身近な生活に関わる場所が日々変わっていくのを感じる。家の前にも建て売りが建ってしまう。道は変わることはほとんどないが周辺の風景が変わることで別の場所のようになってしまう。自分が日々歩いたり運転しているルートをそのままスナップしただけでも家族にとってはりっぱな歴史の記録と言うことになると思う。
温暖化そのものが生み出すマイナスよりも温暖化が原因で引き起こされる寒冷期・氷河期のほうがこわい、という番組を見ていた。どのみちサイクルとして氷河期がいつかはくるものとみんなうわの空で聞いてはいるのだろうが、過去の地球の気温の変化の低い方はマイナス50ぐらいに周期的になっていたとのこと。その気温では地表では何もとれないのかな、魚は捕れるだろう。あと何があるのかな。
食べるものが激減すればそれを求めての争い、人口減少・・・・たぶん絶滅はしないだろう、がしかしここがこわいところだと思う。
文明もかろうじては伝達されていくことだろう。
いずれにしても地球上もっとも温暖なここ数百年に人類はその繁栄を謳歌してきたわけだが、50度も100度も気温が下がったとしたら100人のうちひとりも生き残れるとは思えない。
ザンデル教授の遭難ボートの中での生存競争はあながち夢の中のことではなさそうだ、正義とか神とかで幸福に死んでいけるのがcivilizedな進化の極限にある人間の姿なのか、あるいはただひたすら「生きたい、生き勝ちたい」という獣性が先に立つのか、そのときにならないとどうなるかはわからない、法の枠の外の話だ。ザンデル教授の仮定や論理、結論には誘導されやすい話のうまさにまいってしまいますが、でも大岡昇平の「野火」の中の人肉食の記述などを思い出すと、極限状況というのは遠いようで案外身近に潜んでいる想像を絶する世界のようだ。
脱穀機の天板取り替えにきてもらう。
あしたからまた楽しい脱穀作業だ。
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