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2014年4月1日火曜日

桜は

つぼみがいっきに膨らみ出す頃から初めて、開花宣言、3分咲き、満開直前の"満開"、ほんとの満開、桜吹雪、"がく片"の"満開"・・・、ミニさくらんぼ、秋の紅葉、・・・最後のひと葉、とどの段階をとってもいいものでこういうときになんとか言葉をひねり出して"創作"できたらなといつももじもじしているけれど、言葉に無能な自分を再認識してがっかりするばかりだ。
現実には桜ばかりでなく雑草まで含め、遠くから観たり接近してみたりの"なにげなく"でない観察からはちょっとした感動ものの時間が過ごせることが多々ある。
母の残した海棠のアブラムシとかまん丸虫をこまめに退治しここに来てぷっくらとしたつぼみに対面するとなにかこころ暖まるものを感じる。

小保方さんのニュースをみて、いよいよいんちき発表であることが明確になってきたような雰囲気だ。
京大の山中チームは土台が遺伝子操作の極致みたいなところがあって人間の傲慢も行き着くところまできたかと常々マイナスの気分を抱いていた中、"環境適応"という"生命の自助保存本能"がコンセプトの小保方さんたちの研究にはある意味バラ色を感じていたのに、とがっかりだ。
しかしこの手法はなんとなく将来的に研究しなおされるような気がする。
とても"いのちの製造業"は好きにはなれない。
地球上のどこかには絶対に人間のクローンがいるばだ。
遺伝子いじりが将来的にどういうメリットを生み、どういうデメリットを生んでいくのかはだれにもわからない。

ダ・ヴィンチやガリレオが自説・自案を叫んでいた頃は世間は馬鹿にしたり罪人扱いしたりのまったくの無視状態だった。ひょっとしたら小保方さんたちの研究がサギであったとしても、その発想自体は500年、1000年後に具体的な成果に結びつく可能性はあると思う。
つくずく遺伝子いじりは唾棄すべきものと感じるが、人間の好奇心はおさえることのできないもので、こういった右へふれ左へ振れしてして進んでいくしかないのが人類史なのだろう。
政治とか経済はもっとどろどろとしたわがままのかたまりだ。

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