地震の2日前から37-8度の熱がひどいせきとともに1週間続き、そのあとひと月せきが残りせきをするたびに右胸がすこしいたい感じがしていた。
せきがとまってそのままにしていた。なんでもなくてもふつうせきはときどきするものであるがやはりせきの度に胸が少し痛かったので気になり医者に行く。
熱の出ない肺炎がはやっているとの情報を何人かから聞く。
かかりつけの病院に行く。
内科のの先生はなんと22,3才に見える"女の子"(失礼!)であった。
18に6年たしても24なのでたぶん25才以上なのかなとも考えるのだがなんとも心配してしまったのだが、応対はしっかりとしており説明も明快で心地よい診察であった。美人ではないがかわいい子(これまた失礼!)である。
結局激しいせきをつづけた果ての肋間神経痛かなということで、肺炎ではないだろうとのこと。レントゲンもきれいに写っていた・・・今はネガを使わずにレントゲン室からLANで診察室へ伝送されてくるんだね。
10年も前になるだろうか三井記念病院の耳鼻咽喉科部長の奥野妙子先生の診察を受けたときはあまりの茶人ぶりにびっくりしてしまったものだが、それ以来のさわやか女医対面経験であった。
きょうの彼女はいい医者になる。
奥野先生はもう引退されてるのかな? 彼女も日本の宝ともいえるすばらしい技術とこころの持ち主の名医。偏差値だけで医者になったひとではないなと思った。
丸山真男が原爆投下後3日目に広島にいたということをテレビでやっていた。G先生と同じ空間にいたことにびっくりする。お二方とも"被爆"ということになるが、G先生と同様丸山真男同様差別・いじめられたことだと思う。G先生は81才、丸山は1995(1996?)亡くなっているが後年原爆症というものはなかったと思うのだが・・・?
かたやG先生は小沢昭一と同じ最後の海軍兵学校生、丸山は賛否両論熱烈な信者・批判者を生み出したご存じのような戦後デモクラシーのオピニオンリーダーだが人生のある時期に人間の生きる・死ぬにかかわる決定的な経験を経てそれをばねにし、戦後の混乱期から生産的な仕事をした偉大なひとたちだ。
ぼくらになに言う資格もないかもしれないが家族や親友・恋人を失ってしまった被災地の方々の"つよく生きる"をお祈りするばかりだ。
彼らが"生きる"ことが病や不遇で苦しみのなかにあるひとに勇気を与えてくれる。
ひとのこころの中を想像することのできるのは、苦しみもがいたひとたちの特権である。
丸山の他者感覚を持ちうるひととはこういうひとたちである。
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