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2011年12月2日金曜日

湯たんぽ初稼働。

午前中みぞれが混じることもあった。
午後ずーっと脱穀。
父の転院の電話あり、通院していた病院へとのこと。
気がかりなことがあると何をやっても集中できないものだ。

由紀さおりさんがアメリカではやっているとのこと、しかも日本語で歌ってのこと。
最近の若い人たちの間に何がはやっているのかわからないがノスタルジーからなのか、自然と導き出された結果なのか?

(西洋音楽)クラシックの世界では、"最前衛にいる"という自負心からか"旋律の美しさとか心地よいテンポ、和声"などというものはとうの昔に捨て去られ"前の時代になかったもの"を追い求めた苦しい芸術家かたぎによって袋小路に追い込まれたような感じになっている。こういった自意識の強いジャズも先鋭的なひとたちは同じことで苦しんでいる。
書くひとたちには、カネは縁はない。
再生演奏家はエンターテインメントに堕している。

美術や文学と違って音楽の"袋小路脱出"はむつかしいように思える。

気楽に繰り返していけばいいのかな。
ガムランのように心地よく永遠に繰り返されていける繰り返しの営みでいいのかもしれない。
今、私たちの「旋律やテンポ」に対する心地よさの基準は完全に西欧化(洗脳)された音感性に従っている。
外に門戸を開いた国はことごとく西欧音楽に洗脳されてしまっている。
ではそれ以外の音楽に他国を支配する力があるかいなかといったら、たぶん否と一笑に付されてしまうだろう。それほど西洋音楽は堅固で強力である。だれもが認めざるを得ない論理性を強くもっている。
"新しい音楽"というものがどうやって創出されていくのかは100年200年たっても・・・、かもしれない。
グレゴリア聖歌より1000年。
本道、アンチテーゼとしての"邪道"まで含めてその音楽ワールドは敵なしと言わざるを得ない。

"芸術"を意識しない"大衆"音楽がいい。
どっちも大切だ。
落ち込んだときだけどポール・マッカートニーとジョン・レノンの素朴な歌い方に涙した。
人類がずーっともってきたであろう"うたごころ、さけび"をきちんともっている。

由紀さおりとお姉さんのデュエットも大好き。
川口京子さん童謡いや同様美しい日本語のうたを聞かしてくださるかたたちだ。

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