というものが存在していたというおどろきに"アート"の意味を考え直す。
友人からいただいたこの浦和のぼたもちは、みただけで食欲をそそる美しさを持っている。"兼ね備える"ということばはよくない。目にして即うつくしいと感じる。同じ大きさのつぶがきちんと整列。ひとつひとつがきれいな粒できれいに整頓。目で楽しみ、口に入れるともういうことない。
デパートに売ってるような悪い意味での規格品とは天と地である。
規格/規律をそのまま画にしながら味もこの上ない。
ていねいにつくりこんでいる制作者の思いがなんの能書きもいらずに伝わってくる。
アートとはひとの"わざ"のことである。
絵や陶芸、彫刻、建築・・・だけがアートではない。
このぼたもちひとつで小説が書けそうなパワーを感じてしまう。
大量生産がなしてきたこととはいったいなんなんだろう。
今、時計師のフランソワ・ポール・ジュルヌの『偏屈のすすめ』というのを読んでいて、うまいタイミングでこのぼたもちが現れたわけである。時計学校にほんとに行きたいと思っていたことがあり、今となっては笑い話かもしれないが、今こうして時計の本をいくつか読んでいるのも何かの導きかと思う。精密なものは自然と美しくなる。おいしいものも自然と美しさを備える・・・というより美しくなってしまう。おいしいは美しくなければならない。豆腐も分子レベルの話とはいえ、「うつくしく乱れている、不規則性に規則性が伴う」状態に古来よりの日本人の美意識を重ね合わせられる。
きょうは11000歩。
きょうは道中さまざまなことを考えたが家に着くとみんな忘れている。
病院で検査。
中性脂肪下がる。
その代わり尿酸値、悪玉コレステロールあがる。
運動していてこういう結果になったのは、運動後の食欲の良さに問題がある。
それと食べるものがこってり系のものもとりすぎていたような気がする。
お酒はそんなに飲んでいない。
今回でおおむね、自分の場合「何がどうするとこうこうになる」というのがよくわかった。
あとは"意志"だけかな。
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