大きい台風が近づいている。
日本直撃のようだ。
東北が大変だな。
車を運転していて「DVD100円」とつたやで看板を出していた。
DVDは買ったとしても一度見てしまうと2,3年はみないと思う。
たくさん持っていたとしたらもっと観る率は下がる。
10年間という期間を切ってもせいぜい"数回"だろう。
感動したものほど、視聴後の「感動をあたためる時間、余韻」というものを大切にしようと考えるのが普通だと思うが、映像というものはそんなに観るものではないなと感じた。
さすれば発行枚数の多い映像ソフトは買うのはばかばかしいような気がする。
音楽は違うようだ。
ただしたくさんあれば話は別だが、まず夢中になると何遍でも聞き直す。
レコードがすり切れるほど、という表現は誇大な言い方でもない、実際にそういう盤ははある。
演奏会の場合は別で、あまりにもおおきな感動を得た場合はその感動を維持・あたためる場合にコンサート後音楽からしばし離れるということが自分の場合はあった。
映像と"音だけ"ってどうしてこんなに違うんだろうと考えてみるのだが、音は要するに"抽象"そのもので聞いているものが想像したり解釈付け加えをしたりの作業が多いからなのかなと思う。つまりただ聞いているだけでも"受け身"オンリーでないというところが大きいのかなと思う。
映像はおおむね与えられるだけの"受け身"オンリーの性格が強すぎるように感じる。もちろんそうでない映像もあるけど・・・。
テレビがだめでラジオがいいというひとが多いのもそういうことかな?
通信伝達手段がこんなに進んだ世の中にあってもラジオの消滅が考えられないのもこういうことなのかなと思う。
以上を考えると、ユニバーサルな"朗読"は別として、落語や講談・・・特に講談はかたいと感じられがちだが・・・は生き延びる可能性の多い日本が世界に誇る話芸ではないのかなと思う。内容の拡大もいくらでも期待できるような気がする。がんばってね、鶴瑛・銀治さん。
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