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2011年5月20日金曜日

飲み過ぎで

朝から頭が重く難儀する。
気温も高く余計体調悪い。

お昼くらいから回復する。

県のKさんが寄ってくれる。
いつも私の"大豆栽培"を気にかけてくれていて、恐れ多いことだ。
こっちは"必死で・・・"という感じではなく体と頭が働く限りにおいて、農家ではできないことを奔放にためしてわくわく自己満足していることだけだが、かえって農業関係を"仕事としているひと"たちには迷惑をかけているかもしれない。自分のやっていることは明らかに農業にプラスになっていると確信しているので、さまざまな抵抗要因(私的・公的)はあるにしてもがんばっていきたい。
ファッション化している「がんばらなくてもいい」という言葉は病苦や人生のどん底という場面以外にまで使われていることに腹立たしく感じる今日この頃で、なんでもかんでも「がんばらなくていい」と言っている風潮にはかちんとくる。
俺はがんばるよKさん。

おおっぴねは凝固条件の幅が狭く作業は非常にむつかしいが豆との駆け引きがこの上なく楽しい。
できあがったものもおおざっぱにやるとおおむねとんでもないことになる、つまり保水不全、ねっとりまったり通り越し、離水真っ黄色、荒れ・・・どれをとってもデメリットがすぐ浮き出てしまう世界だがぎりぎりのところのひやひやする作業がここち良い緊張を与えてくれる。
値段も安いがリスクはでかいので、へたをすると新豆の力のあるものよりはるかに"高く"つくことになるがうまくいったときの達成感はなにものにも替え難い。
不景気でだいぶだぶついているはずだが・・・。

高い豆ばかりでなくやや劣化したというだけで振り向きもされないものを活かしてやるのもものつくりの責務だと思う、安く売ればいい。ただし技術は手抜きどころかかえって高いものが要求されるので結果としてコストは高くなりがちでそこまで見据えて取り組まないといけないことだが、こういった"仕事以上の遊び"も大切である。

「配分大豆輸入4560円/国産5650円/東京都豆腐商工組合」、へえー、まだこんなことやってんの。

ばらがあとからあとからつぼみが出てくる。

「伊勢神宮の謎を解く」を初めから読み直しているが、結構楽しい。
初めのほうは忘れてしまっている。
最初に提示したことがちゃんと最後の「2つの神」に帰結している。
読書百編とまではいかなくても手間のかかった本は読み返しが必要である。
非常におもしろいし、構成もしっかりしているのがわかる。

大化の改新以前、伊勢神宮、古事記、日本書紀、・・・そのときの中国(漢書、後漢書・・・)について読書しなければと思う。
大化の改新以前はわからないことが一杯でおもしろそうである。
これに比してこれより遙か以前のことに関わる文献の残っている中国という国に敬意を表さざるを得ないことをつくづく感じる。
文献の無い時代の日本人のこころの有りよう・傾向を探る・・・・とてつもない刺激的な作業だな。
米はあった。大豆もあったはず。魚も捕った。狩りももしたろう。
見えざるものへのおそれと感謝。
見え・感じるけど圧倒的なちから・おおいさを持った自然への畏敬の念。
文字はなくとも言葉はあったはずだ。記号程度はあったのかもしれない。
想像するのって楽しいな。

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