これはひどい。茎は2センチくらいの太さのもある。このままでは機械がこわれてしまう。
もぎながらは大変、時間ばかりかかる。
天板に幅がせまかったためコンクリの手頃なかたまりを乗せる、滑り落ちないように塩梅する。
天板は振動しなくなったが、強引に回しているため回転軸の受け部分が動いているのがわかる。そもそもこうなっていたのか意識してこなかったのでわからないが左右に揺れているのがわかる・・・。80万もして3年目でこれじゃあね、と怒る。10年もつかな?
朝運転しながら聞いていた大澤さんの番組で毒蝮さんが訪問した金物屋さんの話、「うちの今は亡き父ちゃんは岡春男のバックのバンドにいてコントラバスを弾いていたんだけど、いつも帰りが遅くて子供が小さいとき、あのおじさん・・・と近所のひとから言われつまり奥さんの愛人かなんかと勘違いされていたことから、これでは子供がかわいそうだとバンドをきっぱりとやめ毎日普通の時間帯にきちんと家にいられる職業と言うことで金物屋に転職した、という話。またまた泣いてしまった。いい話だ。
読売の夕刊。曾野綾子さん、80歳。10何年も前のことだが講演会にと選定していたが結局大江健三郎になったのだったが、そのめりはりのはっきりとしたちょいとこわいおばさまが「老い」について。・・・50代のうつとはまさに、自分の死を意識しだす時期の「いのちの終わり、仕事の終わり・・・」という人生の最後の段階に入る前のこころの不安やこころの整理・迷い等からくる不安定な精神状況を意味するということでは意見が一致。そしてこの過程は順調にクリアーしていくと豊かな老いを得られるものだという点で、むしろ悩み苦しんでもがいて切り抜けることの大切さを暗示していると思う。この苦しみの道を経てひとにも優しくなれる。自由・開放感も得られる。
「今あるものを数えず、ないものばかり数えている」という物欲への戒めでしめくくっている。ないもののために努力するというのがいわゆる世間一般の向上心かもしれないが、「ないもの」をもっと他の方向へそしてあるものにもっと眼を向けるというのも豊かな生き方・老後への準備の道なのかもしれない。
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