人質事件一色で大豆のことなんか書くのはバカかと思われそうです。
脅されながらただ言葉を読んでいるような感じの後藤さんのメッセージが印象的でした。
政府もだれに対して体面をたもつかに悩まされているようで国益よりも避難回避に躍起になっているようです。
だれからも好かれる政治家。
このまちの以前の市長もそんな感じで16年も続いたかたがいます、なんの業績もない。
政治家は"ある見込み"のもとに試行錯誤も含めさまざまな施策を考え実行し、その将来的な現実的責任は問われないことになっていますが、さすが教科書に名前がのってしまうような国家の運営者ともなると、また地方政治とはことなった使命感・政治観をもって仕事をしているものと思われます。役人もそうでしょう。
ものをつくる、と社会・国を作るには共通点はあまりないのかもしれませんがほんとは比重の差はもちろんあるとしても双方の感覚は持ち合わせていないといけないのでしょうね。
真にノンポリなんてそういるものではないと思います。
選挙にいかないひとも「どうでもいい」というよりは社会に不満を持っている場合のほうが多いのではないでしょうか。
若い世代が"極端"にいい気持ちになるのはわかる気がします。
つまずき、屈折がきっかけになったり。
あるいはけがれたものに対する潔癖症から。
いろんな原因があるかもしれません。
どういうひとと出会うか。
どういう"しごと(職業とは限らない)"と出会うか。
どういう不運と出会うか。
だれにもこういうきっかけ的なことが若き日にはあったであろうと思います。
でも今、けがれたものにとりかこまれていても普通に生きていられる免疫は持ち合わせています。
これが"愚の骨頂"といわれてしまえばそれまでですが、それでも日々働いてなにがしかの感謝を他人から得、少しは税金も納めて国づくり町づくりの足しには少しは寄与しているはずです。
自分を必要としているひとが家族以外に、ひとりはいるはずです。
ひともうらやむはでな仕事というものはおおむねうそや気取り・独善の集合体です。
極端・過激主義のきっかけ・導きはどこにもあるはずです。
宗教の差は関係ない。
生存競争のため以外の理由で争うのは人間だけでしょうか。
ギブ・アンド・テイクがないにもかかわらず一緒にいられるのも人間だけでしょうか・・・もちろん仲良くなるもとはいろんな意味のギブ・アンド・テイクがあるからですがね。
さてさて大豆はあいかわらず選別。
機械の設定ほちょいと変えて2回目の選別をやると少しばかりさらにきれいに選別されます。
球体のころがりを利用した選別機なので、かびて丸いものや一部が欠けていてもころがるものは"いいほう"に来てしまいます。
まあ、完璧というものはありませんね。
大豆の等級が大きく意味を持つのは煮豆屋さんや納豆屋さんといった球形がそのまま商品になる商売のかたがただけです。
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