あした結婚式で床屋に行く。
結婚式のお祝いもどうしてこんなにエスカレートしたのかわからないが、食事代は30年前と同じ1万円程度だと思うが食事代に付け加える"いろ"ばかりがエスカレートしてしまっている。葬式は30年前と同じだろう。親子間、兄弟間は据え置きで、それに準ずるものがやたらとエスカレートしてしまっている。この2週間大変なんだから・・・。
髪の毛無いけど料金同じ。
加山雄三やさだまさし、渡辺惇一みたいな"みせかけ"はいらないね。
芸能界はまあしかたないとしても、物書きがかつらなんかしているのもみっともない。
といってもそれを承知でしているのは別の意味で"えらい"というひともいるのかもしれない。
「むつかしい議論よりも単純化されたキャッチコピー」を求める現代、ということで書いていたコラムがあったが、Twitterが発生した原因とはこういったことの反映なのかと合点。
文章を書くどころか本を読むことすらなくなってしまうのかなと心配するやらあきれるやら。
政治家の書いた文章は誰が書いても似たり寄ったりの自慢話・我田引水・思いこみの羅列だが、今ではそれすら困難で「やじ発声業」となってしまったのかしらね。
ゆっくり・じっくり考えてなんてありえない。
選出議員は社会の希望と言うより社会の単なる縮図で、"調整役"とか"指導"とか"みちびき"、"(思考の)プロンプター"からはほど遠いようだ。
すべての小学校の教室にクーラーを、と署名に某政党の運動員が来たが拒否。怒って追い返した。所沢では、入間基地の滑走路の下にある学校が騒音対策としてクーラー云々の問題が持ち上がっているが、これはいいとしても、「すべての・・・」とはどういうことなのだろうか。
梅雨時の湿気は昔も今も同じこと。つゆを通り越して35度にも成ろうというときは、湿気はさほどもないだろうし、コンクリの中は窓をあければそんなにおおきな問題も起きないと思う。これくらいがまんしてみたらと思う。
ただし暑いなりの思考の方法・問題の選択は教える側の努力が必要だと思う。
40年くらい前に読んだシルヴィア・タウンゼント・ワーナーという英国の作家の『フェニックス』という極短編の入った学習用の購読の本が出てきて読んでみると当時わくわくしながら辞書を引き引き読んでいたときの高揚した気分がよみがえってしまった。まだ、還暦なのに、わくわくできたと喜んでしまう。作家についてしばし調べていて夕方の時間が過ごせた。これは雨の効用だろう。
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