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2015年1月18日日曜日

見たい聴きたい知りたい

がどんどんとはいえないまでも増え続ける中で、いままでと違っているのは終わりを意識しすぎるようになってしまったことです。
つまり無限(に近いと錯覚している)と思っていた若い頃と違って終わりまでせいぜいあと10年、それ以降はないのと同じ・・・・・同年代はみんな似たようなこと考えているのでしょうか。
終わりを意識しながら今をやっているのは、たしかにものによっては終わり支度をしているのですが、自分だけにかかわる"好きごと"(もちろん仕事のある部分はこれに入ります)に関してはしかたないのかなとは思いますがね。
ふと、不安になってしまうときがあります。
たくさんの"ひとの死"を見てきて自分自身の死そのものへのおそれは人並みにすくなくなってきてはいるはずなのですが、突然終わるという可能性にやはり一抹の不安を感じます。
もっとも、始終おそれおののいているこころの状態というのも残された時間の無駄使いともいえるでしょう。
・・・・。
昼から何考えているのでしょうか。
さて、湯たんぽにお湯をいれましょう。
また夕方書けるかしらね。

少年は滋賀県でつかまったようです。
アナウンサーが「時代を象徴する犯罪だ」といっていました・・・けれど、道具は確かにITでもその本質は戦後のマス情報がもたらした社会・産物がもたらしたものと考えていいのではないでしょうか。
アクセス数・・・千・万、テレビにでちゃった、目立ちたい・ちやほやされたい・・・。
本質は単なる「俺が俺が」と同じ。
まちの名士といわれるおおくの人たちも似たようなことをしています、いやいや模範を示しています。うわべの言葉だらけ、言葉の錬金術。なんの思いもない・・・いやいや自分愛だけです。

この少年がこういう行動にいたった経緯にはだれもが想像もできないようなあるいはだれもが想像しているようなこころの屈折があったと思われますが、普通だと妄想だけで終わってしまうものが実際にやってしまう・・・それもいとも簡単にやってしまうというところに現代の病があると思います。こういった犯罪衝動は昔からあるものと思われますが、それをいとも簡単に、というところが問題です。
奇しくもきょうの新聞にはセンター試験の問題と解答が載っていました。
18,9の失敗がずーっと尾をひいたまま一生が終わってしまうひともいるだろうしあるいはきわめて少ないとはいえかえってバネになってしまうというひともいるでしょう。・・・またうまくいってそのまま思い上がりの人生となって人間としては落伍者となってしまうひともいるでしょう。
この少年のそばに語りかけてくれるひとがいればいいなと思います。
報道はおおきかったですが、大事にいたったわけではないのが不幸中の幸いです。
それにしてもアナウンサーとは軽薄な職業だなと思いました。


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