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2010年11月29日月曜日

いたち豆脱穀

乾燥場所節約のためたぶん大丈夫であろう、きのう刈り取ったいたち豆を脱穀。豆はできあがっている。しかし茎はみかけではちょいとわからないが半分生である。10株放り込んだら回転軸にからまった茎を手で取りのけてやる、ということを繰り返しながらの作業となる。2時間程度しか時間がなかった。刈り取りよりはるかに時間がかかる。
種まき>刈り取り>脱穀>草むしり
というのが作業のしやすさの順序だろうか。

今ぼくは56歳。
武澤先生と飲むと先生はよく「残された時間」ということを口にされますが、実は自分もここ数年痛切にそのことを感じていました。とくに去年リンパに転移後3年間家族・親戚がなんの経済的支援をしなかった貧乏のどん底にあったMの最後の4ヶ月を看取ってからというものいっそうのことこのことを感じます。
Mには未完の夢があったがしかし夢をいだいたまま死ねるということの幸せも今は理解できるようになった。
自分には去年の落胆(今も続いているが)を畑が、特にこの夏の猛暑が、紛らしてくれたようにも思う。この年になると夢というものはかなり実現可能性の高いハードルの低いものに限定されてくるわけだが、いちおう夢はある。夢以外の「いわゆる遊び」ももちろんある。どれもこれも「・・・歳になったら」というものではない。やりたいと思ったらすぐやる、ということにしている。10年後は65、15年後は70。
・・・そうだ京大の森毅先生の人生20年単位説の変形で人生4年単位説でいったらどうだろうかと考えている。つまり4年で大学1個である。社会人なので「学校の中」に保護された身分ではないけれど、4年でなにかまとまった考えをとりあえず組み立ててみたいとも思う。

それにしても・・・15年で70歳だよ。

もっとも健康でいないといけないね。

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