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2014年5月22日木曜日

3時頃から

夕立という予報だったので、散歩を中止の分と思い腕立て伏せ50回、腹筋30回やったところでやや明るくなってきた。
なんだ損した、と思いつつも怠け癖をふっきるために散歩に出る。
きょうは目の前の野塩団地を抜け、清瀬駅手前まで行き密集住宅街をさまよいながら柳瀬川沿いの"柳瀬川回廊"なる遊歩道を歩き我が家の墓地経由で帰宅。10300歩/80分。
清瀬方面の裏通りはほとんど通ったことがないのでおもしろかった。
垣根がお茶の木という家があり、おかしいというかうれしくなってしまった。
こういう粋な住宅もあるのか、と感心。
かと思うとあちこちに植木を植えてある土地があり、造園業をいとなんでいるのかどうかしらないが単なる税金逃れに見えた。税制の悪さの方をせめたくなるのは大都市圏全体の"もと農家"だと思うが、植木を抜いたあとらしきものはどこにもなく単なる雑木林と化している。これはこれで町造りに貢献、ということにはなるが。
"生産緑地"のポールが立って税軽減措置を受けている土地がたくさんあるが、なにも生産していないのに"生産"とはなんなのか。
戦後の住宅政策・都市政策のゆがみはだれにもわかっているにもかかわらず税制の縛りとも相まって・・・というかこれらは一体の思想の上になりたっている・・・昔からの村落は疲弊していくいっぽうだ。お寺も自然と疲弊していく。きょう通過した2件のお寺には道路から見えるところに「永代合祀・・・」なる銘ののきざまれた石があり、「ああ、これが見捨てられた死者たち」かなと思った。墓地などいらないと考えるならそもそもお寺の世話になどならなくていいものと考えるが、めんどうくさいものは「家の中には納め」ないでよそへしまってもらおうということだろう。
都内の各霊園にはこんな「合祀・・・」だらけだそうだ。
所沢は墓地だらけである。
こんなに作っちゃってどうするの。
墓地など所有すべきでないと思う。
さすればふるさとで親と一緒に、あるいはそばに眠ればいいではないか。

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