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2014年1月20日月曜日

きょうもほこりだらけで帰宅、

18時。
あかぎれのおててがみじめ。
キーボードの奥に石井光造『脱百名山登山学』。
いわく「どうして日本百名山にばかりひとが群がるのか?
こうした「大きな流れに乗っかるのをいさぎよしとしない」というへそまがりな姿勢は今に始まったことではなく洋の東西、古きも今もをとわずかならず存在する人間の行動原理の"真理"といえる。
こういう生き方によって(俗世間で言う)大成功を得るものもいれば一切無視されてざびしく(あるだろうと思われて)消えていくものもあるだろうが、要は本人の満足があればどちらでもいいのではないのかな。
といっても落ちぶれたと思われている向きがどんなに自信を誇示してもばかにされるだけかもしれないが・・・。
生き方の真理なんて、・・・・。
でもあるんだろうな。
やはり大きな流れに流されているだけの安穏な生き方には魅力ない。
プラトンかアリストテレスか?という課題は昔から延々と続いてきたテーマだが、時代のありようによる解釈でどちらも正しいしどちらも正しくない。
2000年もたたき台に使われていること自体貴重なことである。
百名山はほんとは山登りするひとそれぞれにオリジナルな選択があるとは思うのだが、やはり永年月にわたって話題に(かならずしも高い評価、ということではない)されてきたものにはおおいなる価値がある。名山、名島、名所旧跡、名画、名曲、・・・小説、・・・。

でも山はもちろのこと自分には"静かな"ところがいい。
大豆もだーれも使ってないものがいい。
あるいはだれでも使っているものを最高にうまくする努力こそ尊い、と考える。

キーボードを押すのもあかぎれがいたくて今、中指・くすり指は使ってない。

ローマのRさんよりSkypeのお知らせあり。
ちょっと調べてみよう。

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