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2011年5月24日火曜日

おおすずが

濃すぎてまいったが、やはりこれはうまい豆である、改良品種、秋田農試による青森県主体の栽培。
すっきりでもなくしつこくもなくそれでいて「すーっ」としたすがすがしさを感じさせてくれる気品のある豆である。
私は改良品種か在来種かという選択が即営業になっているような物売りではない。
つまり「付加価値」などというものは私は軽蔑している。
うまいか、いいかの本質価値だけでいい。
新規参入の就農者がすぐにこの在来種という看板を売りにしたがる気持ちもわからないではないが、栽培特性・収穫物の味についての先入観による価値過大付加の傾向はまちがっている。
農業試験場(現在は農総研という)の過去の大豆改良の歴史はおおむね栽培適性(収量・気温・耐害虫、土壌・・・)・刈り取り適性(コンバインで刈り取りやすいか)という2点で推し進められてきたことが自然志向の農業者・消費者による批判のまとになっているわけだが、こういった品種ですら50年100年たってしまえば"不純"という形容詞はつくかもしれないが、在来種といえるのではないだろうか。
そもそも昔からあったといってもいつからなのかということはわかっているわけでもなく、極端なことをいうと関東にあったものを明治時代に北海道に入植してそこに蒔きしっかりとそだってしまえば、100年もたてばりっぱな在来種、である。もっともこの場合は"移動"というだけで"種の混交"は行われてはいないが。
大豆は自家受粉なので自然界ではあまり他種との交配ははおこらないが、まったくないわけではない。試験場での交配は人間の手作業によるピンセット仕事である。
在来種といわれているものですらもとをただせば遺伝的には複数種の混交の歴史をになっているものが多いと思う。

とはいえ、戦後ちょいとまでに収集されて農水省に保存されてきた種は歴史的にはそうとう古いものが多く品種改良さかんな昨今のものとくらべたらはるかに長い歴史を背負っている"オリジナル、準オリジナル"なのできちんと守っていかなければならない。
当然うまいものがたくさんあるのでできることなら活かしてやりい。

要するに自分にはなんでもいい。
来歴・正体をはっきりさせておけばいいことだと思う。
おいしくなければだめだ。

もそも在来種はもともとあったところから他へ移動した場合必ずしも気温変動とか害虫にたいしていい結果をあげるかどうかはやってみないとわからない。在来種だという理由だけでたくさんとれるというものではない、へたをするとまったくとれずにみんな虫さんの食料になってしまうことも多い。そして刈り取りも横へ広がるくせをみこして栽培を作戦しないと機械刈り取りはまず無理。我が家と同様完全手刈りの腰痛作業となる。ただうまいものが多いのがたまにきず・・・ではなくきずにたま、か?
一方改良品種は本来の適性地域をはずれたとしてもすくすくと育つ場合が多く味さえよければ無農薬でも在来種と似たような栽培と成る場合が多い。
今ここに書いたことはここ所沢での無肥料・無農薬栽培から観察できたことを書いているわけだが、無農薬は在来種でしかできない、というのは大まちがいである。

「片付け」というのは楽しいもので、中にはそれが趣味というひともあるようで年がら年中部屋の中のレイアウトや本棚の本の入れ替えをしているひともいるようだ。
体も使うので健康的な趣味・ストレス発散だと思う。
自分は半年に一回程度部屋の中がぐしゃぐしゃになるのでいたしかたなく・・・ということににるのだが、結構はかどらずにいらいらするのでヘルシーとはいえない。
部屋のおおさには関係ないと思う。大きくても小さくてもこうなるんだろう。
らしのない性格だと思う。

農繁期直前の時間もてあまし状態だが、かえって何もできないでいらいらしているのかもしれない。
忙しいときのほうが少ない時間を大切にするものだというのは、だれにも共通の現象だろう。
それに、農繁期は太る。これも困ったものだ。

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