陽気が続く中、きょうはひさしぶりに暑かった、・・・ので長袖でいた。
多くの品種が枝豆"適"の状態に達する。"適"とは"やや未"という意味でもある。
八百屋さんにあるようなぱんぱんに身が入ったものではない。
今朝方八百屋さんで東北の"秘伝豆"が売っていた。この量だと他の品種で300円台くらいのが秘伝は690円していた。ついこないだまでは知り合いとか通販でしか買えなかったものだが、一般に販売されるようになったらもう要らないかなとも思った。はやりそう、になったらすぐやめることだ。
はやるものは自分はやらない、いやいや"はやってしまったもの"は自分はやらない。
ひとまねはこっそりとやって、"事実"を確認するだけでいい。そんなものは商売にしない。
アッバードの『春の祭典』CDが物置片付けをしていたら偶然出てきた。
これはもちろんLPでも持っているが聞きすぎて傷だらけ、しかもカビはえになってしまったのできょうは子守歌にこのCDを聞こうと思う。
演奏の内容は自分にとってブダペスト響を振ったエルデーイのFM放送録音版が窮極にあるので、Abbadoのように現代録音を意識しすぎた感じの演奏には・・・?というところなのだが、一時夢中になっていたこともあるので若き日を振り返ってということで聞き直してみようと思う。
Abbadoは今年亡くなったのかな。自分の青春時代の大物(いい意味でも悪い意味でも)指揮者はもうだれもいなくなってしまった。シャイーのデビューが自分の20代・・・、というかシャイー自体が自分と同年代なのでがんばってくれているといいのだけれど。60歳ならもう巨匠と呼ばれてもいいころだろう。
おいしいぼたもち、おいしいコーヒーで春の祭典。
大豆はちらほらと黄葉してきた。
一部種取り用に強制刈り取りを始めようかなとも思う。
絶妙なアンバランス、いやいやインバランス。imbalance。imはフランス語だと"アン"なのでこういうことになるのだが、英語ではunbalanceよりはimbalanceをよく使うので、フランス語源というかラテン語語源を不釣り合いの意味には選択していることになる。
英語は語尾変化がないかららくちんだという向きもあるけれど、現実にはいろんな言語のちゃんぽんということもあり語尾の屈折の簡素化などでかえってわかりにくいところが多い。さらに見方を変えると"語源"探索がとても楽しい言語でもある。
すぐれた言語、劣った言語というものが"ある基準"によって選定されることもたしかかもしれないが、それはあたかも枚数の多いレンズが優秀で、一枚(単玉/たんぎょく)、二枚(ダブレット)、三枚(トリプレット)、そして3群4枚のテッサー・タイプといった原始的レンズたちは劣等だといった選別基準とある点で似ているのかもしれない。
複雑なのがいいとは限らない。
ガラス一枚の光量損失が75パーセントということを考えると、ある意味では窮極のレンズは"一枚"である。
話が飛んでしまったが、言語の優劣なんて考えない方がいい。
主語が要らない日本語も、それはそれで"価値"であり、主語が示されなくても意味が通じてしまうところにおおきな意味・価値がある。主語が示されないで誤解をまねくと騒ぎが生じるような公的な文書ではきちんと主語を書けばよい。生活で使う言語は継続すべき伝統はきちんと継続していくべきだ。こんなことまでマッカーサー流にしてもらいたくない。
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