気温は高いのに寒い感じ。
やや体調不良というか疲れている。
飲んだほうがいいのかもしれない。
キャノンのインクカートリッジ回収をネットで申し込む、こんなことまでしてくれるんだね。もっともそもそもの値段が高いので回収コストはたぶん最初に払っていることになってるんだろう。
タモリの番組で上野のことをやっていたが、今古地図がはやっているのかしら。
不忍池のところまで海だったと言うから東京の山手線の東側はかなりのところまで海だったのかしらね。
ただ地震の「なんとかトラフ」とか「なんとかプレート」というのを見ていると東京湾沖だけ空白になっていて津波は起きにくいと理解してしまうのだが、それでいいのかしら。
実際関東大震災は津波は起きなかったんだよね。直下型というやつかな? 神戸でも津波は起きなかったと思うんだけど・・・、液状化という言葉はあのとき初めて習った。
津波が起きる・起きないの分かれ目がわからないがあとで調べてみよう。
父が祖父から聞いた話では関東大震災はそんなにゆれなかった(といっても何と比較して・・・というところがないんだけど)ということでここの集落で倒壊した家屋は無かったそうだ。ただ油揚げを揚げている時で油が踊っていたということはおばあちゃんが言っていた記憶がある。
浦和のNさんは三重県の出身でチリ津波のときのことを話してくれましたが、ものすごい津波で津波が"引く"時に多くのひとや物が連れて行かれてしまったことを語ってくれました。
東京湾沖を境目にしてその東と西はやはり大きな津波の危険性をはらんだ地域だというようだ。
静岡の海岸沿いにも原発があってこの夏から稼働云々という記事が新聞に載っていたが万全の対策を打っておかないと困るんだと思うけどね。
脱穀ほぼ完了。
あとは細かいものと早くやり過ぎたものの"ほぐし"をやるだけ。
ごみがはいったまま多くは冷蔵庫へしまう予定、スペースが限られているので古いもので量の多いものを加工しようと思う。
いよいよ種まきの準備態勢に入る。
品種の選定に結構悩む。
耐熱品種ということで去年大豊作のものを中心に蒔く予定。
あーあ、それにしても疲れたよ。ただし達成感があるのできのうほどの疲労感はない。
人間の気分ておもしろいものだな。
「わたしが子供だったころ/上條さなえ」をみる。
良くできていた。
平将門をやったひとがお父さん役。
やさしいお父さんだったんだね。
親夫婦は壊れていても父の子に対する愛は強く・・・強いんだけど"こんなことしかできない"という男としての無力感に苦しんで亡くなっていったお父様だったのかな。
でも亡くなったあとでもお互いに強く思い合っているのがこちらにもわかり、とても幸せな親子であったのだと思う。
そしてそこここにいる"まちのひとびと"のあたたかい気持ちに支えられているという感謝の念から生まれた「弱い立場のひとたちを初めふつうの人たちに対する先生のやさしさの原点」がここにあったのだなと思う。環境が彼女を作ったと言うより、もともと持っている遺伝子が環境によって洗練されたのだと思う。幸せな親子であった。
ずーっと泣いてみていたが、自分もかなり屈折してはいるのだがまだまだ甘ちゃんかなと感じる。先生の前では嘘はつけない。
ドラマ組み込みのドキュメンタリーでとても良くできていたが、できれば完全ドラマ化してもらいたいね。もっとも早くしないと主役のさなえちゃんは成長期なのでどんどん大人になっちゃうな。
良かった良かった。
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