徐々に"通常"に。
日本歌手協会50周年コンサートという映像をぼーっと見ていると「もしも月給が上がったら(昭和10年)、「南国土佐をあとにして」など何曲かとてもこころにひびいた。
昭和10年というと満州国設立後満州への大移民がはじまった頃だろうか。
軍部がえばりだしたころだろう。
不況とインフレ、失業、農村大不況など経済的に苦しい状況の中で富国強兵との矛盾を必死にとりつくろおうと指導者たちがもがいた時代である。
先進国と称するものがみな似たようなことを考えていたのであろう。
こんな中で「月給が・・・」なんていわれても、サラリーマン自体がきわめて少数であった時代なので今の感覚とはかけはなれたところで作られた曲だとは思うが違和感はなくおもしろい歌詞であった。旋律もテンポも。
ペぎー葉山の「南国土佐をあとにして」はわたしたちの世代でもみんな知っている名曲だが、本来は満州にいた土佐出身の兵隊さんたちを癒した望郷のうただということを知ると聞いていて感慨もひとしおとなる。
シャボン玉飛んだもその背景が悲しいものであることは有名だが、ひとつひとつの曲の制作の"ものがたり"を聞くと聴き方もぐーんと深くなってきて・・・・それと聞く側の人生うん十年の蓄積も影響してあたまのなかの劇場では見事なにぎわいを呈している。
60年近くも生きてくるとやたらと涙もろくなるものだが(こういう"一般化"を強制するのはよくないな、あくまでも自分のことだよ)、こころのなかの蓄積はやはりおおきな"財産"だなと感じる。
幼少年期(ばかりとは必ずしもいえないが)の"原風景"というものを馬鹿にしたNはもう死んでしまったが、Nの弁はやはりばかであったと思う。
原風景プラスその後のさまざまな経験・体験の積み重ねの折々で発生したワインの"おり"みたいなものはなにものにも代え難いそのひと固有の宝物であると思う。それを外に向かってちびちびと放出していきつつもさらにワインの"おり"を重ねていけばいい。
ということを考えるとやはり少しは長生きしなければと思い一度もやったことのない人間ドックも今年はやってみようかなと思う、それも市民医療センターの無料レベルでなくちゃんと大金はたいてやってみようと思う。
きょうはお店の新年会。
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