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2014年1月19日日曜日

手荒れがひどい。

いとこのところで蒔いたりせん大豆の脱穀でてんてこまい。
とりあえず25日で脱穀は休止して選別にうつらないといけない。
検査が2月18日なのでどうにもならない。
脱穀機はリベット止めのところががたがたしてきて今にもとれてしまいそうなところが。
まだ6、7年しかたっていないと思うのだが消耗が早い。
作業中こないだ買ったウォークマンでビアードのローマもんの番組3部作を聞いているのだが、まだ一回充電(もちろん最初の充電のこと)したきりなのに電池目盛りはまったく減っていない、もう20時間は使っていると思うのだが・・・科学技術の進歩にはおどろくばかりだ。

宗像大社関連の番組を2本みる。
ひとつはおとといのNHKのふぐ。
もひとつはきのうの沖の島テーマのクイズ番組・・・黒柳さんが出てるやつ。

それにしても昔の力ある豪族(宗像一族)による沖の島の神社への貢ぎ物には目を見張る物ばかり、ことごとく国宝指定されているわけだが現代の歴史学的観点からの意義を抜きにして、当時の金銭的(金銭がなければ、モノとしての)価値の大きさ自体も相当なものであったろうことは想像に難くない。
惜しみもなくこういった貢ぎ物をする姿勢に往時の人々の純朴な気持ちが伝わってくる。
現代ならば代議士や首長選に惜しみを感じつつもしかしきっちりと見返りはとってやるという欲望のもとに行われる貢ぎ物とは性格をことにすると思う。
ばかばかしいという意見が現代では多いのかと思うが、目に見えないおおいなる力に対するおそればかりではなく、力あるもの・意欲あるものの"こころいき"というものがいきいきとしていた時代のひとびとの行動にすごさを感じた。
もちろん"神頼み"的な見返りを求める気持ちはもちろんあったことはたしかだろうが、それ以上にするだけした努力のあとはなるようになれ、という思い切りの良さがここちよい。

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