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2016年6月4日土曜日

トラクターの

代車が来ました。
15時間しか使ってない、展示会仕様でくるくる使い回しして最終的に中古になるのでしょうが、ぴっかぴかのがやってきました。
自動車の修理の時(リースのはずです)もそうですがこういうのって必ずぴっか゜かなんですね。
自動車の時は傷つけたりするとたしか賠償アリのはずです。
とにかく待ちに待った「うねり」ができたのでひとまずほっとしました。
馬力が大きくてたのもしいのですがUターン半径が大きくいのが欠点でもあります。
できれば超小型との併用がこのへんの狭い農地では有効な経営方法なのかなと感じました。カネができたら一番ちいさいのも買おうかなとおもいます。
注文したやつは7月上旬納品の"予定"だそうです。
家の裏の2/3だけ。
楽しかったです。
先に借地のところのお茶の木の根元切りを手伝ってくれた看護士さんの女性が茶毒蛾にやられたとのこと、申し訳ありませんでした。
女性は腰を曲げたり、光の強い中の作業はしなくてもいいですね。ごめんなさい。

さて、きのうからきょうにかけてよく眠れずレコードを夜中に聴いていました。
こともあろうにベートーベンの第5、6シンフォニーです。
フルトヴェングラー。
数日前にNHKの映像でヒットラーが出席しなかったフルトヴェングラー指揮/BPOの"ヒットラー誕生日祝い"コンサートの模様を放映していましたが、この指揮者が自らの意志なのかいやいやなのかわかりませんが、いい演奏をしていたのにはおどろきました。
芸術も知性の一形態と考えると音楽家も"政治"というものに対してきちんとした考えをもたないといけないのかなということも考えますが、フルトヴェングラーは"ものつくり"としては稀有の天才だったなと感じます。小沢征爾が政治フリーの"芸術家"であったとしても彼にはクリエイティビティは感じられません。
おもねる対象が政治なのか、権力なのか(権力とは"政治"ばかりではない、大衆とかマスコミ・マスメディアも)、ミューズなのかクラシックの演奏家にはそれぞれの生き方があって、聴く側としては決まった"正論"というものが決めにくいところもありますが、フィルターを意識しないほんとの感動というものは耳しか(つまり"こころ"のことですが)ないということだけは確かだと思います。
改めてフルトヴェングラーのすごさに脱帽しました。
ロマンティコ、の対極にあるトスカニーニも自分の場合嫌いではなく、冴えた演奏だと感じてしまいます。桝添さんみたいに"女たらし"の傾向が自分にはあるのでしょうか。どっちも大好きです。

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