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2011年5月3日火曜日

きょうは早く終わる。

お昼前に製造等終了。
横になっていたくもあるがそうもいかないか。
きょうも黄砂のようだ。

ついに脱穀100%完了。
ほぐしも完了。
ごみ入りのまま冷蔵庫保存のものを選択、とても全部は入らない。
去年秋の収量は1.1ヘクタール播種(うち3反は3度蒔き、結果はゼロ)で総ゴミ混じり収量1000キロ程度だと思う。
9月末までには選別終了予定。
800キロくらいにはなるだろうか。
今時点である選別ずみのものは30袋(一袋30キロ)弱ある(2009年以前)ので冷蔵庫にしまいきれなくなるので夏のひややっこのシーズンに放出予定。

「最後の旅」みおわる。新潮文庫で翻訳されている「終着駅 トルストイ最後の旅」という翻訳本が出ているがそれが原作なのかな?
究極の霞み食い仙人のトルストイと亭主・家族・家思いの奥さんソフィーとの確執と考えられるトルストイの"人生最後の家出"が題材となった映画だが、「終着駅」原作者の解釈がおおいに入った作品で真実はわからないと思う。ただしここのところ奥さんのソフィーに分があるような見解が多く出されてきているようでそれを映像化したものだろう。
夫婦の心理の微妙なすれ違いといった日本人監督なら得意とする領域の描写はなく、すっきりはっきりと「なにがなんなのさ」とわかってしまうところがアメリカ人の原作なのかなと思うところだが、やはりこの解釈がだとうなのかなとも思う。
本人トルストイがいない限り彼の最後の家出や晩年の奥さんへの思いといった心理等は永遠にやみの中なのだと思うが、この原作・映画の解釈通り「純粋培養霞み食い、取り巻き連中による御神輿まつりあげ」のトルストイに対しる「亭主、家庭、家」をきちんと守ろうとする」ソフィーのこころとのすれ違いなのかなと思う。
夫婦愛はお互いに強く感じていたと思うのだが・・・。
現代の「価値観の相違離婚」とは同列に語りたくない。
強い愛情は存している、はずだ。
まわりの取り巻きたちがトルストイ本人自体の幸せよりは「トルストイ主義」とよばれる社会主義運動を推進しようとトルストイ自体はおかざりでいいともいえるように描かれている。
なにはともあれロシア革命の数年前である、ドクトル・ジバゴに出てくる革命のインテリ戦士たちのはげみとなるようなトルストイだが、人間の本性・現実からは遊離した世界の中におり、それでもなおかつ彼の思考の自由さを地べたをはいつくばるようなレベルから支えていた奥はりっぱだと思う。
「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」の作者がただの「とびっきり霞み食い」とは考えにくくどうしても取り巻きにあおられていたというのが真実でもあるかのように思われる。
神にもう一歩といわれるこういった高邁な思想も、醒めてみれば浦和のNさんのいう「エンターテインメント」とさしたる相違はないのかもしれない。

栄光の有頂天はひとを不純にする、純粋のようにみえて実は不純な"純粋"に成り下がってしまう。
ただしこれは人間のさがなのでどんなに偉い人たちにも起こりうることでまあいいかなとも思うのだが、そんなくだらない"世間のよいしょ"など意に関せずもくもくと本業・天職に打ち込んでいるのが美しい。

9人の子供ができて最後の子供が生まれて一年後に奥さんがなくなりすぐに子供たち9人を捨てて、逃げてしまったアメリカのばか亭主のことをさっきテレビでやっていたがトルストイは13人の子供がいた。
子供の数だけで夫婦仲の善し悪しは決めつけられないけれども、本質的な意味での不仲というのはありえないと思う。どちらかが不倫をしたわけでもない、破産宣告を受けたわけでもない・・・。
世界(ヨーロッパ)3大悪妻・・・ソクラテスのおくさん、モーツァルトのコンスタンツェと並んで・・・のひとりと言われるが、ただ単に話をおもしろくするために、でっちあげというわけではないが、大きくしてしまったのではないかな。
男ったらしのマーラーの奥さんのアルマももうすぐ映画になるみたいだが、淫奔の限りをつくすといいながらマーラーに大きな精神的影響を与えるもので、悪妻がねたみや嫉妬まで含めて芸術促進に貢献したと考えるのもプラス思考の考えかもしれない。

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