに、と思うのだが。
コンビニも深夜営業はいらない。
ライフスタイルが変わったから・・・ではなくそのライフスタイルが間違っている。

大型小売店の節電の分、飲食店には夜がんばってもらいたい。
酒が人の絆・輪を広げ強め、イマジネーションを増幅させる。
飲み・食いの貧困な社会に豊かな人間性は育たない。

2011年4月14日木曜日

朝から半袖

暑い。
来年発売予定の家庭用発電機を今夏に間に合わせようと東芝・パナソニック(?)が80-150万で売り出すそうだ。国の補助金で安く・・・というけど財源なんかあるのかな。
あれば便利で緊急停電や強制停電・節電対策には最高だろう。ただしこういうものを使わざるを得ない状況とは、電力問題が現状維持かそれ以下になることなのでいいことなのかわるいことなのかは意見の分かれるところだ。
水のように(これもこれからは死語になるだろう)垂れ流しの電気使用自体が反省されねばならないことだが商売・家庭ともどもおおきな"減電"をせまられることになる。
原発問題で毎日のようにたたかれている菅さんと枝野さん、東電社長。
被害をおさえ込むことが第一。
責任問題といってもかなり複雑な体系をもった"世界"のはなしだ。
監視・コントロールのきびしくなされていない"特別知"の世界。
トップの首切りの繰り返しだけですむ問題ではない。
きびしいコントロールができないのは天下りと御用学者の権力構造、政治家のぼんくらサラリーマン化、マスコミの無知・知ってて無批判体質等々力のあるものたちの無責任体質に起因する。
こういったひとたちの"愛するひとたち"とは"民"という感覚はないのだろう。衆愚などというのは死語かと思っていたが権力という雲の上では生きている言葉なのかな。
愛するひとのためにはすべてをなげだすのが人間なんだけど・・・動物の母性にもある。

脱穀3時間。
きょうも大疲れ。
寒い中の3時間と暑い中の3時間はおお違い・・・まだ暑いのになれていないからかな。
ぐったり。

北海道の青豆「早生緑」を漬ける。

仕事から帰ってくるとタイム・ショック。
田宮二郎がなつかしい、明智小五郎。
毎日毎日クイズ番組でうんざりだが「切り売り」タイプだからつまんないんだろう。
物語に組み立てられた歴史や地理、科学のクイズならおもしろいんだろうけど制作費のかからないこういった出演料だけの番組がはやるんだろう。
マスコミは権力であるが、想定視聴者をばかにし衆愚扱いした制作はいいかげんにしてほしい。

ビールがうまかった。
ビールがないってほんとなの?
沖縄の45度が飲みたいなあ、来週だ。

福島の10キロ圏内の捜索が始まったそうだ、もうひと月を越している。
状況がむつかしすぎていたしかたないといえばいたしかたないのだが家族にしてみれば・・・。
言葉もない。

このブログももう半年になるだろうか。
一日だけ忙しすぎて書き忘れた日があったがあとは毎日書いてきたと思うのだが。
書きつづけることに意味があるかどうかわからないが、義務的にキーボードを押すのだけはやめようと思う。
おもしろいネタは付き合いの狭さからたくさん所有してるわけではないのでテレビの感想や社会の出来事の感想、DVDの感想だったりすることが多くなるかもしれませんがお許しください。
人見知り・・・克服したようなしないような、とにかくどんなひとともつきあっていいとこを取り込んでいこうという努力は避けてきた人間なのでしょうがないね。政治もきらいだけどノンポリではないと思うんだけど・・・。
小市民というのかな、こういうの。

2011年4月13日水曜日

自転車

車の免許をとってしまうと趣味ででもない限り自転車に乗ることはほとんどなくなってしまう。
20代あたまで免許とったあと自転車に乗ったのは、こどもに自転車を教えた時。
そのあとはPTA。
そのあとは永くて、地域の配りものをするようになってからかな。
たまにペダルを長い時間漕ぐと2日くらいしてから足がいたくなる。
実は我が家には使用可能な自転車が一台しかない。こわれたのは3台放置。
きのう農協の引き継ぎで出かけようとしたら自転車がない・・・・と思ったら見えないところにしまってあったのだが。
見つからないと思い父親のスズキ電動車いすででかけようとまで考えてしまった。
車ばかりに乗ってる者の欠点だな。車社会の弊害。
自転車がいい。
自転車に乗らない、とはすなわち地域をみていないということになる。

映画監督(?)の山本晋也が彼の番組で縁のできた三陸の山田町の小学校をおとずれこどもたちを励ましていたが、その中の子供たちに対する質問「今どんな気持ち、将来・・・?」に対する子供たちの答えは「美容師になってここで美容室・・・」「料理を勉強してここでお店を・・・」「父親のあとを継いで漁師に・・・」「東京で勉強してそのあとここで・・・」・・・という答えにはただすごいな、という気持ちで自分が恥ずかしくなってしまった。
たくましく育っていくと思う。
高台にある学校の教室から見下ろしたもの言わないがれきの山がつらさを訴えてはいたがこどもたちのたくましさに(もちろんこころのなかにはさびしさ、くやしさ、つらさ・・・が充満しているのだろうが)こちらが励まされてしまったようでもある。

3時間脱穀。
きょうは暑くてまいった、疲れたよ。
騒音の中でホフのピアノでリストを聞いていたがクラシックはダイナミックレンジが広いので無理かな。
脱穀中は歌謡曲か民謡か落語か朗読か講演だと思う。
ほんとに暑かった。
脱穀柄がだいぶたまったので肥料用大豆(かびの生えたものや虫のわいてしまったもの)とともにまいてこなくては。
朝から気になっていた臓器移植。
どうやら手術は滞りなく終了したようだ。
提供した10代前半の子の思いが家族に伝わりさらに受け取った側に伝わりといういのちの伝達を通して、提供者であるこの子のおもいの火が消えることなく世の中にメッセージされていくことを願うばかりだ。
きのう新聞を見てからずーっと考えにふけっていた問題だが多くのひとに勇気を与えたおおきな事件だと思う。
うち一件は地震直後大きな浸水・破壊を受けた仙台空港への移送・東北大での手術ということで成功を願うばかりであったがうまくいったようだ。
面識もないひとへの"いのちの提供"・・・限りなくとうといことだ。

2011年4月12日火曜日

海棠(かいどう)の花が満開。

これもいい花だ。
ちょいと寒いがさわやかで気持ちいい晴天だ。

農協の事務引き継ぎ。

チェルノブイリと同じレベルだとか、びっくり。

埼玉県久喜市(関東平野もかなり内陸のまち)の造成地でも粒状化現象が起こったとのこと。
"埋め立て地"は海岸、内陸にかかわらずおおきな地震で起きてしまうということだろう。
武蔵野線を千葉方面に向かうと南浦和を過ぎたあたりから水田地帯が多くなりあきらかに水田のあとに造成したと思われる住宅街や巨大ショッピングセンターが現れるが、この手も危ないような気がする。
もうひとつ、山間地は当然予想できるとして、平野部でもそこここにある台地の斜面にびっしりと建った住宅も安心していられるのだろうかと疑問をもつ。
粒状化とは話が違うがかなり急と思われる斜面でも、もったいないとばかりに家をびっしり建てているのをみるとこわくなる。
巨大地震なら当然地盤はゆるむと思うのだが・・・雨と合わさるとどうなるの。

都心・首都圏がやられたらどうなるのだろうか。
原発も火力もダムもない。
農地も漁場も事実上生産量は問題にならない。
ただしひとはいっぱい。
行政・企業の中枢が集中。大病院もたくさん。
指揮や情報からめためたになるものと思われる。
一極集中の弊害は昔から"想像力"の範囲内でしか語られていないようで、遅遅として分散化は進んでいない。
電線を介さない連絡網、帰宅難民の緊急避難・帰宅円滑策、事故者への医療の対処・・・等々軽い想像力でしか対策してないんでしょうね。

15歳未満の脳死判定・臓器移植。
とうとい決断だ。
齢を有る程度へた者の場合ですら遺族の決断には対立がつきものだと思うが・・・。
むつかしい問題だ。

ダン・ブラウンの「悪魔と天使」のDVDをみる。
ダ・ビンチコードと違ってわかりやすくておもしろかった。
ダビンチコードは本を先に読んでいた(非常におもしろかった!)にもかかわらず映画はあまりにもストーリーを2時間なんぼの世界にかたっぱしからつめこもうとする強引さ・拙速さがもろに感じられ感心しなかった。
こちらは作品としては先に出版された小説ではあるが、映画も前作への反省からか整理整頓・よくまとまっていてわくわくとしてみられた。本はまだ読んでいない。
田近さんのご主人の同級生であった"釘の話"で有名な尻枝神父がお勤めし帰天された、また涼子ちゃんの通っていた音楽院のあるヴァチカンの映像を堪能できた。だじゃれによく使われた"コンクラーヴェ"もストーリーの重要な部分に。
もう海外旅行なんてのも夢の夢だが、イタリアに行ってみたいな。
ただで旅行させてくれる映画がありがたい。

2011年4月11日月曜日

東川の桜は

東京オリンピックで所沢がクレー射撃の会場になるのを記念して植えられたもので、もう50年くらいたつのだろうか。
50年でもこんなにぶっとくなってしまうんだな。
地震を考慮してかいつもの無粋なちょうちんはなく美しい並木となった。
M3を見せびらかしながらスナップしているおじさんか゜かわいかった。
桜はやはり"水"と合う。
見学者に注意しながら車で通りすぎただけだがわずか数分の出来事がこころに沈殿したろうか。

県議選終わる。
逆風下の民主党の看板を隠すこともなくそのまま押し通した水村という近所の青年が当選した。
ころころと所属を変えたり、隠したりの政治家を身近にみていたものとしては心地よかった。
ただ内容は話しをしたこともないのでわからない。
政党に意味があるのかないのかわからない時代になってしまったが・・・。

所沢に4人ということは10万人にひとりということか。

脱穀3時間。
いつになったらこの品種は片付くんだろう。
夕立となる。
ほこりだらになっている自分には気持ちよかった。
この程度ではまだ桜は落ちきらないとおもうが、桜はあきらめて目の前満開のぼけとゆすらうめにうっとりしていた。まっくらでなく明るさの有る中での夕立はここちよい。
このぼーっとした時間も大切だな。

大澤悠里が葬式のときにかけてくれという曲がベートーベンの「田園」で常日頃自分が思っていたものと同じでうれしかった。こどものころからずーっとそう思っている。自分の場合葬式というより、それを聞きながら息を引き取りたいということだが。ただしこだわりがあって、サヴァリッシュ/アムステルダム・コンセルトへボウのもので盤面がすり切れて2枚目も買ったレコードの演奏である。
自分がこの世界に入った動機は夕方6時台に夕立があった今日みたいな"あかるい"かみなり様のときで、NHKのAM第一放送でその時間帯にやっていた解説付きのクラシックの番組だったとおもうが、ちょうど第3楽章から第4楽章へ移行するときの例の"雲間から明かりが差す"ところをやっていたときの感動からである。5年生くらいだったと思うがそのときの場面は焼き付いている。演奏そのものは日本の指揮者/オケだったと思うが、そのあと買ったのがサヴァリッシュのものでステレオのなかった我が家ではこの田園のために安物のプレーヤーを買ったのである。
針交換は針ユニットやカートリッジそのものを変えるタイプのものでなく、平たいヒューズのような針付きカンチレバーを交換するタイプだったような気がする。
ちなみに蓄音機はあったと思う。よく重いレコードを円盤にして屋根の上目指して飛ばしていたっけ。今だと一枚4-5000円するとおもうが。

実はおととし亡くなったMからは「自分の葬式のときは・・・」ということで、葬式のやり方の遺言めいたものを聞いていた。あの子供たちではとてもかなわぬ夢であったが、自分の夢のなかで実現してあげた。それでよかったと思う。

夕方余震。かなりおおきいと思ったが震度4。震源地は福島(?)で震度6。震度6が当たり前の余震になってしまつたようだ。被災地でまた停電とかないといいのだけれど。

ビールがないそうだ。
いろんなとこで故障が起きているんだね。

2011年4月10日日曜日

ねたぎれ?不感症?

ブログのことではありません。
野菜やくだもの(大豆も?)のネーミングのことです。
トマトやいちご・ぶどう・りんご・・・など畑のもので品種改良された新しい物にさまざまなおもしろい名前やだじゃれまがいの呼び名がついたものをたくさんみかける昨今だが、こうあとからあとから新しい"キャッチコピー"が出てくると、よく考え工夫されたとおもわれる名前でも「あ、そう。またか」といった感じになってしまい感動もうすくなってきた。借金なしもそんな仲間かな、これは在来種なので格は一段上だが。
とにかく品種改良のピッチが異様に速くなってきたような感じがするが食べる側が追いついていけない。そんなに合成品種の数がいるのかね。
それより農法・育て方のほうがずーっと大事だと思うんだけど。
もちろん耐害虫、耐熱、耐寒、耐乾燥・・・といったものは相変わらず重要な研究領域だとは思うけれども。

仙台八郎太すなわち仙八先生こと佐藤むねゆきがラジオにでていた。生で青葉城恋歌を歌ってくれ胸にせまるものがあった。地震の被災地を回っておられるようであのイメージのままのやさしくて"強さ"を秘めたひとだなと感じた。彼は20数年前船形山山麓の広場で自然保護のためのコンサートも毎年(?)開いていたと思うのだが、東岳(?)麓の鏡池の近くにあったその広場を通って及川さんと下山したときのことを思い出す。
この歌を聴くと及川さんの車で仙台市内に入り、上に屋根がついた部分になって左に夕日をあびてきらきら輝く広瀬川の水面、川の向こうには宮城県庁(盛岡と混同してるかな?)をのぞみ充実した山行を終え幸福感にひたってこっくりこっくりしていた自分を思い出す。
仙台は第二のふるさと・・・ではあるが町の中を歩いたことは2回しかない。
仙台の駅自体には30回くらいは降りているだろうか。
いつも朝3時か4時ころだったと思う。
早すぎるのでロータリーへ出る右翼の鐘崎のかまぼこロボット店舗の前で及川さんの車がくるのを待っていたものだ。
その及川さんも50ちょっと過ぎで逝ってしまった。
20年も前の遠い記憶だがいきいきとこころの中に活き続けている。
自分のながーい人生を振り返ってみると、家族はのぞいたとして、友達をそんなにもたなかった自分としてはさほど数は多くはないのかもしれないがそのときどきに自分を励ましてくれていたひとがいたんだなと今気がつく。
もちろんその時に「励ましている」ということばが使われていたわけでもないのでそのことに気づいていたわけでもないが、結果としてやはり励まされていたことになってたんだなと今頃になって気づきはじめる。
夏期講習の時の英語の「名前忘れちゃった」先生の"all of a piece"、本の中の世界だけど横山有策先生、相原先生、猪熊先生(一期一会)、及川誠さん(マコちゃん)、熊谷の試験場の渡辺耕三先生(がん末期に一対一の2時間の講義を賜る)、G先生・奥様、がん末期4ヶ月のM、小島さん、武澤先生、上條先生とその仲間たち・・・場合によってはこちらが励ましていながら実はこちらが励まされていたんだなと今になって気づく。
霞みを食っているような気取り家にとっても、実はひとりで生きているのではないんだということだ。
お返しは社会に対して、つまりまじめな仕事をしていくということしかない。

脱穀3時間。太田裕美を聞きながら快調に飛ばす。
ごみ混じりでもう150キロくらいはあるだろうか。
一反程度の播種だが意外と多収であったのかもしれない。
これは甘みが豊かでほんわかとした味のうまさである、キレはない。
ルノワール味といえる。

東京は東電の電気をもっとも使っている地域。
東京には原発はない。
火力発電もない。
奥多摩湖と相模湖にはダムがあったかな、それだけだ。
畑も牧場も漁場も事実上ゼロ。
都民はこのことを真剣に受け止めなければならない。

2011年4月9日土曜日

MDのボリュームは

どの機も最高の目盛りで聞いているのでいかに耳が悪いかと言うことがなっとくいくのだが、きょう携帯CDプレーヤーでCDを聞きながら脱穀していた時の目盛りは7割程度の目盛りだったろうか。
また音質もCDのほうが豊かに感じた・・・音域の広さとかいうものではなく音の粒のふくよかさである。
ただ携帯CDプレーヤーはかさばってしょうがないので収納ポシェットかポケットのおおきい作業着が必要である。
なんといっても音楽ソフトは自分の場合テープについでCDが量が多いので携帯CDプレーヤーは大切である。この機械もヤフオクで3000円台だったと思うがMP3も聞けるので便利である。パナソニック。ソニーのは音質はずーっといい感じで、音域も広く感じるが故障が早い。すぐ音飛びし出す。レーザーピックアップをおそうじしてもだめなので回路の問題だろう。安い部品を使った機械はどんなに新品の時調子よくても、部品保有期限内に不具合を生じる。部品保有期限をすぎても快調な機械という物には敬意を表せざるおえない。良きものつくり精神のあふれていた時代・メーカーの文化遺産といえる。

いま脱穀している品種はおおむね30-40程度のさやの数であるがときどき(というよりけっこう)200以上のさやがついているものが出てくる。
うねのはじっこというか道路に面したりしているところは風通しや日当たりのよさが手伝ってかどんな品種でもさやの数は多く、枝豆を盗まれてもそこそこのさやの数を維持している。
ということは密植ではなくすこし余裕をもたせたらということを考えるのだが、やはり雑草を覆い被してしまうということにおおきな意味があるのでやはり密植でいくしかない。
でも200もさやがついている株はやはり栽培しているものに元気を与えてくれる。・・・やる気を起こさせてくれるものである。
ゴミ入りで100キロはもう脱穀したろうか。
思ったよりたくさん取れている。

結局雨降らず。

どん底に落ち込んだひとにどう向かうか。
話を聞いてやるだけでいい。
ああすべきとかこう考えろとかは言わない、しゃべりたいだけしゃべらせて聞いてあげるしかない。
そして生き続けることの意味をそのひとに併せて工夫してしゃべるしかない。
聞く側もつらいけど一緒に悲しみ苦しんであげること。
ついこないだまで自分もどん底にあった。
完全に脱したわけではないけどいつもはげましてくれたひとがいた。
自分のことを思ってくれているひとのためにも生き続けることだ。
"思われている"という感覚がひとに前向きの力を与えてくれる。

2011年4月8日金曜日

夜中の地震には

びっくり。
東北道閉鎖。
宮城2人、山形1人亡くなる。せっかく生き延びたのに・・・。

2時間脱穀。
あしたは雨だけど・・・。

消費税が1割になった時を空想するのだが・・・。
口実がしっかりとしているからといって価格表をそうかんたんに10円プラス、20円プラスにできるものか悩んでしまう。小売りはつらい。
そもそも世間より高い、という・・・正当な理由はあるのだが・・・ことなので相当気まずい思いをすることになるだろう。端数が0か5になるように"以内"で調整ということになるだろう。
物販というのはそうかんたんに価格をあげられるものではない、事実上値下げする部分が多くなると思われる、かといって売れるわけではない。
飲食店も上げづらいだろう。
そもそも500円、1000円単位にしたいところだと思うので困ったことだと思う。
サービス料をきちんと取っているところはきちんと消費税加算してくるだろうが、居酒屋さん等はやりづらいと思う。
サービス料っていったいなんなのかしらね。

業務用取引はやりやすい。
伝票でx1.05をx1.10にするだけだから。

2011年4月7日木曜日

田島ヶ原のさくらそうは、

咲き始めたかな。
武蔵野線を南浦和方面へ向かうと川をわたって桜草の咲いている部分が眺められるのだが、ひところ写真のために通い詰めた名所もひとが多すぎて最近は全くご無沙汰。
人間社会に何が起ころうと毎年静かに同じ営みを繰り返して清楚な晴れ姿を私たちに披露してくれている。

桜は満開に近い。
子供の頃はいつもこのぐらいの時期だったろうか。

原発もどうなるんだろうか。
また水素爆発しそうだという炉もあるとか。
あまりに特殊な領域で専門家による知の独占されていた世界なのかもしれないが、現場で処理しているひとたちは命がけだ。
物事が起こってしまってからでないと知恵が働かない、というのは人類が延々とくりかえしてきた愚行だが他山の石となる世界中の先例事故からはたいして学習できなかったのかな。
原子力にかかわる「知」の世界にいるひとたちの無責任さを痛感する事故だ。
東電の経営者たちにも把握できない既知の技術的危険を多くの「知」のひとたちは知ってたはずだが、何も発言しないか発言しても受け入れられないですぐにあきらめてしまっていたのだろうか。
工業技術の「知」に携わる物たちは自分の職業の責任のおおきさをもっとぴりぴりと感じなければだめだよ。
事故の責任はもちろん最高経営者が追うわけだが、ほんとうの意味での重い責任を負うのはこの「知」を担ったひとたちにあると思う。

3時間脱穀。
日が延びているので5時を意識できないでひやっとする。

空から眺めた・・・という番組がおもしろいが、きょうは伊豆半島。
下田というのは半島の最南端かと思ったらちょっと手前のようだ。
それにしても白浜をはさんでの近隣はきれいな浜ばかりだ。
リアス式海岸も震災のあった三陸みたいで美しいかぎり。
でも石廊崎港など深くて狭い湾内の港で、津波がきたらアウトだろうなと感じた。
美しいふるさとをもったひとたちは、反面そういった自然のきびしさのリスクも負っているわけだ。
電車や車で行ったんではわからない角度からの風景でとても楽しめた番組であった、ありがとう。

MR復活。
「かもめのたまご」も復活。
ぞくぞくと復活するぞ。

2011年4月6日水曜日

半袖。

20℃くらいあるのかな。
桜が週末にかけて見頃だろう。
きょうは入学式が多いのかな。

計画停電は5月頃を目安に中止ということのようだ。
その代わりに企業には強制節電、一般にも協力節電ということらしい。
夜中に製造という大企業も増えるだろう。
冷蔵・冷凍倉庫屋さんは節電しようがない。
大型小売店舗もここでまた8時閉店にもどったが6月頃からまた7時あるいは6時半閉店せざる終えないだろう。大型店の消費電力はクーラーで一気に上昇する。場合によっては地上階は閉店で地下のみ営業という夕方のパターンが定着するかもしれない。
冷蔵庫を使う商売には心配のタネの夏がなんとかなるのだろうかと少しは安心するのだが、そのときにどういうことが起きるかはそのときにならないとわからない。

MRが復活。震源地の隣とはいえ内陸であった点がさいわいした 。
建物の破損や海岸の倉庫の品物が流されたりがあったのかもしれないが若いのでがんばれる。

脱穀3時間、疲れた。きのうの続き。
この品種は推定200キロ程度は取れそうである。そんなにひどい虫食いではない。

2011年4月5日火曜日

脱穀3時間。

きょうのは乾燥しすぎたのだろうか割れ豆が若干混じっていた。昨年もっとも面積の多かった品種だがひと株に付いてるさやの数は少なく30-40程度だろうか。大粒、茶目。
虫食い等はそんなに多くはないので栽培はしやすいほうだと思うが量はそんなに多くはない。
脱穀機は株の乾燥場所にもってきての作業。
脱穀殻の吐き出し口には満開のぼけやユスラウメがあり、ごめんなさい状態。

武澤先生の「伊勢神宮の謎を探る」も真ん中あたりまでにたどつき勢いが付いてきた。
脱穀しながら"ことば"についてあれこれ考えを巡らす。
すなわち神の名前の変遷やある事柄・物の呼び方の変遷(誤用や勘違い等も含めて)などを通して、ことばがふくらみをもってくる過程の分析を通し当時のひとびとのこころの問題を推論し、かつ古事記や日本書紀の文字との比較から神社のありようの変遷などを推理しているところがとてつもなくおもしろいのである。
哲学は行き着くところ「言語学」である、だれかが言っていましたが言葉がさまざまにふくらみをもってくる過程とはほんとにおもしろい。辞書の楽しみとはそういうところにあると思うのだが、言葉をつむぎ出すひとたち、特に詩人たちはこういうことばの背後・周囲への広がりを楽しみながら文章を組み立てているのかなと、感心してしまう。
自分は子供のころから国語が大嫌いで、こないだも入試のシーズンに共通試験や高校の試験問題の解説が新聞に載ったりして「傍線部分の作者の思いは・・・」なんて問題をみるといまだに腹がたってしまうのであるが、こういった「感想の強要」みたいなものをテストすることになんの意味があるんだろうと思ってしまうのである。
この年齢になるとさまざまに想像力を働かせて、時にはたからみたらとんちんかんとも思える見方をしているのかもしれないがそれがなんとも楽しく感じられるようになってきた。
詩は知性や感覚のエッセンスの発現で、若い頃にはまったくちんぷんかんぷんであったものも今ならば楽しめるのかナー、なんて楽観的になってしまう。
それにしてもことばをつむぐ人たちの感覚の豊かさには恐れ入るばかりである。
自分にはもっとも縁遠い領域かもしれない。

豆腐にも少しはそういう箇所があるのだが・・・おおげさかな。
「この豆の一番いい状態、というものを作り出すのが名人」と部外者は思うかもしれないが、作る側からするとかならずしも答えはひとつではない、というよりも究極であろう状態はわかっていてもそればかりではおもしろくないので意図的にちょいとずらして作っている、ということが自分の場合の真実である。"答え"にふくらみをもたせる、というかおいしさのおもしろさの多様性を食べるひとに楽しんでもらうというのが自分のやり方で、決してひとつの答えを押しつけるものではないということがわかっていただけたらうれしいのです。
こういうところが不真面目ととられるかもしれませんが、真剣に遊んでいるのです。

この4月から小学校で英語が必修になったそうです。
おろかとしかいいようがない。
英語の"できない"官僚や審議委員たちが決めたことだろう。
国語教育の変革・改良こそ必須だと思うのだが。

2011年4月4日月曜日

桜三分咲き。

いい天気だけどちょっと寒い。
自分にはわからないのだが花粉がすごいということだ、ひのきとかなんとか。

畑はぶた草とかなんとかいうのがびっしり赤い(紫)花をつけていて遠くからみるとれんげみたいできれいである。となりは全く草なしで風が吹くとほこりだらけ。
かき混ぜるのはもうちょい待つ。自然農そのものではないのである時点でかき混ぜる。一部不耕起もしてみたいのだが・・・・。
全くの無手勝流で何が起こるかわからないのがわが農法だが、あえてひとの意見は求めようとも思わない。
去年統計事務所の検査に供した畑は連作五年目で連作障害真っ最中のはずなのがおととしある野草を蒔いたらあのような「反収295キロ、しかも無農薬」になってしまった。
品種の選択なんて言ってもいつもいいかげんに・・・といっても全くのでたらめではなく多い少ない程度はわかってはいるのだが・・・蒔いているのだが何でああいうことになったかの理由がわからない、・・・自分では理由をくっつけているんだけれど。
ことしは他の連作障害畑にこの野草を蒔いてみようと思う。
来年障害が改善されればこの野草は「畑の薬草」ということになるだろうか。

脱穀2時間。柳澤峠完了。

付け足しだがきのうのロケットの失敗に際して科学技術庁長官だったお真紀さんが平謝りにあやまる姿が見苦しかった。現場の気持ちばかりでなく、科学そのものに対してなにも考えてないB級政治家の姿にあきれて言葉がうかばなかった。
これが"エリート"なの。

2011年4月3日日曜日

40度4杯

昨日は40度薄めないで4杯飲んだのだがまったく酔わないで帰宅、どうしたんだろう。
武蔵野線新秋津はエスカレーター停止。京浜東北北浦和は動いていた。
いつものメンバーでにぎやかにおしゃべり、楽しかった。

きょうは7度くらいしかないそうだ。とても寒い。
桜もほんの咲き始めというところだろう。

夜帰宅するとフジテレビで「はやぶさ」のことを宇宙戦艦ヤマトの作者のアニメ併用で物語っていた。こういうのは好きなので釘付けになった。
きわめて少ない予算の中で、たぶん持ち出しもしているだろう・・研究者も、手伝いの町工場の社長たちも・・・思いだけで夢をかなえようと必死になっているひとたちがすてきであった。
そんなものにカネ使うんなら福祉・・・という議論は必ず出てくるはずで、肩身のせまいおもいのなかで命をかけて夢に取り組んでいるひとたちにここ打たれた。
こういいう世界では成功も失敗もみな「成果が無限大とかゼロ」という判断は付けられるものではなく、失敗しても必ず副産物があるものである。
基礎科学が「カネに"直"つながらないから資金不足・・・」というのはこのご時世で当然予測されることだが、宇宙開発のように応用科学で予算が限りなく減少していくというのは工業としては最先端であるにもかかわらず被差別の哀れな分野かもしれない。
でも後の時代に必ず理解・評価されることを確信して・・・というより当事者たちはそれすら意識にしない純粋な夢追い人かもしれないが・・・思いを、(世間から白い目で見られている)わがままを貫き通してください。がんばって。

自分のはスケールもちいさいし金額も問題にならない「くるみの殻の中」の遊びだけれど、このまま突き進んでいくしかない。自滅するかな・・・すくなくともきのうの北浦和のメンバーは応援してくれるはずだ。がんばる。

作りたてと思われるロッテのアーモンドチョコレートが異様に香ばしくクリスピーであった、感動した・・・小泉さんみたいな言葉遣いだけど。

2011年4月2日土曜日

暑くて半袖。

きょうは桜がさいたま北浦和。
みんな来てるかな。
縁はおもしろいな。

県議選が始まったが静かである。これが終わると市議選か。
瞬間、選挙をやってたこともあるが選挙を介しての縁はやってる時だけのもの。
離れてしまうと何もない。

昼過ぎ疲れたのでテレビ。
海外に流れた日本の美術品というのをやっていた。
え、こんなにあるのー。
スペインの教会にある螺鈿蒔絵の物入れがすごい。
聖人の骨や衣類が入っていた。

イスラエルにあるTicotinというコレクターの集めた浮世絵1000点がすごい。
色の状態も良いすばらしいものばかりである。
日本のオリジナリティー・クリエイティビティときちんと評価した目利きの大仕事であった。
あちこちに散逸したものをひとところに集めたことは大きな意味がある。
北斎のindependent spiritをきちんと評価できたヨーロッパ人である。
やはりこういう番組はNHKにしか作れないなと感心した。

2011年4月1日金曜日

かなり暖かい、暑いの一歩手前。

計画停電は4/4までやらないとのこと。
天気予報に従って決めているのだろう。

復興財源がらみで消費税がかんたんに上がりそうである、反対するひとはいないだろう。
1割は確実かな、それも早急に。
一番喜んでいるのは議員たちだろう。
今ならりっぱな大義名分がたち、復興がほぼ完了(完了なんてことがあるのかどうかわからないが)のあかつきには下げることはないだろう。
一割は序の口で1.5から2割くらいになるのも間近なのかな。
地震直後のごたごたで景気の良くなった業種もあるだろうが、これからじわじわと落ち込んでいくだろう。
底なしの消費減衰となっていくのであろうか。
消費税アップで一気に下降線。
スパイラル(ダウン)とはよく言ったものだ。

原発の事故に関しては世界中が注目しており収束のための協力も、「この世界は一体」という意識があるせいなのかもしれない。
原子力開発の研究者・現場のひとたちがすべて仲間意識があるのかな。
でもテレビのコメントに出ている学者の中にはにこにこしながら「あー、しとけばよかった」、「こんなんじゃ無理もない」とか他人事のように発言する人もいるのでいやな感じがする。この分野に関わる研究者世界全体が責任を感ずるべきである。・・・もっとも原発の必要性は国民の総意、ということになっているらしいが・・・。誘導もあるとは思うが、歴史の必然性・時代の意志なのかな・・・やだね、この言葉は。