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2011年5月4日水曜日

幹線道路は大渋滞。

横断するだけなので仕事に差し障りはほとんどない。

浦和のNさん来る。
ピーナッツを蒔いたそうである。
うちの場合は大豆の作業の合間に、はんぱな土地に蒔いておりいつも7月なのであまり実がつかない。遅すぎるのだろう。今週か来週に蒔いてみようと思う。ただしまだ外側のかたい殻はまだ割ってない。
遠くからなので申し訳ない、ありがとう。

冷蔵庫の奥におととしのごみまじりが入っていた。午後選別、かなりいいかげんに選別したがタネだけ取れればいいとの判断から。

久しぶりに本屋に行く。薄暗い。
アマゾン依存症のひとはいっときアマゾンから離れて本屋立ち読みをしてみたほうがいい。
本屋がどんどん減っていってるそうだ。
あまり本を買わなくなってしまっていたので久しぶりにいったら楽しくてしょうがない。
きのう書いた「終着駅」、モームの「アシェンデン」の新訳・・・これはモームがイギリスの諜報部員、つまりジェームズボンドみたいなことをやっていたことを題材に書いた物である・・、昔は新潮文庫で西川正巳か゛訳していたと思うのだが。それと「サミング・アップ」を買う、これも昔「要約すると」の題で新潮文庫になっていた。40年近くも前に呼んだものだがなつかしくてまた読んでみたくなる。
アシェンデンは非常におもしろくわくわくしたのを覚えている。
立ち読みというものには大きな意味がある。
ついで・間違って・・・、がおおきな楽しみを生む。
本は液晶画面ではダメだと思う。
全否定はしないけれど、便利帖という意味の用途でちょっと見調べや時間つぶしにはいいけど。
じっくりとことばをたどり飲み込み味わうのは紙の感触を介してではないだろうか。
そして書き込むのはキーボードばかりでなく現実の紙に書いていくべきだと思う。
たしかにキーボードは"速い"し、修正・加筆もすぐできる。
書き直しの手間・時間がちいさいのでタイムロスによる思考の緊張を維持したままどんどん次へ次へとすすめることができる。
だが待てよ・・・・。
曹操や孔明が戦いの最中にあっても竹簡に記録された古典を読み、竹簡に詩や考えを記述・記録していった姿を思うと、自分の手で文字を描き文章を構成していく営みを介してのゆっくり思考のほうがことば一語一語との関わりの深さが身にしみて感じられるのではないだろうか。
そんなこといいながら自分も紙に文章を書くことはあまりないが考えることと活字化が同時に行われる便利さには利点も多いが、ことばとの関わりの上で根本的な欠陥も生まれてくると思う。
両刀使いでたくさんの文章を書いているひとたちはどういう差異を感じているのだろうか。

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