ページビューの合計

2015年3月17日火曜日

ぽかぽかとして

のんびりと過ごすにはいい陽気でした。
縁側で極小の大豆を選別、ほとほと疲れました。
これに先だってお昼には健康診断、3ヶ月ぶりです。油断したというか前回が成績が良すぎた(すべて枠内に入る)ためかわかりませんがことごとく枠に収まりませんでした。
血液どろどろとおこられました。
とにかく努力すればデータは良くなるとはいうものの欠陥の壁にくっついたものはなかなかとれる者ではないので、たとえ数字がいいときがあったとしてもそのときに"悪かったとき"の欠陥内壁の余計物は減っているわけではなく積み重ねでどんどん悪くなっていくということでした。
安定して数字を枠の中に収めなければならないのか。

ジャズの黄金期・・・といってもジャズをやっているひとたちのことではなく、ジャズを聴いている自分の"聴き体験"のことを言っているのですが、20年ぶりに四六時中ジャズを聴いているような状態になってしまいました。どれくらい続くのかしらね・・すぐ終わりそうな気もしますが・・・。
きのうきょうの続けて2,3時間程度しか眠れない夜がつづきましたがそういう時に割合初期の録音を聞いています。
きょうは仕事前にアート・テイタムを聞いていました。
ディキシーとモダン・ジャズのつなぎ目みたいな感じでした。
病院でも2時間待っている間これを繰り返し聞いていましたが飽きませんでした。
ジャズの草創期が1900年直前あたりというのが通説になっているのかどうかわかりませんが、ベートーベンの最後のピアノ・ソナタの2楽章だったかな、リズムの極楽みたいな局部があり、楽譜を読めない自分には断定はできませんが、まさにピアノ・ラグタイムそのものみたいな部分があります。ピアノ・ラグタイムを知ってしまった20世紀のピアニストたちがそれを無意識に出してしまってああなってしまうのかどうか知りませんが、opus 111のこの作品はたしか1822年あたりの作品だったと思いますがアメリカ大陸のアフリカから強制連行されてきた黒人たちがラグタイムの原型をすでにやっていたかどうか興味のあるところです。
それとも全くの偶然の一致か。
あるいはアメリカの黒人たちが20世紀近くなってベートーベンをまねたのか。
それとも先に述べたようにバックハウスたち以下の巨匠たちが無意識に(教養として知っている、持っている)ラグタイムの"のり"を自然に出してしまったのか。

とにもかくにも今やジャズは初期の黒人たちの思いとはややかけ離れたところの"のり"で音楽をやっているのかどうかはわかりませんが、芯のところにある悲しみや反抗みたいなものはずーっと引きずっているのかもしれません。
ある007シリーズのあの有名な葬送シーンでやっている"明るい"音楽隊の音からは"悲しみ"とどういう関係があるのと、ちょっと見には言いたくなってしまいますがね。「甘い大豆は甘くなく、甘くない大豆はぎりぎり甘く」といったとうに忘れてしまっている当人の前で披瀝してくれた埼玉屋さんとのあの飲み会が思い出されますが、悲しみを明るく・反抗をひとなつっこく、といったひっくりがえしの表現もなかなか大人のものだなと考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿