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2011年4月30日土曜日

きょうは何の日

ただの月末か。
10日も連休するひともいるのか。

少し寒い感じの曇り日。

お店で「萩の月」を売っていた、新聞に書いてあったな。
被災者の援助といってもいくら寄付しても、いくら税金を使っても失ったもの・・・単なる物質、家とか車とかといったものだけでも・・・の額にはほど遠い。
たとえば車にしても、車を買ってくれるわけではなく税金免除というだけのことで本体金額自体は自分で払わなければならない。
気の毒としかいいようがない。
こまめに、少額ながら、寄付しても何の足しにもなってないようで申し訳ない。がんばれ、ということばもおおきな声では叫びづらい。

東電が尾瀬を売りに・・・、とびっくりしたのだがよーく考えたら尾瀬はほとんど東電のもの。
奥多摩の東京都水源涵養林などと似ていてダムのための水源保護と言うことで100年も前から所有・管理していたものらしい。
尾瀬沼のほとりにあった東電小屋には一度泊まったことがあるような気がする、高校2年か3年のころだ。
木道やゴミ等その他の細々とした管理は東電がやっていたようだ、"観光"地とはいっても特殊な地域なのでもちろん東電の持ち出し利益なしのボランティア同様の自然保護だったと思う。
尾瀬を守るために一般国民は何をすべきかと考えたとき答えは「尾瀬に行かないことだ」と結論。
25過ぎてからは一度も行ってない・・・・・いやいや鳩待峠から至仏分岐まで歩き笠ヶ岳経由水上へ、という山行をやったことがあるがあれからもう30年もたつだろうか。今はどんなふうになっているのだろうか。
ここの所有権移転には困難がともないそう・・・。

それにしても想像もつかなかったいろんなことが起こってくるものだなと思った。
原発は東電だけの責任問題ではなく"公"がからんだおおきな歴史の選択をせまられるpointにまで来てしまっているのだろう。

放射能の「何が危険でどこまでが安全か」という問題の基準になっているのは、広島・長崎の被爆者の方々の犠牲の上になりたった貴いデータのもとに築き上げられたものだと思う。こういったことまで含めてこれからの電気の問題を真剣に議論していく必要がある。
当事者ばかりでなく、一般市民もきちんとした情報・説明を受け何を選択するかを真剣に考えるべきだ。そしてそのことに伴う「生活の便利さ」の犠牲も覚悟しなければならない。
いかに我々の"便利・安全"というものが過去のひとびとの犠牲の上に成り立っているのかということをきちんと認識し、これからのひとたちのことまで含めて"今"を塩梅しなければならない。
生活の不便さはこころの豊かさと、反比例とまでは断定できないとしても"あまり関係ない"ということがわかってくるのではないかと思うのだが。

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