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2011年4月10日日曜日

ねたぎれ?不感症?

ブログのことではありません。
野菜やくだもの(大豆も?)のネーミングのことです。
トマトやいちご・ぶどう・りんご・・・など畑のもので品種改良された新しい物にさまざまなおもしろい名前やだじゃれまがいの呼び名がついたものをたくさんみかける昨今だが、こうあとからあとから新しい"キャッチコピー"が出てくると、よく考え工夫されたとおもわれる名前でも「あ、そう。またか」といった感じになってしまい感動もうすくなってきた。借金なしもそんな仲間かな、これは在来種なので格は一段上だが。
とにかく品種改良のピッチが異様に速くなってきたような感じがするが食べる側が追いついていけない。そんなに合成品種の数がいるのかね。
それより農法・育て方のほうがずーっと大事だと思うんだけど。
もちろん耐害虫、耐熱、耐寒、耐乾燥・・・といったものは相変わらず重要な研究領域だとは思うけれども。

仙台八郎太すなわち仙八先生こと佐藤むねゆきがラジオにでていた。生で青葉城恋歌を歌ってくれ胸にせまるものがあった。地震の被災地を回っておられるようであのイメージのままのやさしくて"強さ"を秘めたひとだなと感じた。彼は20数年前船形山山麓の広場で自然保護のためのコンサートも毎年(?)開いていたと思うのだが、東岳(?)麓の鏡池の近くにあったその広場を通って及川さんと下山したときのことを思い出す。
この歌を聴くと及川さんの車で仙台市内に入り、上に屋根がついた部分になって左に夕日をあびてきらきら輝く広瀬川の水面、川の向こうには宮城県庁(盛岡と混同してるかな?)をのぞみ充実した山行を終え幸福感にひたってこっくりこっくりしていた自分を思い出す。
仙台は第二のふるさと・・・ではあるが町の中を歩いたことは2回しかない。
仙台の駅自体には30回くらいは降りているだろうか。
いつも朝3時か4時ころだったと思う。
早すぎるのでロータリーへ出る右翼の鐘崎のかまぼこロボット店舗の前で及川さんの車がくるのを待っていたものだ。
その及川さんも50ちょっと過ぎで逝ってしまった。
20年も前の遠い記憶だがいきいきとこころの中に活き続けている。
自分のながーい人生を振り返ってみると、家族はのぞいたとして、友達をそんなにもたなかった自分としてはさほど数は多くはないのかもしれないがそのときどきに自分を励ましてくれていたひとがいたんだなと今気がつく。
もちろんその時に「励ましている」ということばが使われていたわけでもないのでそのことに気づいていたわけでもないが、結果としてやはり励まされていたことになってたんだなと今頃になって気づきはじめる。
夏期講習の時の英語の「名前忘れちゃった」先生の"all of a piece"、本の中の世界だけど横山有策先生、相原先生、猪熊先生(一期一会)、及川誠さん(マコちゃん)、熊谷の試験場の渡辺耕三先生(がん末期に一対一の2時間の講義を賜る)、G先生・奥様、がん末期4ヶ月のM、小島さん、武澤先生、上條先生とその仲間たち・・・場合によってはこちらが励ましていながら実はこちらが励まされていたんだなと今になって気づく。
霞みを食っているような気取り家にとっても、実はひとりで生きているのではないんだということだ。
お返しは社会に対して、つまりまじめな仕事をしていくということしかない。

脱穀3時間。太田裕美を聞きながら快調に飛ばす。
ごみ混じりでもう150キロくらいはあるだろうか。
一反程度の播種だが意外と多収であったのかもしれない。
これは甘みが豊かでほんわかとした味のうまさである、キレはない。
ルノワール味といえる。

東京は東電の電気をもっとも使っている地域。
東京には原発はない。
火力発電もない。
奥多摩湖と相模湖にはダムがあったかな、それだけだ。
畑も牧場も漁場も事実上ゼロ。
都民はこのことを真剣に受け止めなければならない。

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